襲撃
「いっでぇ!?」
大男の素っ頓狂な声が聞こえてきて、アルヴァルクは手にした槍で敵を払いながら中央を振り返った。
「テメェ、何しやがんだ!」
怒気を露わにした声から察するに、どうや光の乙女──フラル=ジェヴァから反撃されたらしい。
一体何をされたのかまでは不明だが、乙女はおとなしく捕まったままでいるようなか弱い乙女ではなかったということだけは分かった。
「きゃっ!」
「マジ腹立つ。お前、ぶん殴ったっていーんだぜ? 連れて来いとは言われたけど、傷ひとつつけるなとか言われてねーしな!」
「ぅ、うう……っ」
どうやらあの大男は女の扱いというものを分かっていないようだ。
──何かをされたからといって、女の首を掴んで良い理由にはならない。
彼女の顔面をまるごと包めそうなほど大きな手が、華奢な顎のあたりを掴み軽々と持ち上げているのが見えた。
アルヴァルクの周囲を取り囲む敵がこちらを睨んでいるが、まったく目に入らない。宙づり状態となった乙女の状況に注意が向いている。
黄味がかった白い顔が苦しそうに歪んでいく。真っ黒な前髪が流れて、その隙間から大きな黒い瞳が覗いた。
そこで、女と目が合った──気がする。
視線が交わったのは時間にしてほんの一瞬だが、アルヴァルクにはこの一瞬が長く感じられた。
心の奥が震える。
ざわめきは彼女の召喚と同時に消えたはずなのに。
歓声を上げているかのようにもう一度ざわざわとし始めて、うるさい。歓喜を感じるような場面でもないというのに。
「────」
彼女の小さな唇が開かれて、ぱくぱくと動いた。
たすけて、と。
アルヴァルクの耳には、確かにそう聞こえた。
その彼女の声に何故だか懐かしさを覚える。
どこかで聞いたことがあるような気がするなど、たった今、出会ったばかりで有り得ないのに。そんなことを思うはずがないのに、女の声が胸の奥でじぃんと響いて広がっていく。
召喚された彼女は、こちらの言葉が通じていないような様子に見えていた。
彼女の前髪は長く、顔を半分ほど隠してしまっているために表情は見えない。だが、胸元で心細そうに握られている拳が彼女の戸惑いを表しているように感じた。
国王がいくら問いかけても返事をしなかったことから、こちらの言葉が通じていないのは明らかだろう。
それならば、あちらの言葉もこちらには通じないはずである。なのに、アルヴァルクの耳はしっかりと彼女の声を聞いてしまった。
彼女に求められたなら、今すぐ行かなければ。
そんな思いに駆られる。
「おい、アルヴァ! なにぼーっと突っ立ってんダ!」
近くで戦闘に混じるレオルカの声に弾かれるように、アルヴァルクは動き出した。
背後から聞こえてきた空気を裂く音から飛び退いた直後、ズドンと重たい音が響く。
背後を狙ってきたのは、突然現れた集団──被った黒布で顔の半分を隠した者たちのひとり。それが手にしていた斧で祭儀殿の床を抉っていた。
かなりの重量がありそうな斧だ。相手が再びそれを振るう前にと先手を打つ。
アルヴァルクの得物は、ザゼの鋸歯を模した刃が尖端にある槍。それを手首を使ってくるりと回し、刃を下に向ける。
狙うのは斧の柄を握る手だ。
床にめり込むほどの重量がある斧を持ち上げるのは一苦労だろう。手の甲へと刃を突き刺した瞬間、野太い悲鳴があがった。
「──っとぉ!」
相手の手を突き刺したままの槍を支えにして、アルヴァルクは跳んだ。跳躍による勢いを乗せて、新たに迫っていた者たちをまとめて蹴り飛ばす。
その下では手の甲を刺された男が痛々しげにぎゃあぎゃあと鳴いていた。
刺した切っ先を抜きながら床に着地すると、すぐさま駆け出す。目指すのは、もちろん祭壇のほうだ。
辺りではティアハイレンの統率によって騎士や上級術師たちが戦闘に応じていた。
水聖術の心得があるティブルカロンもこの場に留まり応戦している。
最優先に保護されるべきハイネリア王やピスナクローリア王妃、そしてハインスクローリア王女はすでに近衛によって避難済みだ。
しかし、現れた集団の数が多く、未だ誰も召喚されたフラル=ジェヴァのもとへは辿り着けていない。
大男が立っている水晶はアルヴァルクの身の丈よりも大きい。加えて大男の背丈もそれなりだ。
首を掴まれ宙づりとなっている女の足先から地面までは、およそ2mといったところだろう。彼女はきっと恐ろしい気持ちを抱いているはずだ。
そう思うと、腹の奥底から計り知れない怒りが込み上げてきた。
急激に沸かされた熱湯のように沸々と煮え滾る怒り。
初めて見る女のために怒れるほどの情は持ち合わせていないはずなのに、知らない自分がアルヴァルクに身体を動かせる。
強く、強く床を蹴り、ほんの少しでも早く彼女のもとへ。
大男が更に彼女を乱暴に扱う。
彼女の身体を振り、何か耳打ちをする。
大男は苛ただしそうだった。
近づいてきているアルヴァルクに気付くと大男は哄笑しながら腕を伸ばし、その手をぱっと離した。
女を掴んでいたその手を。
重力にならって、女の身体が落ちていく。
アルヴァルクは床を強く蹴り、跳んだ。墜ちる身体を受け止めようと懸命に手を伸ばしながら。
時の流れがゆっくりになっているような錯覚がする。
召喚されたときのように、女の黒髪がプアレの触手のようにゆらゆらと広がり、分厚そうな前髪が持ち上がって表情が露わになる。
髪と同じ、黒色の眼差しがアルヴァルクの瞳と交差した。
(もう、少しだ……! )
無意識か、彼女もアルヴァルクのほうへと手を伸ばしていた。
そのおかげで距離がだいぶ縮まる。アルヴァルクの青白い指先が、彼女に触れ、そして掴む。
──ドクン。
その途端、心臓が強く脈を打った。
触れた指先をぎゅっと握り締めると、それはより強くなった。
腕の先から頭の上まで、全身を巡るように何かが流れ込んできているかのような。不思議と力がみなぎってくる、そんな感覚だ。
(何だ……?)
