第七十一話 希望のことば
――炭鉱夫ベリッドにとって、娘たちは宝だった。
若くして亡くなった妻に似て、優しく、器量の良い娘たち。
成長すればきっとさらなる美人になるだろう――そう信じてやまなかった至宝。
炭鉱夫という安月給の清貧暮らしだった、それでもベリッドは慎まやかな生活の中で、幸せを得ていた。
けれど。
それを奪った領主は許せない。
娘たちの命を奪い、その輝かしい未来を壊した彼を許す事など出来はしない。
討ちから湧き上がる、どす黒い感情がベリッドから溢れ出ていった。
それを意志の力では止めることは叶わず、ただ激情のままにベリッドは内心で叫んだ。
――領主が憎い! 領主が憎い! 領主が憎い!
――領主が憎い! 領主が憎い! 領主が憎い!
そう、濁流のように。
狂気を呼び寄せるという、『青魔石』が自分を侵食するのが判っていた。けれど、ベリッドは内にある、どうにもならない悲しみと恨み、そして怒りに身を委ねるしかなかった。
目の前で罪もない人々が吹き飛ばされていくのを、笑って見ていた。
眼前で幼い子が泣きはらし、誰かを呼ぶ声を、愉快だと聴いていた。
そのどれもがベリッドには他人事で、罪悪感など浮かばず、ただひたすら『青魔石』――《ジェノサイドワイバーン》の力に魅入られ、自分を抑える事が出来なかった。
――不幸な人間がいる? 知ったことか。俺の方が不幸せだった。
――罪もない人々を危機に陥らせていいのか? 関係ない、俺は幸せをぶち壊す権利がある。
そう思っていた。
いや、理性の欠片は『それは駄目だ』と必死に叫んでいたが、その数千倍もの『憎悪』『激怒』『失望』が暴力という形で現れていた。
《ジェノサイドワイバーン》という圧倒的な力を得て、『破壊する側』へ変じたベリッドは、それまでの仕打ちを返すかのように、暴力をひたすら振りかざした。
八つ当たりを超えた暴挙――そう叫ぶ自分の良心を押しのけて。
ただ、『大切な娘たち』を奪った領主と、『この町滅ぶべし』という危険な思想が彼を支配していた。
娘たちが生きていて、それを知ったらどう思うか――そんなこと考えもしなかった。
いや、考えはしたが、もう娘たちが帰らない事を思うと、自暴自棄の感情が、全てを破壊し尽くせと激情を呼び起こした。
「殺してヤル! 壊してヤル! 全て領主が悪イ、この世全ての悪たる元凶ハ、死スべシダ!」
もはや、目の前の少女と領主との区別も難しくなった。
鋭き風の力が、《ジェノサイドワイバーン》の力が罪もなき少女を斬り殺そうとした、その時だった。
『絶対的な英雄』が、それを阻んでくれた。
「ベリッド、君はこんな形で町を滅ぼしていいわけがない。罪は償わなければならないだろうけど、その『失意』は皆に理解してもらえるだろう。だから――」
戦いながら、『英雄』の圧倒的な力に翻弄されながら、狂った思考の中でベリッドは思っていた。
「(――俺ハ、誰カに停めて欲しかっタ)」
領主を倒すという目的のために使った『青魔石』が、いつの間にか町そのものを破壊するという目的にすり替わってしまった光景。
もはや災厄と名の暴竜そのものと化したベリッドは、暴走を止めて欲しかった。
だから、現れた『英雄』の少年の力を目にしたとき、歓喜した。
けれど、それと同じくらい『邪魔ダ』と思う自分がいた。
暴走した自分を、止めてほしいと願う善なる心の自分と。
全てを滅ぼす、そんな暴走を阻む英雄を殺すという悪なる心の自分。
矛盾した二つの心を持つベリッドは、それでも良心の呵責に苛まれながら最大最強の力を放った。
町一つ、焼き尽くさんばかりの紅蓮の熱線。
濛々と火柱は立ち上がり、大地が震撼するほどの一撃。
けれど、それでも『英雄』とそのパーティは生きていた。
だから、小さな喜びを得ると共に、巨大な怒りをも覚えたベリッドは、全身全霊、最後の一撃を放った。
――本来なら、それで決着はついたのだろう。
《ジェノサイドワイバーン》の力は無敵。
ただの人間に御しきれるものではなく、英雄だろうとなんだろうと、その力の前には全てが焼き尽くされる――そのはずだった。
けれど。
少年は、『英雄』たる彼は、白亜の天馬といくつもの魔石、名剣を手にしながら戦った。
「愛する人を失った悲しみ。それは確かに苦痛だと思う。でも、こんな形で娘さんとの思い出の場所まで吹き飛ばしたらだめだ。それこそ、貴方の娘さん達は、悲しむと思う」
――そう、言ってくれた。
だから、たとえ現実として娘たちは遺体となってしまっても、その思い出は残ると。
誰でもない、ベリッド自身の中に残ると、彼は語ってくれた。
娘たちとの大切な思い出が、血塗られたものに変わっても良いのか?
