戸惑いに揺れる
最初にコノリが召喚されるに至った背景。
彼女が知りたいことをひととおり教え終えて、ひと息ついていたところだった。
「……誰かの生まれ変わり、とか。そういうの、全部、ゲェムやラノベとか、マンガの中だけの話だと思ってたなぁ……」
手の中にあるアルブイプス”をじっと見下ろしながら、コノリが呟く。実感が籠っているようで、しかしまだ夢見にいるような声だ。
相変わらず言葉の紡ぎ方は拙いが、どもることなくぼそぼそと声が落ちていく。言葉を掛ける対象が相手ではなく自分自身、つまり独り言だからだろうか。
これまでのやり取りで分かったのは、どうやら彼女は社交事が得意ではないらしいということだ。
アルヴァルクと話すときには何度もどもり、言葉を詰まらせながら話すのに、独り言だとぼそぼそと滑らかに言葉を紡ぐ。
しかも、彼女の好きな物事を語らせるともっと変わる。
「その、コノリが好きっていうゲェムだとラノベだのマンガだのは、一体なんなんだ?」
「あ、あああのゲェムはね、その、物語をこの手で体験するというか、なんて言ったらいいのかな。ラ、ラノベとマンガは読んで物語を体験するものに対して、ゲェムはなんというかすごくて、あっもちろん、その、ラノベもマンガもすごいんだけど、ゲェムはすっごく綺麗なシージームービーと物凄いプログラムで物語を体験させてくれるというか、えっとね──」
「あ、いい。なんとなく分かったわ。とりあえず、形態が様々ある書物ってことだろ」
シィジィムゥビィやらプログラムやら、意味不明な単語が新たに飛び出したものの、拙い説明から得た印象を簡潔にまとめて告げる。
正解だったようで、ラクォのような丸い頭がこくこくと何度も上下した。伝わったことがそんなにも嬉しいのか、前髪に隠されていない唇が弧を描いている。ちなみにラクォは、彼女の国ではタコと呼ばれているそうだ。
拙さは変わらないが、コノリは好きな物に対しては矢継ぎ早に言葉を口にする。群れを作って飛び立つシィピィの如く、拙い言葉の群れがひゅんひゅんと現れるのだ。
その際、眩しい眼差しを感じる。だが、前髪に隠されているせいで表情までは見えない。アルヴァルクは唯一見えている唇と、そこから放たれる声の印象からコノリの表情を読んでいた。
あの黒髪の向こうで、彼女は一体どんなふうに表情を変えているのだろう。
「なぁ。それ、見辛くねぇの?」
問いかけると、ノォトに一生懸命文字を連ねていた彼女がきょとんと首を傾げた。
意図が伝わっていないと思い、アルヴァルクは自身の前髪を指でつまんでみせる。
「前髪。ちょっと長過ぎねぇ?」
「あ、あ……え、っと……もう、ず、ずっと前から、こうだから。慣れて、ます」
「気に入ってんの?」
やや間を置いて、コノリが小さく首を振る。
彼女の反応を見てアルヴァルクは察した。どうやら、定期的に整えていそうにないもっさりとしたその髪型には事情があるらしい。
つまり、自ら好んでその髪型にしているわけではないということだ。
「ちょっと待ってな」
敢えてその事情は聞かない。
しかし、思うことがあり、立ち上がって衣装箱まで移動した。その傍らにある鏡──一瞬だけ映り込んだいつもの現象は無視して、衣装箱の中に転がっていた緑色の物体を二つ取り出す。
「ほらよ」
コノリの前まで戻ると手を差し出すように促し、白い掌の上にそれを置いた。
「わ……綺麗な、緑色……ゲームに出てくる、アクセサリーみたい……」
「やるよ、使っていいぜ」
「……つかう……?」
アルヴァルクが置いたのは、髪留めだった。
以前、適当に店で買った物だ。美しい透け感のある緑に惹かれてとりあえず手に取ったものの、よくよく見てみると意匠が明らかに女向けだった。
おそらくだが、巻貝を抱いたキマがモチーフになっている。自分には合わないと使わずに放置していたのだ。
しかし、当のコノリはこれが何なのか分かっていないようだ。
「こうやって使うんだよ」
やれやれと髪留めを再び手に取り、コノリの前に腰を下ろす。
ぽかんとしている彼女の前髪を、天幕を開くようにそっと横に滑らせる。その先で押さえたところに髪留めを差し込んだ。
ぱちんと閉じられた髪留めが、流れようとするコノリの前髪を押さえ込んでいる。毛量の多さに負けてしまうかと思ったが、ひとまず応急処置としては充分だろう。同じように反対側の前髪も留めてやる。
「ん、いいじゃん。アンタ、こうやって顔出してる方が絶対いいぜ」
素直な感想だった。
照れているのか、露わになったコノリの顔が赤くなっていく。
「……そ、そん、そんな、こと。は、はじめて……い、いわれた……」
「あん? なんでだ?」
「…………わ、私は、顔が、へ、変……だから、って……お、お母さんに、ずっと」
聞くんじゃなかったとほんの刹那だけ後悔が襲う。
垣間見えたコノリの背景。もしかして、彼女も複雑な育ちをしているのだろうか。
過った同情が、共感が、アルヴァルクに──もしくは内側にいる知らない誰かに手を動かせてしまった。
アルヴァルクの手は、コノリの白い頬に添えられていた。
柔らかくて滑らかな肌が手のひらに吸い付く。
