山4 雨宿り
「今日にもピークに着きそうね」
雪花が魔法地図を出して言った。
「迂回した割に早かったな」
王子が木にもたれかかって、額の汗を軽く拭って微笑む。
雪花も、もたれかかれる木を探した。
山は山頂に近づくほど傾斜が急になり平地が少ない。
休むにも木に頼った方が楽なのだ。
それにしても山登りは面倒だ。
歩けば汗をかくが、止まれば汗が冷えてくる。
王子がマントのフードを引っ張って被る。
寒いのかもしれない。
気掛かりは天気だ。
雪花は雲が垂れ込めてきた空を仰ぐ。
つられるように王子も空を仰いだ。
西の方角に黒雲が湧いていて、空が暗い。
「急ごう」
足を速めながら、周りに目をやる。
日差しがさえぎられ、風が吹き始めた。木々の枝が騒めく。
——これは雨が来るわ。
彼女は辺りを見回し、雨が避けられそうな場所を探す。
「ボンクラ、あそこに倒れてる枯木の下で休もう」
彼女が指差したのは、いつの風雨で倒されたのか、大きな杉が斜めに倒れた場所だった。後ろには上手い具合に大きめの岩があり杉を支えて空間が出来ている。
二人が杉の大木に向かってすぐ、大粒の雨がバラバラと音を立てて降り始めた。
小走りで滑り込むように木の下へ潜り込む。
あっという間に土砂降りになって行く。
白い飛沫を上げて、幾つもの筋が土に刺さってゆく。
辺りには雨と土の匂いが広がっていた。
「間一髪だったわ」
「全くだ。いい勘をしてるな」
雨が吹き込まないように、テントの生地で空間の前に仕切りを作る。
雨水が岩を避けるように流れていく。
「………しばらく無理だな」
「仕方ないね」
空間はそこまで広くはない。人が一人、横になれるかどうかだ。
とにかく濡れれば体調を崩す。
雨はやり過ごすしかない。
まだ昼過ぎだというのに、辺りは暗く感じられる。
雪花が魔法で小さな灯りを灯す。
気温も一気に下がってきた。
ボンクラがゴソゴソと荷物を解いて、獣の皮を敷いてくれた。
毛布を一枚づつ出して被って丸まる。
——ダメね。寒い。
湿度の高い冷たい空気が体を冷やす。
乾いた枝が無ければ焚き火もできないし、この雨では消えてしまうだろう。
隣りを見ればボンクラも寒そうだ。
手を口元にやって息を吹きかけてる。
沼地では、ボンクラが体を抱いて暖めてくれたようだった。
女の子を抱きしめるのは、不埒な行いだとは思ったけど……。
このままなら、風邪をひいてしまいかねない。
山のてっぺんで体調を崩すのは、勘弁して欲しいし。
雪花は立ち上がって自分と王子の毛布を重ねる。
「ボンクラ、寒いから一緒に被ろう」
彼の目が点になったけど、かまって居られない。
とにかく暖をとるのが先決だとばかりに、腕の中に潜り込む。
「…………雪花、これは不味くないか」
「何が不味いのよ。この方がずっと暖かいでしょ」
「いや…………うん」
ボンクラは、ぎこちなく雪花の体に腕を回してスッポリ毛布を被せた。
体が触れ合った部分が暖かい。
震えるような寒さは感じなくなった。
ただ——仕方がないとはいえ、ボンクラの顔が近くて落ち着かない。
彼は彼女の頭に顔を寄せている。
耳元で声が聞こえた。
「止まないな」
声が近過ぎて緊張してしまう。
「しばらくは無理ね」
ザーザーと押さえつけるような音は止む気配がない。
そうやって、しばらく黙っていたのだけれど。
気づくとボンクラが雪花に回した手に力が入っている。
ギュッと抱きしめられているようで戸惑う。
——えっと。
彼女の鼓動が速くなって行く。
彼の顔が雪花の頭に軽く押し付けられ、呼吸の音さえ聞こえるようだ。
王子の匂いを強く感じるのは、湿度が高いせいなのか、体が近いせいなのか。
自分の顔が赤くなっていくのが分かる。
何を意識しているのか、相手はボンクラじゃないか。
落ち着かない気持ちで目を瞬かせた。
——え?
首筋に生暖かく柔らかいモノが当たっている。
それが唇だと気付いた途端に、体がカッと熱くなってしまう。
——さ、さすがにこれは。
彼女は振り向いて、避難するように彼を見る。
「ボ、ボンクラ」
唇が当たっている、そう注意しようと思ったのだけど。
王子がビクッと体を離して、情けなく眉を下げる。
叱られた犬みたいな情けない表情だ。
雪花の胸がキュッとなる。
——そ、その顔は反則だってば。
彼女の方が狼狽えて、目を泳がせてしまう。
「あ、あの……」
目を伏せたら、ちょうど自分の指に指輪が見えた。
「指輪の話しをしてくれない?」
体を戻すとボンクラも、ゆっくり彼女に腕を回し直す。
雪花の右手をそっと掴むと、指輪が見えるように持ち上げた。
王子の手は雪花の手に比べると、大きくて指が長い。
長い指が彼女の手を弄ぶように動いていた。
これはこれで、何か気恥ずかしく止めてもらいたいのだが——。
「この指輪は、俺が成人した時に両親から贈られた物なんだ」
首筋に息が掛かってくすぐったいし、落ち着かない。
とにかく、話を続けないと王子を意識しまくってしまう。
「え、えっと。それは王様とお妃様の事よね?」
「そうだ。雪花も言っていたように、呪いを掛けた宝飾品はドワーフに頼む事が多い。この指輪もそうだと聞いているよ」
彼女は琥珀石のハマった銀細工の指輪を改めて見る。
ずっと、琥珀石の輝きにばかり目が行っていたけれど、指輪そのものに精巧な細工が施されている。
——さすが王家が用意したものね。そこらの指輪とは物が違うのね。
琥珀石が誘うようにキラキラ煌めく。
状況も忘れて彼女は琥珀の指輪に魅入れらた。
王子の指が琥珀の指輪がハマった雪花の指をゆっくり撫でた。
彼女はボンヤリと琥珀石と王子の指を見つめている。
「とても強い呪いが掛かっていて、普通の人間では俺の指から指輪を抜く事は出来ないんだ」
彼の言葉にハッとした。
それはおかしい、雪花は眠る王子から簡単に指輪を抜いたのだから。
「え? でも、抜けたじゃない。………どうして?」
雪花が目を瞬きながら振り返ると、王子と視線がかち合った。
優しい眼差しにまざって、形容しがたい何かが蠢いている。
「……どうして、か」
王子が雪花の手に自分の唇を押し当てた。
熱い息と柔らかい唇の感触に背筋がゾクッとする。
「あっあの……」
彼は彼女の頬に手を当てて自分の方を向かせた。
王子の顔が近づいてくる。
息が彼女の唇にかかる程近づく。
雪花は耳まで真っ赤になって狼狽えた。
「ちょ、ちょ……近い!」
彼女は慌てて王子を押し除けたものだから、姿勢を崩してテント布の方に転がった。外れたテント布の向こうに青空が見えていた。
「やんでる」
彼女がホッとしたように言うと、王子はガクッと項垂れたあと髪を掻き上げて苦笑を浮かべた。
「止んだようだな」
おもむろに立ち上がった彼は、眉を下げ、気弱そうな笑顔で転がる雪花に手を差し出した。
彼女はその手を掴んで起き上がりながら思う。
——ビックリした。もう、その笑顔には騙されないから。




