48話 前兆
――ある住宅街の路地裏の暗がりに、一人の青年が傷だらけで踞っていた。もう三日はまともな食事ができていないようである。そこは人気がない――というよりは、そこには人が近寄らない。
そのことを青年は既に身をもって知っていたので、もはや何の期待もせずに、陰でただ踞っていた。
「大丈夫かい?」
――なので最初は天使でも迎えに来たのではないか、と耳を疑った。そんな優しい女性の声であった。
目を徐々に徐々に上へと向けてみると、なんと心配そうに青年を見る女性が居た。少し後ろには、普通そうな男も居た。
女性に経緯を尋ねられた青年は、彼の技能が周囲から恐れられ、「気味が悪い」などと軽蔑されていることを話した。
「どんな技能だ?」
急に後ろの男が訊いてきて、青年は答えた。
「不死兵を生み出す技能」
「なんだよそれ超格好良いじゃん」
男は青年の技能を馬鹿にするどころか褒めていた。青年の薄い眼差しはこの時から開き始めた。
「俺の知る限りじゃ主人公級の超レア技能だよ。他の奴らは見る目がないな」
「フフッ」
男の熱心な言葉に女性は笑んだ。
「君は自分の力を信じるといいよ」
女性はそうも言ってくれた。それがどれだけ青年の希望になったことか。
それから数日と経たない内に、魔王軍幹部が王国を襲撃。青年は国王から言いがかりをつけられて、国外追放されてしまった――――
「――――はっ‥‥‥」
黒いフードの男は目を覚ました。不死兵の山の上で、いつしかのように踞って眠ってしまっていたらしい。
「‥‥‥これだけ不死兵を動員すれば疲労も相応か。それにしても――」
まさかあの当時を思い出すことになろうとは。
「嫌な夢だった」
男は立ち上がった。
「勇者一党は後回しでいい。それよりも、魔王軍幹部だ」
勇者一党は不死兵だけで十分戦えそうだった。勇者の様子を見てみれば、戦いの欲ばかりであまり賢くはなかったよう。上位不死兵を多めに手配すればよいと考えた。
しかし魔王軍幹部の方はそうはいかないらしく、なんと不死兵の進軍がピタリと止められていた。しかも凄まじいペースで大量の不死兵が倒されている。
男は、そちらに赴くことにした――。
* * * * *
ヒロトが去ってからアズサは王国へ戻らず、その場で勇者一党らの様子を映像越しに観ていた。
アズサの魔力は残り三割ほどであり、王国へ戻るために転移魔法を使えば後の魔力の使い道が限られる。それに、念のためと"何者かが近づけば起動する"攻撃型の魔法陣を王国の外壁付近に作っておいたので、そこにアズサが居る必要はない。
映像では、どの地にも既に上位不死兵が現れ始めている。
「さすが兵士長、といったところか」
ダリアは兵士らの戦力を最大限引き出して戦わせている。それは、彼が兵士一人一人の戦力をよく理解しているからできることである。
ユリウスとアーベルは兵士らが認知する前に上位不死兵を処理している。ミーリアは兵士を逃がしているようで、一人で全ての不死兵の対処を行っている。
勇者一党は"彼ら自身が主に戦う"という形だ。個人の戦力はダリアよりも大きいかもしれないが、効率を考えればダリアの方が良い。
それで、アズサは自分がどう動くべきか考えた。
どうすれば、最も早く事態を終息させることができるのか。ダリアらの援護をするならば、一つの地に赴くことで精一杯。現状を鑑みれば、ミーリアの援護をするべきだ。
――いや、それは効率的ではない。不死兵は無数に進軍してくるので、ミーリアを助けたところで全体の状況は変わらないだろう。
もっと、もっと効率的な方法を――
「‥‥‥そうか」
アズサは一つの、最も効率的な方法を思いついた。
* * * * *
セシリーとターギーは次々と不死兵を倒していく。俺はひたすら境界壁の開閉を繰り返すだけ。
めちゃくちゃ効率が良い。さっきまでセシリーを圧倒していたはずの不死兵の進軍が、少し衰えているようにすら見える。下位も上位も、檻の中のセシリーたちには関係ない。
「二人とも体力は大丈夫か?」
「全くもって心配無用!」
「問題ないです」
ターギーもセシリーもまだ平気のようだ。こういう体調とかはこまめにチェックしないとな。ひたすら働かせるだけでは、俺は晴れてブラック企業の上司に就任できてしまう。いや、魔王様の幹部という地位なので、部長とかかな?
俺がそんな風にふざけていると、どこからともなく気配が現れた。
何事かと辺りを見渡してみると、なんと近くの木の根元にティアナが倒れていた。
「ティアナ!?」
俺はすぐに駆け寄った。全身が傷だらけで、呼吸も荒い。いつここに‥‥‥いや、というかどうやって――
「申し訳‥‥‥ございません。不死兵を指揮していたと思われる男に勘づかれてしまい‥‥‥。逃げ帰ることで精一杯でした‥‥‥」
どうやら俺の悪い予感が当たってしまったらしい。困ったな。ターギーの回復ポーションは先ほどセシリーに使ってしまった。
「私は‥‥‥自己治癒できますので、お気になさらないでください‥‥‥」
「‥‥‥すまない。後は俺達でどうにかするから、休んでいてくれ」
俺はティアナの元を離れた。まさかティアナがここまでやられるとは。
不死兵を操る者‥‥‥。想像以上に厄介な相手らしい。
この不死兵を指揮している奴は、俺やレグリス王国を目的としているはず。ならば、このまま不死兵の軍勢が倒されていくのを黙って見過ごす訳がない。
「そろそろ手を打ってくる頃じゃないか?」
空を見上げると、木々の間隙からうっすらと差していた日の光が消え始めていた。境界壁の高さを越えた生ぬるい風が、俺の肌を撫で下ろす。
何かが始まる前兆のテンプレ、不穏な風とやらだろう。セシリーとターギーは境界壁の立方体の中に居るので全く気づいていないようだが。
さて、何が起こる? 何が始まる?
例えば――
その変化は境界壁の向こうで起こった。壁に張りつくように押しかけていた不死兵が、一気に退いた。
そして不死兵らの中央に立っていたのは、黒いフードを深く被った男。
――例えば、敵の親玉が現れるとか。