第七十二話 両手に花?
「――まずいな、まずいよ、凄くまずいよこれは……!」
炭鉱町ビエンナでの騒乱を経て数時間後。
『二人目』のミュリーを連れたリゲルは、帰り技際、ずっと同じ事を呟いていた。
無理もない。
何しろ『青魔石使い』、《ジェノサイドワイバーン》使いのベリッドとの戦いの後、彼女に『キス』されてしまったのだ。
抱きつかれながら、彼女の苦しい気持ちや、不安などを聞かされたリゲルは、最後には勢いのままに口を重ねられてしまった。
避ける余裕も何もなかった。
気がつけば彼女の唇が重なっていた。
「!?」
当初、リゲルは困惑した。
別に、嫌というわけではない。
むしろ光栄だ。何しろミュリーは見目麗しい少女。十人いれば八人は振り向くような可憐な容姿。そんな少女にあんなに好かれて、さらには唇を重ねられて、決して嬉しくないわけがない。
けれど!
リゲルにはすでに好きな少女、『もうひとり』のミュリーがいるのだ。
――自分でも何を思っているのか意味不明気味な思考だが、間違ってはいない。
もう二ヶ月ほど前、リゲルは精霊少女、最初の『ミュリー』と出会い、契約を交わし、激戦をくぐり抜けた。
そして先日では心を通い合わせ、『青魔石事変』の後に、『キス』までした。
それが本当に、つい二週間前のことだ。
けれどつい先日、今度は『二人目』のミュリーまでもが現れて、その娘と心を通わせた。
彼女は、『一人目』のミュリーと全く同じ容姿、同じ性格、同じ記憶までも持っていた。
しかし『虚弱』という体質を持っていなかったため、本物のミュリーではないと判断された。
それで、『二人目』のミュリーは悩んだ。
自分が、偽者ではないのかと。『楽園創造会』――悪なる組織の手駒として創られた、存在なのではないかと。
けれどそうではない、そうだとしても構わないとリゲルは受け入れた。
そしてつい先程、感極まって『キス』された。
つまり、同じ名前、同じ容姿の少女に『好かれて』、『キス』されたのだ。
これはやばい。真剣にまずい。
――帰ったら『一人目』のミュリーになんて言おう……。
まあ、『一人目』のミュリーの時は良しとしよう。散々心配をかけて戦地に赴いて、それで帰還してからのキスだ。
気持ちが高ぶって。お互い求めたくなった気持ちはあるだろう。つまり自然な流れ、何の問題もない。
けれど、『二人目』のミュリーの時は駄目だ。すでに『一人目』のミュリーと良い雰囲気なのに、同じ容姿と記憶の少女だからってキスしては駄目だろう。
――いや、これも激戦の後の行為だから許される事なのか?
『二人目』のミュリーを受け入れると、宣言した上での『ご褒美』のようなものだから大丈夫なのか?
そう思いかけて、リゲルは冷や汗をかいた。
――いや、これ、普通に考えたら『浮気』じゃないか!?
そうだ、そういうことになるだろう。想い人のミュリーという人がありながら。『もうひとり』ミュリーが現れたからといってキスまでする。
浮気と言わずしてなんと言う。
と、《アークペガサス》の背中に乗って屋敷に帰る道すがら、悶々とリゲルはずっとそのことばかり考えていた。
背中に一緒に乗っている『二人目』のミュリーが、腕を伸ばして、落ちないようリゲルの腰に当てている。
けれど、その感触がもう!
落ちないようにしがみつく形なため、『豊かな』双丘も少し当てられて、その感触が気になって、気になって、仕方がない。
おまけに、たまに安全かどうか確認するためにリゲルが後ろを見ると、その度に『二人目』のミュリーと顔が合って、「あ……」みたいな雰囲気になる。
ミュリーの顔が直視できない。
間違いなく向こうも同じこと考えてる。
おかげで、リゲルは今後の方策とか、対策とか、諸々しなければならないことがあるのに、頭の中は『浮気やばい』『キス凄い』『ミュリー可愛い』など、そんなことばかり思っていた。
帰るべき都市、ギエルダの町並みが見えてきた。
――どうしよう、今猛烈にどこかへ行きたい。
というよりも、、飛ぶ速度もっと遅くすれば良かったなこれは……と思う。
高ランクの《アークペガサス》の魔石使って帰るなど、どう考えても急ぎ過ぎだ。考え事を整理するには時間が無さ過ぎる。
今から適当な理由言って引き返してしまおうか?
