第七十話 虐殺の竜を越えて
〈貫けぇぇっ! 『烈剣クロノス』! 『酒剣バッカス』! 『魔剣ネメシス』!〉
戦闘が開始されたと同時、メアが叫びを上げた。
レストール家の名剣、《六宝剣》が怒涛のように《ジェノサイドワイバーン》使いへと殺到する。
音を斬り裂き、空へ閃き、大気を穿つ。
その勢いはまるで閃光の如く。
強靭な強さを誇る《ジェノサイドワイバーン》使いが身震いした。
左右前後ろ斜めを包囲した宝剣は、真っ直ぐに狂気の『青魔石使い』へと迫り、その肩、腕、脚を浅く抉る。
しかしそれで《ジェノサイドワイバーン》使いが倒れるはずがない。
咆哮と共に《ジェノサイドワイバーン》使いが跳ぶと、その瞬間に傷口が再生していく。
「竜種特有の能力、『超再生』だ、来るよ!」
リゲルの叫びの後、大気を爆裂させ、一直線に飛び出た《ジェノサイドワイバーン》使いが、司令塔であるリゲルへと肉薄する。
直前に、リゲルは魔石を投擲――《ゴーレム》、《ウォールガーゴイル》、《シールドタートル》――防御に秀でた魔物の力を具現化し、多数の盾を創って防ぐ。
竜の力と守りの力大音響を呼び起こし、轟音が辺りを蹂躙する。
砲弾のように飛び出した《ジェノサイドワイバーン》使いと、リゲルの魔石の障壁が激闘した猛威。
爆圧と共に《ジェノサイドワイバーン》使いが高く跳躍し、再攻撃を試みる。その高さ、鋭さ、もはやただの人間では成し得ない――狂顔に表情を歪め、獣の如く吠える様はまさに魔獣の域だ。
「情報によると、敵『青魔石使い』の名前はベリッド――この町の炭鉱夫で強い恨みで『青魔石使い』となった。風と炎を操る飛翔型の魔物の力だ、皆、方位して打倒するよ!」
リゲルの声掛けに、仲間たちが応和する。
メアが、マルコが、テレジアが、それぞれ武具を持ち突貫する。
メアが《六宝剣》を円状に配置させ一斉発射させ、マルコが牽制のナイフを投げた。音速も軽く突破した宝剣と投げナイフが音の壁を破る大音響と共に、ジェノサイドワイバーン使い改め――『ベリッド』へ迫る。
常人なら視認もままならない剣閃に、ベリッドは完璧に対応してみせた。まず『烈剣クロノス』を手の甲で弾き、『酒剣バッカス』と激突させると、次の『魔剣ネメシス』を蹴り技で迎撃する。マルコの投げナイフは腕の一振りで蹴散らされた。
驚くメアをよそに、《ハイシールダー》のマルコが肉薄する。直前にリゲルの《ハーピー》の力で『敏捷アップ』の加護を受けた猛進だ。かわせるわけがない。メイスの一撃――致命打を与えられるはずの速度とタイミングは――。
それも、ベリッドは対処した。横目で確認するや手に《風》を生み出し迎撃。指向性の『槍』めいた鋭さの『風』はマルコを吹き飛ばし、続くテレジアの投げナイフをも簡単に弾き、砕いた。
「くっ! 接近戦も中距離戦も隙がないわ! 流石、迷宮八十階層以降の化け物ね!」
下がりつつももう一度投げナイフを放ちテレジアが苦言を呈する。
ベリッドの操る『青魔石』、その元となった《ジェノサイドワイバーン》は、迷宮八十階層以降に住む超越竜だ。
強固な鱗に俊敏な動き、並みの探索者たら遭遇する事も叶わず、出逢えば惨殺は免れない暴竜。
それを相手に、致命打を受けず奮戦できているだけでも行幸な状況。
〈動体視力が高すぎて、あたしの《宝剣》が当たらない! 誰か隙を作って!〉
メアの悲鳴にリゲルが応じる。
魔石を発動――《アイスニードル》、《アイスオウル》、《フリーズベア》など氷属性の魔石を連発する。
空気凍らせる氷気。凍てつく大気。それを前に――ベリッドは手から猛炎を発した。
