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闇に落ちる

 暗い水の中に、一筋の光が差し込んでいる。これは太陽の光だ。

 ぷくぷくと上昇する気泡が陽光に反射してチカッと瞬く。まるで宝石のような煌めきである。

 空の天辺にまで昇った太陽の明かりは、プールの底で座っていた小祈の膝元にまで届いていた。


 ちゃぷちゃぷと鳴る水音が鼓膜をくすぐる。

 それが小祈には子守歌のように聞こえ、誰かが飛び込んだときに起こる振動は揺り籠だった。

 ここは、五歳の小祈にはまだ早い大人用のプールの底。その角で穏やかな気持ちで膝を抱えて座り、利用者が自由に泳いだりはしゃいで遊ぶ様子を眺めていた。


(これは……いつもの、夢?)


 意識は二十歳のままなのに、視線の下にある膝小僧が小さい。

 あの当時の再現であることをすぐに理解したのは、よく見る夢だったからだ。


(……あ)


 夢の終わりが近づいている。

 そう思った理由は、飛び込んだ男の人がこちらへ向かってまっすぐに泳いできているからだ。


 あっという間に至近距離にまで迫った男性が、小祈の脇の下に手を差し込み水面に向かって底を蹴った。

 急な上昇に合わせて、身体全体に水圧がかかる。数秒後にはその圧もなくなり、光にあふれた水上に顔を出した。


『気持ちよくてずっとお水の中にいたの』


 いつもの夢では、この後駆け付けた両親に向かってそう報告したところで終わる。

 夢の終わりは毎度これだった。微妙な表情をする両親の顔で締めくくられるのだ。


 ──なのに、今回だけは違った。


 太陽の光に晒されて、滴る水とともに燦々と輝く銀糸の髪。

 青空の下でもその美しさは失われない、薄青の相貌。そして紺碧の瞳が小祈を見つめている。

 光の中にいたのは、彼だった。


 ──どうして。

 そう思ったところで夢は終わってしまった。

 ゆさゆさとした振動に促されて、意識が浮上していたのだ。

 頭に血が昇っている感覚と腹部を囲う人の腕を感じて、小祈はゆっくりと目を開けた。


 耳が捉えたのはザッザッという足音。それが複数反響して聞こえてくる。

 続いて、視界が淡く青に光る地面を捉えた。ごつごつとした岩や石が転がっている様子と音の籠もり具合から、おそらく洞窟のような場所にいるらしい。


(……私……そうだ……レオルカと部屋を出ようとしたときに)


 意識を失う直前、真っ暗闇に捕らわれた。

 レオルカはどうしただろう。自分と同じように闇に攫われていやしないだろうか。


(……からだが、おもい)


 気になるのに身体が動かない。

 指先一つ動かすことも叶わず、自分を抱えて歩く人の振動をその身に受けることしかできない。


「……チッ、一体どこまで続くんだぁ? この道はよぉ」


 不機嫌さを露わにした声が落ちてくる。

 この声には聞き覚えがあった。


「だいぶ奥まで来ているようなので、最深部──“爪痕”まではもう少しかと」

「はぁ……ま、うざってーグランポポルがいねぇだけマシかー」

「あの女を贄にしてきて正解でしたね」

「今頃、食い散らかされて跡形もなくなってっかもな。ガハハ!」


 グランポポル、爪痕、そしてあの女。

 彼らの会話から気になる言葉がいくつかこぼされた。

 今回プル・クラークを訪れたのは、都の大事な場所でホホジロザメ(ザゼ=グランポポル)が暴れてしまっているからだ。

 その場所は採掘──ではなく、採貝場だと聞いている。

 もしかして、ここがそうなのだろうか。

 それに、プルディアの族長は女性らしい。彼らが言った「あの女」が族長を示しているのなら、現在彼女はなんらかの危機に晒されているということだ。


(……どうするつもりなんだろう……)