それで後悔はないのか?
――良い訳がなかった。
その瞬間、自分が間違っていた事をベリッドは自覚した。
そして《ジェノサイドワイバーン》の力が急速に衰えていくのを感じる。
撃ち放った熱線の威力が弱まる。憤怒や絶望といった感情が薄まる。
『青魔石』は、人の負の感情を糧にする。その原理に基づくなら、この瞬間――ベリッドは敗北し、そして救われたのだ。
最後――『英雄』の一撃を受けるその瞬間。
ベリッドは、確かに、感謝の念を彼に抱いていた。
――俺に人の心を取り戻させて、ありがとう――と。
† †
紅蓮の火柱があちこちに立ち上っている。鼻をつくのは火花の匂いと、焼けた街路樹、建物、路傍の瓦礫の臭いだ。
むせ返るほどの熱気にまみれた町に無事な場所などない。
どこもかしこも爆熱の猛威にさらされた跡がある。
――そう、跡だ。
すでに、元凶たる《ジェノサイドワイバーン》、驚異の『青魔石』を持つベリッドは沈黙し、元の人間の姿に戻っている。
すすけた肌、痩せこけた頬、領主に傷つけられた幾多の傷の体――『半魔物化』した姿ではない、人としての姿。れっきとした人間のベリッドがいた。
「おれ、は……」
回らない舌を必死に回し、かすれがちな声に顔をしかめると、ベリッドはようやく言葉を口にした。
「俺は……生きているのか……?」
周囲に人影は一つだけあった。
柔らかに伸びた髪と、しなやかな肢体。無駄な肉を削いだ体。戦士として完成された姿。
自分を倒した『英雄』――リゲルだ。
「なぜ、俺を生かした……?」
「貴方に死なれると『青魔石』の情報が引き出せません。それに、人殺しは僕の性にはあっていない」
リゲルは、朽ちた瓦礫ばかりの光景の中、凛とした佇まいで言った。
「それに、貴方を殺せば貴方の娘さんが悲しむ。そう思ったから、捕縛で留めました」
言われてベリッドは、自分が『鎖』で縛られている事に気づく。
それもただの鎖ではない。何らかの効力を帯びているのだろう、魔力を秘めた鎖だった。
「それは……感謝、すべきなのか?」
「どうでしょう――貴方を倒せという人も、中にはいるかもしれません。町は壊滅的な打撃を受けました。再興には時間が掛かるでしょうし、嘆き苦しむ人もいるかもしれない。でも、僕はそれでも貴方を生かすと決めました」
「……なぜ?」
かすれがちな声に、かろうじて力を込めながら、ベリッドは尋ねる。
「俺は、『青魔石』の誘惑に屈してしまった。この町をこんなにした罪は、命がいくつあっても償いきれない。お前――いや、君には、俺を裁く権利があるはずだ」
「違います。今自分で言ったじゃないですか。命がいくつあっても償えない――それなら僕が裁いたところで意味はないです。それに、僕は人殺しは可能な限りしない主義です。さらに言えば、『青魔石』は人を狂気に陥れる魔石です。あの時の貴方は……『普通の状態』ではなかった。そんな人間を殺す気は僕にはありません」
「……。はは」
力強い、真っ直ぐな言葉だった。
これまで、どれほどの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
屈辱と、苦難と、苦痛と。
それだけの苦労を重ねた重みがある。
知らず、ベリッドの内に、感銘にも似た感情が湧き上がる。
「俺は……自分の感情に押し流され、『青魔石』という禁忌の力を使ってしまった。――それでも、許すというのか?」
「許す、という権利は僕にはありません。被害者ではないですし。……あるとしたら、町の人々です。僕はあくまで『青魔石』の驚異を排除しに来ただけです。その後の処遇を決める立場にはありません」
「君は……」
言いかけて、ベリッドは言葉に詰まった。
「……とても、強い人間だな、君は」
「どうでしょう……単に、貴方へ同情できるところがあるからかもしれません。僕は、自分と貴方に近しい部分があると思いました。だからこうして話していられるのかもしれません」