落下地点に滑り込むように身体全体で彼女を受け止めると、アルヴァルクの中で膨れ上がった物が弾けるように光が広がっていく。
眩しい輝きがアルヴァルクから──いや、二人の身体からあふれていた。
青色は水聖力を纏っている証だというが、この光は水聖力とは少し違うもののように思った。
召喚のときにも見た、青と銀の二色を纏った光。目が眩むほどに激しい蒼銀の光が瞬く間に周囲を満たす。
眩しさで目を開けていられず瞼を閉じてしまったが、それでも彼女を離すまいとしっかりと抱き締め、着地する。
「こ、この光はっ……! っぐあぁ!?」
瞼を突き抜けるほど激しい光の向こうで、大男の驚愕した声が響く。
動くなら今だと、内なる誰かが叫んだ。
空いている手を握ると、柄の感触がある。
華奢な重みを片腕で抱き締めたまま、アルヴァルクは再び脚に力を込めた。
目掛けた先は水晶の上で蹲る大男。
収縮し始めた光を手の中へと閉じ込めるかのように、掴んでいる槍を強く握り締める。
布で隠れていた大男の赤い瞳が露わになって、大きく見開かれる。
その目に映るは、アルヴァルクと小祈──いや、夢で見る男と龍。
──彼女が感じた痛み、恐怖。その身体で思い知れ。
切っ先が男の肩を貫いた。
「ぐあぁああああ! くそ、焼けるっ、消えちまうっ! くそぉ!」
大男は水晶の上から転がり落ち、異様な様子で痛みに悶えた。
彼と入れ替わるように水晶の上へと着地したアルヴァルクは、男から目を離し、腕に抱いている彼女と向き合う。
あの眩しい光は収まっていた。
分厚い前髪の隙間から覗く瞼が、おそるおそるといった様子で持ち上がっていく。
「大丈夫か?」
尋ねるとやや間を置いて静かな頷きが返ってきた。
いつのまにやら、言葉が通じていたらしい。
彼女の体温はあたたかかった。
華奢な身体に触れていると、そのままずっと腕に閉じ込めていたい気持ちに襲われる。
まるで自分ではない自分が、彼女といることを歓喜しているかのようだ。
しかし腕の中にいる彼女は、あのとき抱いた感慨は気のせいだったのかと思うほどに地味に見える。
間近で見た前髪の分厚さは、海藻の如く。まったく目が見えない。
だというのに、どうしてか彼女を見ていると、心のざわつきがチクチクと胸の奥を締め付ける。
消えたと思ったのに、一体この想いはなんなのだろうか。
「……一体なんなんだ……?」
静かな空気が誰かの呟きを運んできた。
「ぐぅう……っ!」
蹲っていた大男がよろめきながら立ち上がり、苦悶の声を漏らす。
湯だった汁のように、身体から蒸気のようなものを立ち昇らせながら。
「は、ははっ。なるほどなぁ、両方とも揃っていやがったかぁ……!」
警戒した騎士たちが武器を構える音がする。
また何かするかもしれない。緊張感が走った。
「はぁー、しゃーねぇ……っ。おめーら! 一旦、退くぞ……っ!」
だが、男にその意志はなかった。
頭を覆っていた布を取り去るように振るうと、次の瞬間には男の身体が黒い靄に変わっていた。
渦を巻くように黒い靄は消え、それと同時に他の集団も忽然と姿を消した。
不意に上着が引っ張られる力に気付いて見下ろすと、腕の中の彼女が心許なさそうにアルヴァルクの胸元を掴んでいた。
ぎゅっと、胸の奥まで握り締められたような感覚がアルヴァルクを襲う。
そのまま解放してもよかったというのに、アルヴァルクは彼女をさらに強く抱き締めていた。
察した彼女の不安を包み込むように、そっと、けれど強く──。