64話 第三勢力の急襲
――一時間ほど前に遡る。
魔王城に勤める従者のリンネは、魔界特有の暗がりの景色を適当に歩き回っていた。
彼女は本来、ヒロトを魔王城へ案内する役割を当てられていた。しかし、リンネはそうしなかった。
「あぁ‥‥‥、どうしてカタストロ様が人間と一緒に居るのよ!! ――でも気配を察知されなかっただけマシだったわ」
ほとんどの魔界の者は、魔王軍幹部であるカタストロに畏怖の念を抱いている。彼女の自然技能がそうさせていた。それは、対等な立場であるはずの他の魔王軍幹部ですら警戒するほどである。
魔王軍会議においてヒロトを間者だと疑うギルシュは、ヘルブラムの言葉には一切耳を貸さなかったが、カタストロの意見には理由を問うた。そして幹部一同はカタストロに注目した。
カタストロは警戒されており、また彼女の意志はしばしば尊重される。カタストロとの対立は好ましくないというのが理由の一つだ。
魔王軍幹部はともかく、リンネや他の魔族のカタストロに対する認識は、"目を合わせれば死ぬ"というほどのものである。
リンネは職務を放棄した。それでも命が惜しかったのだ。
「はぁ‥‥‥、会議が終わるまではとても戻れないわ‥‥‥」
本来ヒロトを迎えるはずだった場所をリンネはぐるぐると歩き回っていた。
――――その時、架け橋が起動した。暗がりが妙に明るくなり、空間が歪んだ。
「誰か遅刻かしら? ヴァウラ様だろうなぁ」
そう言いながらリンネは架け橋の前で姿勢を整えた。自身が担当していないとしても、そこに居る幹部を無視することは許されない(カタストロは例外として‥‥‥)。丁重にお迎えしなければならない。
しかしリンネは表情を曇らせた。現れたのは、魔王軍幹部ではなかった。
「あのー、魔王城ってどこにありますか?」
現れたのは、四人。魔族ではない。魔界へは基本的に架け橋を通さねば侵入することはできない。
つまり、架け橋が制圧されたということ。
リンネは臨戦態勢に入った。魔王軍幹部であるヒロトを除いて、魔界に魔族以外の種族が侵入した時点で紛れもない敵だと断定できるからである。
――――ところが先頭に立っていたはずの、やる気のないような半目の男は、既にリンネの顔面を掴んでいた。
リンネは驚きを隠せない。警戒していたはずなのに、あまりに呆気なく距離を詰められた。
「お姉さん、少し鈍すぎるよ」
リンネの顔面は発火した。青い炎があっという間にリンネの全身を覆った。リンネは声にならない叫び声をあげて、もがいた。
――――魔王城に勤める従者が優秀である、というのは間違いである。
従者は従者育成学校で教育され、後に魔王城に勤める。実力が認められれば、魔王軍幹部の直属従者となることができる。
魔王城には多数の従者が勤める。少数で幹部に直属する従者の方が高い実力を求められるのだ。
空間が隔絶されている魔界においてリンネのように魔王城に勤める従者は、セシリーやティアナほど戦闘慣れしていなかった――――。
「殺してええん? 魔王城の場所訊かんと?」
仲間の一人である少女が訊いた。やる気のない男は答える。
「明らかに世界から隔絶されている空間だ。広さはあっても地形は複雑じゃない。魔王といえど、規格外な巨大都市を確立させるほどの容量はないだろ」
男は手を緩め、解放された"顔面だったもの"は黒く灰となって消えた。
そうして数人は移動を始めた――。
* * * * *
魔界に侵入した四人は、ヒロトら魔王軍幹部が集う一室に到達した。それが現在のことである。
破壊された扉の向こうから、四人。
まずエンドールが動いた。
「――遅めるぞ」
空間に衝撃が走った。空気は、淀んだ。
ヒロトの思考は間に合わない。扉が破壊され、次の瞬間に魔王軍幹部らは動き出しているのだ。
しかしその割には、やけに静かであった。
「え‥‥‥。今これ、どうなってんの?」
幹部も、扉の向こうから来る四人も、誰一人動いていない。ヒロトにはそう見えている。
実際はそうではない。
エンドールの自然技能《空間変速》によるものである。一定空間におけるあらゆるものの速度を設定できる技能だ。
今、この空間における速度は極度に低下している。ヒロトには動いていないように見えているが、実際は少しずつ動いているのだ。
ヒロトが《空間変速》の影響を受けていないのは、空間を隔てる自然技能《境界壁》の内側に居るからである。
ヒロトには理解できない。だが――――
「大人しくしとこ」
ヒロトは下手に動かないことにした。
獲得技能《通信話法》。魔王軍幹部らは、言葉を発さずに脳内で話し合っていた。
脳内における発言は、実際の発言の何倍も正確であり、高速である。《空間変速》なしで《通信話法》を使用すれば、短時間でいくつもの情報を正確に共有できる。しかしそれは実際の行動速度と遥かにかけ離れており、思考と行動に差異が生じる危険性があるため、戦闘時に使用されることはごく稀である。
《空間変速》によって低速化された空間において、《通信話法》は実際に言葉を発する会話と何ら変わりない速度で情報共有できるようになっていた。
(あれ? ここって魔界だったわよね‥‥‥? どうして部外者が侵入しているの!?)
カトレイヌが問う。
(例の間者ってのが架け橋を使ってあいつらを通したのね)
カタストロは冷静に分析していた。他の幹部も、それほど動揺していない。アークは簡潔にまとめた。
(とりあえずあいつらを捕まえて喋らせよう)




