第八十五話 リゲルと聖人の右手
『――決ぁぁぁあくっ! 準決勝、第一試合、クルト選手の勝利で決まりましたーっ!」
ギルド・トーナメント準決勝。
実況の騎士は盛んに叫んでいた。それを見守る観衆の目も、熱も。いよいよ佳境に入っていく。
『いやー、さすがの試合でしたね、両者ともに絶技、けれど勝敗を分けたのはまたしてもクルト選手の絶技です!』
『またしてもクルト選手、一撃で決めてきましたね! まさかあの優勝候補の筆頭、《水龍剣豪》アーレス選手相手に、こうも危なげなく勝利するなんて!』
『これぞ豪腕! これぞ無双! クルト選手、優勝候補のアーレス選手を下しての決勝進出です!』
壇上、試合の行われていた場所ではクルトは相変わらずフードを被ったまま、佇立していた。
下りたフードから覗く顔は、誰にも伺い知れることは出来なかった。
誰もがこのギルド・トーナメントで彼に一撃を入れる事が出来なかったのだ。
正体不明、一撃無双。判るのは名前と、短い言葉で青年、ということのみ。
一撃で相手を下す番狂わせ。トーナメント最大のダークホース――クルト。
その時、轟音が隣の試合場でも会場内に響き渡っていった。
『おおっとぉ、ほぼ同時に行われていた第二試合も早々と決着がついたようです! 勝者、リゲル選手! ご存知『青魔石事変』の《英雄》! 魔石を使っての戦いは、彼に軍配が上がりましたーっ』
相棒の実況の騎士レーミンがすかさず解説を入れる。
『とはいえ、相手は優勝候補のメリア選手。《撲殺幼女》の異名で有名な選手です! これを試合開始早々、目くらましと中距離で立て続けに攻め立てたリゲル選手は、まさに作戦勝ち。技巧に優れた見事な勝利でしたね!』
『さて! 準決勝はこれにて決着しました。残るは――『決勝戦』のみです!』
観衆席から、まるで鯨波のような雄叫びが聴こえてくる。興奮、野次、熱狂、様々な声が入り交じる。
当然、実況の騎士にも力が入っていく。
『さて! 本トーナメント、じつに数多くの選手による名試合が生まれました! 総数、百名を超える大人数のトーナメント。涙あり、感動あり、パンチラありの大試合! (テレジアが控室で顔を覆っている) ――その中で、栄え在る優勝を飾るのは誰なのか!?』
『片や、優勝候補、街を救った《英雄》リゲル選手! 片や、大波乱を巻き起こした《ダークホース》、クルト選手! まさに手に汗握る勝負となるでしょう! ――決勝戦は今から三十分後、観衆の皆様、それまでお待ち下さーい!』
実況の声と共に観衆席が大声に包まれる。
「決勝だ!」「ここまで来たらどちらも頑張れ!」「応援してるぞリゲル! クルトーっ!」様々な人々から期待と声援が送られていく。
それを、試合で生き残った二人は、それぞれの方法で応えた。
リゲルは手を大きく上げ声援に答えて。
クルトはフードを被ったまま、泰然と佇立していた。
そして控室に両名は移る。いよいよ決勝戦へ向けて。
「いや、強いね。クルト選手。彼はデータによると最短試合記録を更新中だって?」
控室に入った途端、リゲルはメアやテレジア、マルコにそう問いかけた。
〈うん! クルト選手は全試合三十秒以内で決着。どれも一撃で相手を下しての勝利だよ! それも攻撃を一回も当たった事がないの。まさに一撃必殺。敗れた選手の間では、《化け物》だとか《魔人》だとか色々言われているよ!〉
テレジアも真顔で言った。
「まあ、実力は間違いなくあるわね。厄介なのは『速さ』だわ。あたしやメアも捉えきれないほどの速力。そして一撃の威力。《迷宮》の『特進種』でもいないんじゃないかしら? あれほどは。それくらい、俊足で一撃が重い選手ね」
苦笑気味に語るのはマルコだ。
「僕も《ハイシールダー》として見ていてわかります。クルト選手は近接において卓越した超達人です。こと接近戦では右に出る者はいない――まさに拳の鬼ですね」
リゲルは小さく頷いた。
