森14 命びろい
何かが爆ぜる音に目が覚めた。
すぐ目の前にボンクラ王子の眠る顔があった。
雪花はギョッとしたが、なんでそうなっているのか状況が理解できない。
体の左側に強い痛みを感じて顔を歪める。
あぁ、そうだ。ボンクラがヴォルクに噛まれたんだった。
指輪の呪いは本当なんだなぁ。
噛まれたのは王子だったのに、すっごい痛い。
雪花は力なく笑った。
王子と彼女は毛布を二枚かけて、一緒に包まっている。
暖めようとしたらしい。不埒な行ないだが、仕方ない。
体は熱を出しているらしく、王子と一緒は暑苦しいのだが、動くのも面倒だ。
——さて。
とにかく痛みを何とかしないと、息も上手く吸えなかった。
彼女は無けなしの魔力を集めて、自分に回復魔法を掛ける。
ポゥッと体が発光する。
痛みが引いていき、やっと深く息を吸い込む事ができた。
辺りはすでに暗く、王子の体の向こうに、焚き火が燃えているのが見える。
………夜なのか。
重い頭を少しずらし、左肩を確認してみる。
噛み傷の大きさにワンピースは切り取られていた。左側だけ肩も袖もない。
だが、剥き出しになっているわけではなく、ぐるぐる巻きつけられた布から血と薬草の香りがした。
手当をしてくれたんだろう。
左手を動かしてみる。
関節も指もちゃんと動くようだ。
痛みは無くなったが、全身の疲労には抗えない。
雪花は、また、引き込まれるように眠りへ落ちて行った。
☆
王子がハッとして目覚めると、辺りは白み始めていた。
——寝てた。
慌てて目の前の少女を見る。
黒髪に縁取られた白い顔、閉じられた瞼はピクリとも動かない。
不安にかれて、そっと頬に手を当てると唇が微かに動いた。
耳をそばだたせれば、寝息が聞こえてきてホッとする。
額に手を当てると、熱も引いていた。
蝋のように白かった頬も、少し血色を取り戻しているようだ。
起こさないように側を離れ、薬缶に水を汲みに行く。
彼女が寒いと言ったので、抱きしめて暖めたのはいいが、途中から溶鉱炉でも抱いているかのように熱くなった。
熱が出たのだ。
汗もかいていたので、何度か白湯を飲ませたが、起きたらきっと喉が渇いているだろう。
彼が野宿に使ったのは、大きな岩の陰で、すぐ近くの切り立った岩の隙間から水が流れ出ていた。顔を洗って、口を濯ぐ。疲れのせいで、口の中がネバついていた。
戻ると雪花が起き上がっている。
「お、おい、大丈夫か!」
王子が血相を変えて側に寄ると、彼女はケロッとした顔で言った。
「大丈夫よ。回復魔法を掛けたから」
彼は盛大に息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。
「…………………死んだかと思ったんだぞ」
「あたしも」
苦笑した王子は、小鍋からカップに白湯を注いで差し出す。
「喉が渇いてないか?」
受け取った彼女は一心に白湯を飲んでいた。
普通に動いて、喋っている。今のところ何か不具合が残っているようには見えない。彼は心底、安堵した。
雪花は空になったカップを王子に返すと、目を瞬かせて言った。
「ねぇ、あたし、お腹空いてるみたい」
王子は呆気に取られたあと、緊張の反動か弾ける様に笑った。
「ああ、昨日の昼から食ってないもんな。何か作ろう」
——怪我人だし、粥か。
食糧の袋を覗いていると、雪花は立ち上がって着替えの袋を掴んだ。
「顔を洗いたいんだけど、水場はどこ?」
「右に行って、岩沿い。行けば分かるよ。いま、一緒に行く」
「一人で大丈夫」
少しフラつくが、お腹が減ってるせいだろう。
血が減っているから。
「本当に?」
王子が不安そうに彼女を見つめる。
心配している王子自身がボロボロだ。
シャツの片袖はないし、所々に血の染みがあり、かぎ裂きも多数作っている。