冷気と相殺する猛烈な攻撃――その直後、リゲルはさらに《フリーズニードル》、《アイスエレメント》、《フリーズゴート》の魔石を乱発。家屋を一瞬で凍らせるほどの冷気を出現させる。
しかし、それすらもベリッドは猛炎を吐き出し続けて相殺する。いや、冷気が押し負けて空中へ霧散し、紅蓮の猛火が波濤となってリゲルへ殺到する。
〈り、リゲルさん!〉
とっさに叫んだメアをよそに、リゲルは冷静に対応した。
《加速》系の魔石を発動――《ハーピー》、《ハイハーピー》、《ホブハーピー》……三種類の飛行系魔物の力を得て短時間だが『飛翔』する。
しかし、それすらも予期したかのようにベリッドは先回りする。
リゲルの進路上、跳躍するや風の刃を生み出すと、射出――リゲルが転移短剣バスラで迎撃するが、『風の刃』は一発一発撃つごとに威力と速度が増していく。
「――っ、空中戦に完全に手慣れている。それに、威力が時間が経つごとに増している。――マルコ! 背後から強襲して!」
リゲルは《マタンゴ》の毒胞子で時間を稼ぎ、距離を取り、味方の《ハイシールダー》に命ずる。
直後、重量十何キロもあるカイトシールドを携え、マルコがベリッドの真後ろから叩きつける。
しかし、『風』を操るベリッドは背後に風の壁を作り出すと防御、何者も通さない盾で防ぎ切る。
「駄目です、通らない!」
「いや、動きが止まれば隙が出来る。――メア、『宝剣』を使って! ――地に連なる神の力を! 《アースゴーレム》、《グラビティスピリット》!」
メアが《六宝剣》を射出し、さらにリゲルは『重力』系の魔石を連発。
これは対象の重力を操るというものだ。これによりマルコの『カイトシールド』は何倍もの加重状態となってベリッドを襲う。
『風の壁』を用いても防ぎきれぬ重圧。加えてメアの『六宝剣』による猛撃。
勝った――。
一瞬、皆の頭にその単語が過ぎっても無理はないだろう。
しかし。
「アア、おアア、オオァァアアアアア――ッ!」
ベリッドが、獣の如く咆哮した。それだけで周囲の大気は爆裂しマルコが吹き飛ぶ。メアの『六宝剣』は吹き飛ばされはしなかったが方向をずらされ明後日の方角へ弾かれてしまう。
腐ってもベリッドの持つ『青魔石』は《ジェノサイドワイバーン》。
虐殺を司る名の驚異の魔物。
その力は風を操り炎を操り天空を支配する。すなわち膨大な大気を有する空間で、それに適う者などいない。
「アイナ……エリーナ……お前たちだけが俺の希望だっタ! それヲ奪った奴は許せなイ。絶対に、ゼッタイに! 絶対にダ! おオ! オおオアアアアッ!」
旋風の如くベリッドが回し蹴り――それだけで周囲一帯五キロメートルが、猛烈な突風によって吹き散らされた。咄嗟にリゲルは《ウインドトーテム》、《ホブゴーレム》、《ハイガーゴイル》ら『風』や『壁』に適した魔石を使うが、仲間たちはそうもいかない。
メアは突風で吹き飛ばされ、マルコは盾ごと大きく弾かれ、テレジアに至っては建物に激突し、大きく吐血した。
「かはっ、うう……っ」
持っていたメイスを取り落し地面にうずくまるテレジア。
咄嗟に彼女は《回復》魔術を唱えるが完全回復には至らない。
「テレジア! ――今《治療》の魔石を使う! メアとマルコ! 君たちは僕が呼び寄せる! テレジア、一度防護の魔術を――」
「不要よ! それより、リゲルさんは『ミュリー』の保護を優先して! あたしは《ハイヒーラー》! 死んでも攻撃は耐えてみせるから! 目の前の女の子を護りきって!」
確かにこの場で優先すべきは『二人目』のミュリーだ。
彼女は今、リゲルたちの後方で震え上がっている。
