町5 薔薇精
王子には悪いが酒場は苦手だ。
一人で噴水公園を歩くと夜の空気が清々しい。
空を見上げると、星が幾つも瞬いて見えた。
目を戻すと公園に植えられたサルスベリが目に止まる。確か異国の木だ。
「こんな所まで連れて来られちゃったの?」
そっと手を当てると、枝を小さく震わせた。
「お嬢さん。なにしてるんだい?」
振り返ると薔薇水の詐欺師が立っていた。相変わらず人間離れした美貌だ。
「今晩わ、詐欺師さん」
「詐欺師は酷いな」
彼は噴水の縁に腰掛けた。
「瓶の値段も考えたら、別にボッタクってないよ」
「だって、あれは薔薇水じゃないでしょ。でも……」
これは、商売の邪魔をした事を謝る良い機会かもしれない。
雪花は詐欺師の隣りに座った。
「商売の邪魔してゴメンなさい。いいのよね、彼女達は薔薇水が欲しいんじゃないもの。美貌の男性との出会いにお金を払ってるのよね。薔薇の香りが薄くたって、あなたから買った瓶を眺めてウットリすれば満足なんだし」
詐欺師は口元だけで笑った。
「ずいぶん、辛辣なんだね」
「そうかな。薔薇水を知ってるからかな。本物は、もっとずっと豊潤な香りがする。濃厚で優しい、本当にとても良い香りだもの。アレが薔薇水だと思って欲しくなかったの」
「………薔薇の香りが好きなのかい?」
雪花がにっこり笑った。
「薔薇の香りは好きよ。妖精さん」
詐欺師は薄紫の目を軽く見ひらく。
「分かるのか?」
「あなた人間離れしてるから」
「半分だけだよ。半分は人間だ」
薄紫の瞳が面白そうに揺れた。
「それで、君は何者?」
「何者か? 最近よく聞かれるわね。あたしは魔女よ」
詐欺師が破顔した。初めて人間らしい表情を見た気がする。
「魔女か。なるほどね。君が来た時、サルスベリが喜んでたから気になったんだ」
その時、ボンクラが呼ぶ声がした。
「雪花!」
少し離れた所に立っているが、凄く不機嫌な顔をしている。
「連れが呼んでるみたい」
急いで立ち上がると、妖精は雪花の腕を掴んだ。
「君は雪花って言うんだね」
彼は自分のポケットから小瓶を出して、彼女の手に握らせた。
「これが僕の名前だ」
薄紫の瞳が雪花を真摯に見つめる。
彼女が戸惑っていると。
もう一度、ボンクラが呼ぶ声が聞こえた。
「雪花!」
彼女は妖精にお礼を言った。
「ありがとう。じゃあね」
彼女が走り出すと、妖精が呼び止める。
「雪花!」
足を止めて振り返ると、美貌の妖精が少年のように笑って手を振った。
「おやすみ!」
彼女も小さく手を振る。
小さく——何しろボンクラが恐ろしく不機嫌な顔で見ていたから。
☆
「お前は先に宿に戻るって言ってたな? お前の宿は公園なのか?」
ボンクラは物凄く不機嫌だ。
宿の前まで来たというのに、グチグチと。
「だいたい、女が夜道を一人で歩くのはよくないだろ。だから、素性も知れない詐欺師に声を掛けられたりするんだ。どうせ良い男だから安心だとでも思ったんだろうが、相手は詐欺師だからな」
つい、雪花の声にも棘が出る。
「商売の邪魔をした事を謝ってただけじゃない。ボンクラには関係ないでしょ」
「詐欺師にお詫びか。お前は随分と殊勝な魔女だったんだな」
「ちょっと、突っかからないでよ。グラマーさんと交渉が上手く行かなかったから苛ついてるの?」
何か勘にさわる事を言ったらしい。
王子が物凄い目で睨む。炎でも吹きそうだ。
「お前が先に帰ったから、絡まれて大変だったんだぞ。急いで追いかけてみれば、詐欺師と仲よく談笑か? お前は自分が年頃の娘だって自覚があんのか!」
何故にボンクラに怒鳴られなければならないのか。
「煩い! 親でもあるまいし、なんで、あんたに干渉されなきゃいけないのよ!」
ボンクラ王子がグッと詰まる。
雪花はフンっとばかりにそっぽを向いて、一人で宿屋の戸を開く。
赤毛の親父が咎めるような目で雪花を見た。
声が聞こえていたらしい。
「嬢ちゃん。干渉するのは心配だからだろ。兄貴なんか、そんなもんだ。あんまり邪険にしなさんな」
訳知り顏でそんなことを言った。
彼女は慌てて口を塞ぐ。
——あんなの、兄貴じゃないし!
そこに王子が入って来た。すっかりショゲて、情けない表情だ。
「……………親父さん。ランプ借りるよ」
カウンターには宿泊客用に、幾つものランプが並べてあった。
とぼとぼ階段を上ってゆく王子の背中を、親父と雪花がそっと見送る。
親父が雪花を責めるように見るので居た堪れない。
「おやすみなさい」
それだけ言って、そそくさと部屋に戻る。
部屋ではボンクラ王子がベッドに腰掛けて靴を脱いでいた。
俯いてショゲ返ってる。
雪花は自分のマントを外し、大きく溜息をつく。
「ねえ、せっかくベッドで眠れるっていうのに、そういう顔をしないで」
「こういう顔なんだよ」
王子は、まだ不貞腐れてる。
雪花はもう一度、溜息をついた。
荷物からカップを二つ取って、魔法でお茶を淹れる。
一つをボンクラに差し出した。
「ジャスミンのお茶。気分が落ち着くわ」
彼は上目遣いに彼女を見ると、素直に受け取って飲み始めた。
雪花は、やれやれとばかりに自分もベッドに腰掛けて靴を脱いだ。
髪をほどいて、お茶のカップを持つ。
しばらく、ランプの光の中で二人、静かにお茶を飲んだ。
ふっと思い出して、ポケットから小瓶を取りだす。
水薬入れのような、小さな瓶だ。
「それは何だ?」
「詐欺師に貰ったの」
王子の目が剣呑になった事に雪花は気づかない。
雪花は瓶の蓋を開けて、匂いを嗅いだ。
「本物の薔薇水だわ。いい香り」
彼女が薔薇水を髪につけようとしたら。
「どうする気なんだ」
王子が眉間に皺を寄せて睨んだ。
「え? 髪につけようかと………」
「つける? 髪にか?」
また火でも吹きそうな目で睨む。恐い。
「えっと、止めとくわ。ジャスミンの香りが消えちゃうものね」
彼女は瓶に蓋をしてしまった。
王子は目を伏せて、静かにお茶の残りを飲む。
雪花は口元に手をやって、溜息のように呟く。
——きっと、あたしが、なにか気に触る事を言ったのよね。思ったことが口に出たんだろうけど。
彼女は琥珀の指輪を見つめた。
——ねえ、せめて、思ったことが口に出る呪いだけでも解いてくれない?
口元から手をはずし、彼女は小さく言った。
「お願い」