「同情……?」
「娘さんたちを、亡くされたのでしょう? 『大切な人』が害される痛みは、僕もよく判っています。怒りも。悲しみも。過去に似た境遇を経たからこそ、僕は話が出来ているのだと思います」
「……そうか。それは、そうか……」
少年のすすけた顔や髪を見つめながら、ベリッドは思った。
彼は聖人君子なわけではない。『経験』という痛みを経て、ベリッドを理解出来る土壌があったからこそ冷静でいられるのだ。
それは口にすれば簡単なことだが、実際にそう口に言えるだけの胆力を持つ人間をベリッドは知らない。
これが――噂に聞く『青魔石事変』を終息させ、幾多の驚異を退けた人間の言葉なのだろう。
「俺は……これからどうしたらいい……? 何をして償えば……」
「当面はギルドに向かい、対応を受けてください。『青魔石』は回収しましたが、どんな影響があるか分かりません。僕はこの町の所属ではないので間接的な協力しか出来ませんが、可能な事なら手助けします」
「それは……ありがとう……」
全ての恨みや怒りを熱線に込めて発したせいだろう。
ベリッドは嘘のように凪いだ心境のままそう応答した。
青魔石の反動のせいもあり、力が入らない全身に気だるさを感じる。それでも自分の犯した罪を償うべく、立ち上がりかけるベリッド。
「あんまり無理に動かない方がいいです。――癒やしの力を。《ヒールスライム》」
瞬間、少年が手から魔石を発動させ、《治癒》の魔力を行使した。
魔石は低ランクでも希少だというそれを何の惜しみもなしに使う彼は何者だと内心驚愕しながら、ベリッドは尋ねる。
「一つ、聞いても良いか?」
「なんでしょう」
ベリッドは一つ深呼吸をして、覚悟を決めてから問いかけた。
「――『領主』は、今も健在なのだろうか? それとも俺の攻撃のせいで、死んだのか……?」
リゲルは、彼の瞳を真っ直ぐに見つめながら答えた。
「領主バルガードは、生存しているようです。けれど、家や妻、娘、主だった部下が全滅したとか。――以前と同じ生活を送るのは無理でしょう」
「そうか……」
――それは。
それはある意味で、『死』よりも思い罰を領主に与えたという事だろう。
ベリッドは(推測ではあるが)娘たちを殺したと目される領主バルガードを殺したいと思っていた。彼が妻と、子供と、部下と家を失ったということは、生きながら地獄を味わったという事になる。
だから、彼は以前の立場と境遇を維持出来ずにはいられない。
ただ坂を転げ落ちるように、惨めな未来を送る事だろう。
それは――以前なら『ざまあみろ』と言い切れた境遇だった。
けれど今のベリッドには、空虚な心が残るのみだ。
「復讐は――遂げられても、虚しいものだな」
「そうですね」
リゲルは短く応えると、続けて言った。
「でも、考え方次第です。これで領主バルガードの愚行は終わり、炭鉱町ビエンナは少しでもまともな町へと近づくはずです。民を力で圧制した者が駆逐される――この結果になったのなら、この町はもう大丈夫でしょう」
「町の、炭鉱夫たちは……俺が傷つけたかもしれないが……」
「僕の仲間が、被害を最小限に抑えました。今のところ犠牲者は出ていないそうです」
「それに……罪もない、人々の家屋を破壊してしまった……」
「でも、罪のない人々を追いやった『領主』がそもそもの原因です。貴方が気に病む必要はありません」
「……そう、か? そう言ってくれるなら、少しは救われるが……」
裏でも表でも相当な悪行を重ねてきただろう領主が、各方面から『仕返し』を受けるのは間違いない。権力を失った権力者は、破滅というのがこの世の理だ。
これで、圧政を強いた領主バルガードは滅びを迎える。
「ベリッドさん。貴方は今回、『青魔石』、《ジェノサイドワイバーン》で、町を壊滅まで陥らせました。その過程で多くの人々が家族や財産を失いました。けれどそもそも、『青魔石』は、人の負の感情を強制的に引き出し、暴走させる魔石です。それに取り憑かれた貴方が、『自分の罪だ』と言って後悔すれば、あまりに救いがない」
