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第七十四話  12本の旋律のピアニスト

「くそぉぉおおお! またブタ札かよぉぉおおお!」


 都市ギエルダ。西南地区にて。賭博場の中で少年の悲鳴が飛び上がった。


 彼の名はデネブ。肥満と言える体つきに、豚のような顔だ。

 丸々とした体躯、一般的にはデブと言われる少年。

 彼はこれでも貴族の末裔。今日も今日とて、賭博場の中で連戦連勝――ではなく、『連敗中』の身だった。


「くっそー、何で勝てないんだ全く駄目だ!」


 悲鳴のように、髪を掻きむしりデネブはわめく。

 これでもまだ平穏な光景ではある。先日、『青魔石事変』と呼ばれる大事件が起きた。

『負の感情を増幅させられ、街人が暴走して都市を半壊させる』、という大事件。これによりほとんどの施設は使用不能。その中でこの賭博場は早々と営業再開の目処が立った。


 地下のシェルターをはじめ、一部の施設にはほとんど被害はなかった。

 その中でここは事変中ではシェルター代わりとなり、今ではわずかな娯楽施設の一つとして機能していた。


 そこで太った少年デネブは、相変わらず負けに満ちた生活を送っている。


「くそったれ、何度やってもスリーペアどころかツーペアですら出ねえぞ!? なにこれ呪われてんの!? あれか不幸の呪いか? もしくは不幸の女神でも取り憑いてるのか!?」


 激昂してテーブルを叩くデネブ。もちろんただの運である。

 あの日、幽霊ゴースト少女メアがデネブに仕掛けられたイカサマを見破った。インチキ貴族を打破した光景が懐かしい。

 あの騒動の後、不正に対する監視は一段と厳しくなっていったのだが、デネブは負け続けていた。単純にデネブが弱いのが原因である。


「はは! 何度なってもデブネくんは所詮ブタだねぇ!」

「これだけやって、幸運の一つにも恵まれないなんて、悪い星に生まれたんじゃないの?」

「ぐぬぬ……っ!」


 周りの貴族の少年少女らが大いに煽る。


「はは、ざまあない。ブタ如きが人間様に勝てるわけないだろう? ブータ、ブータ!」

「ブヒーって鳴けよ、ほら、ほらぁ!」

「ブタくんの手札は今回もブタかしら?」

「うるせえ! それに、俺の名はデブネじゃなくて『デネブ』だ! いい加減、ぶん殴るぞお前ら!」


 クズ札を握りしめ、テーブル状に放り投げるデネブ。

 けれど放られたカードは何とも無様だ。三だの四だの五だの、およそポーカーでは強くないカード。

 そしてツーペアすら揃わないゴミ札ときた。

 これではとても勝てない。

 対戦相手である、周りの貴族の少年少女たちが囃し立てる。


「顔色で丸わかりなんだよデブネくん。少しはポーカーフェイス作ったらどうだい? ポーカーなんだからさ」

「そうそう。いちいちカードが来る度に顔を赤くしたり青くしたりしたら、どんなヘボプレイヤーでも勝てちゃうよ」

「ぐうう……っ!」


 意外と的を射ているだけにデネブは反論できない。

 悔しいが、彼らの言う通りだ。このままでは連敗に次ぐ連敗、さらにチップをなくす事だろう。

 何か、何か手はないかと、デネブが焦った時だった。


〈――彼、わざと煽る言葉使ってるよ?〉


 耳元で、かすかに聴こえたのはささやき声だった。


「え……!? あ……っ」


 あの日、あの勝利を思い起こさせる声。


 わずかにデネブが視線を上げると、そこには幽霊ゴースト少女、メアが宙で浮きながら笑っている。

 相変わらずの桃色の長い髪。ウェーブ掛かった、見事な美貌。

 可憐なる幽霊少女は、ふわふわと浮きながら、


〈彼、イカサマはしていないけど、卑怯な手は使ってるみたいだよ。彼、あなたの心象を悪くする言葉で煽って冷静さを欠かせているの〉


 メアは美しい髪を揺らしながら続ける。


〈よく思い返してみて。あなたがスリーカードくらいは、何度か揃い欠けてたよね? その後、相手に顔色で見切られ煽りの言葉で手放させられてたよ? だから、あまり耳を傾けては駄目だよ〉


 以前と同じように、デネブだけに聴こえる声で語りかけるメア。


「(……確かに、そうだな)」


 思い返せば十数度のゲームで、何度かは手札が揃いかけた時があった。

 しかしそんなときに限って、相手プレイヤーが『煽り』の言葉をささやいたのだ。

 その結果、デネブは思わずカッとなり、手札を変えてしまい、負けた。


「(……じゃあ何か? 俺は耳を課さない方向でいいんだな?)」


 目線だけでそうメアに伝えると、彼女はにこりと微笑んだ。

 そして、対戦相手の貴族を見据えると、


〈うん。あっちばかりズルするのはいけないからあたしも協力するね。でも、イカサマってわけじゃないよ。同じ手段で、同じ結果を導くだけ〉

「(……そんな事出来るのか?)」


 メアは笑顔で頷いた。


〈うん、出来るよ。だから、頑張って!〉

「――さあさあ! ブタくん、どうした虚空なんて見つめて! 悔しさのあまり、幻覚でも見てるのかな? だとしたらご愁傷様だ! 今度も勝つのは僕たちだな!」


 煽りに煽り余裕の顔を見せる相手の貴族プレイヤー。

 そのしたり顔に対し、不敵な笑みを湛えたデネブは。


「はっ、そんな安い挑発になんか乗るかよ! 今度はそっちが惨敗の番だボケ! 《神速》のデネブ、その神プレイに度肝抜かすんじゃねえぞ!」

「何だい、その変な異名。あっはっは! 悔しすぎて頭がおかしくなったんだね!」


 ブタだ愚かだ何だと煽る周りの貴族たち。

 自らの勝利を確信して揺るがないのだろう。

 そしてその後続けたゲームは――。

 

