71話 一つの質問
カタストロは他の種族は疎か、同じ魔族からも恐れられている。そして大抵の者がカタストロは正気の沙汰でないと認識している。何せ初対面の相手を、会話もすることなく殺してしまうことがあるのだから。彼女に仕える従者は、他幹部と比べ頻繁に入れ替わっている。理由は言うまでもない。
カタストロは自分の興味、欲望に素直に動く。しかしあまりに彼女が恐ろしいため、周囲の者はカタストロと関わろうとせず、カタストロはいつも一人で行動している。従者ですら、カタストロとは距離を置いている。
――故に、カタストロのことをよく知る者は極めて少ない。
魔王軍幹部は数百年の間、魔王の配下として各々が領地を支配している。プライベートで幹部同士が会うことは稀だが、度々行われる魔王軍会議で彼らは言葉を交わす。
皆、少なからずカタストロへの理解があった。
たとえ彼女が突拍子もない発言をしたとしても、その場が魔王軍会議であるなら――
「一つの質問に答えてくれたら、あなたをこのまま解放してあげる」
――その発言は真っ当な思考の元にあることを心得ている。
無条件に質問を重ねたところで素直に答えない可能性がある。リオンの状態を見て、カタストロは"相手を解放する"という相手の利となる条件を与えた上で、駄目押しで質問を一つに絞った。
リオンの朦朧としている様子から、彼女を解放せずに放っておけばあるいは死に追い詰めることができるかもしれないし、質問一つでは得られる情報も限られる。
それでもカタストロは交渉の成功率を高めることを選んだ。
何故なら、魔王軍幹部らにとってリオンは取るに足らない存在であるから。彼女が今後生きていようが死んでいようが、魔王軍と敵対する者として何ら影響力がなく、それ以上に一つの情報を得る方が得だとカタストロは判断した。
「――分かった‥‥‥。質問に‥‥‥答える」
リオンは了承した。相手の質問は一つ。適当な嘘をでっち上げればこちらは無害で撤退することができる。‥‥‥が、リオンは嘘をつこうとは考えていない。
魔王軍幹部は数百年顔触れが変わらないので、その能力も客観的な情報ではあるがおおよそ知れ渡っている。
――魔王軍幹部の中には、虚言を見抜く者がいる――。
具体的な情報ではないので、"見抜く"という言葉に孕まれる意味の程度までは分からない。嘘だとバレるだけに留まらず、その裏にある重要な真実まで悟られるかもしれない。
故に嘘をつくことはできないが、こちらが正直に答えたとしても魔王軍幹部が大人しく逃がしてくれるとは限らない。
‥‥‥それでも、リオンが生き残る頼みの綱はこれしかないので、潔く質問に答えるしかない。
「それじゃあ、質問するわ」
カタストロが改めてリオンを見つめる。リオンは固唾を呑んだ。
「あなたの組織は――」
「お前のボスの名前を言え!」
カタストロの質問を遮って、なんとギルシュが叫んでいた。思わぬ発言にカタストロは目を丸くした。
「あんた何勝手に!!」
「どうせ大した情報は得られねぇんだから何だって良いだろ」
「良い訳ないでしょ!! 何のために交渉したと思ってんのよ!」
ギルシュは「けっ」と明後日の方を向いた。カタストロはまるで子供のように頬を膨らませて怒っていた。
「始まったの‥‥‥」
ヨシノは落ち着いた調子のまま、目を瞑って呟く。他の幹部もカタストロのそれには慣れているようだった。対してヒロトは、カタストロの様子が豹変したことに愕然としていた。
「気にするなヒロト。いつものことだ」
ヘルブラムが言う。ヒロトはヘルブラムの方を見るが、ヘルブラムは先ほどまでストレスで炎を纏っていたはずが、いつの間にか沈静化している――――というよりはカタストロに呆れてしまっている。
カタストロは、自分の思い通りにいかないとすぐ子供のように怒り出してしまう性分だった。
しかし彼女はちゃんと考えていた。
大した情報が得られないことは分かっている。その上で、いかに組織の核心に近づくことができるか。交渉している最中から質問の内容を思案していた。
そこに、ギルシュが割り込んでしまった。
リオンの体力の消耗は激しく、ギルシュの質問を聞き取ることで精一杯だった。カタストロの怒りは収まっていない。
「そもそもまともに話し合いに参加しない癖にどうして肝心なところで邪魔を――」
「――死神」
リオンの発言で、ようやくカタストロは黙った。他の幹部らも、リオンに注目する。
「‥‥‥死神?」
カトレイヌが聞き返した。
「本当の名なのか、ただの二つ名なのかは分からない。‥‥‥でも、私たちはみんなそう呼んでいる」
それはリオンが属する組織のボスの名前である。リオンはギルシュの質問に答えたのだった。その"死神"という言葉にヒロトは何か聞き覚えがあり、一人で首を傾げていた。
リオンは一つの質問に答えてしまったので、幹部らはそれ以上の情報を得ることはできない。カタストロはため息をついた。
「‥‥‥そう、分かったわ。答えてくれてありがとう。ヒロト、彼女を解放してあげて」
ヒロトは考え事の最中に不意をつくように名前を呼ばれたので、一瞬戸惑い、それから呼ばれた理由を理解した。
「――あ、あぁ。でも、本当にもう良いのか? もう少し詳しく話を聞いた方が良いんじゃ‥‥‥」
「彼女は一つの質問に答えた。約束通り解放しなければならないわ」
「えっ? ‥‥‥それはまぁ、そうだけど」
ヒロトはてっきり、彼女らが交渉を撤回して少女に質問責めするものと思っていた。そうでなくとも少女を解放しないまま束縛するだろう、と。魔王軍の幹部がきっちり約束を守ろうとするのが、ヒロトにとって意外だった。
「約束は守らないと。言葉には魔力が宿っている――らしいから」
カタストロは自分で言っておきながら、それをまともに信じていないような面持ちをしている。
「ふふふ‥‥‥」
カタストロの発言を聞いてか、ヨシノは微笑んだ。
「ら、"らしい"?」
一方、ヒロトにはカタストロの言葉の意味がよく分からなかった。