だが、それでもテレジアの痛手は相当なもの。痛いだろうに、苦しいだろうに、それでもテレジアは己の役割を忘れない。
彼女は《高位治療師》。味方の傷を癒やし、護りの要となる。その自分が、真っ先に回復の対象となり守られる側であれば、ここに居る意味がない。
「――判った。君の自衛は任せる。――メア、ランダム射出攻撃を! マルコは僕の前で盾役に徹して! 僕は飽和攻撃でベリッドを仕留める!」
〈わ、わかった!〉
「――了解です!」
瓦礫の中から浮き上がったメアと、瓦礫を押しのけて姿を現したマルコ。
彼らに対し、リゲルは《トリックラビット》を使用――周囲にあった石ころと彼らの位置を入れ替え、即座に自分の周りに『配置替え』。さらに《ヒールスライム》の魔石で体力を回復させた。
メアが、『六宝剣』を構えランダムに宝剣を射出させる。マルコは《要塞》という戦技を使い、自身の体重と防御力を『数倍化』。完全にリゲルの盾となる構えだ。
リゲルの背後では救護対象である少女――『二人目』のミュリーが祈るような面持ちで戦いの推移を見守っている。
〈何度もあたしの宝剣を捌き切れると思わないで! 『烈剣クロノス』! 『災剣ケイオス』! 貫け、『界剣コスモス』!〉
猛烈な覇気と共に射出されたメアの宝剣が、時間差を置いて爆発的な速度で殺到する。
同時、リゲルは《グラビティオウル》の魔石を使用。ベリッド周囲の重力を二十倍化させる事で動きを抑制しようとするが――。
「なんだ……?」
「俺ハ……俺ハ……ッ!」
ベリッドが震える。加重され、メアの宝剣をかろうじてかわしながら、ぶつぶつと、怒りを溜めるように、呪詛を溜め込むように、その口に短い言葉を連ねさせていく。
「俺ハ……っ! 幸せがほしかっただけダ! 妻と子供ノいる家。ソレだけガあれバ、それで良かっタ。だが、ソレを壊したのは領主ダ! 俺は幸せヲ手に入れなけれバならなイ! オォ、オオッ! おおオオッ!」
「っ、いけない、全員、一旦下がっ――」
リゲルの声は途中で掻き消される。
直後、猛烈な勢いでベリッドは上空へと高く跳躍した。
《グラビティオウル》の重力二十倍化で加重されているにも関わらず、メアの『六宝剣』を体の至るところに受けながら、それでもベリッドの跳躍は止まらない。
高く。高く。高く――その先へ。人類が到達出来る上の、そのまたさらに先へ。
「上空へ逃げる気か!? でもそれでは『青魔石』の性質と乖離性が……っ」
『青魔石』とは、目の前にある者を虐殺するのが本能的な機能だ。それは『恨み』『嫉妬』『怒り』『悲しみ』……様々な『負の感情』によって暴走した根源的のもの。
だからベリッドが戦場から逃げることは『青魔石』の性質に反している――そもそも矛盾しているはずだった。
――しかし今、上空高く跳ぶベリッドの顔は、怒りに燃えながらも、怯えなど一変たりとも得ていない。
それは、怒りに満ちた相手が敵と距離を取る形相――反撃の覇気に溢れた激情の証。
「っ! まずい! 奴は何か切り札を使う気だ! ――貫け氷の針よ! 《アイスニードル》! 《アイスニードル》! 《フリーズニードル》! 間に合え!」
咄嗟にリゲルは氷系で速度に秀でた魔石を連発するが、それでもベリッドは止まらない。いや、命中してはいるが『風の壁』に遮られ、威力が減退されている。
ベリッドが、上空高くにまで到達する。
上空千メートル、さらに上を目指し、二千、三千、四千……『風』の力で自身を高く高く――どこまでも上へと上昇していく。
そして。