〈君の上着、よく見れば所々に穴開いてるよ? 間違えて振るいやつ持ってきちゃったんだね〉

 

〈香水の匂い、少しきつすぎるみたい。匂いがカードにこびりついて後でこの賭博場のオーナーに怒られちゃうかも〉

 

〈あれ? デネブさんは結構強いカード持ってるけど、そんな札であなた、勝てるの? あーあ、これじゃ馬鹿にしてるデネブさんに馬鹿にされちゃうよ〉

 

〈ほらほら、言ったのに。また負けちゃったよ。あーあ。ほらほら〉

 

 そんな、メアの『ささやき』攻撃によって、ろくに思考を保てず貴族プレイヤーは惨敗した。


 それは負けも負け。大負けの光景。

 先程の余裕は何だったのかという有様だ。


 それもそのはず。『何もないはずの空中』から突如声が聴こえるのだ。

 はじめは空耳か何かだと思った彼らが、メアが彼らの耳元で『ささやき』を連発され、困惑していく貴族プレイヤー。


 彼らにしか聴こえない『声』は、不気味そのものだった。

 最後には、幽霊にでも取り憑かれたのだと怯えて、まともなプレイが出来なくなる。


「ぐっ、ううう、何なんだこの声は、不気味すぎる……っ」


 ぶるりと体を震わせ自分の体を抱きしめる貴族プレイヤー。

 自業自得とはいえ、貴族プレイヤーは十度目のゲームで怖くなり、ゲームを中断した。

 他の貴族少年少女たちはもちろん不明不満たらたらだ。


「えー、どうしてやめちゃうの?」

「ここで勝負で出れば勝っていたのに! というか途中から何か怖気づいてなかった?」

「ここは! 何か『いる』ぞ! 幽霊か悪霊が! 憑いている! ひいいっ!」


 そう言って、早々とゲームを放り出し逃げ出していく貴族プレイヤー。

 すっかり冷めてしまい、他の貴族たちは退散していく。

 その、静けさに覆われたゲーム場で。


「……助かったよ。君のおかげで」


 デネブは空中に向かい、小さくそうささやいた。


〈どういたしまして~。ふふ、デブネさんが勝って良かったよー〉

「『デブ』じゃなくてデネブな。……まあとにかく、お礼を言う。ありがとう」


 メアはにこやかに笑顔を浮かべた。桃色の髪と貴族特有の優雅さで、何とも可憐に見えるその容姿。

 そこでふと、デネブは思い出した。


「そうだ。君、あの『青魔石事変』で活躍した娘だよね? ほら、リゲルさんと共に戦った……噂で聞いたんだ、あの事件を解決してくれたって」

〈あ、うん、そうだよ!〉

〈やっぱりな。じゃあ、そのお礼も兼ねて、少し提案があるんだけど、いいかな」

〈うん、いいよ、なあに?〉


 メアが『青魔石事変』の功労者であり、最大の英雄リゲルの仲間であることは街の人間の何人もが知っている。

 まがりなりにも貴族の御曹司として、情報を持っていたデネブはにこやかに笑いかける。


〈あのイカサマを救ってくれた後、ずっと考えてたんだ。何か、君にお礼出来ないかって。そして、この前の『青魔石事変』の後に決めた。お礼をしようって。だから俺がこうして賭博出来るのは、君や、リゲルさんのおかげだ。それで――どうかな?〉

〈うん! 喜んで!〉


 メアとしても断る理由はない。快く彼女は頷いた。

 そして軽やかに笑って、 


〈じつは、最近デブネさんをリゲルさんに紹介しようかな、と思っていたところだったんだ、だから奇遇だね!〉

「いや、俺の名前は『デネブ』な! ……ま、それはともかく、なら早速来てくれよ。俺の家に、『アルティール家』に。歓迎するぜ?」


 言うや、デネブは太った体を揺らし、笑ってサムズアップした。

 



 ――アルティール家。

 遥か九百年の歴史を持つ、有所正しい公爵家だ。

 主に魔術の研究や《迷宮》の探索に関わる事業を行っており、エンドリシア王国内においては、いくつかの成果を成し遂げた高名な家である。

 ただ近年は疫病や後継者争いにより、やや没落への道をたどっている。他の貴族と比べるとかすんでしまった感は否めない。


 しかし、それでも歴史ある屋敷の庭園は、新興の貴族では作れない、『貴族』の印象を見る者に与えた。

 豪奢な噴水。色とりどりの庭園。良く手入れされた果樹園、菜園、ツリーアート。

 様々な娯楽と、鑑賞性に長けたその庭は、まさに歴史ある家柄に相応しい、荘厳さを感じさせる。


「――いや、本当にこんなところに僕らが呼ばれて良かったのかな?」


 魔石使いの少年、リゲルは苦笑気味の顔でそう語る。

 あの後メアに〈お礼にお呼ばれしちゃった、一緒に行こう!〉と誘われて数十分。とりあえずいくつかの魔石を持ってやって来たのだ。

 ミュリー――『白のミュリー』は体調の事があるので留守番、マルコやテレジアはギルドに用があるため、不在だ。そして『桃のミュリー』は魔術の勉強をしたいと図書室にこもっている。

