苛立ちの着地点
コラーラという小さな町に、リリェ=オルフェスという名の孤児施設がある。
アルヴァルクがガリュークス本宮に入るまでに身を寄せていた場所だ。
実の母親は、子供の世話をまったくしない人だった。
幼少期のことなので記憶は少々曖昧だが、思い出そうとするとなんとなく腹が空く気持ちになってしまうのはそういうことだろう。
物心ついた頃には、母親が家にいることなどほとんどなかった。
おそらくは最初──赤ん坊だった頃までは、まともに育児をしていたとは思う。そうでなければ施設に預けられる前に、とっくに死んでいたはずだからだ。
リリェ=オルフェスに預けられたとき、アルヴァルクは何も持たされなかった。その身一つで施設の前で置き去りにされ、保護されたのだ。
そのときのアルヴァルクは痩せ細り、発語も少なく、唯一言えたのは自身の名前のみ。それ故に年齢さえも分からない状況だったそうだ。
コノリと同じ“ハタチ”だとは言ったが、実を言うと正確な齢を知らない。
施設に入ったときから数えて十七年。出生記録にある誕生刻は、施設に預けられたときから三年ほど遡ったものである。
公にされているアルヴァルクの年齢は、自分を保護した施設員が見た目で判断したものだった。
リリェ=オルフェスでの生活は至って平穏で、そこで働く人々もいい人ばかり。
だが、それだけである。
施設に保護されたところで、家族愛なんてものを感じたことはない。
アルヴァルクのいたリリェ=オルフェスでは、働く大人の入れ替わりが多かったのだ。
最近までいたはずの施設員が知らないうちに辞めている、なんてことはざらで、 新しく別の施設員が入りまた誰かが辞めていく。そんなふうにころころと人が入れ替わる。
あるとき、一番懐いていた女性の施設員に『おねーちゃんはいなくならないでね』『うんわかった』と口約束までしたのだが、それを反故にされたときは悲しいを通り越して悔しかったことを覚えている。
所詮は他人の子、容易く裏切られてしまうのだ。
誰も彼も、本当に良い人だったとは思う。だがやはり心の距離を感じていた。
親切心の裏にある“可哀想な子”という眼差しが透けて見えるのが嫌だった。
だから、こちらから距離を取る。それしか自分の心を守る方法が見つからなかったから。
それに、大体の子供は親族に引き取られるか、または養子にと貰われていく。「アルヴァお兄ちゃん」と慕ってくれていた子供が、施設を訪れた夫婦に気に入られて──ということもままある。
アルヴァルク自身も養子にと望まれた経験はあったが、無愛想に相手をすればすぐに話は消えた。どうせ引き取られても上手くいかない、そんな確信があったから。
職員とは壁を作り、舞い込んだ養子の話も駄目にする。そうして施設内では腫物のような存在になり始めた頃のことだった。
アルヴァルクを探しにガリュークス本宮から使者が訪れたのは。
『貴方に会いたいという人がいらっしゃいます』
その使者は、緑色の髪を結った美しい青年だった。
ヴァン=ガリュークスを率いるようになったばかりのティアハイレンである。
そのときの彼は偽名を名乗っており、正体をちゃんと知ったのはあとのことだ。
アルヴァルクはこのときに初めて父親が生きており、更に本宮で働いていることを知らされた。
自分を捨てた母親に思い入れはないが、父親については別だった。
一体、父親はどんな人なのか。それはずっと気になっていたことだった。母親からも父について何か教えられたこともない。
そんな突然現れた唯一の肉親に興味を惹かれないわけがなかった。
自分が一体どういう経緯で生まれたのか、それが少しは幸せなものだったら今後の未来も明るく想像ができるかもしれない。
そう思って、アルヴァルクはすぐに本宮行きを決めた。
十年近くも世話になったが、未練などなかった。それはきっとあちらもだったろう。
答えが出るまで待つと言った使者の提案を断り、見た目には別れを惜しむ顔を張り付けた施設員たちに見送られながら二頭のケルピーが引く馬舟へと乗り込んだ。
快く自分を迎え入れてくれた優しい使者──あくまでこのときは──と共に、ガリュークス本宮へ向け出発した。
使者が実は第二王子であることを知らされたのは、本宮に到着した頃だった。
そのときから冷たさを帯び始めた彼に違和感を覚えつつ、通された部屋でついにその人との対面へと至った。
眩い輝きを放つ銀髪と深い闇に近い青の瞳。
それを見た瞬間、間違いなくその人が自分の父親だと確信した。
容姿が瓜二つであったからだ。
その人はただ静かに立ち、アルヴァルクを見つめる。
そして──
「下がりなさい」
それだけを言って、その人はアルヴァルクから目を逸らした。
▼△▼
「……あ、アルヴァ、ルクさん」
女の声が意識を揺する。
知られてしまったばかりの本名を、控えめに呟くように。
ふわふわと浮上するような感覚に瞼を持ち上げると、コノリの顔が目の前にあって驚いた。
