山2 山の神
雪花は毛布に包まったまま、ブルッと身を震わせる。
寒さで目が覚めた。
——ううっ。山の朝は本当に寒いなぁ。
人から聞いたことはあったが、実際に体験すると身にこたえる。
目をやると、少し離れた所に獣の皮を敷いて、王子が毛布に包まって眠っている。いつ帰って来たのかはわからないけれど、自分の体調は悪くない。
彼もちゃんと眠ったようだ。
彼女は起き出して火を起こし、薬缶をかける。
王子が毛布の中で眠そうに目を開けた。
雪花は小さく笑って言う。
「おはよう。寒いね」
「……おはよう」
ゴソゴソと起きだした王子は、自分の荷物を探っている。
雪花は何のお茶にしようか考える。
そうだ——生姜を買ったはずだ。
彼女が立ち上がろうとした時、王子がフワッと雪花の肩にショールを掛けた。
「雪花にあげようと思って町で買ったんだ」
彼女は目をパチクリさせている。
「あ、ありがと?」
王子は彼女の頭をグリグリと撫でると。
「似合う。可愛い」
そう言って水の入った小鍋を掴んで外に出て行った。
残念なことに、彼は雪花が真っ赤になったのを見損なった。
彼女はピンクのショールを引っ張って、照れくさいような気持ちになる。
自分では絶対に選ばない女の子らしい色だ。
——可愛らし過ぎないかな。暖かいけど。
そんな事を思いながら首にショールをきちんと巻きなおした。
生姜とハチミツにオレンジを絞って、二つのカップに湯を注ぐ。
さて……。
彼女は今日も琥珀石に願いをかける。
外で王子が俯いて耐えていることは、もちろん知らない。
☆
山を登るというのは、お互いに無言になると言うことだったか——。
雪花はしみじみ思う。
二人は黙々と足を進める。
とにかく明るい内に進めるだけ進まなければ、山の夜はとても早い。
上に登るほど、広葉樹から針葉樹の割合が増えていく。
伸びきった木々の枝は空高く広がり、鳥の声も遠くで響く。
うねった木々の根は、土から飛び出して足元を邪魔する。
山には森ほどの瘴気を感じない。
ただ、やはり独特の雰囲気がある。
雪花は魔女なのでどの神も信仰していないが、山を神と崇める人たちがいるのは知ってる。そう感じる気持ちが少し分かる気がする。
と、王子が足を止めて雪花の腕を取った。
「山の神だ」
その視線の先には、立派な角を持った雄鹿が立っていた。
丸くて黒い瞳、すらりと伸びた鼻筋、引き締まった肢体。
なんとも大きくて美しい生き物だ。
雄鹿はクルリと踵を返し、白い尾を見せて瞬く間に走り去った。
「初めて見たわ。綺麗な生き物ね」
「森にはいなかった?」
「鹿はいたけど、あそこまで大きくはない。それに、筋肉の付き方が違うみたい」
見上げた王子の目が穏やかなのでビックリする。
町に居た時より、ずいぶんリラックスした感じだ。
——山が好きなのかな。
「近くに沢があるみたいだな」
「え?」
「音がするよ。水の匂いもしてる」
「匂いって……やっぱり、あなた犬なの?」
王子が久しぶりに眉を下げて気弱に笑った。
雪花はその笑みを見て少し嬉しくなる。
この表情は可愛いと思う。
「水は貴重だよね。行ってみよう」
王子の言う通り、いくらも歩かずに川を見つけることができた。
小川だが森よりずっと流れが早く、水が澄んでいる。
「少し休んで行こう」
雪花は靴と靴下を脱いで、さっそく小川に足をつける。
「うわっ。冷たい」
王子も足を浸して笑っている。
「でも気持ち良いな」
彼はそのままゴロンと転がった。
水の流れる音と、風が木を揺らす音、息を大きく吸い込むと緑の匂いがする。
お茶を飲みながら雪花が魔法地図を出す。
「どこまで来た?」
王子が覗き込んで目を細める。
「移動してる魔物がいるな。ずいぶん、大きい」
雪花も眉を寄せた。
「山の魔物は数より大きさって聞いた事があるわ」
「ああ、俺も何度か山の討伐に出た事があるが、山の魔物は単独で動く凶暴なものが多い」
「避けて通りたいよね」
「沢沿いを上がって行くか? 魔物は水気を嫌うんだろ」
彼女が髪を引っ張って唸った。
「絶対じゃないのよ、種類による。でも……その方がいいかな」
「魔法地図じゃ、種類までは分からないか」
「そこまで万能じゃないのよね」
王子が魔法地図の魔物をシゲシゲ眺める。
「山の魔物っていうと、猪か熊だけどな」
「ちょ、熊ってやめてよ。あたしの中で熊は最強の動物なのよ」
彼は面白そうに喉の奥でククッと笑った。
雪花はムッとしたように彼を睨んだ。
「笑ってるけどね、森で魔熊のメドヴィーチに追いかけられた時は死んだかと思ったわよ。足は速いし、毛は硬くて物理攻撃が効かないし、牙もあって爪もあるんだからね!」
「ああ、分かってるよ。俺も討伐で出会った時は肝が冷えた。一人じゃ太刀打ちできなくて、五人がかりで退治したよ」
雪花は心底ゾッとした。
あんなものに襲われたら、ボンクラと二人で生き残れるんだろうか。
もしかしたら、刺客を避けながら麓の道を行くべきだったかもしれない。
王子がふっと山を見る。
「まあ、鹿を見かけるくらいだから、昼間なら襲われる心配は少ないと思うけど」
「……そうね。移動はしてるけど、動きは緩慢みたいだし」
「よし。明るい内にできるだけ進んでおくか」
雪花も大きく頷く。
慣れない山で魔物に遭遇したくはない。