 よって、デネブの『アルティール家』に赴くのはリゲルとメアのみ。


〈いいのいいの! だってデネブさんが是非って言ってくれたんだよ? 気にしないよ。それに、『青魔石事変』の英雄に会いたいみたいだし。だから気にする事はないよ!〉

「まあ、そう言ってもらえるのは光栄だけどね。英雄ってのは柄じゃないよ僕は僕のすべき事を成しただけだから」

〈そこがリゲルさんのいいところだよ! ――あ、お出迎えみたい!〉


 見れば、庭園の向こう、華やかな通りの先に大きな扉がある。

 その傍らに、待機しているのは、『執事』と思しき老人と、件の少年――デネブだ。


「これはこれは。ようこそおいでくださいました。わたくし、当アルティール家の執事、ベンジャミンと申します」


 白髪の好感を及ぼす男性の隣、デネブが笑う。


「やあ! よく来たねメアさん! それに《英雄》のリゲルさん! ……うわあ、本当に来てくれて歓迎だなぁ、嬉しいなあ」

「……いや、歓迎は嬉しいけど、ほどほどにね。僕は英雄なんて肩書は恥ずかしいから」

「そんな、またまたまぁ。では《魔王》の呼称でどうでしょう?」

「どうしてそこで悪の首領なんだ……。まあ、軽い冗談はそこまでにして、はじめまして。僕はリゲル。『ランク黒銀ブラックシルバー』の探索者だ」


 太った少年が折り目正しい礼を返した。


「――アルティール家、長男のデネブです。……ま、堅苦しい挨拶はこのくらいにしよう。ベンジャミン、彼らに屋敷の案内を」

「かしこまりました、リゲル様、メア様、どうぞお入りください」


 執事の老人に促され、リゲルとメアは屋敷内に案内される。

 内部は昔の英雄の胸像の他、勇名な絵画のレプリカ、高級な家具などで溢れていた。

 白銀のシャンデリア、薔薇の首飾り、紅い絨毯……それらの飾られている廊下も、まさしく貴族の本邸と言える。

 リゲルたちは業火な廊下を越え、とある広い部屋へたどり着く。


「ようこそ、当アルティール家の長代理をしております、【ネルミーナ】と申します」


 広き客間でリゲルやメアを出迎えたのは、背の高い貴婦人だった。

 息子とは違い細身の体型。髪は藍色でゆるくカールがされており、肌は雪のよう。


 上流貴族、それどころか王族のパーティにしても不自然さはない程の麗人だ。

 『大きめの手袋』を両手にしているのがやや気になるが、紛れもない、『貴族』の婦人である。

 リゲルは、折り目正しく礼をし、


「はじめまして。ランク黒銀の探索者、リゲルと申します」

〈同じくランク黒銀……ではないけれど、仲間のメア・レストールです。……わあ、華やかななお母さんだね、デブネさん!〉

「いや、デネブな。……はは、まあ自慢の母さんだよ。さ、座ってくれ」


 デネブに勧められ豪奢な椅子に座り、執事の老人、ベンジャミンが運んだ紅茶の並ぶテーブルで一同は歓談を始める。


「レストール家とは、もしやあの『レストール家』の、メアお嬢様でしょうか?」


 開口一番、驚きと共にそう口にしたのはネルミーナ婦人だった。

 メアが驚いて目を見開く。


〈え? あ、はい。あたし、レストール家の令嬢ですけど……〉

「まあ! あの小さかった娘がこんなになって。ああ……嬉しいわ、またこうしてお会いできるだなんて……」


 どうやら、彼女にとってメアの訪問は意外な再会だったらしい。

 以前にレストール家とアルティール家との交流があった際、話した事があったとか。

 目尻にわずかに涙をにじませて、ネルミーナ婦人は嬉しがる。


幽霊ゴーストとなった事は驚きましたが、まさかまた会えるだなんて……」

〈もしかして、昔に会っているんですか? あたし、何も覚えてなくて……〉

「覚えてなくても仕方ありませんわ。まだほんの……三、四歳くらいでしたから。当時、あなたの貴方の父君、『ミッセル』様から紹介されたときは、楽しく歓談しましたわ」

〈っ! お父様と……?〉


 思わぬ場所で思わぬ名前を出され、驚くメア。


「ええ、あれは忘れもしません。貴方の父、ミッセル様の《研究》が、一段落して訪問された時。あなたとここへ参りましたの。……懐かしいですわ、もう十年以上になるのね」


 ネルミーナ婦人は美しい思い出を振り返るように目を閉じる。

 在りし日の幼いメアとその父親の姿。


「あの時の事はよく覚えてますわ。年の割におしゃまで、元気で……ふふ、あの可愛かったお嬢さんが、今では立派な淑女だなんて。感慨深いです」


 華やいだ笑顔で、そう嬉しげに語るネルミーナ婦人。

 両手を合わせ、はにかむ姿はまさに本物の貴族婦人だ。

 どこかの「わたくしは精霊ですわ!」と抜かすエセ精霊淑女ユリューナとは雲泥の差だった。


〈……お父様と会った事があるという事は、《研究》のことは、何かご存知ですか?〉


 貴重な情報源だ。思わず声音を低くして尋ねるメア。

 彼女にとって、父の研究は《錬金王》アーデルが襲撃してきた要因の一つだ。

 無視出来るものではない。その声音は、真剣なものとなる。

 婦人は首を横に振った。


「……ごめんなさい。それほどは。……ただ判っているのは、ミッセル様はとにかく《迷宮》について調べていた事、そのための苦労をしていた事、わたしにはそのくらいしか話しませんでしたわ」

