8話 炎の拳
巨躯。上半身の筋肉を大きく露出した開放的な衣服。炎のような眼差し。傲慢な口調。
「いやぁ、もしあんたがこのまま来なかったら従者ちゃんを殺しちまうところだったわ。良かった良かった」
ティアナが俺の前に出た。笑顔が消えている。どうやら臨戦体勢になったらしい。なるほど、これが魔王軍幹部に付き従う従者としての本職ということか。
「侵入者! ヒロト様、お下がりください。私が仕留めます」
「いや待て」
俺は殺意に満ちたティアナを制した。
どうやらこの世界はテンプレに忠実らしい。男の見た目と性格がちゃんと対応してる。それにしても、この画は受け入れがたかった。巨躯の男が華奢な少女を掴み上げるというのは見事、様になっている。俺が受け入れがたいのは、掴み上げられているのがセシリーであるということだ。
セシリーはめちゃくちゃ強い。身体能力も技能も強力だ。さすがに三年も異世界生活してりゃ分かる。そこらの人間じゃまず相手にならない。俺の知る限りじゃ、この従者らに敵う人間は勇者一党くらいだ。
しかしその線も薄いだろう。勇者一党は強者揃いだ。だが単独で敵陣にノコノコと攻め入るほど愚かじゃない。それにこの世界はテンプレに忠実なのだ。あの男、ザ・悪役じゃないか。それでいて幹部に仕える従者より上手。恐らくティアナも負けるだろう。だとすればあいつは――
「お前は、魔王軍幹部だな」
俺の言葉に、ティアナが目を丸くする。男は、セシリーの首を掴んだ手を離した。落下したセシリーは息苦しそうに地面に這っている。俺はもう少し早く帰ってくるべきだったと、今更後悔した。
男はようやく俺と向き合った。
「随分と勘が良い人間じゃねえか。従者ちゃんも気づかなかった、ステータスを誤魔化す技能を使ってたのによ」
おいおい、俺が人間ってこと知ってるのかよ。――という真っ先に浮かんだ感想をグッと喉元で堪えて俺は答える。
「まぁ、伊達に人間やってないからな」
男は本当の姿を露にした。轟々と燃え盛る炎に包まれた肉体。それが、魔王軍幹部としての男の姿。
「俺はヘルブラム。魔王軍幹部が一人。新入りの幹部がどんなもんかと見に来たのさ」
おぉ、幹部らしい。めっちゃ強そう。従者のような、華奢な見た目とのギャップとかじゃない。見てくれから格が違う。この感じだと戦闘狂だな、多分。
「よし、人間の幹部よ! 俺と戦おう! 幹部に相応しいか俺が見極める!」
ほら来た。拳をバチンと叩くヘルブラム。やる気満々である。ウチの従者をボコボコにしちゃうくらいだからな。止めようとしても無駄そうだよな。
そこでティアナが再び前のめりになる。
「ヒロト様、やはり私が――」
「お前じゃ勝てないだろう。見限ってる訳じゃない。ちゃんと鑑みた上での判断だ。というか、そういうのはお前の鑑定スキルで分かるはずだ。‥‥‥まぁ、ここは俺に任せておけよ」
とそんな適当をこいて、俺はティアナとセシリーをそれぞれ境界壁で覆った。セシリーは身動きが取れないが、ティアナはどうにもやるせないようで、嬉しいことに「ヒロト様!」などと叫んで必死で境界壁を叩いてくれている。まああれだな。お気持ちだけいただきますってヤツ。‥‥‥さて、どうしたものか。
ところで、なぜ怠惰たるこの俺が従者より強い魔王軍幹部を相手にしてこうも冷静でいられるのか。理由は簡単だ。
実力の差が大き過ぎて、もはや諦めがついているのだ!
だってさ、つい最近まで普通に人間として生きてたんだよ? 幹部になって数日で他の幹部と対峙するとか、想定できる訳ないじゃん。そりゃあ開き直るさ。
「これはお前の自然技能か?」
境界壁を見たヘルブラムは問うた。俺はどや顔で言う。
「まあな。俺の"唯一の"技能だ」
ヘルブラムは首を傾げた。"なぜこいつは技能を一つしか持っていないことをどや顔で言ったんだ?"って思ってそうだ。‥‥‥うん、ごもっとも。
「唯一の技能が守りか。それじゃあ幹部は務まらねえぞ?」
ヘルブラムは拳を燃やす。凄まじい炎に、そこら中で上昇気流が起こっている。火の粉が舞い、木の葉を焦がす。
「それじゃあいくぜ」
ヘルブラムは距離を詰めようとしなかった。満面の笑みで、拳を構えている。――こいつ、戦闘が好きって訳じゃないな。"蹂躙"だ。格下の相手を完膚なきまでに蹂躙することが好物なのだろう。
セシリーとて相手を見定められないほどバカじゃない。というかあいつ自身、万能じゃないって自覚してたから、幹部だと気づかなかったにしてもあいつがヘルブラムに先制攻撃を仕掛けたとは考えにくい。ヘルブラムが一方的に攻撃したんだろう。それなら色々と合点がいく。
「さて精々頑張れよ。俺の一撃は、この森を消し飛ばせるぞ」
ヘルブラムの拳には、何やら粒子が集中していた。とてつもないエネルギーなのだろう。そして、この森を消し飛ばせるというのも冗談ではないだろう。少なくともセシリーを圧倒する輩だ。
――良かった。あいつが圧倒的に強くて俺が圧倒的に弱いことを、お互いによく理解しているようだ。
ついに、ヘルブラムは拳を放った。景色は赤く染まる。風が一気に俺を向く。ヘルブラムの身体の三倍はあるような炎の塊が撃ち出された。触れずとも、樹木は焼き焦げる。大地は抉られる。
俺は、正面に境界壁を展開した――――――――。
巨大な爆発。それは庭一帯に広がった。熱風が木々を激しく揺らす。爆煙の中でヘルブラムは笑っていた。
「殺しちまって悪かったなぁ。実を言うと暇だったんだ。誰も俺の領土を攻めてこねぇから。俺の身勝手に付き合ってもらってサンキューな」
そして、この時が来た。ここマジで重要だから。目を離すなよ?
収まりつつある爆煙の中から――――――――俺。
「何!?」
ヘルブラムの素直な驚きっぷり、俺も頑張った甲斐があるってもんだ。
「これくらいで満足していただけたのなら良かったよ。俺も五体満足だし、ウィンウィンだよな」