「そうだね。近接に関しては僕でも及ばない。でも、戦闘はそれだけがすべてではない」
唯一にして最優の選手であるリゲルは断言する。
なるほどクルトは『格闘家』として超一流だろう。
けれど、《合成》はその一点特化を上回る。
これまで倒した数々の強敵。それらに駆使した戦術を動員すれば、クルトとて必ず打破出来るはず。
リゲルは魔物相手に勝利を重ねてきた。
『青魔石事変』でもそう。リット、マルコ、精霊ユリューナ――例え相手が人間やそれに近いものでも、『魔物』の力を借りた者が敵だった。
はじめて、リゲルが『強者』と呼べる、『人間』との激戦。
自然と彼の中でこれまでとは違う闘志が湧き上がる。
『――決勝の時間です! リゲル選手とクルト選手は試合場にお越しください!』
「時間だ。じゃあ、勝ってくるよ」
〈頑張ってリゲルさん!〉
「僕らの分までお願いします!」
「勝って今日はご馳走よ! もちろんリゲルさんの勝利のお祝いね!」
三人の優しい応援に、リゲルは頷き、そして片手を上げて親指を立てた。
――勝つために。そして自分が彼らの期待に応えられるように。
『さあ! 栄えあるギルド・トーナメント! それもいよいよ大詰め! ――決勝せぇぇぇぇぇん! リゲル選手! 並びにクルト選手の入場ですっ!』
「「おおおおおおおっ!」」
儀礼の花火が飛び、観衆が雄叫びに似た歓声を上げる。
東側、決勝用に飾り立てられた試合場へ、リゲルが悠然と歩く。
軽鎧に身を包み、腰には転移短剣バスラを下げて、観衆の声援に応えていく。
対するは西側、同じく飾り付けられた道を、泰然とクルトが歩いていく。
リゲルと対象に、静かな挙動。まるで影のようにその挙動には狩人のような静謐さがあった。
観衆の声援にも彼は応えない。
フードを深く下ろし、黙々と試合場への進みゆくのみだ。
それぞれの動作で両者、リゲルとクルトが試合場の上に立った。
観衆席と試合場を隔てる魔術の障壁がドーム状に張られ、二人だけの決戦場が完成する。
音や光だけが通過するその障壁。
その中、数多の声援を背にリゲルはクルトへ話しかける。
「クルト、決勝進出、お互いおめでとう。ここまで来たんだ、全力でぶつかり合おう」
「……」
クルトは無言でフードの奥から見つめるのみ。
「恥ずかしがり屋なのか? 試合の様子は見たよ。一撃必殺の瞬速、君は間違いなく強者だ。そんな選手と戦えて僕は嬉しい」
「……」
それでもクルトは何も応えない。声援も、リゲルの声も、彼には何も届いていないかのようだ。
その様子に、リゲルは微笑のまま彼を見つめる。
『さて! 決勝は時間無制限! 一方が戦闘不能、もしくは降参を示せば終了となります!』
『武器や魔術の制限もありません! 歴史に残るであろう名試合、ギルド・トーナメント決勝! では――両者とも栄えある試合を――』
「あの、その前に少し大丈夫でしょうか?」
実況が開始の合図を送る直前、リゲルが片手を上げ問いを投げかけた。
『はいリゲル選手! 何でしょう!?』
「この試合、皆さんの記憶に残る名試合になるでしょう。けれど、それをもっと面白くする方法を考えました。――僕は、『左腕、左脚を使わない』。その条件で試合へ臨む事を宣言します」
一瞬、トーナメント会場内の誰もが息を呑んだ。
『な、何とー!? ここにきてリゲル選手、またしてもハンデ戦!』
「「え、えええ!?」」
「うそ!? 決勝でも!?」
「なんて自信だよ……っ!」
実況のギルド騎士はもちろん観衆もも驚愕に目を剥いている。
『いえ、ルール上は問題ありませんが……なんという大胆不敵! これが英雄の為せる技か! え、でも、これは一体……どうなるのでしょう?』
『試合は……あくまでも当事者二人が主役ですよね。でも、決勝で行うにはリスクがありすぎる……相手はあのクルト選手。リゲル選手にとって、これは一方的になりかねないと思うけど……』