〈そう……なんだ〉


 間接的とはいえ、ここで内容を詳しく知れば、それはメアの父の研究やアーデルの事について進める大きなチャンスだったろう。

 しかしそれが叶わないと知り、わずかに落胆するメア。


「……ごめんなさいね。ミッセル様は秘密主義でしたの。どこかに『間者』がいるか判らないから、自分の家族にも秘密にしていると、そうおっしゃっていたわ」

〈確かに……お父様ならそうかもしれないね〉


 それだけ危険な研究だったのだろう。メアの託された『九宝剣』は絶大な力だ。それ以外の研究も極秘なのは仕方がない。

 そんなメアの心象を察してか、婦人は努めて明るい表情を取った。


「けれど、ミッセル様はこうもおっしゃっていましたわ。『娘は、いずれ高名な存在になる。英雄のそばで戦うような、癒やしを与えるような淑女に』。……思えば、あの頃から何かを予見していたのかもしれませんわね」

〈予見……〉


 強力な『九宝剣』をも創り出したメアの父親。

 その見識で、娘の成長も予期していたのだろう。


 大きな受難と、そして活躍も期待して。

 さすがに『幽霊』となり、自ら九宝剣を操るとまでは予見していなかっただろうが。

 その言葉には、大いなる期待が込められていた事を、リゲルは感じ取る。


〈そうですか、それは嬉しいです〉

「それと、『私の娘は超可愛い。世界一の美女すら上回る!』とも言っていましたわ」

「ただの親ばかじゃないですか」


 思わず突っ込むリゲル。

 苦笑するのはメアやデネブだ。

 デネブが紅茶をおかわりしながら語る。


「ま、でもそんな母さんの昔の知り合いの娘と、俺が会ったのも何かの縁だ。今日は色々話そうぜ! 探索者の話とか、『青魔石事変』の戦いとか、色々聞きたい」


 デネブの言葉に頷くリゲル。メアもなかなか乗り気である。

 普段、リゲルの都合上、《錬金王》アーデル、《精霊王》ユルゼーラの調査補助、そしてミュリーたちのフォローなど。


 久々に会う、『貴族』の人間――もっと言えば、もう友人といって差し支えないデネブや、ネイラ婦人との会話は、かなり弾んでいった。

 しばらく、互いの生活のこと青魔石事変のこと、ギルド、迷宮、様々な話題で盛り上がっていく。


「――あらやだ、もうこんな時間」


 やがて夕日が傾きかけた頃、ふと、ネルミーナ婦人が壁時計を見て呟いた。


「そろそろお仕事の残りをする時間だわ。名残惜しいけれど……」

「いえ、僕たちとしては色々と上流階級の話も聞けて面白かったです。ためになるお話もいただけました」

〈ネルミーナさん、息子さんへの愛情、すごく伝わってきたよ! ねえデネブさん!〉

「まあな。……でもさ、母さん、俺の子供時代のトラウマ、話すのやめてくれる? おねしょとかマジで人に言ってほしくなかったんだけど」

「うふふ、おねしょでお母さんの顔を描くなんて、私の息子は天才だわ。きっと将来は偉大な将軍か軍師ね!」


 根拠もなくそんな事を言うネルミーナ婦人。

 ……リゲルとメアは思った。どこの家も、親というものは親馬鹿らしい。

 メアの父親といい婦人といい。自分も、親になったら気をつけないと。

 ――そんな調子で、歓談も終わりかけた頃。


「そうだわ、最後に、少しだけ『演奏』を聞いてもらえないかしら?」


 ネルミーナ婦人が、おもむろにそう言い出した。


「演奏、ですか?」


 リゲルの言葉に、ネルミーナ婦人は頷く。


「恥ずかしながら、私は音楽を嗜んでいるの。今日は突然の訪問で、満足いくおもてなしも出来なかったから、せめてものお詫びに、ね」

「そんな……お話だけでも十分です、僕らは、」

「いいえ、ぜひ聞いてほしいわ。あなた達に。『青魔石事変』を解決してくれたお礼に、贈り物をしてあげたいの。……私や息子が生きてこうしていられるのは、あなたたちのおかげだから。だから、お礼をさせて。お願い」


 そう言われれば、断れる理由はリゲルたちにはない。

 彼女や、デネブも生存もリゲル達の活躍があってこそだ。

 その感謝を、無下にする理由はなかった。


「……では、お言葉に甘えて」

〈デネブさんのお母さん、演奏上手いの? すごく楽しみ!〉


 リゲルは静かに頷き、メアはすっかり打ち解けた婦人に嬉しそうに笑う。

 デネブだけが少し恥ずかしげにしながら、


「……でも母さん。……いいの?」

「もちろんよ。彼らになら、私の『演奏』は聞いてほしいわ」


 わずかに交わされた親子の会話に、『何か』を感じ取りながら、リゲルはメアと一緒に演奏のための部屋に案内された。

 これまた広い部屋だ。


 違うのは、大きなピアノ。

 各種楽器の並ぶ光景。どれも一級品の楽器だ。

 デネブの母、ネルミーナ婦人は、大変な音楽家らしい。

 きちんとした、鑑賞のための席まである。そのうちの一つに腰掛けたリゲルとデネブ……それと彼らの頭上で浮かぶメアの姿を見て、ネルミーナ婦人は言う。


「――今日は手短にピアノを演奏しましょう。……ベンジャミン、調律を少しお願い」

「かしこまりました、奥様」


 執事の老人が、恭しげに礼をしていく。巨大なピアノ、その調律を即座にこなしていった。


 魔術による補助も行い、あっという間に仕事を終える老執事。


「準備が完了いたしました、奥様」

「ありがとう。――それでは皆さん、楽しんでくださいね?」


 優雅にピアノの席に座るネルミーナ婦人。

 楽譜を目の前に置き、軽く深呼吸して目を閉じる。

 そして数秒後、両手にしていた大きめの『手袋』を外し、演奏していく――。


 