そのままじっとコノリを見つめる。彼女の顔に変なところがないかを確認するかのように。
フラル・ズエラに住む女は、コノリのように太い眉を好むのだろうか。アルヴァルクが今までに知り合った女たちより、少し眉が太い。
骨格に沿って伸びている鼻筋は、低くもなければ高くもない。至って普通そうだ。その下にある唇は色でも塗っているかのように赤く、形の良い曲線を描いている。
そして、目。彼女の瞳は、深く深く吸い込まれそうな闇色で、まんまると大きい。目を縁取るしなやかに伸びた睫毛が、瞬きする度にふわりと揺れる。
コノリを見て、内なる思いがまた疼きだす。もっと知りたい、彼女の声を聞きたいという欲望を叫ぶ。
そうしてまた無意識に、アルヴァルクは彼女との距離を縮めていた。
互いの鼻先が触れる。
もう口づけをしていてもおかしくない──本当に、極めて寸前のところでアルヴァルクは止まった。
コノリを視界から外すと、コルチェ球の光が目に留まる。光の色はほぼ銀色と化していた。
アルヴァルクが彼女を拾ったときには、金色の中で僅かに存在を主張していた程度だったというのに。すっかり銀色に侵食されてしまっている。
それほどまでに、盛り上がってしまったのだろうか。
確かに、この世界のことを教え、対価として彼女の世界を教えてもらうひとときは充実していたように思う。今まで過ごしてきた濃密な夢の刻よりもずっと。
だが、ここで終わりにする。
これ以上一緒にいては、自分が自分でなくなってしまいそうだから。
「……そろそろ、部屋まで送るわ」
内なる自分をぐっと強く押さえ込む。
もう充分なくらい話をした。知らない世界に連れてこられたという動揺も、落ち着いたはずだろう。
コノリから距離を取ると、太い眉尻が垂れ下がっているのが見えた。あからさまに落ち込んでいる。
(……なんでそんな顔すんだよ)
表情を見えやすくしたのは間違いだったかもしれない。
口を引き結んで黙ってしまったコノリに、心中は複雑だった。
「ああ、いい。上着、そのまま持ってけよ」
黙ったままコノリが上着を脱ごうとし始めたので、やんわりと制した。
現在の彼女は上着が無いと少々目のやり場に困る。そのまま歩かせるのはさすがによろしくない。
「……髪留めも、やるから」
「……ぁ、ありが、と、う……」
ほんの少し前までの饒舌さはどこへやら。萎んだ声にチクチクと胸が痛む。
アルヴァルクだって、正直言えばもう少し交流していたいとは思っている。
でも、だめだ。
コノリを見ていると、どうしても心がざわつく。今度はこっちが落ち着かなくなってしまう。
しっかり意識をしていないと、知らない自分が顔を出そうとする。そのまま楽しい時間を続けていたら、きっと自分の意思とは裏腹に飲み込まれてしまうだろう。そうなったら、今度こそ強く抱き締めて深く口づけをしてしまうに違いない。
「まさかとは思いますがこちらにフラル=ジェヴァはいます!? いませんよね!? そうですよね!?」
突然だった。
大きな物音を立てながら乱暴な足音が自室へと入り込んでくる。その音を聞きつけ、アルヴァルクは振り返った。
その先にいたのは、肩で息をする第二王子──ティアハイレンだった。
相当慌てたのだろう。もしくは、彼女がいないことにむしゃくしゃしたのか。彼の特徴である三つ編みが解けかけていた。
「ようティアハイレン。残念だったな、そのまさかで」
「あ、あ、あなた……! ま、まさか……!」
「勘違いすんな。……なんにもしてねーよ、保護しただけだ」
──ギリギリな、という言葉は飲み込んだ。
ティアハイレンの姿を見て、ほっと安堵したなんて初めてである。
これで変な雰囲気になることは避けられるだろう。このまま彼に託せば、自分はもう彼女と関わることはない。
「間違っても部屋から抜け出したことを責めんじゃねーぞ? 何も知らなくて不安だったそうだからな、フラル=ジェヴァは」
「……配慮が行き届かず申し訳ございません。フラル=ジェヴァ。次のティラの刻に説明の場を設けております。そこで誠意をもって対応することをお約束しましょう」
「……わ、わか、りまし、た」
痛いところを突かれ、第二王子の眉根に僅かな皺が刻まれる。苛ついたらしいが、抑えたようだ。すぐにこちらから目を背け、コノリのほうに向き直していた。
アルヴァルクが彼女を保護したことについて、礼を言うつもりはないらしい。
彼女の瞳がこちらを向く。顔色を窺うかのように、ちらりと。
その眼差しを遮るようにアルヴァルクは顔を背けた。
これ以上、彼女の顔を見る必要はない。だって、もう会うことはない。
これから、彼女はセイレーンの生まれ変わりとしてこの世界を巡ることになる。
その詳細をアルヴァルクは聞かされていないし、関わるつもりもない。
ハイネリアレオス王やティブルカロン第一王子が主導するはずだからだ。その補佐に、騎士を統率するティアハイレンがあたるだろう。
王妃や第四王女は分からないが、はぐれの第三王子に役割など与えられるわけがない。
だから、もう会わない。関わりもしない。
そうすればきっと、これ以上惹かれることはないだろうから──。