髪は汗と埃でボサボサ、目の下には隈まで出来ている。
頑張って治療してくれたらしい。
雪花がフラつくのは血が足りないのもあるが、王子の疲労のせいかもしれない。
焚き火の側には血で汚れた布が幾つも丸めてあった。
燃やしてしまうのだろう。
「…………ボンクラがいなきゃ、死んでたわね」
王子は返答に困ったらしく、ポリっと指で顎を掻いた。
「 まあ、怪我したのもボンクラのせいだけど」
雪花にそう言われ、彼は情けなく眉を下げた。
「…………ごめん」
彼女はパッと口元に手をやる。少し顔が赤い。
——や、やだ。可愛いじゃない。止めてよ。ボロボロでシュンとしないで。
彼の駄犬具合が、だんだん雪花のツボになってきているようだ。口元から手を離した彼女は、横を向いたままで王子の頭をガシガシと乱暴に撫でた。
「とにかく、一人で行ける。手当てしてくれて有難う。後であなたにも回復魔法をかけるわ」
王子の眉が、また一段下がった。
岩から流れ出る水は十分な量とは言い難かった。
まあ、文句を言っても始まらない。
彼女は血と薬草で重くなった布を外してゆく。傷に水が染みるのを覚悟しなければならない。
「……あれ?」
昨日かけた回復魔法が効いたのか、ボンクラの手当てが功を奏したのか、噛み跡が赤く残っているだけで、傷自体は無かった。よくあの状態の魔法で、ここまで回復したものだと自分で思う。
王子はガップリ噛み付かれていたのに——。
不思議に思ったが、とにかく、やれやれだ。
血で固まった髪を洗い、汚れた体を拭いていく。
ふっと琥珀石の指輪に自分の血液が固まっているのを見つけた。
「ヤダ。汚れちゃってる」
清水で丁寧に洗って布で拭くと、指輪は煌めきを取りもどした。
「良かった」
彼女の頰に笑みが浮かぶ。
湖で洗った服に着替えると、やっと生きた心地がした。
岩陰では、王子が胡桃入りの麦粥を用意してくれていた。
雪花は片手で口元を隠す。
——ボンクラのくせに、けっこう使えるわよね。そういえば剣の腕も良いようだった。世間で言われてるほどボンクラではないのよね。まあ、呼び名を改める気はサラサラないけど。
そんな彼女を、王子はやっぱり胡乱な目で見ていた。
口元の手を戻して、汚れたワンピースを片付ける。
まあ、丸めて焚き火に焚べたわけだが。
鍋から漂う甘いような穀類の香りが鼻腔を刺激して、雪花の口にジュワッと涎が溢れてくる。
口の端から溢れた涎を舌でペロリと舐め取る。
そんな雪花を、王子は面白そうに見ていた。
彼女は目を逸らし、口元を隠して呟く。
——ちょっとお行儀が悪かったかしら? お腹が空いてるんだもん。それにしても、ジッと見過ぎじゃないのかな。人の涎がそんなに面白いかい。
手を膝に置いた彼女は、ツンと澄まして言った。
「美味しそうね」
「蜂蜜もかけた方がいいか? 滋養強壮にいいんだよな?」
ボンクラが粥を碗によそって差し出しながら言う。
「それ、いいわ。気が効くじゃない、ボンクラ。血を作らなきゃいけないから、タップリかけて!」
「そういう効能は聞いた事ないけどな。弱ってる体に食べて平気か?」
王子が持ってきた蜂蜜壺を傾けると、金色の蜂蜜がトロリと溢れて粥におちてゆく。
雪花の喉がゴクンと鳴った。
「大丈夫!全然平気よ。いっぱいかけてね」
彼女はスプーンで粥をすくうと、すぐにパクッと口に入れた。
そうとう飢えていたらしい、甘い粥が内蔵に染み渡ってゆく。
「ん、ふふ。美味しい。胡桃も芳ばしい」
パクパク食べる雪花を、王子が愛でるように見ているので居心地が悪い。
「ねぇ、ボンクラも見てないで食べて。体力をつけてくれないと困る。あなたが疲れてると、あたしが辛いのよ?」
ハッとしたように頷くと王子も、やっと粥を食べ始めた。