 瞬間。


 流れるような旋律が。音の連なりが、部屋を満たした。


 まるで、別世界を旅しているような感覚。

 遠い、異国、草原を駆け回るような雄大感。

 遠き夢。広き高原。白い雪のような、海原のような、多種多様な、人の持つ『無限』という言葉を体現させたかのような、雄大さを喚起させる、見事な旋律だった。

 一流の演奏家が、努力しても手に入らない境地。

 素晴らしい演奏家が、泣いて喜ぶような多重奏。

 早く、美しく、踊るような――それでいて、時に激しく、勇敢で、壮烈さをも喚起される音の連なりが、リゲルと、メアと、デネブの耳を圧倒した。


 

『――――――――――』


 

 誰も、何も口に出来ない。

 全ての音はネルミーナ婦人の前に掻き消される。いや、支配された。魅了されたのだ。

 演奏という、音の極地の中で。

 その部屋だけは今、平和であり、歓喜の坩堝であり、人の感動を呼び起こす、究極の場だった。


 やがて――。

 

 無限に連なるかのように思えた演奏も、終わりが近づく。

 勇者が魔王を打ち倒すように、雄大な旋律から一変、柔らかな旋律へと変化が生じると、ネルミーナ婦人の指は鍵盤を緩やかに移動。

 激しい動きが、やがて柔らかに変わり、音の間隔と間隔が広がり、そして演奏は――一気に終わりを迎えた。


「す、ごい……」


 絶句し、言葉も出ないメアの下、リゲルだけがそんな感想を漏らした。


「今まで聞いた中で最高だ。なんて演奏。なんて旋律なんだ……」


 メアも、びっくりした瞳でネルミーナ婦人を見つめる。

 未だに興奮が醒めないのだろう。〈すごーい……〉とただ一言発しただけで、その後は胸を押さえ、今聞いた旋律をしまい込むかのように自分を抱いた。

 息子のデネブが苦笑気味に語る。


「――とまあ、こんな感じ。って、そろそろ時間、まずくないか? 母さん、仕事あるんだろう?」

「あ、そうね、そうだったわ」


 急いで楽譜を畳み、席を立つ婦人。

 聞けば、ネルミーナ婦人は本来の当主である夫に代わり。当主代行を務めているらしい。

 その関係で、こなさねばならない仕事が多いとか。

 貴重なその時間を割いて頂いて、光栄に思うリゲルとメアだった。


「大変な演奏、聞かせて頂いて光栄でした」

〈あたしも! こんな演奏、初めて。すごく感動しちゃった!〉

「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいわ。わたしも腕を披露した甲斐があったというもの」


 この演奏の前では、並の演奏など型なしだろう。それほど、婦人の演奏は見事だった。


「――ただネルミーナ婦人、一つだけ、気になった事があるのですが……」


 婦人たちが席を立ち部屋をでかけた時。リゲルが迷いながら問いかける。


「あの……あなたの『指』、それは……」


 そう言うリゲルの視線は、婦人の指だった。

 ネルミーナ婦人の指、見事な演奏を成し遂げた、その奇跡の指を指し示す。

 そこには。


 親指。

 人差し指。

 中指。

 薬指。

 小指。

 そして……『第六の指』。


 『指が六本』――なおかつ両手にある。


 合計で、『十二本の指』。

 普通とより多くの『指』を持つ淑女を見つめ、リゲルは静かに問う。


「それは、もしかして、生まれつきで?」

「……ええ。じつは私、先天性の『多指症』でね。赤ん坊の頃から、指が一本多いの」

「それは……」


 不完全に生まれた胎児が、稀に得る体質。

 大きな害があるわけではないが、そう多い例ではないだろう。

 実際、リゲルも見るのは初めてだった。


「足は普通なのだけれどね。……手だけは、『一本多い』わ。……でも、便利なのよ? このおかげで、私は『普通の演奏家が出来ない音楽』が出来るから。『指が十本』では叶わない、『12本の指での旋律』も容易く行える。……ふふ、ある意味、ズルみたいなものだけれど。この事は他言無用ね?」