さすがの提案に、実況二人が困惑する。観衆席でも疑念や不安の声が上がっていく。
そして。試合場――クルトの方でも、一瞬、明らかな動揺が視えた。
「どうだろう、クルト。僕は僕なりに試合を盛り上げるつもりだよ。もちろん、『勝つ』ために。ただ当然、普通に勝つなんて面白くない。やるなら『誰もが驚く方法で』、だ。僕は『ハンデ戦』で君に挑む。侮辱と思うなら撤回するけど、どうする?」
「……ふ」
そのとき。
初めてクルトの口から笑いのような笑みがこぼれた。
「なるほど。噂以上の傑物だ」
それは若々しく、また幾多の戦いを経た、落ち着いた青年の声だった。
「常に目の前の成果より先を見る姿勢。――いいだろう、乗ってやろうリゲル。俺も『左腕と左脚は使わない』」
「「えっ!?」」
観衆の多くが目を剥いた。
驚愕がさらに深まり、次の瞬間、一気に会場はどよめきに包まれた。
『ななななんとーっ!? クルト選手までハンデ戦を宣言!? しかも同じものを!? これは両者! 右腕と右足のみを使っての戦闘となる――っ!?』
『びっくり……ギルドでは、トーナメントを何度か開催したことあるけど、この展開は初めて……賭博場は大波乱になってるんじゃない? いや、これ、どっちが勝つのかな……もう誰にもわからない』
驚愕、困惑、絶句、観衆席の反応は様々だった。
けれど共通するのはリゲルとクルトへの驚嘆、まさか決勝で手加減を宣言する豪胆さに湧き上がる。
リゲルは『魔石』による手数の多さが肝となっている。
対してクルトは『瞬速』による一撃必殺が要。
それらが封じられるのか、はたまたそれでも彼らは絶対的に強いのか?
ハンデ戦を宣言したことにより、誰にも予想が出来ない領域へと移っていった。
〈うわあ……リゲルさん、決勝でも……〉
一方、控室では、メアが微苦笑して試合場を見ていた。
「うそでしょ……、ここで……?」
テレジアも口に手を当てて驚愕している。
「――」
マルコに至っては絶句して棒立ちするのみだ。
決勝戦。最後の試合。それは、リゲルとクルト両者によって未曾有の困惑と熱狂に包まれていく。
『さあ! 思わぬ宣言で仰天してしまいましたが根本は変わりません! 今日、行われるのはギルド・トーナメント決勝戦! 強者が覇を競う大試合!』
『技巧か、戦術か、何が相手を上回るのか? それともまだ大波乱か? 何が起こるか、一瞬たりとも見逃せません!』
『リゲル選手! クルト選手! 片手片足による決勝戦――準備はよろしいですか? それでは――』
観衆が息を詰め会場を見守る。
控室で敗れた全ての選手たちが固唾を飲んでいる。
『試合、開始――――――っ!』
瞬間。
轟っ、と爆発的な破裂音が響いた。
クルトだ。
彼は音速の壁を突き破り、左脚のみで試合場の床をぶち抜くと、突進。リゲルへと猛打する。
一打、二打、三打、立て続けに八度の拳撃。常人には見切れない。達人でも難しいだろう。
一撃一撃が岩を軽く砕く猛打、それらリゲルへと襲いかかり――。
「……っ」
『い、いない! リゲル選手、いきなり消失しましたーっ!』
リゲルの姿がこつ然と消えてしまった。クルトの拳が床を砕き、破片が宙を舞うが、彼の姿はどこにもない。
まるで幻の如く、どこかへ消え失せた。
いや、声だけは聴こえる。どこで? クルトの真後ろ――背中と目と鼻。
「――お、」
「引き裂け《ライカンスロープ》! 打ち払え《ロックリザード》! 凍りつかせ《ジャックフロスト》!」
クルトが反応する寸前、リゲルから巨大な爪、硬質な尾、凍てつく風が襲いかかる。
魔石による攻撃。反射的にクルトが爪と尾を迎撃、氷風から跳躍で距離を取る。
そのまま後転――何度も宙返しをしつつ態勢を立て直すと、突進。
しかしまたもリゲルは気配を消失。姿を消したままクルトの背後に『瞬間移動』――不可視のまま冷徹に、冷静に宣言する。
