森10 刺客と魔女
岩場に戻るとボンクラ王子が、木の枝に肉を刺していた。
雪花の目が爛々と輝く。
「お、お肉だ。お肉。フレッシュで柔らかいお肉じゃない!」
王子の手元まで走り寄って、今にも生肉に食いつきそうな勢いである。
「お帰り、雪花」
笑い出しそうな顔でボンクラ王子が雪花を見た。
「ただいま。ねえ、どうしたの。これって何のお肉?」
「兎を捕まえたんだ」
「ボンクラに捕まるなんて、ずいぶんボンクラな兎ね。これ、兎のお肉なのね」
何日ぶりのフレッシュ肉だろう、きっと柔らかくてジュ−シーだ。
気をつけないと、口の端から涎が溢れてしまう。
彼女は森の神と兎に感謝の祈りを捧げた。
「雪花の方はどうだった?」
彼女は得意気に魚を掲げる。
「凄いじゃないか、五匹も釣ったのか?」
「そうでしょ? 自分でもビックリよ。こんなに捕まえたのは初めてだし、魔法を使ったのはボンクラには秘密にしな……きゃ」
雪花は目を丸くして、慌てて口を塞ごうとするが両手はすでに塞がっている。
それでも口を塞ごうとバタバタもがく彼女を見て、王子は耐えられないように吹き出して笑った。
「くっくく。雪花、まず荷物を置くといい」
彼女は頬を染めて膨れている。
「分かってるわよ。あ、そうだ。あたし湖で体を洗ってきたの。ボンクラも洗ってくるといいわ。臭うから」
ハタッと動きを止めた王子が、ショックを受けた顔をする。
「………臭う?」
「そりゃね。何日も体を洗ってないし」
自分をクンクン嗅ぎながら眉を下げる。
雪花が目を瞬き口元を歪めた。
「止めて、犬みたいに見え……くっふふ……くくっ」
王子はさらに眉を下げた。
「洗ってくるよ」
☆
昨日の夕飯はすごく美味しかった。
雪花は湖で顔を洗いながら思い出し、恍惚とした。
塩を振った肉の串焼き、香草と魚のスープ、取って置いた苔桃。
旅に出てからは、乾燥肉と固パンが多かったから、とても美味しかった。
「んっふ」
それにまだ、肉も少し、魚も三尾は薬草で燻して取ってあるのだ。
粥に混ぜるもよし、焼いて食べるのも、スープを作ってもいい。
「んふふ」
一人で悦にいっていると、耳元で風を切る音がして湖に矢が飛んで落ちた。
振り返れば、王子が見慣れない初老の男を締め上げていて、その手に弓が握られている。
雪花の顔が歪んだ。
「あいつ……あたしに矢を射かけたってわけね」
頭に血が上ってくる。
雪花も伊達に魔女をやっているのではない。
チンピラに舐められるのは、我慢がならない。
彼女はゆっくり立ち上がり、男に近づいて行った。
男は下っ端の兵士のようだ。
ルシア国の紋章が入ったマントをつけているが、生地は安物だ。
髪に白髪が混ざり、鼻の頭は酒で焼けていた。
雪花の紅い唇が軽く歪む。
そのアーモンド型の目の中で、黒い瞳に赤みが増して妖しい色を見せる。
「ウダツの上がらない下級兵が……。誰に矢を射かけたか分かってるのか?」
小さな声なのに、彼女の言葉は男の耳にハッキリ聞こえた。
男は遠目にしか見ていなかった少女を間近にして、背筋にゾッと怖気が走った。
その娘は、たっぷりの黒髪に縁取られた白い顔をしていた。
人形のような娘だ。
真っ赤な唇の口元だけを歪め、真っ直ぐ男を見る不思議な色の目に感情はない。
まるで妖気が漂うようだった。
男は引きつって彼女から後退ろうとする。
だが、王子にガッシリ捕まえられて身動き取れずにいる。
目の前まで行くと、彼女は口元だけでニッと笑った。
そして、頭二つは背の高い男の股間を思い切り蹴り上げる。
グッ——。
男の口から音が漏れ、膝から崩れ落ちて股間を押さえている。
王子は驚いて手を離したようだ。
ボンクラ王子が恐怖の滲んだ、情けない顔で雪花を見ていた。
が、そんな事はどうでもいい。
彼女は男の胸ぐらを乱暴に掴んで顔を上げさせ、額に指を当てると古語で呪文を唱えた。
男を捕らえた彼女の目は、ほの赤く発光し始める。
震える男は勝手に喋り出した。
「………こ、琥珀王子を殺せとご命令だ。森に逃れたと守衛から聞いた。追っていたら、女の餓鬼を同行しているのを見つけた。餓鬼から殺せば、王子も戦う気が削がれよう……どうせ、身元も分からないような森人の餓鬼だろう……」
雪花は軽く眉を動かすと、聞く者が総毛立つような猫撫で声を出した。
「それは誰の命令ですって?」
男が細かく震え出す。喋るのを拒否している。か、答えられないのだ。
彼女は、そのまま男の胸倉を突き放して股間に足を置いた。
男の顔から血の気が失せ、蒼白になって震える。
「潰す?」
「し…………知らない。知らないんだ。金が貰えると酒場の亭主に聞いたんだ。それだけだよ」
彼女は半眼になって息をつく。
「あんた、バカ? 人生かけて呑み代をチャラにしたかっただけなの? 死ねば」
雪花は男を乱暴にひっくり返し、男の腰紐を外して両手を結んだ。
「運が良ければ生き延びる。悪ければお終い。冷たい水の中で、あたしに矢を射かけた事を後悔するのね」
彼女が古語を唱えながら両手を高く上げると、男の体がゆっくり空中に浮く。そのまま両手を湖に向かって振り下ろした。
男は湖の中央へと飛ばされ、悲鳴をあげて盛大に落ちる。
水飛沫が高々と上がった。
王子は彼女に言い寄る男が居なかったことに納得する。
下手に手を出せば八つ裂きにされかねない。
「………雪花。アレは流石に溺れ死ぬだろ」
彼が咎めるような声を出したから、彼女はキッとボンクラを睨む。
瞳の色はもう元の黒に戻っていた。
「あいつは、あたしに矢を射かけたのよ! この可憐な乙女に!しかも、あたしを餓鬼って言った。三回もよ! 三百回死んだって許さない。足は縛ってないもん。頑張れば岸につけるわよ。これ以上の譲歩はしないわよ、絶対に!」
ツンっと顎を上げ、彼女は胸の前で腕を組んだ。