いやそんなことしたらそれこそ浮気に怯える亭主の思考だよ!
などと迷っているうちに、あっという間に地上に降り立ってしまうリゲルと仲間たち。
町外れにある森を目指す。その先レストール家の屋敷まで、光の速さのようにあっという間に過ぎた出来事のように感じた。
そうして、入り口の扉を叩くリゲル。
とんとん。
ガチャ――と、音がして、直後、「リゲルさん!」と、素敵な笑顔で『一人目』のミュリーが出迎えてくれた。
それはそれは嬉しそうに。
戦場から無事に帰ってきたのが心底嬉しそうに。五体満足に無事に帰還したことを何よりあんじたように、不安が払拭されて気持ちが和らいだ少女が、魅力的な笑顔と共にリゲルを迎えてくれる。
――まずい、ミュリーの顔が直視できない。
やましいことはないのに、駄目な事はしていないはずなのに、何故か後ろめたさを感じて一瞬声を出すのが遅れてしまう。
「リゲルさん……!」
「あ……うん、ただいま、ミュリー」
「戻ってきてくれて、嬉しいです! リゲルさんが無事だと信じていました。でも、それでも心配で……何度も『リゲルさん……』と祈りを送っていました……」
「ああ……うん、そう……それはごめん。でも、無事だったよ」
「はい! 『お祈り』した甲斐がありました!」
そう無邪気に笑う『一人目』のミュリー。
リゲルは何故か冷や汗が止まらない。
脇からも、変な汗が大量に出てきた。
「あ……うん……戦闘がある度に、心配をかけてごめんねミュリー。でも無事に帰ったからさ、僕は何ともないからさ、大丈夫だよ、はは……」
ミュリーは何も気づかず、リゲルのもとへすっと歩み寄ってくる。
「良かったです……本当に……。リゲルさんが無事に帰ってくれて……」
そして人目もはばからずリゲルの体を抱き締めてくる。
魅惑的な胸や女性的な線の体をおしげもなく、
一応、背後には仲間のメアやマルコ、テレジア、『二人目』のミュリーもいるのだが、嬉しさのあまり目には入らないのだろう。
初めてキスして以降、時々彼女はそういう事があった。
「……あ! す、すみません、皆さんの前で……っ」
顔を赤らめて、慌てて離れるミュリー。
「え、あ。大丈夫だようん。ミュリーは心配してくれたんだし」
気まずそうに、背後のメアたちが一斉に視線を逸らした。
みんな思ってる。この後たぶん修羅場が待ってると。
あんまりそれ見たくない。でもここから逃げ出す口実がない。どうしよう、やばい――だから目を逸らすしかない。
そんな思考が手に取るようにリゲルには判るは、でも逃げられない。
「あ、それで……『もうひとり』のわたしの方は、どうだったんですか?」
ミュリーは心配げな表情で問いかけてきた。
「あ、うん……それは大丈夫だよ、ほら、『ミュリー』」
言って、リゲルは『二人目』のミュリーを、『一人目』のミュリーの前に出させる。
彼女は、まるで猛獣の前にでも出されるような顔をして笑顔を引きつらせた。
「あ、た、ただいま……です」
「ああ、良かったです! 『もうひとり』のわたし。無事だったんですね……! いきなり町に向かった時はどうしようかと……無事にリゲルさんと合流できて良かったです!」
無邪気な笑顔で、打算も何もなく図るミュリー。
そんなわけないのに、何も悪意はないのに、リゲルはブスブスと視えない針が刺さってくるように気まずい顔。
『二人目』のミュリーも、メアたちも、笑顔が少しぎこちなかった。
『二人目』のミュリーが、『一人目』のミュリーにぎこちない笑みを浮かべる。
「あ……あの、心配かけてごめんなさい。わたしがあなたと同じ存在なら、心配かけるって判ってたはずなのに、無茶をして、ごめんなさい……」
「そんな! 大丈夫ですよ、気持ちは判ってますから……! 罪もない人が襲われるのを見過ごせない気持ち、わたしにだって分かります。わたしがベッドにいなければならない虚弱じゃなければ、あなたのように町へ飛んでいっています……!」
それは言外に『一人目』のミュリーも本質的には行動的なことを表していた。
つまり浮気に対してどういう行動を取るか、積極的行動をするとかもしれないということで、それを想像するだけぶるぶると震えるリゲル。
「それで、あの、リゲルさん!」
「え、あ、はい!」