「破砕せよ《ウェンディゴ》! 切り払え《ソードゴブリン》! 凍えつかせ《フロストソーサー》!」
豪腕誇る雪男の猛撃と、剣技の達人のゴブリンと、凍てつく皿の魔物の氷風がクルトへ躍りかかる。
重量ある拳と十数の剣撃と多重の氷風の猛撃だ。
それをクルトは裏拳で殴打、あるいは氷風には跳躍で対応しリゲルがいると思しき場所へ拳を叩きつける。
しかし轟音が響き床が粉々に砕け散っても、リゲルの姿はどこにもない。
視えない。
判らない。
リゲルの位置は、誰にも判らない。
「……これは、《マッドカメリオン》の魔石か」
『おおっとーっ!? ここに来てクルト選手、劣勢一方―っ! リゲル選手、クルト選手の初撃をかわしたばかりか、『視えない』状態で声だけで攻めます、これにはクルト選手も防戦だ――っ!』
実況の騎士が声を重ねる間にも猛撃は続く。リゲルが《ストーンリザード》、《レイスソード》、《アイスニードル》による攻撃を行えば、クルトが振り向き剛拳を放つ。
しかしそれを、リゲルは『姿を消したまま』避け、魔石の連発、連発、連発する。
試合場に幾多の爪が、刃が、氷風が荒れ狂い、拳の乱打が試合場を砕き、破片が幾重にも広がっていく。
『速い、鋭い、上手い! リゲル選手、不可視の状態で怒涛の連撃―っ!』
『――目くらましと陽動による波状攻撃ですねー』
実況騎士の相方、、レーミンが興奮気味に語る。
『リゲル選手の戦法は単純。《マッドカメリオン》という『透明化』を持つ魔石と、『攻撃力』に優れた魔石を複数使っての連撃です。――クルト選手は、豪腕による一撃必殺が得意。だからリゲル選手はまず姿をくらまし、『距離感』を判りづらくした上で範囲攻撃を繰り返す――クルト選手の利点を尽く潰した上で行う、冷徹な戦術です!』
爪が、牙が、試合場をいくつも飛び交う、その合間に氷風が舞い散る。
クルトは回避、防御、受け流しをしつつ、散発的に反撃するが届かない。
『透明化』したリゲルには一撃も当たらず、逆に一方的に攻撃にさらされ続ける。
刃や詰めや氷風の渦巻く試合場。
「なるほど、一点特化した相手に相応しい攻撃だ」
波状攻撃をさばきながらクルトは冷静に分析する。
「常に俺の背後に位置取り、攻撃しづらい距離で魔石の連発をする。しかも攻撃力のある魔石を二つほど『陽動』として使い、次の氷系の魔石で『足止め』する。――凌がれたら同じ手順を繰り返す――狩りのような、理にかなった戦術だ」
言っている間にも、二つの《キラーソード》の刃が走り抜ける。
《ケルピー》の魔石だ。
蹴撃がクルトの頬をかすめ、その直後、《アイスエレメント》の氷風が彼へ躍りかかる。
そのたびにクルトの挙動が鈍り、攻撃が当たりやすく鳴る。
「攻撃力のある《ウェンディゴ》や《ケルピー》、《ソードゴブリン》などの魔石を『陽動』として使うことで俺の拳へ牽制する。そして『氷系』の魔石を使うことで俺の『速度』を――『脚』を凍りつかせることで機動力を奪う。そして自分は『透明化』で安全に攻撃――加えて『背後に回る』魔石も併用しているな。常に四種類の魔石を使い分け、徹底的に繰り返す――まさに『戦士』として良い攻めと言える」
クルトの分析は正しい。
彼はこれまで数々の選手を拳の一撃のもと下してきた。
優勝候補の面々然り。メア然り。テレジア然り。
しかし、そのどれもがリゲルには看破されていた。
クルトの戦術は『速度』と『拳』による殴打だ。
言うなれば『点』による攻撃。
対してリゲルは、『面』による攻撃を徹底している。
攻撃力のある刃や爪を持つ魔物の魔石を連発し、交わしづらい『氷風』を絶えず使用し続けば優位を揺るがさせない。
クルトの脚は徐々に凍りつき、時間を減るほど鈍くなる。
今では右脚の五分の一が凍結しかけていた。
いかにクルトが『拳』による一撃に優れていようと、複数の爪や刃は破壊しきれない。
加えて、『氷風』を受け続けた影響で『脚力』は落ちていく。