「俺をこんなにした領主が憎イ! 俺の娘を殺した全てが憎イ! 憎い者は根絶やしにしなけれバならナイ! それだけヲ俺は願っタ! アァ、そうダ、だからアアァァ――ッ!」
ベリッドをとりまく、魔力が爆発的に増えた。その姿が、『人』から人成らざるものに――『魔物』の姿へと、徐々に変じていく。
やせ細った体は鱗ある身体に。血色悪い肌は強靭なる皮膚に。
そして爪は剣の如く鋭く伸び、背中には、蝙蝠のそれを何倍も凶悪化させた輪郭の『翼』を形成させていく。
それこそ、まさしく『竜』の顕現。
人を超えし災禍の具現。
今はまだ半端に人間の顔と形を保ってはいるが、まさしくそれは『人』がその境界線を越えかけた光景。
決して通ってはならぬ領域へと足を踏み入れたおぞまじきベリッドが、咆哮する。
「アアあ、アアアアァァ! あああァアアアアッ――!」
「『魔物化』っ!? いけない、メア! 『六宝剣』を!」
〈う、うん!〉
言われてすぐにメアが『六宝剣』を全力で飛ばすが距離が遠い。
それに、ベリッドは跳躍しながら――いや、もう翼があるためそれは『飛翔』だ――音の壁を突き破り、大気を裂きながら、高く、高く、上空そのまた上空へと飛んでいき――。
そして、口元に、膨大な魔力を込め始めた。
「――まずい! 全員、物陰に隠れて! 早く! ――護りの人形よいでよ!《アースゴーレム》! 《ハイガーゴイル》! 《シールドタートル》――」
咄嗟にリゲルが多数の防御型魔石を散布するのと。
上空高く渦巻く魔力が収束するのが重なり。
ベリッドの、口腔へと寄り集まった魔力は。
凝縮し、圧縮され。そして――。
轟音と共に、地上へ放たれた。
――。
――。
――。
それは。
まさしく炎の柱。
神話において、神が地上を根絶やしにした光景を思わせる紅蓮の光。
善を食い散らす魔の猛槍。
大気が、音が、何もかもが吹き飛ばされ、弾き飛ばされ。
直後。リゲルたちがいた数十メートル先に、それは突き刺さった。
爆音。
そして業風。
加えて熱波、衝撃波。
地表を猛烈な激風が荒れ狂い、爆心地を中心に大火の灼熱が一帯を焼き尽くす。猛烈な炎の槍は地上を轟音と地響きで満たされ、炭鉱町ビエンナそのものを激震させる。
閃光と爆風と、熱風に煽られて、リゲルは束の間、言葉を失った。
メアやマルコ、テレジアを守る魔石を追加で放ったが、それすら間に合ったか判らない有様。
だだ一つ判るのは、ベリッドが放った『熱線』の威力は圧倒的であり、それだけで地表のあらゆる建物――人――物質は吹き飛ばされる運命にあった。
意識があるのが奇跡とも思えるほどだ。
あれだけ多重発動させていたリゲルの《アースゴーレム》たちの護りが消失していた。
周囲にあった瓦礫の山がもろとも消し飛んでいる。
直撃点たる地面は巨大なクレーターが出来上がり、無数のひびがその威力を物語る。
立ち上る、猛熱と火花の嵐。
空中に踊るのは、死の匂いを振りまく熱線の残滓であり、ベリッドの怒りの片鱗だ。
――空高く上がったベリッドが、地上へ熱線を放った。
言葉にすればたったその一行の出来事だが、効果は激烈だった。
炭鉱町ビエンナは猛火の地獄と化し、大気が震え、地面が熱に包まれている。
伝説にある煉獄があるならば、まさにここがそうだろう。それほど辺りの光景は炎と熱で満ちており、凄惨に値する光景だった。
「なんて、火力だ……」
上空にいながら威力も減退させず、地上に激突させる。
爆炎と熱線。単純極まりない攻撃だがそれを実現させるにはどれ程の魔力が必要なのだろう。
『青魔石』は、人の負の感情を媒介に凶悪化させる魔石。ゆえに、その力は使用者の『怒り』『悲しみ』『恨み』の量に比例する。