「……? なぜ敬語なのですか? 変なリゲルさんです……。それより、無事に帰ってきてくれて嬉しいです。今日はご馳走ですね。わたし、張り切りますから!」
腕まくりをして、気持ちをほがらかに表すミュリー。
その時点で、リゲルは心臓がバクバクバクと緊張で高鳴ってどうにかなりそうだった。
「あ、うん……楽しみだよね、ミュリーの料理……」
メアたちもそこでようやく声を口に出した。
〈そうだね! 今日はお祝いで皆で楽しもうね!〉
「激戦でしたからね、歌って踊って気を晴れやかにしましょう!」
「戦いの後こそ心を安らげるお祝いが必要よね!」
と、マルコとテレジアも半ばやけくそ気味に叫んだ。
「……?」
と、『一人目』のミュリーが少し首を傾げさせた。
さすがに、皆の様子が少しおかしい事に気づいたらしい。
「あの、皆さん、どうかされたんですか?」
「「「「いや全然! まったくこれっぽちも変な事はないよ!」」」」
「そうですか……? それにしては皆さん、どこか落ち着かないような……? 気が散って仕方ない表情ですけど……」
『一人目』のミュリーは眉をひそめて、リゲル、メア、マルコ、テレジア、『二人目』のミュリーの顔を次々にうかがって。
「――そう言えば、さっきから気になっていたんですけど……リゲルさんの唇に、わたし以外の女の人の匂いがついているような気がしたのですが……気のせいですか?」
リゲルの表情が、凍りついた。
メアとマルコとテレジアの顔も、固まった。
『二人目』のミュリーなど、顔から血の気がなくなっている。
「あれ……? 皆さん、どうしてそんな青い顔をなさっているんです?」
ミュリーが小首をかしげ、皆の顔をしげしげと見つめた。
「あの、何か問題でも起きたのですか……? その、何でも言ってください! わたし、皆さんの心配ならなんでも解決したいですから。だから、言ってください、何でも!」
いやでも、こんなの説明出来ないよ!
リゲルはそう思った。
けれど黙ったままでもいられないだろう。
結局、リゲルは全部白状した。
そうしたらミュリーから悲鳴が上がった。
数分後。
「だから違うだってミュリー! あれは戦闘の高揚でなってしまったことで! 決して君を蔑ろにしたわけでは……っ!」
深夜。三時を回った頃。
「疲れた……」
もろもろの説明をし、今後の対策を話し合った後。
気がつけばもう日付などとっくに変わっていたリゲルは、ようやく自室のベッドに体を預ける。
《ジェノサイドワイバーン》使いとの激戦を経た直後の騒動だ。肉体はもとより精神が大変疲れた。
あの後、ミュリーは何度も涙し、しょげきっていた。
けれど、リゲルが懇切丁寧に接すると気持ちを判ってくれ、浮気などではないと判ってもらえた。
そして、必要以上に悪く考えては駄目だと、念を押すと、「頑張ります」とようやく笑顔を見せた。
その時の疲れが一気に出たのだろう。
「ああ……もうこのまま一週間くらい寝ていたい……」
とにかく疲れた。
戦闘の何倍も疲労する時間、それが今日のあの騒動だった。
――ただ、そんな騒動があった訳だが、悪い事ではなかったように思う。
精神的には疲れたが、あれは裏を返せばミュリーの愛情――『一人目』の彼女の、嘘偽りのない素直な愛情から来たものだ。
このこと事態はとても喜ばしいし、光栄だ。
何より、嬉しい。
精神的には疲れたが、気持ちはより高鳴っている。
――ミュリーが僕を好いてくれている。
まだ出会って二ヶ月と少し、関係としては長くはないけれど、とても濃密で、大切な期間だった。
その上で育んでくれた気持ちは、素直に嬉しく思う。
悲しむミュリーはそれだけでこちらも悲しくなるが、裏を返せばそれだけ想ってくれている。リゲルにとってこれほど光栄で、嬉しい事はない。
「本当に好きなんだな……僕のこと……」
別に今までも疑っていただけではない。『青魔石事変』の終わり、安心と勢いから彼女からキスしてくれた。その時から、そういう気持ちを抱いてくれた事は嬉しい。
けれど、ミュリーは奥手な少女だから、あまりその内面を話してはくれない。
特に、一度キスした後は、しばらく「今日はいい天気ですね」「そうだね!」と、二人して曇っているのに天気のことばかり話していた。
それくらい、純真な性格なのだ。
いや、それは自分もかもしれない。