さらに《マッドカメリオン》の魔石による『透明化』。
そしてクルトが破壊した床、その『破片』を用い、『入れ替え』すら行っている。
《トリックラビット》――物の位置と入れ替える効果の魔石である。
かつて『青魔石使い』リットとの戦いで活躍した魔石。
リゲルはそれを徹底して位置取りに使い、クルトが攻めに転じる時や、隙を見せたとき、砕いた床の『破片』と、自分の『位置』を『入れ替え』、背後に周り魔石を連発しているのだ。
これにより、リゲルは『不可視化』しつつ、『相手の背後に回りつつ』、徐々に『機動力を奪う』という戦術を延々と繰り返していた。
『なんと! なんと! クルト選手! まさかの劣勢―っ! 準決勝までの圧勝が嘘のよう! 一撃も――そう、ただの一撃もリゲル選手へ与えられません! それどころか、リゲル選手の攻撃をかすりとはいえ受け続ける一方だーっ!』
『これは……巧妙なのはリゲル選手の徹底さだよね。普通、同じ攻撃を続ければ『慣れ』で相手に隙を見切られてしまうもの。だけどリゲル選手は『微妙に使う魔石を変えている』。一見、似た『爪』や『刃』で攻撃し、『氷系』の魔石を連発しているように見えるけど、あれ微妙に収束性や拡散性が違うよね? 一定のパターンを作らず、『変化』を付ける事で惑乱している……四種類の魔石を何十と繰り返す精神力といい、選択の判断力といい、常人には真似出来ない、超人レベルの技巧だよ』
『さすが! さすがリゲル選手ーっ! これが一つの都市を救った英雄の力なのか!? クルト選手をまったく寄せ付けません!』
クルトが短い声と共に拳を振るった。空気が割れるかのような轟音。
砕け散る床。それで床の一部が盛大に辺りへ散る。
けれど、それはリゲルには当たらない。《トリックラビット》によって常にクルトの背後に周り続けるリゲルは、クルト自身を盾にしているからこそ攻撃が当たらない。
ならばと思い、クルトが背後に拳を入れようとした時にはその挙動からリゲルは見切り、すぐにその場から退避している。
危機感知能力もリゲルの特徴だ。彼は常に相手の挙動を読み、最適なタイミングで魔石を使う。
《ウェンディゴ》、《ソードゴブリン》による高攻撃力の連撃が飛ぶ。《アイスエレメント》《フリーズンミスト》など氷系の魔石が機動力を減退させる。
瞬速を誇ったクルトの脚が凍っていく。徐々に足取りが鈍り、その動作が緩慢になっていく。
『これは! もはや挽回は果たせないか、クルト選手!?』
「――なるほど、さすがは英雄だ」
クルトは宙返りし冷静にリゲルの攻撃を避けながらささやく。
「『透明化』と『背後への転移』、そして魔石の乱発なら片手片脚はさほど問題ない。むしろ、俺に動揺を誘い、あわよくば同じハンデを促したことで勝率を高めた。じつに合理的で、的確な戦術だ」
跳躍したクルトの肩を《レイスソード》の刃がかすめる。
着地した瞬間に《ロックリザード》の尾がかすめ、それを横っ飛びに回避した瞬間に《スノウフェアリィ》の氷風が脚を確実に凍らせていく。
一見すると、クルトの劣勢。
「――だが」
全身に浅い傷を負わされ、要の機動力を奪われて、それでもクルトは淡々と語る。
「まさか、その程度で、この俺を倒せるとは思わないよな?」
その瞬間。
ぞっと観衆席の数割が青ざめた。
背筋が凍りついた。
クルトの中から発せられる、言い知れぬ戦意――それらを感じ、彼らは震える。
「――」
同じことを思ったリゲルが、いくつもの《レイスソード》の魔石を発動させた。
かわせる数ではない。かわせる余裕などない。魔石による刃の一斉攻撃。
誰がどう見てもそれは必中――クルトが敗北し、良くても重症の『詰め』と思われる攻撃だった。
それを。
「――[我が右腕に眠る英霊に希う! 覚醒したまえ、アルデウスよ。顕現しため、アルデウスよ! 汝は我が腕に宿る戦いの鬼なり。――励起、『聖人の右腕』! 発動]!」
クルトが『詠唱』した。