 悪戯っ子のごとく、片目を瞑りながら言うネルミーナ婦人。


 実際、多指症というのはある面で便利なのだろう。

 通常は叶わない演奏も、『十二本』ある指ならば可能。

 ただの演奏家には出来ない領域へ踏み入れる事が叶う領域。


 だからこそ、超常的な演奏――鳥肌を立たせる、最高位のピアノ演奏。

 けれど同時に、『偏見』が生まれる要因でもあった。

 最初、『大きな手袋』をしていたのは多指症を隠すためだろう。


 演奏の直前、息子のデネブと意味深気な会話をしていた。

 それは、リゲルたちが『多指症』に偏見を持たないかどうか、それを広めないか、という確認のためだろう。


 人によっては偏見、迫害、イカサマ呼ばわりの対象になるから……心無い攻撃を受けるから。

 だから信頼出来る人にしか、聴かせないようにしているらしい。

 婦人の目からは、そういった心象が伺えた。


「――あなた達は良い人のようだわ。あなた達なら、街を、息子のいるギエルダを守り抜けたのも、分かる気がします」


 そう言って、ネルミーナ婦人は笑った。

 それは、客への最大の賛辞として。

 街を救った英雄たちへの、敬意を評して。

 そして『六本指』という、珍しい体質を受け入れてくれた事に対する、感謝の念を込めながら。ネルミーナ婦人は、華やかに笑っていた。




「――今回のご訪問、私共としては光栄の限りでございました。《英雄》リゲル殿。そして『レストール家』のメア様。またいつでも、歓迎いたします」

「今日は俺も楽しかった! また来てくれよな!」


 出入り口にて。リゲルとメアは執事のベンジャミンとデネブから感謝を述べられていた。


「もちろん。僕としても新たな友人が出来たのは嬉しい。また折を見て来させてもらうよ」

〈デブネさんもまた賭博でピンチになったら言ってね! いつでも駆けつけるから!〉

「そういうのは言わないでくれよ! あとデネブな!」


 いつものやり取りも兼ねながら、リゲルとメアははアルティール家を後にする。

 いつまでいつまでも、デネブたちは手を振っていた。



 

 ――帰りの道の途中、ふとメアがリゲルに説明した。


〈『多指症』の人って、たまにいるらしいね。遥か西方の『ヴォルキア皇国』では、似た症状の人たちが集まる里もあるみたい〉


 リゲルが道すがら頷く。


「そうらしいね。様々な才能や特性を持って生まれる――時に、それは超絶的な技を持って世に広まる。――そういう『異形』ならではの『異才』を生む里があるとか」

〈……えっと、たしかその里の名前って、何かの神話になぞらえて言われてたらしいね〉

「うん、そう聞いた事がある」


 噂だけなら、元々所属していたヴォルキア皇国でリゲルは、『六皇聖剣』だった時に聞いた事がある。


 曰く、そこは異才の塊だと。

 曰く、そこは『天才』の坩堝であると。

 ――指が五本ではなく六本ある少年。

 ――腕が二人ではなく三本ある少女。

 ――目が一つしかない赤子。

 ――首が二つある子供。


 そういった、普通とは違う生まれでこの世に現れた、人々が集まる『里』。

 その名を――『楽園エデンの里』。

 通常とは隔絶した環境にいる人々の集落。


「そうだね、僕も聞いたことあるよ。『楽園エデンの里』。そこでは何人もの大軍師や大英雄、名優が生まれたとか」


 人より多い器官や特異な体を持った者は、異才に恵まれやすい。

 それこそ歴代の上級探索者の何人かが『鬼才』としてもてはやされたとか。

 リゲルの場合も、歴代『六皇聖剣』の三割が『楽園エデンの里』出身だと聞いていた。

 それほどの才覚。

 真相の程は分からないが。


〈でも、『楽園エデンの里』の人たちって、迫害の対象にもなったって……〉

「ああ、うん。『差別』や『嫌悪』、『偏見』の対象になることもあったらしいね」


 人は、人とは違うものがある者には、敏感だ。


 ――指が一つ多いなんて不気味だ!

 ――腕が三本あるなんて人間じゃない!

 ――目が一つしかないなんて、気味悪い!

 ――化け物だ、化け物だ、化け物だ、化け物の里!


 そう心無い批判を向け、非難する者も多いらしかった。

 ゆえに、『楽園エデンの里』は別名、『黒の楽園エデン』――『不浄な忌まわしい者たちの住む巣窟』、そんな蔑称で呼ばれているらしい。


「『天才』の坩堝ゆえに、『嫉妬』も生む秘境――そして外見が普通じゃないから、なおのこと『普通の人』達は揺さぶられるんだろうね。『こいつは人間ではない』『私たちとは違う』――だから嫉妬、差別、偏見、そういう形で悲劇は起こる」

〈うん。前に聞いたことがあるけど、『都市リーダンの暴行事件』とか、ひどい事件だったらしいね〉


 遥か北の国で起きた、『楽園エデン』の出身者を迫害、大虐殺した悲劇だ。

 そのように、『楽園エデンの里』絡みの争いは稀にだが断続的に続いている。


 ――人は、 どうやって生まれてくるのか、誰にも選べない。

 子が親を選べないのと同じように、親も子を選ぶことは叶わない。

 それと同じく、異端として生まれかは神のみぞ知ること。


 『普通』の子として生まれるか、『異端』として生まれるかは偶然の結果だ。


「普通ではないがゆえの人生――それが『幸福』になるか、『不幸』の元になるか、それはそれぞれだけれど……ネルミーナ婦人は、幸せに生きているみたいだね」

〈うん〉

 

 ネルミーナ婦人も、おそらくは色々とあったのだろう。

 彼女は『手袋』をしていた。

 つまり、これまで不気味――人ではないと、言われた事もあったのだろう。


 けれど、それと引き換えに素晴らしい『演奏力』を得た。

 『六本指』を手袋で隠していたとはいえ、ネルミーナ婦人はその六本の指の恩恵として『超常的な演奏』が可能になった。

 名演奏家となれたという事は幸せだ。それによって得た者があるのなら、それでいいのだろう。


 ネルミーナ婦人……彼女の、素晴らしいピアノ演奏を思い出しながら、リゲルは帰路についたのだった。


 