戦いと、陰謀にまみれた生活ばかりだったためか。
何にせよ、美しく、可憐で、優しいミュリーにあそこまで想われるのはリゲルとては望外の幸せ。
やがて――。
夜も深まり外でフクロウが鳴いていた時。
トントントン、と。
ふいに、ドアが優しく叩かれたことに気づく。
「……誰?」
「あの……わ、わたしです……」
薄目で振り返って見れば、聴こえてきたのは『ミュリー』の声だ。
リゲルは即座にベッドを離れ、ドアをゆっくり開けてあげる。
「どうしたの?」
「あの……その……」
銀色に輝く髪を揺らして、わずかに頬を染めるミュリーは、美しかった。
薄桃色のパジャマという質素な格好。それが彼女の可憐さを引き立て、リゲルの内に強い愛情を深めさせる。
「もしかして、眠れないの?」
「は、はい……その……今日のことがあって……」
無理もない。当のリゲルも激戦に次ぐ激戦(修羅場)だったのだ。ミュリーも心休まる時などなかっただろう。
けれどそれで寝付けるかというと、あの騒動があっては眠れというのも難しい。
「色々考えてしまうと眠れなくなって……だから今日はその……一緒に……」
持ってきた枕を抱き締めながら、彼女は告白をするように、赤い顔で。
「その、一緒に……寝てくれませんか?」
リゲルは、くすぐったいような、甘酸っぱいような、優しい気持ちに満たされた。
「ああ、うん。……もちろん」
「――ありがとうございます。失礼します」
恥ずかしそうに部屋に入ったミュリーは、それでも何度かためらった後、リゲルのベッドの縁に手をかける。
「……温かいですね」
「あはは、僕が寝ていたからね。でも嬉しいよ。眠れないのは僕もだったから。同じ気持ちになっていたのは、凄く嬉しい」
「そうなんですか?」
大きな枕を抱きながら、ミュリーは静かに布団の中へ体を入らせる。
同じ布団の中だから、当然、リゲルの体温も感じられる。
距離も近く、互いに温かい息を吐いている事に赤面しつつ、同じ布団に身を包んだ
「わたし……いま、すごく幸せなんです」
数分もした後、ミュリーがふと呟いた。
「孤独だった自分が終わって、大切な場所で、大切な人が出来て……安心できる人とそばにいる。それだけの事なのに、凄く嬉しいんです」
「……うん、判るよ……」
ミュリーは静かに語った。
「わたしは今まで独りでした。封印されていた時から、寂しいと思った事はありませんでしたけど……今後どうなるのか、どうすればいいのか、そう思ったことは何度もあります」
「……うん」
「だけど、わたしにはリゲルさんという大切な人が出来ました。安心できて、凄く満たされる気持ち……こんな気持ちは初めてなんです。だから、今が幸せで、とても嬉しい」
「……僕も、君がいてくれて嬉しいよ」
可憐な笑顔を浮かべてくれて、何かあれば親愛のこもった声を向けられる。
たったそれだけの行為が、なんと幸福で、大切なことだろう。
かつて、《錬金王》アーデルに裏切られた時、リゲルは絶望した。けれどミュリーと会い、様々なやり取りを経て、幸福に至っている。
不幸を忘れさせてくれる――本物の幸せを得た。
「わたしは、この幸せを逃したくありません」
静かに、それでいて決意のこもった声音でミュリーは言う。
「今まで、わたしは不安定な立場でした。……今も、それは変わらないと思います。でも、リゲルさんという、大切な人が出来ました。ずっと、貴方と一緒にいるために、わたし、行動していきたいと思います」
「うん……」
その気持ちはリゲルも同じだ。かつて仲間と思っていた剣聖に裏切られ、地獄を見て、だからこそ平穏の大切さを知った。
そして安心出来る人と過ごせる時間が、かけがいのないものだと知った。
その大切さを、見に染みて知った。だからこそ、リゲルも今の幸福を大事にしたいと思う。
幸せは、たぶん少しのきっかけで手に入れられる。
けれど、幸せを掴み続けるのは難しい。
それは、ちょっとしたきっかけで、すぐに離れていってしまうから。
薄くて、儚くて、けれど大切な時間――今という幸せを、リゲルもずっと守りたい。
「だから、口に出して言いますね」
「……うん」
「わたし、怖がりだから、口にします」
「ミュリー……」
言うと、ミュリーは横に向き直り、リゲルの瞳を見つめて言った。