その、直後。
爆発的な『光』が、辺りを埋め尽くした。
それは試合会場を一瞬で駆け抜け目も開けられぬ閃光となる。
観衆も実況も悲鳴を上げて目を覆った。
直後、信じがたい光景が広げられる。
リゲルが放った、縦横無尽の《レイスソード》の刃が、粉々になる。
舞い散る刃の欠片。
凄まじい衝撃波が後に続いた。
『不可視化』していたリゲルすら強烈な光に目を守り、その隙を突かれ衝撃波で吹き飛ばされる。
「――これは」
「お前が、複数の魔物の力を使って俺を追い詰めるとならば、俺は最強の『英雄』の力を使って打倒しよう」
光が収束する。
まるで小さな太陽でも降りたかのような光が、一箇所に集合する。
『腕』が。
まばゆい光が、クルトの『右腕』に集まり、融合し、神々しいまでの輝きを帯び、大気を揺らしている。
クルトは。
「知っているか、リゲル」
巨大な陰影を帯びる『それ』をふりかざりながら、クルトは悠然と語る」
「かつて存在した、英雄の魂。強者の思念――それが目に視えるほどに顕現し、大いなる力となり、人に憑依するまでに至った者。――それを『聖人』と言う」
「……っ!」
観衆の誰かが唸った。
それはそれほど珍しい状態である。
過去に存在した数多の英雄――剣聖、賢者、聖女――それらが何らかの理由で現世に留まる、あるいは顕現する現象が発生する。
それこそが奇跡、あすいは『聖人』と呼ぶべき、超希少人種。
クルトは、神々しいまでの『右腕』を高く掲げる。
ただそれだけで大気が震える。
神が降臨したかのように、まばゆい光が辺りを照れだす。
同時に、異変が生じた。
試合場に散乱していた破片、クルトが破壊した『床』の破片が『右腕』へと集合し、重なり合い、混ざり合い、一つの大きな物を形作っていた。
それはまさしく巨人の『腕』だった。
すなわち、全長三メートルにも及ぶ、巨大な『巨人のような腕』。
「――凄まじいね」
「俺の力は、瞬速でも拳でもない。――『周囲の物質を集め、右腕の一部とする』――それこそが俺の真なる『スキル』だ」
居丈高に、ケルトは断言する。
試合場に大きな影を落とし。
『巨腕』を振りかぶりながら、クルトは勝利者の如く振る舞う。
「さあ、リゲル、『本番』といこうじゃないか。『様子見』の序盤は終わり。これからは本気でいかせてもらう。――『透明化』だの『背後へ転移』だの、チャチなお遊びで俺に勝てると思ったか? ならばそれがお前の限界だ」
リゲルは笑った。
『巨腕』の発生による衝撃波で『透明化』が切れ、その姿が現れる。
肩を打ったせいだろう、わずかに顔をしかめさせながら。
それでも、複数の魔石右手に持ち、笑っていた。
「判った、じゃあこっちも『全力』でやらせてもらうよ。――勝つための布石は打っておいた。このトーナメント、勝ち抜くのは僕だ」
「やれるものならやってみるが良い!」
笑って、リゲルは多数の魔石をばら撒いた。
「穿て《アイスニードル》! 《フリーズニードル》! 砕け《フリーズアント》、殴打しろ《アイスオウル》、《アイスマウス》、《フリーズベア》、《イエティ》! 切り裂け《アイスアーミー》、《フロストソーサー》、《フロストブレイド》!」
「――『聖人の右腕』に誓おう! 我が身は名だたる英傑の写し身! 万物を破砕し打ち倒す使命を帯びた、破壊者なり!」
リゲルから総数十五種類、七十八個の魔石が放たれる。
クルトが巨影を翻し、巨大な腕を振り下ろした。
三メートルを超える『腕』と、多数の氷系攻撃が、真っ向から激突し爆裂し盛大な震動を巻き起こす。
ギルド・トーナメント、その決勝戦。
リゲルとクルトの激闘。それは――無数の魔石と巨大な聖腕との激突により、より激しく、鮮烈な、未曾有の戦いへと進んでいった。
お読み頂き、ありがとうございます。
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