町3 湯屋
夕焼けに染まり始めた町は、昼の顔から夜の顔へと化粧を変えてゆく。
宿屋の親父が言う通り、歩いて行くと噴水のある公園に出た。
丸い囲いの中央に、水瓶を掲げた女神像があり、甕から水が溢れている。
「アクア神だな」
「この町って地下水が湧くのかな?」
「町を抜ければ山だからな。水は豊富なのかもしれない」
雪花が視線を上げた。
その先にはこれから向かう丸い山が、シルエットで浮かんでいた。
「山って超えた事がないな……ボンクラはあるの」
「あるよ。もし、余裕があるなら、もう一足づつ靴を買っといた方がいいかもな」
「なるほど、検討しとくわ」
雪花が目を見開く。
「あ、見て、お猿さんがいる!」
派手な服に身を包んだ猿が、猿回しの曲に乗せて芸を披露していた。
タンバリンを巧みに操り、見物客の歓声を受けている。
「お利口ね。ボンクラより、お利口かもね」
彼女が悪戯そうに笑うから、王子は苦笑してしまった。
「何だろう、アレ」
そのまま公園を突っ切ろうとした所で、女性が群がっている屋台に遭遇した。
幾つもの小瓶を並べ、おそろしく美形の男が微笑んでいる。
細身で背が高く色白、髪は銀髪を腰まで伸ばし、淡いスミレ色の瞳をしている。
流麗な顔形に人間離れした精巧な目鼻立ちで、周りの女性は釘付けだ。
彼は魅惑的なテノールで、ご婦人方を撫で回すように優しく言う。
「美しいお嬢さん方、この薔薇水をお使いになれば、きっと貴方がたの美しさに磨きがかかりますよ。甘い香りに包まれながら、雪のような肌が手に——」
雪花は好奇心から瓶の一つを手に取って匂いを嗅いだ。
そして顔を顰める。
「こんなの薔薇水じゃないじゃない。薔薇水を凄く薄めた水よね。詐欺だわ。こんなの使ったくらいで美人になるなら、そこら中が美女だらけ——」
美貌の男がポカンとして雪花を見る。
いや、恐ろしかったのは、男ではない。
囲んでいた女性達が一斉に彼女を睨みつけたのだ。
その形相の剣呑な事と言ったら総毛立つほどだ。
「なんなの、あの娘」
一人がそう口にしたら、次々と声が上がってくる。
「あの方を詐欺師扱いするなんて、きっと育ちの悪い娘なのよ」
「偉そうに」
「そうよ、そうよ。銀様を悪く言うなんて信じられないわ」
雪花の目が点になる。
「銀様ってなに、人間のな——」
ボンクラが慌てて雪花の口を手で塞ぐ。
「す、すみません。気にせず続けて!」
彼女を抱えて脱兎のごとく逃走する。
湯屋の前まで走り、やっと雪花を降ろしたボンクラは大きく溜め息をついた。
「雪花、口に気をつけないと。女の群は手に負えないんだぞ」
怒り出すかと思ったが、雪花はシュンと肩を落とす。
「分かってるわ。トラブルを起こしたいわけじゃない。ただ、詐欺だなって思ったら、口に出てたの。思った事は喋っちゃうんだもの………ごめんなさい」
彼女はさらに肩を落として続けた。
「………指輪をしてたら町には住めないわね」
あんまり雪花がショゲているので、王子はどうしていいか分からずに彼女の頭を撫でた。
「よ、よしよし」
彼女は怒るでもなく、淡々と軽くその手を払い除ける。
「ボンクラってば、学習しないのね」
出会ってすぐに、頭を撫でて怒られた事を思い出す。
それでも、他に思いつかない。
「大丈夫だ。きっと方法はあるよ。一緒に探そう」
もう一度、彼女の小さな頭に手をやって撫でる。
自分の言葉に苦い物を感じる。
——俺の方が詐欺師みたいだな。
自嘲的な気分になりながら、俯向く雪花の頭を撫で続けた。
柔らかい髪の感触が逆に王子を落ちつかせる。
彼女はすぐに手を払い除けたりせず、しばらく王子に頭を撫でさせていた。
「もう大丈夫よ、ボンクラ。せっかくお風呂に入れるんだもん。気分を変えるわ」
雪花が彼の手をそっと握って降ろす。
彼女の手は小さく、滑らかで、少し冷たかった。
☆
さっきアクア像が飾ってあったのも頷ける。この町は本当に水が豊富らしい。
湯屋の湯船は思っていたより広く、並々と湯を湛えていた。
十五人、いや、もっと入っているかもしれない。
湯気の温かさに雪花の頬も綻ぶ。
湯屋の桶を借りて髪と身体を洗う。
先に洗ってから入るのがエチケットだ。
雪花が薬草袋を使って頭を擦っていると、隣から声を掛けられた。
「たっぷりで黒くて、素敵な髪ね」
目をやると、雪花より少し年上らしい少女が微笑んでいた。
真っ直ぐな焦げ茶の髪をしている。
面長で、黒に近い茶の瞳は優しそうだった。
「そうかな?」
「うん。すごく素敵。それに、あなた色が白いわね〜。お人形さんみたいね。羨ましいな」
人に褒められ慣れていない雪花は、真っ赤になって口ごもる。
「あ、ありがと………あなたの肌だって、綺麗だわ。象牙色なのね。髪や目の色と合っていると思う」
「そうかな。ふふ、嬉しいわ。ありがと。ねぇ、それ、すごく良い匂いね」
雪花は薬草袋を差し出す。
「レモンバーベナとセージなの。使う?」
「あら、いいの? ありがとう。あたしね、デイジーっていうの」
初夏から晩秋に咲く愛らしい花が浮かんでくる。
出逢うと思わず微笑みたくなる可愛い花だ。
「とても、可愛いらしい名前ね」
雪花が微笑むと、デイジーは嬉しそうに笑った。
「気にいってるわ。ねぇ、あなたの名前は?」
「雪花。冬生まれなの」
——たぶんね。
彼女は口の中で小さく付け足した。
「雪の花なんて綺麗な名前ね。あなたらしいわ」
デイジーはお喋りな娘だったけれど、嫌味のない素直な話し方をする。
聞いているのが楽しかった。
彼女はフッと話すのを止めて雪花を見る。
「ねぇ……雪花。気になってたから聞いてもいい?」
「なに?」
「気分を悪くしないでね。あのね、その左肩は傷の痕なの?」
「ああ、これか。狼に噛まれちゃったの」
デイジーが驚愕の表情になった。
「お、狼? やだ。痛かったでしょ?」
「うん。それなりに。というか目一杯、痛かった」
雪花が笑うと、彼女はホウッと息を吐く。
「雪花が生きてて良かったわ。でも……もったいないな。こんなに白くて綺麗な肌なのに」
「たぶん、そのウチに薄くなるよ」
「だといいなぁ」
雪花の肌を褒めてくれるデイジーだが、彼女は自分の美しさには気づいていないようだ。
湯船に浸かっていると、彼女の象牙色の肌に赤みが差して、とても綺麗に見えた。
腕にも脚にもタップリ肉がつき、胸の膨らみは雪花の倍以上あって豊かだ。
彼女に聞こえないように、雪花はできる限り小声になって呟く。
——抱きしめたら、気持ち良さそうな体だわ。