「――わたし、リゲルさんのことが好きです。だからずっと一緒にいたいです」
静謐な空間で響く、淑やかな響き。けれどその中にこめられた想い。
それは、何より強く、気高かった。
かつて孤独に陥って、未来に不安を覚えて。けれど幸せな時間を掴んだ少女の、はっきりとしたその決意。
リゲルが、真っ直ぐな瞳に、真っ直ぐな気持ちを込めて応えていく。
「――僕も、君が好きだ。君の笑顔や、向けてくれる言葉、みんな、みんな好きだ」
それは、偽りのない気持ち。かつて何もかも失ったリゲルだからこそ発せられる、本心だ。
「だから、いつまでも一緒にいよう。もう離したくない、ミュリー」
そう言うと、ミュリーは優しく抱きついてきた。
パジャマ越しに伝わる、暖かな体温。
とくんとくんと……静かに、けれど安心するかのように鳴る、心臓の音。
至近で見つめる少女の瞳は、天上の星々のように綺麗で。だからこそリゲルは、彼女をこの上なく愛おしいと思った。
「――誰にもこの平和は壊させない。だから一緒にいよう――ミュリー」
そう言って、リゲルは自分の唇を、少女の唇に重ね合わせた。
甘く、優しい香りがした。
同時に柔らかく、熱い鼓動を感じるさせる。
静けさに満ちた薄暗い空間の中、月明かりの射す部屋で、二人はしばし見つめ合う。
「……ん」
どちらともなく、唇を離し、もう一度重ね合わせる。
今度はより長く。ちょっとだけ呼気を送るように。
目を開けて距離を取った彼女は、美しく、けれど少しだけ艶めかしかった。
「う、ふふ……」
「あはは……」
気恥ずかしさを誤魔化すように、二人とも笑って、両手を握り合わせる。
布団の中でぴったり重ねられたそれは、何より二人の心情を伝え合っていた。
「リゲルさん……」
「ミュリー……」
やがて。フクロウの声すらも途絶え、完璧な静寂に満ちた中、ミュリーは語った。
「あの……今日は、本当にお疲れ様でした。……おやすみない」
「うん。明日からまたよろしく……ミュリー」
ミュリーは笑ってそう語る。またリゲルも、柔らかな笑顔でそう応えたのだった。
数分後。
うとうとと寝床で意識を失いかけていたリゲルは、ふとした音に身を起こした。
トントントン、と、音が響く。
「……誰?」
「あの……わ、わたしです……」
その声は柔らかで、どこか恥ずかしさも含んでいた。
先刻聴こえたものと、全く同じ響きのものだった。
「え、あ……え、ミュリー?」
「は、はい……」
ドアを開けると、そこには銀色に紅い瞳の少女。
『ミュリー』だ。
「……ええと」
「あの……今日はその……色々あって……眠れなくて……申し訳ないですけど、リゲルさんと一緒に寝たいと……」
そう言って、ミュリーはリゲルの『ベッド』の方を見た。
すると当然ながら、先程までリゲルと語り合っていたミュリーが布団の中にいる。
「え……あの……え、あれ……?」
「――ちょ。ちょっと待って。え、あの……ミュリー?」
リゲルの額に、一気に大量の冷や汗が出た。
何だこれは。
先程、リゲルはミュリーと心通じ合わせ、優しい時間を過ごしたのだ。
そして、今度は自分の方からキスをした。
それはいい。そこまでは良い。
けれど。
「あの……もしかして、お邪魔でしたか……?」
「いやあの……っ!?」
ミュリー――正確には、月明かりと、深夜という時間帯のせいで、リゲルには『どちらの』ミュリーか判らない少女が、気恥ずかしそうに言う。
「さっきは困らせてしまったので……そのお詫びも兼ねて、リゲルさんと寝たかったのですが……」
リゲルは高速で思考した。
先程、キスをしたミュリーは一体どちらの彼女だろう?
月明かりの差し込む中、リゲルは冷や汗をかいたまま問う。
「あの……先に僕の部屋に来たミュリー……君はどっち?」
もしも同じ姿の少女に好かれたどうすれば良いのか。
これはそんなお話でした。
いや、その後の修羅場とか色々ありそうですが。
いやその前に前回との落差あり過ぎだよと思った読者の皆様、すみません。シリアスが続くとどうしても甘酸っぱいシーンが書きたくなってしまい……
これどうかな、いいのかなと思いつつも書いた経緯があります。
もし意見や感想などあれば本編にフィードバックしたいと思っております。
次回、更新は日常パートとなります。リゲルの末路……ではなく、対策をお待ち下さい。