「それは……」
「だからその『元凶』を、摘み取るべきなんです。僕は、そのために行動を起こしています。その協力をしてくれますか?」
「元、凶……?」
この町の悲劇が。この町の災厄が、そもそも、もっと別の存在によって引き起こされた。
そんなこと、ベリッドは考えもしなかった。
「そうです。とある組織が『青魔石』を散布させ、各地で『暴走』を引き起こさせています。――ギルドの特例により、ベリッドさんは情状酌量の余地で、罪に問われる事はないでしょう。諸々の手続きは必要ですが、貴方も『被害者』なんです。だからこれからは、協力してほしい」
「俺は、俺は……」
恨みと怒りに負けて町を破壊した。
そんな自分が罪を償う資格があるのだろうか?
「ベリッドさん。『青魔石』は、使用者自体が悪いわけではありません。あれは災禍の塊――人を狂わせるものです。だから大丈夫です。一緒に探していきましょう。『元凶』を、倒すための方法を」
リゲルはそこで初めて、柔らかな笑みをたたえて言った。
その瞬間――ベリッドは、心の底から救われた。
年齢で言えばまだベリッドの一回り以上下、若造、と言われても仕方のない年だ。
けれどその瞳の奥には、ベリッドの味わったのと同等以上の『恨み』『後悔』『怒り』『苦悩』などが垣間見れる。
『大切な人』を奪われた――だから強く、揺るがず、そして、芯がある。
――手助けをしたい、と、そう強く思った。
しがない炭鉱夫の身ではあるが。妻子も何もかもなくした、三十過ぎのおっさんではあるが。この少年の『元凶潰し』に協力できるのなら、何でもしていこうと。
そう、強く願った。
「……ああ、判った。そうだな、君の言う通りだ」
ベリッドは、焼け爛れた建物の一角を見て言う。
「この惨状が俺の意志だけのものではない。『元凶』による悪意によって起こされたなら、俺もそれを潰す権利がある。いや、潰したい。今はまだ体が追いついていないが……落ち着いたら、君に協力しても構わないだろうか?」
「はい、もちろん。僕は『青魔石』を作り、暴走者を増やす元凶を倒すために戦っていますから」
「……ありがとう。――改めて、名乗りが遅れたな。私の名は【ベリッド】――炭鉱夫だ」
「僕の名は【リゲル】。『ランク黒銀』、特権探索者の一人です」
どちらともなく、手が差し伸ばされた。
それを、ベリッドは優しく握る。
硬い、いくつもの武器を握り、皮が分厚くなった手だった。
探索者が使う炭鉱道具によって培われた『炭鉱夫の手』とはまた違う。
幾多の戦いを生き延びた、『戦士』の手だ。
一見すると優しそうな風貌を持つ少年――けれどその裏の、とてつもない過去や力に驚きを覚えながら、ベリッドは、柔らかに言った。
「君に会えた良かった。傷が癒えたなら、協力しよう。『青魔石』の、元凶を潰すために」
「はい。その日まで、心待ちにしています、ベリッドさん」
そう言って、力をベリッドは片手に込めた。
返すリゲルの手は、労りと、感謝に満ちていた。
〈――良かったの?〉
数分後。ベリッドが迎えのギルド騎士によってギルド支部につれていかれた後。物陰から、少女の声が聴こえた。
幽霊少女のメアだ。
「うん、彼が『青魔石』の元凶を憎んでいることは判ったから。何らかの形で手助てしてくれるのは助かる」
メアやマルコ、テレジアたちは町の再興の準備や応援のため、一時的にリゲルのもとを離れている。
その中で、唯一時間が出来たメアが、気遣わしげに問う。
〈でも、『楽園創造会』との戦いに加わるということは、どんな形でも危険を呼び込むってことだよ? あの人にそこまでしてもらっていいのかな……〉
「僕もそれは考えたけど、『楽園創造会』は無差別に様々な地域へ被害を拡大させている。情報はいくつあっても足りない。それに、一度災禍に見舞われたからといって、もう『この町で何もない』とは限らない。
