行き先は知らない ①
プル・プラークでは、工芸品や装飾品といったものが盛んに作られている。
主な材料となるのは、騎士団の装備品にも使われるアセロ貝や、様々な輝きの石が採れるビィジュ貝だ。
しかし現在、その貝類が採れるガント採貝場が凶暴なザゼ=グランポポル──生物絵を見たコノリはこれをホホジロザメと呼んだ──によって占拠されている。
元々凶暴で知られる海獣だが、凶暴化現象により凶悪となってしまったのだ。
幸いにも死者は出ていないらしいが、ザゼに腕を食い千切られるような重傷者が多数出ている状況である。
被害は深刻。フラル=ジェヴァであるコノリに課せられた使命は、凶暴化現象の原因を突き止めつつ、採貝場を浮浪するザゼ=グランポポルをどうにかすることだ。
駐屯地からケルピー馬舟に乗り換え、アルヴァルクたちは族長のいる屋敷へと向かった。現在の状況を族長のクヴァリー・メデューから聞くために。
──だが。
「不在?」
「ええ、何でも採貝場の様子が気になると言ってティラ刻になったばかりのころに……」
アルヴァたちを出迎えたのは、長のクヴァリーではなく補佐官のカトル・カラリという男だった。
壁際のコルチェ球に目を向ける。青の光は二割ほど金に侵色され始めたところだ。
ティラになった頃から不在ということは、なかなか長い外出をしているらしい。
(……くそ、さっさと終わらせてぇのによ)
出発に先駆け、本宮から連絡が行っているはずだというのに。苛立ちを隠せず、アルヴァルクはその場で舌打ちをした。
はぐれの出自ではあるが、一応は王族の一員だ。
あまり民衆の前に出ることはないが、プルディアの長であるクヴァリーと顔を合わせたことくらいはある。
第三王子である自分に対し不敬ではないのかと問うと、カトルは困ったように眉根を下げた。
「それまでには戻ると仰っていたのですが……フラル=ジェヴァ様方がご滞在中は客室を使えるように用意をしております。族長が戻られるまで、どうぞそちらをお使いください」
「……なら、少しのあいだ頼んでいいか? 俺は少しだけ外に出る」
背後に立つ一人と一匹を目線で示す。
アルヴァルクの申し出にカトルは目を瞬かせた。
「え、ええ、もちろんです、アルヴァルク王子。ですが一体どちらへ?」
「野暮用だ」
それ以上は聞いてくれるなと、声音で忠告する。
今のアルヴァルクはただのアルヴァルクではなく、第三王子としてここにいるのだ。きちんと青の正装にだって身を包んでいる。
予想通りカトルはこちらに逆らわず、しつこく尋ねてくることはしなかった。
「えー! アルヴァだけ出かけんのは、ずるいゼ! オレもつれていけヨ!」
しかし、それに異議を唱えたのはレオルカだ。
アルヴァルクはため息を吐いてから相棒の首に腕を回して引き寄せた。
「……そうしてやりてぇがな、ここにいつもの酒場はない。お前を連れて入れるトコがあるとは限らねぇんだ。土産なら買ってきてやるから我慢してくれ」
「えー! 土産程度じゃオレの腹は膨れねぇゾー!」
それでもレオルカは不満げだった。
彼は大食らいなのだ。今までに積み重ねてきたシィモウ肉の皿は数知れず。
おかげで彼を満足させられるほどの量を提供してくれる場所は限られている。
「……また向こうに戻ったらたんまり食わせてやるよ。それに──あちこち連れて歩くワケにもいかねぇだろうが」
ちらりと視線を向ければ、不意に話題を振られたコノリの肩がびくりと跳ねる。
だが、彼女と目を合わせることはせず、アルヴァルクは投げた視線をすぐさま回収した。
「うー……そうかぁ?」
「そういうモンなんだよ」
「……仕方ねぇナ。美味いモン持って帰って来いヨ!」
いまだ納得はしていなさそうだったが、渋々と折れてくれた様子にほっとする。
コノリはアルヴァルクが貸し与えた服を着たままなので、一見するとこの世界の住民である。
だが、違いはすぐに分かる。
何せ肌の色が違うのだ。異質の存在に人はすぐに気が付くもの。
フラル・ズエラから人を呼び寄せることを予め周知させていたとしても、コノリがそうだと知ればきっと珍しいもの見たさに群がろうとするだろう。よからぬことを企てる輩がいないとも限らない。
襲撃の件がいい例だ。
コノリは護るべき対象。そんな相手を不用意に連れ出せば、トラブルのもとになるに決まっている。
「それじゃ、頼むぜ」
「王子、よければ護衛を──」
「いらね。俺の分をこっちに回してやってくれ」
カトルとそしてレオルカに後を託し、背を向けた。
物言いたげなコノリの視線を感じるが、振り返りはしない。
不自然な早足にならないよう気を付けて屋敷を出ると、途端に解放感というものに包まれた。
とにかく早く独りになりたかった。
苛立ってばかりで、そろそろ頭がおかしくなりそうだったのだ。
しかし、外に出たはいいものの行く先に宛はない。
(……着替え借りりゃよかったな)
青を正装として身に付けられるのは、アルガレオス王家のみ。正体を教えて歩くのはどうかと思い、ひとまず上着を脱いで腰に巻いておくことにする。
馬舟に揺られて通った道を戻り、街の主要部へと向かう。そちらへ行けば、何かしらの暇つぶしに出会えるだろう。
道を歩いていると、独りの気楽さがとても身に沁みる。
荒れていた胸の内が少しずつ穏やかさを取り戻していくようで、苛立ちでぐるぐるしっぱなしだった頭の中も少しだけすっきりしていた。
何故なら、そばにはついつい気にしてしまう相手も、気を遣わなければいけない相手もいない。
どちらも同一人物を示しているのだが──その姿を思い浮かべる前にとアルヴァルクは頭を振った。
「……ああ、くそっ!」
振り払ったはずの姿が脳裏にチラつく。
近くには誰もいないので気にすることなく悪態を口に出す。すれ違った通行人には怪訝な顔をされたがどうでもいい。
何度振り払っても、同じことの繰り返しだ。
やっと独りになっても変わらない。
自分らしさというものがぼろぼろ崩れていきそうな感覚が、ひどく心地悪くてたまらない。
ずっとずっと、自分の中に知らない自分がいる。
それがコノリを意識しているから、自分自身が振り回されている。それが本当に腹が立って仕方がない。
その名が表すとおりに、酔いどれるまでアルブイプスでも飲んですべてを忘れてしまおうか。そう考えて留まる。
一応でも今は公務中だ。万が一やらかしでもすれば、すぐに第二王子の耳に入り、さすがになんらかの処罰が下されてしまうかもしれない。
そうなってしまったら面倒くさい。とてもとても面倒くさい。
くどくどとねちっこい説教など聞きたくないし、変な根回しをされるのも嫌だ。それに自由にやらせてもらっている環境を奪われる可能性だってある。
だが、このジリジリと身を焦がしてくる苛立ちをどこに向かわせればいいのだろう。
行き先を失くした足が止まる。
道の端にあった二人掛けの長椅子に、アルヴァルクは項垂れるように腰を下ろした。