山5 山頂
山の頂上に立っつと、眼下に南野の宿場町が見えた。
歩いて来た道のりが一目で見渡せる。
「こうやって見ると不思議だね。町って色んな色があってオモチャ箱みたい」
「そうだな。城下町とは雰囲気が違ってたな」
それに比べて——。
これから向かう山の反対側は、奈落のように暗い。
山の麓が低く削れ、谷になっているのだ。
谷の底には黒川と呼ばれる中程度の川が流れている。
そこを抜ければ火炎の町がある。
鉄鋼山の恩恵を受け、大きく発展した鉄鋼の町、火炎は城下町に次ぐ大きさを誇る。
そこまでたどり着けば鉄鋼山へ行くのは容易い。
温泉の出る火炎町は観光地でもある。
麓から吹き上がる風に雪花の髪が揺れた。
——ずいぶん遠くに来ちゃったわ。
森と城下町しか知らなかった彼女は、感慨深く町を見て、その向こうにある森に目をやる。
空には、まだ雨の名残の雲が薄墨を引いたように流れていた。
頂上から幾らも下らない山の斜面、今夜はそこで野宿する事にした。
斜面が抉れて空間が出来ていたからだ。
王子が枝を集めて斜面に立てかけテント布を張っていく。
風除けを作っているのだ。
その間に雪花が焚き火を用意して湯を沸かす。
今夜も水は雪花の担当だ。
押し麦と燻製肉、薬草を少し入れて塩を振る、魔法で水を湧かせて鍋をかき混ぜた。雪花は作業を続ける王子の背中を横目でチラッと見る。
雨宿りの後、王子は彼女に全く普通に接してきた。
——何だったのかしら? というか、世間一般にはアレって、キ、キスしようとしたって事になるんじゃないの? ち、違うのかな?
彼女は一人で赤くなりながら、髪を引っ張った。
——まさかよね。王子があたしに、そういう事をするわけないしね。だいたい、ほら、あたしはチビでガリで、男性にそういう目で見られたこともないわけだし。
自分で突っ込んでおいて軽く傷つく。
経験値が無さ過ぎて彼女は混乱しまくっているのだ。
特にその後の王子の態度が、あまりに通常運転だったものだから、何でもなかった気にすらなる。
——なにか、こう、身の危険的なものを感じた気もするけど、そうでもなかった気もするし。
雪花の口から溜息が漏れる。
王子とは、まだ旅を続けるのだし、こう、仲良くしていきたい。
そこまで考えてハッと口を押さえる。
聞かれていたら死にたくなるような恥ずかしい思考だ。
王子をチラッと盗み見る。何事もないようにテント布を石で留めている。
——ほんと、何にもなかったみたい……って?
彼女は自分の口から言葉が漏れていない事にやっと気づいた。
思い切りテンションが上がる。
——え、本当? す、凄いじゃない!
慌てて王子を振り返っても、黙々と作業している。
——聞こえてないんだ。聞こえてない。凄い、デイジーの言う通りだ。
鉱物にも気持ちは通じる。
嬉しくなった雪花は、思わず右手の指輪を見る。
琥珀石は今夜もキラキラ光って綺麗だ。
強く感謝しながら唇を寄せる。
——ありがとう。
琥珀石にキスすると、王子がビクッとして振り返った。
雪花は思わず身構える。
「な、なに?」
「…………願い事は朝じゃなかったのか?」
良かった、やっぱり聞こえてない。
指輪にキスしたのを見ただけのようだ。
彼女はニッコリ微笑む。
「今のは願い事じゃないもの」
王子は軽くため息をつく。
「………雪花、頼むから夜は止めてくれ」
そのまま額を押さえてしゃがみ込んでしまった。
——何を頼むというのか。
雪花は不思議そうに彼を見つめた。
やっぱり今夜も王子は剣を持って出て行ってしまった。
ずいぶん熱心に剣の鍛錬をするものだ。
世の中では王太子をボンクラ扱いしているけれど、実際の彼は真面目で努力家なんだと感心する。
彼女は毛布に包まって膝を抱え、そんな王子を失脚させたいのは、いったい誰なんだろうと考える。
普通に考えれば第二王子である黒曜王子だが、ボンクラの話で黒曜王子は次期王には成りたがっていない。
黒曜王子を支援する貴族なのだろうか?
血筋には伯父や甥、従兄弟なんかもいるんだろうし。
血縁のドロドロは彼女の想像の域を軽く超える。
けれど——世間の話を考えても、王子の話を考慮しても、黒曜王子は愚か者ではなさそうだ。
仲の良い兄を殺した相手を支援するとも思えないが——。
もし、黒曜王子の妃に自分の娘でも押し付ける気でいるなら、また話が変わるのかもしれない。
王族や貴族にとって婚姻は政治だ。
国での影響力を手に入れる手っ取り早い手段だろう。
剣を振っているだろうボンクラ王子の事を考える。
城から追い出されたと言っていたけれど……違うのではなかろうか。
彼もまた愚か者ではないだろう。
弟想いでもあるようだから、安易に追い出されるような事はないように思う。
自分が居なければ、直接政治に巻き込まれるのは弟なのだから。
なら——彼はどうして城から出たのだろう?
雪花は首を捻る。森で生きてきた彼女には、なかなか難しい問題だ。
政治に関心を持ったことなどない。
しかも家族という家族が老魔法いしかいない。
「……分かんないわ」
獣の皮にコロンと転がる。
——お爺ちゃんが生きててくれたら良かったのに……。
老練な魔法使いならば、きっと王子の力になれたのだろう。
——あたしと違って。
溜息が出る。
「早く帰って来ないかなぁ」
気づけば王子の帰りを待っている。そんな自分に苦笑した。
いったい、彼をなんだと思っているのか。
自分は森の魔女で、彼は王太子だというのに……。
——指輪が抜けるまでよ。
それまでは、王太子ではなく、ボンクラのままで。
彼女は目を伏せてため息をつく。
ふっと、雨宿りでの出来事を思い出し、また一人で赤くなって目を瞬かせる。
——とりあえず今夜は。
自分の周りに境界魔法をかけて、もぞもぞと毛布に包まり直して眠る。
「おやすみなさい」
剣を振る王子を思って声かけた。