猛火に覆われる町の惨状がこれだというならば、これはそのままベリッドの『負の感情』の現れだ。
虚しい、苦しい、憎い、許せない――そういった煮えたぎる黒い感情が彼の中で蓄積され、『熱線』として放たれたのが今の光景なのだ。
その事実に、リゲルは歯噛みする。
ベリッドの嘆きと、恨み、それらが一瞬で理解できてしまったから。
かつて、都市ギエルダでリゲルは数多の『青魔石使い』と戦った。
リット然り、マルコ然り、直接戦ったわけではないが、殺人鬼バセルなども猛威を奮ったと言う。
そのどれもが苛烈な攻撃だったが、ベリッドのこれは違う。
悲惨。
この惨状を示すには、そう表現する他はない。
苛烈という次元を超えている。激しいという光景を超えている。抑えきれない激情を溜め込み、怨嗟に溢れ、もはや『熱線』という形でしか発散できない状態が、今のベリッドの心情なのだ。
先程、リゲルは《マインドアイ》という魔石で戦闘中にベリッドの記憶を垣間見た。
『炭鉱夫など使い捨ての道具だ!』
『なぜ俺に命令する? 家畜めが!』
『おとーさん、無事に帰って来てね!』
『あああ、アイナ……エリーサ……っ』
その記憶は。
悪徳領主に虐げられたベリッドが、娘を殺され、心を病みどうにもならなかったという、悲劇の光景だった。
垣間見た数瞬の映像だけでも気が滅入る程だったことから、リゲルは彼の心情がどれほどのものかと想像する。
同情。
共感。
諦念。
浮かぶのは、そんな言葉ばかり。どれほどの苦悩を彼は味わったのだろう。どれほどの寂寥感が、無力感が、彼を青魔石を生み出す契機となったのか。
ベリッドの過去は悲惨そのものだった。
未だ、人の形を半分保っているのが不思議なくらいだった。
「ああアアッ! なゼ!? なぜ領主は娘たちヲ殺した!? 俺の幸セは俺のためのモノだった! 娘たちの幸せヲ奪った領主! あいつハ! あいつハ! 断じテゆるせナイ!」
上空高く、涙を流してベリッドは狂気のまま叫ぶ。
娘が殺されて悲しい。妻に先立たれて悔しい――いや、もっと許せないのは、領主を信じ最後まで善良たろうとした、自分の愚かさだ。
娘を害される前に、領主などさっさと殺しておけば良かった。
一縷の望みを持って、別の町に行き、第二の人生を歩めば良かった。
けれどその考えに至らず、唯々諾々と領主に従ってしまったがゆえのこの光景。
娘を失い、希望を奪われ、もはや『青魔石』という負の魔術具を使うしかなかったのが彼の末路なのだ。
だから、ベリッドは悲しむ。
町を焼き払い、地上全てを燃やす業火の熱線を撃って――それでもなおも彼の悲しみは晴れない。
「俺の娘は、俺の希望だっタ! 未来そのものダッタ! 日々、大きくなる娘たちに妻の姿を重ねタ! 早逝しタ妻に代ワリ、俺が娘たちヲ愛そうと決めタ! ソれガ、こノ結果ダ! 足りなイ! 俺ノ娘の無念ヲ、晴らスにハ、これデは足りなイ! 地上ナドなくなれバいイ! 領主も何モかモ焼き滅べばイイ!」
彼は咆哮する。もはや地上遥か高く離れ、ベリッドは嗚咽と怨嗟の言葉を吐き続ける。
その高度、すでに五万メートル。人が容易に達する高度ではない。
先の魔力を上回る、膨大な魔力の塊が、彼の口元へと集まっていく。
「……ベリッド……」
リゲルは呻く。
ベリッドの翼が震える。怒りの瞳が燃える。全身の鱗が発光し、黒く怪しく発熱する。
「君は、そんなにも……」
逆巻く魔力がベリッドの元に、終わりをもたらす一撃のため集束する。
「町を焼き払う……それで君の家族が戻ってくることはないんだよ……。それでも、君はそれでも町を焼き払わずにはいられないんだね……」