 ――同時刻。アルティール家にて。


「デネブ、今日は素晴らしいお客さんだったわ。私、心が踊ってしまって」


 たおやかな容姿に気品ある雰囲気。ネルミーナ婦人は朗らかに今日のお茶会を思い返していた。


「うん。まあ、それはいいけどさ、俺の恥ずかしい過去を暴露するのはやめてほしかった」

「うふふ、いいじゃない。子供の過去は笑い話、過去は新しくなる人たちとの架け橋よ」

「ロマンチックな言い方しても騙されないぞ。……はあ、全く、母さんは困った人なんだから」


 紅茶とハーブの香り漂う居間の中、母と子の二人は笑い合う。


「でも、良かったわね……本当に」

「ああ、一度《英雄》さんとは直に会って話してみたかったんだ。メアさんとも、久しぶりに会いたかったし」


 窓の外の景色を眺め、そう呟くデネブ。

 手袋を外し『六本の指』で優雅にティーカップを握りながら、ネルミーナ婦人はふと自慢の息子へ尋ねる。


「それで? どうだったかしら? 《英雄》リゲルさんは。『私達』の相対する相手として、相応しいと思えた?」

「ああ、凄い人だと思うぜ。何せ『青魔石事変』を解決した相応しい実力だ。立ち振舞に隙が全くない」

「そう……そうなのね。彼、全く何の『隙』もなかったもの」


 優雅に紅茶を飲みながら、ネルミーナ婦人とデネブ、『平和』の象徴であるはずの二人はそう語る。

 ネルミーナ婦人は柔らかに語った。


「私が演奏をしていても、心が揺さぶられても、隙はまるでない……歴戦の勇姿とは、ああいう者を言うのだと感動したわ」

「俺も。……さすが一つの都市を救った《英雄》だ。油断も何もなかった」


 ひとしきり紅茶を飲み終えた二人は、しばしゆったりと窓の外を見る。


 そこは、平穏な光景だ。

 豪奢な噴水。色とりどりの庭園。良く手入れされた果樹園……。


 『悲劇』が起こった町の貴族邸としては、あまりに平穏すぎる景色。

 まるで、『台風の目』のような景色。

 災禍はそこだけには起こらず、天上の神々の住まいであるかのように。

 そこには『青魔石事変』の被害は皆無に視えた。


 それこそ、被害を直したのではなく、『最初から平和そのもの』だったかのように。


「――奥様。お坊ちゃま。そろそろ『仕事』の時間にございます」


 その時。傍らで優雅に佇立していた執事のベンジャミンが、親子に向けて促す。


「ああ、そうだったわ、私としたことが、すっかり忘れてしまったわ」

「やっべ、俺も自分の立場とかさっぱり抜けていたぜ」

「――仕方ありません。貴方がたは『超常』の地位にいる者。同じような超常者を前に、興奮は無理なきこと」


 それが当たり前のように、むしろ誇らしい事だと言うように、執事ベンジャミンは語ってみせる。

 ネルミーナ婦人が華やかに笑った。


「そうね、全くその通り。ええ、世界は『天才や鬼才で溢れている』のだから」

「その通り。その一角である貴方がたは、さらなる『天才』や『鬼才』を創るべく、活動しておられるのでしょう?」

「――ええ、そう、その通り。私たちの先には『夢』がある。遠い、遠い、誰もが夢見る、暖かで平和な『夢』が」


 優美な白鳥のようにさえずるネルミーナ婦人。

 柔らかかな髪を撫で、優雅に立ち上がる。

 金色の、緩やかなカールの、それだけで売れば金貨数百枚にはなりそうな髪を、柔らかに揺らいでいく。


「――我ら『組織』には遠大な目的があります。それを成すためならば、私は喜んで勤しみましょう。真なる平穏が来る日まで、ひたすらに」

「俺も、そのためにここまで準備を重ねてきた」


 先程の。

 なごやかな雰囲気はそのままに。

 何か決定的な。あってはならない――黒い、それまでとは隔絶した雰囲気が二人を覆い尽くす。


「――ベンジャミン。『青魔石』の方はどうなっているの? 経過は順調?」

「はい。様々な都市や村にて『実験』を試行――いくつか予想外の出来事も起きましたが、概ね、経過は順調でございます」

「そう。それで『次の魔石』については? 進展はあった?」

「はっ。それも含めて、現在順調に準備をさせております。現段階では『第三段階』の九割が終了。次は候補地に『統制者』を送り、新実験を開始するのみと」

「――それは重畳。何よりの朗報だわ」


 ネルミーナ婦人は優美に手を広げる。

 まるで新たな演奏の『指揮』をする、指揮者の如く。 

 片手六本、『両手十二本』の、異端の指による、優雅な動きで。


「『青魔石』の実験は、少し失敗だったわ。まさか『暴走』が付与されるなんて聞いていない。もう少し調律が必要ね。さらなる『完全体』を目指すために精進しましょう」

「御意に」


 白髪の老人は、完璧な礼で『主』へと返答を続ける。


「『青魔石』は、即効性と拡散性においては一定の評価を頂けました。――が、『制御性』についてはまだまだ改善の余地があります」

「そうね。……だから『次の魔石』はきちんと機能すると良いわね。世界の平和のために」

「はっ。第二の『魔石』は――『緑魔石』は、新たな幸福の礎となるでしょう」


 そうして、ネルミーナ婦人は淑やかに笑う。

 息子のデネブを伴って。地下の、朱と黒の、広々とした空間へと足を運んでいく。

 そこは、数十人の人間が楽に入れる豪奢な広間だった。


「さあ、皆さん。『計画』は第四段階へ移行するわ」


 ネルミーナ婦人は――そこへいる、数多の人間に対して宣言する。


 朱と黒の広い空間には――魔物の『仮面』を被った者たちが大量にいた。

