88話 聖剣ユグドラシル
ユンナ大陸北部、魔の領域。南部とは比にならないほど魔素が濃く、日夜変わらず赤黒い霧で淀んでいる空間。
これを恐れることなく進軍する一つの兵士団。
「――団長、前方に凶魔獣の群れを確認!!」
兵士が言う"凶魔獣"とは、異常に凶暴化した魔獣のこと。通常の魔獣より一回り以上大きく、膂力も並外れて高い。
この魔の領域には多種の凶魔獣が生息している。
「全員、隊列を崩さぬまま後退せよ。今回のは‥‥‥ちと厄介だ」
先頭に立つ男――アルフラウドが前に出る。他の兵士に比べ軽装で甲冑もなく、整えられた白髪と長い口髭が印象的な、一見ただの老人である。
しかし背筋は少しも曲がっておらず、歩き方にも無駄がない。
極めつけは背中に携える大剣だ。暗がりであるにも関わらず七色の光沢を放つそれの名は、"ユグドラシル"。この魔の領域にて、人間では討伐不可能とされていた凶魔獣を幾度と一刀両断してきた、紛うことなき聖剣である。
「そろそろ気合いを入れるとするか」
霧の向こうにいくつもの影が浮かび上がってきた。
まず大きな翼、鋭い嘴と鉤爪を持つ上半身。そして隆々とした四足獣の下半身。現れたのは、凶魔獣グリフォン。
「嘘だろう!? 希少種であるはずのグリフォンが、群れで!!」
「上級魔獣まで棲みついているとは‥‥‥、"魔の領域"とはよく言ったものだ!」
「こいつらも例に漏れずやはり凶暴化しているぞ!!」
兵士たちは萎縮した。人間界においてグリフォンは、滅多に対峙することがない希少種の上級魔獣として有名である。
地上、空中を選ばず敏捷性が高く、その鋭い鉤爪は人間の頭蓋骨程度なら容易に粉砕してしまうという。
そのグリフォンの凶暴化個体が群れで出現したので、兵士たちは萎縮したのだ。
「さて、どう駆除したものか――」
アルフラウドは思案しようとして、しかし既に一体のグリフォンがその背後を取っていた。誰一人としてその速度に目が追いついていない。
直後に、鈍い金属音が轟いた。グリフォンの鉤爪を、アルフラウドが聖剣ユグドラシルで受け止めていた。
あまりの速さに、アルフラウドはそちらを振り向く暇もなかった。獲得技能《魔力感知》と《反射》、そして彼の驚異的な体幹の強さにより、死角からの攻撃を防ぐことができた。
アルフラウドはグリフォンの鉤爪をいなしながら、瞬時に計算した。
「全員! さらに退避せよ!! その距離では依然、凶魔獣の間合いだ!!」
しかしその命令が通じるより早く、次のグリフォンが動き出していた。
グリフォンに背後を取られる一人の兵士。鉤爪による薙ぎ払いで、その兵士は吹き飛ばされてしまった。
――が、兵士は体勢を立て直して確かに着地した。
獲得技能《魔力感知》《反射》《衝撃緩和》。
その兵士の名はエイヴン。ヴァルトリア王国の兵の中で最も高い階級とされる"一級兵士"。
「団長より弱い俺たちを、さらにはその背後を狙うってのは賢いな。‥‥‥まぁ俺たちが凶魔獣らより弱いかどうかは、別の話だけどな」
――獲得技能《加速》《腕力強化》《照準補助》。
別の兵士がグリフォンに斬りかかる。グリフォンは即座に飛翔したが、兵士の剣はそれより僅かに速かった。グリフォンは右翼に大きく切り傷を負ってしまい、まもなく落下した。
エイヴンと同じく一級兵士のブラウス。
「団長、こちらは複数人ずつでグリフォンの分散を図ります! 我々のことは気にせず、ご自由に暴れてください!」
その言葉を確かに受け取ったアルフラウドは、高笑いを上げるとともに大きく聖剣を振るった。
「ガハハハハハァァ!! 相も変わらず頼もしいな、我が兵士たちよ!! ならばその期待に応えねば、団長として顔が立たぬというもの!!」
聖剣は弧を描くように美しく空を舞い、その軌跡には七色の煌めきが残る。聖剣の軌道上に居たそのグリフォンは首筋から後脚にかけて綺麗な直線で両断され、絶命した。
――聖剣は、選ばれし者しか手にすることができず、かつ高い技術を持つ者にしか扱えない。
そんな聖剣には、"加護"と呼ばれる特殊効果が授けられている。
聖剣ユグドラシルの加護は【属性適応】。攻撃対象に対して有利な属性が自動で刀身に付与される。
鉤爪などを使った近接戦闘を得意とするグリフォンは、魔法系統の攻撃にあまり耐性がない。アルフラウドがグリフォンを斬る時、ユグドラシルは刀身に魔法属性を帯びていた。
強制的に相手の弱点を突くことができる強力な加護である。
グリフォンを斬り裂いた勢いをそのままに、アルフラウドは他のグリフォンが居る群れの中へ突撃した。
それに応じるようにグリフォンが次々とアルフラウドに向かって飛翔する。
しかしそれを、風に戦ぐ草葉でも斬るかのように捌いていくアルフラウド。その様は鮮やかで、七色の軌跡は八の字を描いていた。
兵士たちは各々グリフォンと戦いながらも、アルフラウドの戦いぶりに見惚れている。
アルフラウドの聖剣はグリフォンを一体たりと斬り洩らすことなく、寧ろ加速していく。
「ガハハハハァァ!! 秘技! "八の字突進"!!!!」
兵士たちは一様に心にこう思うのである。
(ネーミングセンスがなぁ‥‥‥)