リゲルは瞑目し呟いた
恨みという感情ならリゲルにだってある。
あの日、《錬金王》アーデルに裏切られ、何もかも無くしたあの地獄の日。
英雄から一転、最低級の探索者へと転落し、食うや食わずの日々を過ごしたあの時の感情は忘れない。
忘れようとしても、忘れられない苦い記憶。
今でこそ、ミュリーやメア、マルコやテレジア、屋敷の護衛騎士らと、幸せな環境を手にすることが出来たが、それに至るまでは地獄のようだった。
光を失ったからこその悲しみと怒り。
それを経験したからこそ、リゲルは判ってしまう。
ベリッドの悲しみに。怒りに。嘆きの強さに。
全てを失った者が成す行動は、失意に沈むか、足掻くか、それとも破壊するか――どれかしかない。
リゲルは足掻いた。なぜなら、再起は出来ると信じていたから。
けれどベリッドは諦めた。妻と娘を失い、人生の虚しさを悟った彼は、領主を殺し『破壊』の道を選ぶ他なかった。
だから、現れた『青魔石』は《ジェノサイドワイバーン》に彼は身を委ねた。
全てを虐殺し、滅ぼす竜として。
狂乱と混沌を生み出し、全てを終わらせる虐殺飛竜として。
『青魔石』とは、発現者の心情が顕著に現れる魔術具だ。
ならば虐殺飛竜の名を冠するあの魔石を持つ彼は、もはや全てを滅ぼす破壊者だ。
自暴自棄の八つ当たり――そう評するのは簡単だ。だが当のベリッドにしてみれば、身が引き裂かれる思いの果ての行動だったのだ。
――彼の口元の魔力が収束する。
猶予はない。再びあの『熱線』を撃てば、町はさらなる大打撃を受け、残った建物も、避難していた人も、わずかな戦力も削がれることなるだろう。
それでも、リゲルたちはなんとか生き延びられるかもしれない。
けれど他の、罪もない人や、周りの建物は、燃やし尽くされ、破壊し尽くされるだろう。
そんなものは間違っているし、見過ごせるわけがない。
だから。
「ベリッド……君は、僕の『もしかしたら』の可能性の姿かもしれない」
リゲルは言った。
彼は、ミュリーと出会えたからこそ幸せを掴めた。
けれど、ベリッドが押し付けられたのは『娘の死』という何よりの不幸だった。
希望を信じ諦めず、足掻いたリゲルと。
希望を信じながらも、絶望を叩きつけられたベリッド。
言葉にすれば陳腐で、なんて些細な違いだろう。
けれど、怒れるベリッドは――上空で、魔力の拡散により町の全体に響く彼の言葉は、あまりに悲しく、荒々しく、そして虚しさに満ちていた。
それは、一刻も早く終わらせなければならない。
「君の姿は、『もしも』の僕の姿だ。その可能性というのなら、僕は君を断罪する立場にない。愛する人、大切な場所、それを失う気持ちは判る。けれど――」
リゲルは上空を睨みつける。
メアが瓦礫の中から姿を現した。マルコが全身火傷に覆われながらも、盾を構え、立ち上がる。
テレジアは回復魔術による治療を終え、痛ましい目で上空のベリッドを見つめていた。
「リゲルさん……」
〈あたしたちは……〉
「失ったからと言って、全てを滅ぼして良いわけはない。いや、本当は君もそれを判っているはずだ。ベリッド。――それでも、抗えなかったんだね。――娘が、何より『大切』だったんだね。だから――」
ベリッドは上空で咆哮する。
「アイナとエリーサには幸せな未来が待ってイルはずだっタ! ナゼ、それを奪われなけれバならナイ!? ナゼ、人でなしの領主がのうのうト生きていラれル!? 理不尽な状況ヲ俺は壊ス! 怒りヲをぶつけ、破滅を突キつけル! 世界は間違っテいル! アイナッ! エリーサッ! 父さんはお前たちノ幸せのたメに仇ヲ! 仇ヲヲヲォォオオォオオ――ッ!」
