森12 沼地
当初のルートを外れ、森の暗い方へと向かう。
雪花は辺りを囲う木々達に真剣に祈った。
「無事に森を抜けさせてね」
流石にボンクラだけに荷物を負わせるわけにも行かず、集めた薬草は二人で分けて持つ。
「なあ、置いてくわけに行かないのか? それだけでも動きが変わってくるだろ」
ボヤく王子をキツく睨む。
「あんたね。あたしが何年もかけて集めたモノを捨ててけっていうわけ? それに、町についたらお金がいるって言ってるじゃない。王太子様は持ち合わせがある? それとも王族権限でツケ払いにでもする気?」
「………ごめん」
ボンクラはまた眉を下げて彼女を見る。
雪花がパッと手で口を塞ぐ。
——その情けない目をするのは止め欲しいわ。どうも苦手なのよ。気を抜いたら、いいわよ、あなたの好きにしましょうって言っちゃいそうじゃない。
じっと彼女を窺う王子の視線を避けて、彼女は口から手を外す。
「さ、気を引き締めて行きましょう」
森というのは、ただでさえ湿度の高いものだ。
草木は水を蓄えて、潤沢な水分を活用して生きている。
けれど、沼地に向かう森は全体がシットリ濡れているように感じられた。生い茂った木々の枝葉は日光を遮り、昼間でも薄暗く、足元の苔も踏めばジワっと水が滲み、取り巻く空気は重く纏ついてくるようだ。
それでも雪花は魔女である。
「あ、マンダラ茸だ! すごい。滅多に見つからないのよ。ちょっと待ってて」
「雪花。急ぐんだろ?」
「分かってるわよ。でも、滅多にお目にかかれないの! んふふ、この茸には猛毒があるのよね。んふ。乾燥させて粉にして、ほんの少しだけ服用すれば、相当に面倒な病気も持ち直すことがある。特に心臓には良く効く。これは高く売れるわよ」
ボンクラ王子が呆れた目で彼女を見ている。
「見てないで手伝って。あ、素手で触っちゃダメだからね」
彼は大きな溜息をついたが、しゃがみ込んで茸採取を手伝った。その方が話が早いと理解したようだ。
「面倒な事にも得点はついてくるのね」
彼女はホクホクした顔で、毒茸を大事そうに布で包んで懐にしまった。他の薬草と分けておくようだ。
王子はヤレヤレと首を振る。
「猛毒を懐に入れて、ほくそ笑んでる淑女には会ったことがない」
「それは、あなたがボンクラ王子だからでしょ? 見聞が狭いんじゃない?」
シレッと言われては返す言葉もない。
王子が眉を下げて彼女を見つめると、雪花はピクッと口元を引きつらせた。
「情けない顔をしないで」
ふん、と顔をそむけて口に手を当てて、また何かをブツブツ言っている。
そんな雪花を見ていた彼の中に、ジワっとある感情が湧き上がってきた。
——こいつ、面白い。
彼女は彼の視線に気づくと、パッと口元から手を外した。
「ボーッとしてないで、ほら、さっさと行くわよ!」
自分のしていた事を完全に棚上げした発言だ。
——よく言うよな。
そう思ったら可笑しくなったが、笑えば不機嫌になるだろう。
王子は込み上げてくる笑いを苦労して押さえた。
☆
想定した道を進んで行くと、辺りがドンドン暗くなる。
まだ昼前だとは思えない暗さだ。
「霧が出てきたな」
王子が眉間に皺を寄せ目を細める。
沼地の剣呑な雰囲気のせいか、ボンクラ王子も普段のボンクラっぷりが影を潜めていた。それどころか、周りを威圧するような濃い気配を纏っている。
「沼が近いの」
雪花も辺りを真剣に窺っている。
と——。
真っ黒い影が二人の頭上を覆った。
見上げた王子の口から言葉が漏れる。
「リトゥーチャか」
魔性を帯びた蝙蝠は一匹、一匹が大きい。成猫ほどの大きさがあり、牙に毒を持つ。その毒で獲物の動きを止め吸血して殺す。ひと噛みされたくらいでは効かないが、彼らの強みは数である。
王子が剣を握ったと思うと、数匹を一刀で薙ぎ払って霧散させた。構え直して右手に剣、左手に短刀を握った。軽く腰を落とした姿には隙がない。
「……へえ」
雪花は感心したが、王子の勇姿を見ている場合ではない。
彼女も両手の指を立て、魔法攻撃を開始する。
古語を唱え、指先から浄化の光を放つ。
王子が彼女を見て軽く口の端を上げた。
まるで、やるじゃないかと言われたようでムカつく。
彼女はフードをかぶり直してリトゥーチャの攻撃に備え、目につく限り浄化の光を放ってゆく。王子は王子で転りながらリトゥーチャをかわし、何匹も霧散させているが、何しろ相手は数が尋常ではない。
動きながらリトゥーチャと戦っていたからか、気づけば沼が見えている。
雪花は軽く息を飲んだ。
沼の上には灰色の瘴気が揺らめき、早朝の霧を思わせる。その瘴気は次々と凝ってリトゥーチャへ変わっている。
「じょ、冗談じゃないわ」
首筋が総毛立つ。
これではいくら霧散させても切りがない。
王子も雪花も何回かリトゥーチャに噛まれている。
毒のせいで動きに精彩を欠いてきていた。
——このままでは。
「ごめん!」
先に草木に謝る。
本当なら、それだけは避けたかったのだが——。
雪花は攻撃を止めて王子の前に走り込み、仁王立ちになると、両手を頭上に掲げて魔法呪文を唱え始めた。瞳が赤みを帯びて、暗い森の中で怪しく光る。黒髪が静電気を帯びたように逆立っていく。
彼女自身が魔物のように見えた。
古語の後に王子にも理解できる言葉が続いた。
「古き友、我が精錬なる熱き同志につぐ、汝の息吹にて邪なるものを焼き払え!」
答えるように、真っ赤な火柱が立ち上がる。
彼女はすぐさま魔法呪文を続けた。
「気まぐれにして清廉な我が友人、我が同志に告ぐ。吹き荒れ、逆巻き、紅蓮と踊れ!」
森の木々を軽々と追い越す大きな火柱を、さらに風が巻き上げ沼に向かって踊るように進んで行く。
炎に炙られ、飲み込まれ、リトゥーチャ達は次々と霧散していった。
吹き荒れる炎の風で雪花の黒髪も踊る。
濃い灰色のワンピースと黒いフード付きマントが熱気に揺れ、振り向いた彼女は荘厳にさえ見えた。
王子は熱気に目を細めながら、その様子を息を飲んで見ている。
言葉が出ない。
「走るわよ!」
雪花が弾けるような声で言った。森を指差し全力で走り出す。
王子もすぐさま後を追った。
とにかく沼から遠ざからなければ、雪花は前だけを見て走る。
途中で転びかかったら、王子がヒョイと彼女を抱きかかえ、そのまま脇に抱えて全力疾走してくれた。
「さすが王子、足が長いから速いわね」
雪花の呟きにも気付かず、彼は息が上がって動けなくなるまで走った。




