70話 命乞い
ヒロトの境界壁内に拘束された当初、リオンは困惑していた。彼女らの算段では殺されることは愚か、拘束されることすら有り得なかった。
なぜ自分は捕らわれているのか? リオンらがカタストロの攻撃を受けた時、確かに肉体は滅びていた。事実、既にルヴァンとトーゴの肉体はそこに残っていない。
肉体が滅ぼされる最中でリオンは最期の攻撃を仕掛け、それは防がれた。そして同時に、拘束された。
全てはこの赤い障壁に起因していると考えて間違いないだろう。そしてその技能を使ったのは、幹部らと並び、同じ赤い障壁の中に身を置く男――。
奴は何者なのか? ルヴァンはその男のことを知っているようだった。新しく魔王軍幹部として配属された魔族なのだろうが、ルヴァンは"大したことはできないだろう"と言っていたので、リオンは警戒していなかった。
攻撃は防がれ、身体の崩壊は停止し、完全に拘束された。障壁の破壊を試みようにも、身体が崩壊しかけているせいで身動きが自由に取れず、あまつさえ"ひび"から魔力が漏れ出ているらしかった。――ここまでされて、どうして"大したことはできない"と言えようか。リオンはルヴァンを恨んだ。
それからしばらく、リオンは放置されていたのだった――。
「――なぁおい、そこの少女さーん」
ヒロトの声でリオンは目覚めた。長いこと展開がなかったため、うたた寝してしまっていたのだ。そしてリオンは、酷く疲れを感じていた。
「かなり衰弱しているようだけど」
リオンの疲れている様子を見てアークは言った。原因は中途半端な肉体の崩壊による全身のストレスと著しい魔力の減少であるが、これまでカタストロの自然技能を受けて肉体の崩壊が半ばで止まった試しなどなかったため、カタストロには未知の現象だった。
「このままじゃ死んじゃうってこと!? そんなぁ!!」
リオンを自らのコレクションに加えられると期待していたカトレイヌが悲哀の表情で嘆く。しかしそれをヴァウラは否定した。
「恐らくこのまま死ぬことはない。そこに居るのは実体じゃないからだ」
それを聞いて、一同は改めてリオンに視線を集めた。
ヴァウラが技能でゲイルを押し潰した時、彼はその確信を得た。
ヴァウラの技能は圧力で相手を押し潰すというものだが、ゲイルに対するそれに物理的な手応えを感じていなかった。会議に侵入してきたのは全て幻覚のような何かであり、実体はそこになかったのだ。
「つまりカタストロが破壊した他の二人も、実際には死んでいないということか」
エンドールの換言にヴァウラは「ああ」と頷いた。戦闘時、ヴァウラが"捕縛は不可能だ"と判断したのも相手の実体がなかったためである。
「‥‥‥ここから、出して」
リオンの掠れた声だった。
「あぁ? こいつ何言ってんだ?」
ギルシュにはよく聞こえていなかった。他の幹部らはリオンが言ったことを確かに聞いた。しかしそれでも、皆ギルシュのように疑問符を浮かべていた。
「お前、それは‥‥‥命乞いをしているのか?」
ヒロトの問いかけに、リオンは黙っている。"このままじゃ死んでしまうかもしれない"。それがリオンの心情だった。
本当はこんなはずじゃなかったのに。どれだけ魔王軍幹部が強くても、撤退することだけはできたはずなのに。だから重く考えずに作戦に参加したのに。その赤い障壁は、この身を留めて逃がさない。
意識が徐に遠ざかっていくのを感じる。自力ではどうしようもない。こんなところで死にたくない。
「お願い‥‥‥見逃して‥‥‥」
命乞いをする他、なかった――。
「ここで君が消えても本物の方は何も問題ないはずじゃないの?」
アークの質問にも、リオンは答えない。
「実体でないにしろ、それが本体における重要な何かを孕んでおるのかもしれぬな。まやかしにしては技能を不自由なく扱えるところに疑問が残る」
ヨシノはそう考えた。
「どっちにしたって、勝手に魔界に侵入しておいて都合良く逃がす訳にはいかねぇなぁ!」
ヘルブラムは炎を纏った拳を掌に打ちつけながら言った。先ほどから退屈な時間が続いており、些か苛立ちを覚えていた。
他の幹部らはヘルブラムのようにストレスが溜まっているという訳ではない。しかし間者を忍ばせた組織の情報を喉から手が出るほど欲しているため、リオンの処遇についての意見はヘルブラムと同じだった。――ただ一人を除いて。
「いいわ。そこから出してあげる」
カタストロが放った衝撃の一言だった。