だから僕やレベッカさん――ギルドの目の届く範囲に留めるのが良いと思ったんだ」
〈そっか……そうだね〉
メアは複雑そうな顔で語った。
言ってしまえば、メアも『楽園創造会』に巻き込まれた被害者の一人だ。
《錬金王》アーデルに襲撃され、父と、自らの命を落とした。
メア自身は、幽霊として現世に留まっているが、それは強い未練が残っているため。
《錬金王》アーデルは『楽園創造会』の名を口にしていた。彼があの組織に関わっていることは間違いない。
リゲルもアーデルに大切な《六皇聖剣》の仲間を四人害された。
彼もメアも、ベリッドの心境を想像するのは難しくない。
〈なんだか、皆が『楽園創造会』の行いに巻き込まれてるね……〉
「そうだね、けれど、それに対抗していくしかないんだ、僕たちは」
思えば、この場にはいないマルコやテレジアもそうだ。都市ギエルダで『青魔石事変』で巻き込まれている。
誰も彼もが『楽園創造会』の思惑に踊らされている……それが不気味でもある。
「……一つの戦いは、終わった。でも、次の戦いが待っている」
リゲルの呟きに、強い風が吹いた。火事の臭いと、砕けた瓦礫の臭い。立ち上がった煙の混じった、戦火の残りの風。
多くの命が、人が危険にさらされた。それを許すことは出来ないし、してはならないだろう。
リゲルたちに出来るのは、何かを目論む『楽園創造会』へ対抗していく事、それだけだ。
「――さ、行こう。ベリッドさんの件はひとまずギルドに預けるとして、僕にはもう一つすることがある」
〈うん〉
リゲルは、メアと共にギルドの待機所の一つへと向かった。
そこへは――『もうひとりのミュリー』、今回の危機に先んじて向かっていった、『精霊』の少女がいた。
「あの……リゲルさん、すみませんでした。無茶をしてしまって」
ギルドの待機所。その一角にて。精霊少女ミュリー(二人目)がしおらしい表情でうつむきがちにそう語った。
「勝手に先走って、何も言わず……ごめんなさい」
「それはいいよ。結果的にこの町の人の避難誘導へと繋がったし。君のおかげで救われた人たちもいると思う。先走りとは思ったけど、非難する気は僕にはないよ」
リゲルが努めて笑って言うと、ミュリーは目を伏せて黙った。
「は、はい……」
「まあ、正直に言えば、僕に一言伝えてから向かってほしかった。結果的に間に合ったとはいえ、一歩間違えば君は《ジェノサイドワイバーン》のベリッドさんに殺されていた。それは判ってる?」
「それは……も、もちろんです……」
「もし、仮にそうなっていたとして、僕と……そして『一人目』のミュリーが悲しむだろうことは、判ってるよね?」
「はい、それは……」
言葉少なげに、目を伏せたまま唇を引き結ぶミュリー。
「僕は、一人目のミュリーも、二人目のミュリーも、守るべき相手だと思っている。今回のように緊急の事態だったとしても、一人で危険な場所に向かうのは控えてほしい」
「それは……でも、私は……! 私は、『偽者』かもしれないんです! 私は『楽園創造会』が創った、貴方を惑わすための道具かもしれなくて……っ、だからこんな『姿』と『記憶』をしているのかもって……っ!」
「ミュリー……」
二人目のミュリーは、決壊したダムのように感情をあらわにする。
これまで、抱えていた不安。怯え。そうしたものを吐き出すかのように。
「怖かった……とてもとても怖かったです……。私の記憶と、『一人目』の『私』の記憶のうち、『私』の方に矛盾があると判った時点で、凄く怖かった……! 『一人目』の私には、リゲルさんとの大切な思い出がある。けれど! 私には欠落した部分の思い出しかない。照らし合わせれば簡単に矛盾が判る不完全な記憶! だから……! 私は普通じゃない……! 『楽園創造会』によって創られた『偽者』なんじゃないかって……何度も、何度も、思って……怖くなって……だから……っ」
今までずっと一緒にいた『一人目』のミュリーと、突如現れた『二人目』のミュリー。
