森2 指輪
扉を開けば、幹の中には空間がある。
少し狭いが一人で暮らすには充分な広さだ。
青年は珍しそうにキョロキョロした後で聞いた。
「雪花は家族いないの? 本当に一人で暮らしてるのか?」
「家族はいない。お爺ちゃんがいたけど、もう亡くなったのよ」
彼は目を瞬かせる。
「それは大変だな。君みたいな若い娘が、自分の生活を一人で支えてるなんて偉いな」
雪花はヘラヘラ笑っている男を、改めて見た。
——王太子様ねぇ。
琥珀というのは、ルシア国第一王子、ボンクラで有名な王太子の名だ。
もし、仮に彼が本当に王太子なのだとしたら、何故こんな所を一人で彷徨っているのだろう。
気にはなったが、彼女は聞かない事にする。
半分は語りだと思っていたし、本当だったとしたら理由ありだろう。
そうでなければ、身分の高い者が共も連れずに森の奥を彷徨くわけがない。
面倒事に巻き込まれるのは御免だ。
「お口に合うか分かりませんけど」
乾燥肉と採取したばかりのキノコでスープを作った。
森に住んでいると食材は限られる。
ヴォルクから助けてもらったのは本当なので、精一杯のもてなしだ。
固パンと一緒に出すと、ボンクラ王子はガツガツと食べる。
「美味い。すごく。この白いの何だ?」
「キノコ」
「へえ、食べたの初めてだな。美味い。雪花は料理上手だな」
「お世辞はいいから、食べながら喋らないでよ」
「まだある?」
彼は目を輝かせて空になった器を差し出した。
——遠慮って言葉をしらないの?
せっかく集めたキノコが吸われるように消えていく。
この時期しか出会えない小人達なのに……。
ヴォルクの気配に気づいてさえいれば、この人に助けてもらわなくても良かったのに。
そしたら、キノコが吸い込まれていくこともなかった。
汁の一滴まで飲み干す王子を見つめながら、彼女は思わず溜息をついた。
それにしても、よく食べる。
——何日も食事してなかったとか?
王子は血色こそ悪くはなかったが、余分な肉が削げ落ちたような体つきをしている。
彼女の脆弱なイメージでいくと、貴族は飽食で脂肪のついた体型を服装でカバーしているものだ。
その分、髪や肌艶がよく豊満は貴富の象徴だとか、うそぶいているものだと思っていた。
それは城下町で見かけた一部の貴族だけなのだろうか?
彼女は首を傾げた。
「ごちそうさま。生き返った。城に戻ったら、必ずお礼をするよ」
王子は満足そうに笑って頭を下げた。
キノコは食べ損なったが、義理は果たせたので良しとしよう。
やはり、借りは返した方がスッキリする。
「どういたしまして」
彼女も王子を見て微笑んだ。
雪花が汚れた食器を片付けているうちに、王子は床に丸まって眠ってしまった。
彼女は無防備に寝息を立ててる彼を見て、複雑な気持ちになる。
食べるだけ食べて寝落ちする。
しかも、床で。
この人…………犬かな?
苦り切った雪花だが、そのまま放り出す訳にも行かない。
この辺りは魔物も多い。日が暮れれば、危険度は増す。
いくら剣の腕がたっても、一人では簡単に餌食にされるだろう。
後で残骸でも見かけたら、さすがに寝覚めが悪い。
彼女は毛布を持って来てかけてやった。
その時、王子の右手の小指に素敵な指輪を見つけてしまった。
銀の指輪には王子の名と同じ、琥珀石がはめ込まれている。
何が、どうと、問われても答えられなかっただろう。
とにかく素晴らしく素敵な指輪に思えたのだ。
魅入られたと言っても過言ではない。
雪花はその指輪が欲しくて堪らなくなってしまった。
後で思えば、その感情自体が奇妙だったのだが。
普段なら、決してしない行動だ。
だが、指輪が欲しくて衝動を止められなかった。
そっと王子の指から抜き取る。
——良いよね。
食事は助けてもらったお礼だが、一晩の宿も提供するのだ。
城に帰ったら礼をするとも言っていた。
——お礼は、この指輪ってことで……。
彼女は自分の右手薬指に指輪をそっとはめる。
滑らかな金属の感触に背筋がゾクッとするようだった。
まるで、吸い付くようにピッタリだ。
体が痺れるような不思議な恍惚が湧いてくる。
「……綺麗」
琥珀石がろうそくの炎にチラチラ揺れる、なんとも蠱惑的な輝きを放っている。
自分の薬指にハマった指輪をウットリと見る。
と、彼女の右手を王子がガシッと掴んだ。
顔が青ざめている。
「はめたのか?」
眠っていたんじゃなかったのか。
王子の切羽詰まった表情に雪花は身を竦ませる。
「い、良いよね? お礼はこの指輪でも。お礼するって言ったよね?」
彼は特大の溜息をついて首を振った。
「………俺はいい。けど、この指輪には呪いが掛かってるんだ」
思いがけない言葉に、雪花も一瞬凍りつく。
「え………呪いってなに?」
「俺の体に起こる異変は、全て指輪をはめた人間が負うんだ。それに……あんまり離れているとどっちも死んでしまう」
「ちょ……それって」
「俺が怪我すれば君が怪我する。俺が死ぬと」
「いい!死ぬ、死ぬ、言わないでよ。外すから、今すぐ外す!」
彼女は必死で指輪を引っ張った。だが、指輪は張り付いたように外せない。
「なんで? ちょ、手伝って! 引っ張って、い、痛い痛い! なにすんのよ!」
「……いや。引っ張れって」
「だからって馬鹿力で引っ張んないでよ! 指が折れたらどうすんの!」
雪花は呆然と指輪を見て涙ぐむ。
「外れない……。ねえ、どうして? なんで外れないの?」
詰め寄られた王子は、ただ、ただ、困惑した表情をしている。
「分からない。ただ……右手で良かった」
彼女は恐る恐る聞いた。
「——左手だったら何が起こったっていうの?」
「左手の薬指だったら、結婚しなきゃいけなかった」
彼女は引きつって王子を見た。
「……手首の切断を考えるところだったわ」