 相変わらず動くこともできず、レウカスに抱えられたまま奥へ奥へと進む。

 すると段々、身体に纏わりつく重さに不快感が増し始めた。


 例えるなら、梅雨特有のじめじめ感が近い。

 暑さはないのに何か嫌な物が肌にべっとりと張り付いているような、そんな不快感に包まれ始めている。


 それに──


(……この先に、行きたくない)


 心がその先に向かうことを拒絶していた。

 今すぐ引き返したいくらい嫌なのに、どうしても身体が動かない。

 恐ろしい存在が自分を待っている、そんなような気がするのだ。


「……ッ」


 不意にズキッとした痛みが額のあたりに走った。

 小祈が微かな吐息をこぼしたことに気が付いたのか、レウカスの大きい腕が伸びる。そして、小祈の顎を掴んで持ち上げた。


「なんだぁ、起きてんじゃねーか」

「あ、ぅ……」

「おら、歩け」


 痛みはいまだに額をうろついている。継続する痛みに呻く小祈をレオカスは乱暴に解放してくれた。

 どさっと青い地面に落ちる。頭痛と身体に纏わりつく重さのせいで、当然受け身を取る余裕などない。

 強かに腕や足を打ちつけた小祈は、新たな痛みに喘ぐこととなった。


「さっさと立てよ。おら」

「うっ……うぅ……」

「おい、テメー。オレの言うこと聞けねーのかよ、ああ?」


 額の真上のあたりをぐっと掴まれ、無理やり上を向かされる。

 怪訝そうに睨む男。大きな傷だ──と一瞬思ったが、それは顔を横断するように描かれた紋様だった。


 男の顔と至近距離で見つめ合うその横で、滑り落ちようとする存在に気付く。

 あっ──と思った次にはコトンと墜落の音が聞こえた。


「レウカス様、もしかしてその女、動けないのでは?」

「あぁん?」


 仲間の進言に、レウカスは牙を剥くように凄んで返す。


「い、いえ……確かマシュティア・ロドンが、女の中にあるとされる“欠片”に力が反発しあって動けなくなる可能性があるとおっしゃって……いたような……」


 彼の気迫に圧され、仲間は委縮してしまったようだ。最後は尻すぼみになってほとんど聞えなかった。

 だがちゃんと届いていたようで、そういえばそうだったと納得した彼が小祈から手を離した。

 その拍子に、端に寄せられていた前髪の半分がさらりと滑り降りてきて、片方の視界を閉じてしまう。

 彼がくれたあの髪留めが、小祈の目の前で転がっていた。


(だめ……動かない……)


 ほんの目と鼻の先にあるものでさえ手に取ることができない。

 先ほどの仲間の発言に動けない理由が明らかにされていたようだが、さっぱりと分からなかった。


 力? 欠片?

 ──それは小祈の前世の姿とされる海龍の力のことを指しているのだろうか。


(セイレーンの魂の欠片……)


 それが一体何と反発しあっているというのか。

 いや、考えなくとも小祈の本能は理解している。きっとこの先にある何かと、だ。


「仕方ねぇ。──そこのお前、コイツを運べ。オレはもう面倒くせーからごめんだ」

「了解いたしました!」

「あぁ、そうだ。丁重に運んでやれよ? 大事なフラル=ジェヴァ様だからなぁ」


 そういう自分は丁重とは言い難い抱え方だったじゃないか、と思っても残念ながら言葉にする力でさえ今の小祈にはない。

 レウカスに指名された仲間に身体を起こされると、緑色が一気に遠のいた。


 体格が大きい者が多いのか、そのまま肩に担がれる。結局、丁重に扱ってくれる気はないようだ。

 彼らなんかにお姫様抱っこされるよりはいいかもしれない。

 あの人に抱えられた感触を今も覚えているから。


(……アルヴァ、さん……)


 心が求めている相手の名前を呼ぶ。

 彼は自分を探しに来てくれるだろうか。先ほどまで見ていた夢のように。


(ああ、……だめ……また……)


 ずきずきと痛みを増し続ける頭痛に、意識を保っていられないかもしれない。

 揺れる視界の横で、もうひとつの緑色が暗闇に落ちていった。

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