理性と憤怒が衝突して、もはやベリッドにまともな思考など残ってはいない。
あるのは、次の一撃で、無念の具現そのものである炭鉱町ビエンナを滅ぼす――その狂気だけだ。
それは、撃たせてはならない。
絶対に、撃たせてはならない。
なぜならその虐殺の『熱線』を撃ったが最後、ベリッドは人間ではなく、本当に畜生の道へと落ち、娘たちとの思い出すら無に帰してしまうから。
この町は、娘たちの死がつきまとう場所でもあるけれど。
同時に、娘たちの『思い出』も詰まった場所でもあるはずだから。
だから、リゲルは彼に次の『熱線』を撃たせるわけにはいかない。
「――皆! 全力で町を護りつつ、ベリッドを止める! メア、援護を頼む! マルコ、動けるなら盾となって動いて! テレジア、僕とマルコに治療の魔術をかけ続けて! ―― 一瞬の気の緩みが町の崩壊に繋がる! ――失敗は出来ないよ!」
〈わかった!〉
「終わらせましょう! この攻撃で!」
「後味が悪い戦いは、もう嫌よ!」
メア、マルコ、テレジアの三人が、それぞれの武器を、理念を、胸に抱えて応和する。
リゲルが新しい《アークペガサス》の魔石を発動させた。白亜の天馬が出現する。
その背中にリゲルは乗る。呼ばれたマルコもその背に乗る。
上空には、メアが『六宝剣』を射出。
テレジアは魔術を発動――《自動治癒》と《耐火防御》の魔術をリゲル達に重ねがけする。
リゲルは白馬に乗って飛翔。
「ベリッド……君はこんな形で町を滅ぼしていいわけがない。罪は償わなければならないだろう。けれど、その『失意』は皆に理解してもらえるはずだ、だから――」
魔力が高まる。上空のベリッドの口元に、爆発的な怨嗟の塊が収束していく。
「全てヲ壊す! 領主は殺ス! 何もかも消えてなくナレ! あア! アイナ、エリーサ……父さんハ、今度こソお前達を幸セに――」
「ランク八、《マッドクラーケン》。同じくランク八、《タイラントワーム》。そしてランク六、《スノーホワイト》。――ベリッド、その無念、僕たちが断ち切る。君を、虐殺の化身にさせないために――」
咆哮するベリッドが迫る。魔力の渦が迫る。
リゲルは、歴代の強敵たちに使ってきた魔石を次々と放出した。
ベリッドの口元から、圧縮された『熱線』が発射される。
膨大な熱量と破壊のための禍々しき光――。
それに、リゲルの《マッドクラーケン》と《タイラントワーム》が盾となり、スノーホワイトが熱線を相殺。そしてその熱をマルコの大盾が防ぎ、メアが『六宝剣』でベリッドのもとへ猛撃する。
テレジアが、熱と光に灼かれるリゲルとマルコを治療――そしてリゲルは。
彼は、《アークペガサス》に乗ったまま、転移短剣バスラを構え――そして。
「愛する人を失った悲しみ。それは確かに苦痛だと思う。でも、こんな形で娘さんとの思い出の場所まで吹き飛ばしたらだめだ。それこそ、貴方の娘さん達は、悲しむと思う」
「アアアアッ! アアァァァア――ッ!」
ベリッドが人語にはならない咆哮で世界を揺らした。
それは、ベリッドの怒りと悲しみの極地。
熱線の量が倍加する。
それを、《マッドクラーケン》、《タイラントワーム》の連発で凌ぎながら、リゲルは、転移短剣バスラを、ベリッドの胴体へと投げつけた。
空を切り裂く稲妻の如き一撃。
そして――。
直前に、《スノーホワイト》の氷属性を付与させた剣閃は、見事ベリッドを吹き飛ばし、魔力を霧散させ、その殺意と――戦意を断ち切ったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。