 子供、壮年、中年、老年……多種多様な職に就く人間たちが一糸乱れず、ずらりと並んでいる。

 さながら『兵隊』のように。


 彼らこそは『仮面の使徒』と組織では呼称される存在。

 かつて、リゲルの恋人ミュリーを襲い、『青魔石事変』では首謀者ユリューナの手先となり、つい先日、都市レーアスではリゲルたちパーティを襲った、殺戮の兵士。


 それと同格の『兵士』へ向け、ネルミーナ婦人は高らかに言う。


「実験対象は、『都市アークレタ』。貧乏で明日の食事にも困った人たちが多くいる都市ね。かの場所に向かい、貴方達には『幸福の種』をばら撒いてほしいの」

「「――御意に」」


 百人を超す『仮面の使徒』たちが、一斉に跪いた。


「都市アークレタには、腕利きのギルド《一級》騎士が十五名いるわ。それらは私の息子である『デネブ』が速やかに排除します。貴方たちはその援護を行い、かの地に種まきを行って頂戴」

「「――御意に。全ては『楽園』の完成に至るために」」


 人形のように無表情かつ、聖歌隊よりも規律ある応和。

 ネルミーナ婦人は満足そうに頷いてみせる。

 貴族のように。王妃のように。

 あるいは、邪悪な術を使う『魔王』のように。

 

「良い返事ね。ああそう――気をつけてね、デネブ。実験の最前線に赴いても、体を大事にするように」

「大丈夫さ、母さん。俺は今度も上手くやるよ。『青魔石事変』のときだって、暴走した『青魔石使い』を殴り飛ばしたんだ。母さんを守り、『楽園』へと歩みを進める――今度も同じ事をするだけさ」

「そうね、そう。あなたは世界で一番強い『天才』。私の片腕なのだから」


 太った少年、デネブは照れくさそうに笑う。

 それが、例え悪魔の所業に加担する事でも。

 多くの悲劇の引き金になる事でも。

 彼らは躊躇わない。

 何故なら、彼らこそが幾多の災厄を生み出した事件の首謀者であり、『元凶』たる存在なのだから。


 

 ――今から約一ヶ月前、『青魔石事変』と呼ばれる大事件が起こった。

 それは、人の『負の感情』を増幅させ、暴走者と化すという痛ましい事件。

 被害に遭った建物は数え切れない。災禍に見舞われた人々の数も膨大。

 都市ギエルダで最初に起きた未曾有の大事件は――今現在も、十八の都市や村に広がり、多くの悲劇と嘆きを生み続けている。


 その、忌まわしい事件を引き起こした『元凶』の一角。

 それこそが【ネルミーナ・アルティール】と、【デネブ・アルティール】である。


 表向きは下級貴族――心優しく、演奏などで民衆にささやかな安らぎを渡す庶民のための貴族。

 誰とでもほがらかに話す婦人と太った息子。


 けれどその実態は。


 人を暴走させ『半魔物』と化し、破壊の限りを尽くす『青魔石』を生み出した、魔女と魔人。


「ああ、世界は泣いている。一刻も早い平和が訪れてくれと。今日も泣いている。けれど私たちは、その涙を止めてみせる。世界の悲劇を終わらせるの。――ああ! 人の幸福に至る場所! 人の幸福に満ちた世界! ――『楽園』。そう『楽園』を! 全ての『楽園』を! 私たちは人々の『幸福』のために動く、それこそが私たちの望みだから」


 人々の間で悪夢と言われる『青魔石事変』。

 その首謀者たちの組織を、『楽園創造会シャンバラ』と言う。

 そしてネルミーナ・アルティール、デネブ・アルティールの二人は。

 彼らこそ『楽園創造会シャンバラ』を取り仕切る者――すなわち『幹部』と呼ばれる存在だった。


 


 ――とある説話に、こういう節がある。


『幸せの青い鳥はすごく身近にいました。けれど彼らはそれに気づかなかったのです』


 ――同時に、別の説話にはこういうものもある。


『地獄の蓋は、すごく身近にありました。けれど誰もそれに気づかなかったのです』


 幸せも不幸も、その元凶となる者は気づかれない。それはゆっくりと、しかし確実に、動き続けている。


 

 人を不幸に陥れ、災禍を当然のように撒き散らす。

 寄生虫のように、虎視眈々と、水面下で動いていた。

 『楽園創造会シャンバラ』の幹部たちは動き出す。

 世界を変えるため。

 『楽園』を――彼らの信じる、『幸福の世界』を創るために。

 


お読み頂き、ありがとうございます。


さて、一口に『楽園』と言っても色々とあると思います。

お金が沢山ほしい、美味い物がたくさん欲しい、あるいは美少女ハーレム最高、みたいな欲望もあるかもしれません。

本作の中で、『楽園創造会シャンバラ』の描く『楽園』は、じつはそれほど理解出来ないものではありません。いくつか暴挙的なことも行っていますが、根本的には普通の人間と変わらないものです。


それと本編を繋ぎ合わせるために、これまでいくつかの『伏線』を用意してきました。


第一部や第二部は、今の『第三部』への壮大な伏線と言ってもいいかもしれません。

動き出す『楽園創造会シャンバラ』、彼らが何を求めて動いているのか。それに対してリゲルはどう動くのか。想像したり本編を読んだりして楽しんで頂ければ嬉しいです。


さてこんな話を書いておいて何ですが、次回は箸休めの回となります。内容はコメディです。 

嵐の前の静けさ、ならぬ珍騒動ですが、その後も展開も含めて楽しんで頂ければ嬉しいです。


次回の更新は2週間後、8月15日の夜8時となります。

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