比較して、どう見ても怪しいのは『二人目』だった。
目の前で叫ぶ、彼女の方だ。
記憶はある。部分部分では合っている。リゲルの激戦も、リゲルとの楽しいやり取りも、恥ずかしい思い出も、一つ一つは正確だ。
けれど、それが全て事実となると、目の前の『二人目』のミュリーに矛盾が発生してしまう。
『一人目』のミュリーは《迷宮》で、リゲルが発見、保護。契約した。
封印されていた影響で病弱で、だからこそベッドから離れられなかった。
けれど『二人目』のミュリーは記憶こそ同じだが、外を出歩けるほどの健康体だった。
その時点で矛盾は生まれている。
ミュリーは『虚弱』だから祈るしか出来ないのに、町に向かって誰かを助ける事が出来ている。
その時点で目の前の『二人目』が『一人目』とは別人で、少なくとも普通の存在ではないことは証明してしまっている。
かつて『青魔石事変』のとき、あれを引き起こしたのは暗部組織、『楽園創造会』だ。
だから、『楽園創造会』がリゲルを陥れるため、さらなる『手駒』として創り出したのが目の前の『二人目のミュリー』ではないと、誰が否定出来るだろう?
リゲルは爆弾を抱えているようなものだ。
例え、『楽園創造会』が創った偽者ではないとしても、『矛盾』を擁した存在であることに違いはない。
「私の中にはたくさんのリゲルさんとの思い出がある……! でも、それは矛盾している! 私は『本当の』ミュリーじゃない! 誰が、何のために用意したのか、誰を陥れるために創られた者なのか、それすら何も判らない! ……判らないのは怖いです……! だから……だから……っ、一旦リゲルさんと距離を置きたくて、思わず都市を飛び出して……」
この町に来れば、ひとまずは『嫌な不安』は忘れていられるから……!」
リゲルは言葉に詰まった。
そう、彼女の立場に照らし合わせれば簡単な話。
『二人目』のミュリーは、アイデンティティーを揺るがされていた。だから不安になった。そこへ《ジェノサイドワイバーン》の青魔石でベリッドが暴れた。だから向かった。
簡単な話だった。彼女は危機的な人々を救いたいのと同時に、『今の自分の不安を忘れたい』ために自分の危険も顧みず、この炭鉱町ビエンナへ向かった。
それが事の真相。
『二人目』のミュリーの立場。
「――」
リゲルは、目を瞑り、ふと思う。
彼女は、『二人目』のミュリーは、おそらく『楽園創造会』の用意した手駒なのだろう。
タイミングとしても、その精度としても、あまりに出来すぎ、リゲルを陥れる『駒』だとしか考えられない。
けれど、彼女自身にリゲルを害する気はまるでなく、逆に『ミュリー』として危機にある人々を助けに町に向かう気持ちがあった。
それは本物の感情だ。
――思えば、彼女と初めて会った場所も、『青魔石使い』に破壊された町だった。
そこでは、彼女は人々の避難誘導に加わっていた。
『二人目』のミュリーが、本質的に勇敢で、優しい少女なためだろう。
それが仮初めのものであっても、何らかの手段で植え付けられた性質だとしても。
今の彼女を、否定する材料にはならない。
「僕は――」
静かに、リゲルは語った。
「正直、僕は君のことを安全な存在だとは思っていない。いや、十中八九、刺客だと思っている」
「なら……っ」
「でも! 危険だからと言って、遠ざける理由にもならない。――知っているよね? 僕は『楽園創造会』によって、すでに手痛い目に遭っている。復讐したいという気持ちも持っている。ならその刺客の可能性がある君を、そばに置くことは、リスクもリターンも同居しているということだ。それは否定しない」
「だったら……っ」
リゲルは彼女に歩み寄る。
決して彼女を怯えさせないよう、不安にさせないよう、優しく、柔らかに、表情を和らげて。