「ぁ、あ、の……もう、すぐ……着くみたい、です」
コノリの声が緊張を帯びている。
元々から拙い紡ぎ方ではあったが、アルヴァルクに焦点を合わせず右往左往する黒瞳からは強い緊張を感じ取れた。
現在、アルヴァルクたちはガリュークス本宮を出発し、プル・クラークへと飛び立った天泳艇ナウィム・カエム号の中にいる。
丸型の窓の向こうには相変わらずどんよりとした暗闇が広がっているが、顔を近づけて下を覗けば蒼い大地が見えた。
コノリが緊張している理由は分かっている。
でもそれは、これから彼女にとって知らない街を訪れるから──ではない。
「……そうか」
思ったよりも、冷たい声が出た。
アルヴァルクの声音にコノリはしゅんと眉根を下げて自分の席に座り直す。
彼女の緊張はこちらの機嫌のせいだ。
コノリの旅に同行するように言われてからずっと、苛立ちが止まらないのである。
つい先ほど、思い出したところでさして面白くもないことを夢に見てしまったせいだろうか。
(久しぶりに思い出しちまったな……)
確かにあの日のことは、良い思い出とは言えない。
まだ名乗りもしていない内に下がれと言われ、部屋を連れ出されたあとでアルヴァルクはティアハイレンに噛みついた。
たった一言だけなんておかしい。あの人は父親ではないのか、と。
しかし彼はそれまでの態度を一変させ、冷たく笑いかけてきた。
『どうしてここへと連れてこられたんだと思います? はぐれの貴方をそばで管理するためですよ』
────間違っても愛されたいと思うな。
あの瞬間は何度思い出しても腹が立つ。
だが、そうではない。
そうではないのだ。アルヴァルクが苛立っている原因はこの夢を見たせいでもない。
「おぉー、コノリ見ろヨー! マチが見えるゾ!」
「……うわぁ、きれい……っ」
暗闇が広がる窓越しに、はしゃぐレオルカとコノリの様子が見える。
なるべく目に入らないように意識していたのに、少人数しか乗れない天泳艇の中は狭く、どうしたって目に入ってしまう。
だからアルヴァルクは出発して早々寝ることにしたのだ。
しかし目を閉じたところで声は耳に入る。おかげで眠りに落ちるまで長くかかってしまった。
「すごい……ゲームで見たあの国みたい……ちょっと、青過ぎるけど」
「げぇむって何ダー? 食い物か?」
「あ、えっとね……小さい箱の中にね。物語がぎゅっと詰まってて。それで、冒険、したり、スローライフしたり、色んな体験が出来るのがゲームで」
「すろぉらいふ? なんか美味そうな名前だナ!」
意識を夢に預けていたあいだにどんなやりとりをしたのだろう。一人と一匹は随分と仲が良くなったようだ。
いつもの1mほど大きさの状態で、レオルカがコノリの膝の上に座っている。
基本的に落ち着きのないレオルカの背ヒレやらが鼻先にぺちぺちと当たっているのが煩わしそうだが、コノリの口元は僅かに綻んでいた。どうやらレオルカに懐かれたのが嬉しいらしい。
レオルカとコノリの顔合わせはこの艇に乗る前だ。
コノリはひと目でレオルカのことを気に入ったようで、「かわいい」と褒めそやす彼女にレオルカも満更でもなさそうだった。一気に距離が詰まるには充分だっただろう。
(くそ……)
二人に気付かれないよう、こっそりと舌打ちをする。
まただ。いつのまにかコノリの一挙一動に注目してしまう。
意識していても、意識していなくても、頭や心がコノリのことを考え始める。
アルヴァルクはそんな自分が嫌だった。
もう二度と振り回されることのないよう、他人との関係性に一定の距離を保ってきたのに。
(……なんで俺なんだ)
もう、会うことはないと思ったのに。どうしてかコノリと引き合わせられる。
不本意にもコノリの旅に同行することになってしまったのは、襲撃があった際に彼女を助けたから。
そして、不安に寄り添いこの世界のことを教えてくれたのも自分だから。
だから、同行者はアルヴァルクがいいと。アルヴァルクでなければ安心できない。そうコノリから要望されたというのだ。
命令されてしまえば、逆らえない。
こんなことなら、あのとき彼女を拾わなければよかったと後悔してしまいそうだ。
天泳艇が高度を下げ始めたらしい。緩やかに落ちていく圧を身体に感じる。窓を見ると、遠かったプル・クラークの街並みが少しずつ近づいていた。
天泳艇は街の中心を通り過ぎて、端にある騎士団の駐屯地へと向かう。
ほどなくして、円で囲まれた指定場所の真上で着地の姿勢に入る。
ゆっくりと降下していく天泳艇ナウィム・カエム号。まもなく、ガチャンと大きな金属音が響き渡った。
真下の足場と連結した音だ。それが着地成功の合図となり、天泳艇は駐屯地内へと自動で運ばれていく。
ふと、窓越しにコノリと目が合った。
こちらを気に掛けているような視線が見つめてくるが、その視線から逃れるようにアルヴァルクは目を逸らした。
(そんな目で見るな)
──この苛立ちの落としどころを見つけるまで。