「『楽園創造会』は強敵だ。なかなか尻尾を掴ませない。でも、これは危険であると同時に好機でもある。君が何者であれ、鍵の一つには成り得る。僕は好機を逃す気はない。ユリューナの時と同じだ。君は数少ない、『楽園創造会』への鍵なんだ。奴らを捉えるきっかけを、見逃すことは出来ない」
「で、でも……!」
ミュリーは耐えきれず叫んだ。
「私がいれば、皆さんに迷惑が掛かることに……っ」
「すでに都市ギエルダは被害に遭っているよ。もう一度防げばいいだけの話だ」
「……皆さんを、後悔させるかもしれません……」
「逆に言えば、君を手放した場合、『楽園創造会』に至る鍵が一つ減るかもしれない」
「でも……でも……っ」
リスクはもちろんある。
『楽園創造会』が創った刺客だというならば、彼女がいずれ牙を剥き、リゲルに襲いかかる可能性は捨てきれない。
けれど同時に、それは『楽園創造会』の情報を得る貴重な機会でもある。
そして、同時に彼女がいたことで救われた人々もいる。彼女がいなければ死んでしまった人々もいる。
ならば、当面の間、彼女を保護しようとリゲルは思う。
ベリッドの時のような『青魔石』の被害者を増やさないためにも。
さらなる犠牲を増やさないためにも。
何より、好きな少女のミュリーと、同じ性質と姿を持つ彼女のためにも、リゲルは語る。
「――大丈夫だよ」
優しく、リゲルは彼女の手を取った。
「もう僕は、何度も修羅場をくぐり抜けた。命や、誰かの身を脅かす相手にも会った事がある。それでも、その全て退けてきた。――だから、断言しよう。僕は僕へ降りかかる災厄に屈したりしない。……もちろん、一時は戸惑うときや、迷う時もあるかもしれない。けれど、その度に勝利して、必ず乗り越える。僕一人では無理かもしれないけれど、僕には『ミュリー』がいる。『メア』も、『マルコ』も、『テレジア』も。心強い味方がいる。――負けはしないよ。これまでも、そして、これからも」
「……リゲル、さん。リゲルさん……っ!」
目尻の端から、涙がぽたぽたと溢れていく。
それは、孤独だった少女が、孤独から脱却した瞬間。
受け入れられる場所がなかった少女が、変えるべき場所を得た、その瞬間。
偽者かもしれない、正体も判らない少女は、それでも受け入れてくれる少年を前に、涙し、そして震え、胸を高鳴らせた。
だから。
ぎゅっと。
リゲルは、優しくその体を抱きしめてみせた。
「リゲルさん……?」
「後悔なんてしない。自分が災難にみまわれるとか、後悔するかもとか、悩むのは馬鹿らしい。だって、もうすでに色々経験したんだよ? 何を今更って感じだ。それより、ここで君を放り出し、知らぬ存ぜぬで、また毎日を繰り返す方が苦しいよ」
「リゲルさん……っ」
少女は、はじめ戸惑っていた。
けれど抱きしめるリゲルの感触に、嘘も偽りもないと知り、その言葉が心の底からのものだと知って、その目尻から涙が止まらなくなる。
「私……一緒にいてもいいのでしょうか?」
「もちろん。僕がそれを選んだんだよ」
「私……私……っ」
優しい言葉をかけられた少女は、だから、もう、悩むことをやめた。
素直な、自分の気持ちだけが、その中に残っていく。
「私――リゲルさんと一緒にいたいです……っ」
「うん。喜んで」
リゲルの口元に、微笑みが浮かんだ。
「そして――改めて、よろしくね、ミュリー。……あ、『一人目』の彼女と被ってしまうから、そうだな、呼び名はまた考えるとして……。ともかく、これからよろしくね。――そして、ありがとう。真っ先にこの町の危機に向かってくれて」
「あ……」
涙に濡れた少女の目の縁が、ますます涙で溢れていく。
「君が急いで向かったから、救えた人たちもいる。それだけは確かだよ。だから――」
もう止まる理由などなかった。もう我慢しきれなかった。
孤独で居場所のない存在だと思っていた少女は――少年の優しい言葉に心打たれ、力強く、抱き締めた。
そして、あふれる親愛の感情と。
感謝を込めて。
リゲルの唇に――二人目のミュリーは、自分の唇を重ね合わせた。
お読みいただき、ありがとうございます。





