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第六十八話  再びの災厄

 ――働いても働いても楽にならない。

 炭鉱町ビエンナに住む炭鉱夫ベリッドは、鬱屈とした気持ちを抱えていた。


 毎日毎日、厳しい炭鉱での仕事をするが楽にならない。掘った鉱石は領主に取り上げられ、はした金をもらって終わりの日々だ。


 八歳の娘と十二歳の娘を養うには、いかにも厳しい。

 ベリッド自身、若い頃は夢を持ってこの仕事に取り組んでいた。

 まだ年若いながらも機転の効く頭の良さ、優しい性格、確かな仕事の腕――それらを元に、皆から一目置かれていた。


 けれど、状況が変わったのは『前領主』が病に倒れ、『現領主』に変わってからだ。

 次男坊である現領主は、炭鉱夫のことを動く人形にしか思っていない。

 自分の力で這い上がった経験がないため、親から譲った権力を自分の『力』と勘違いをしているのだ。

 『炭鉱夫』を意のままに操る、権威を振りかざす――それらは持って生まれた自分の『力』だと言ってはばからなかった。


 最初はベリッドも、現領主には友好的な態度を貫いていた。

 例え世襲で地位についた人間でも、毎日必死に働く炭鉱夫の姿を見れば、気持ちは変わるだろうと。

 勤勉な人間を見て誠実さを判ってくれるだろうと、若いベリッドなりに考えていた。


 けれど、一年が過ぎ二年が過ぎ、五年経っても、炭鉱夫たちの待遇は悪くなるばかり。

 給与は減らされ続け、ろくな手当もない。

 監督する人間はムチで炭鉱夫を働かせる事が当たり前となり、疲労や病に倒れ仕事が出来なくなる炭鉱夫も多くなった。


 炭鉱夫という厳しい仕事は炭鉱にある希少な宝石を掘ることだ。

 亜魔物が住む洞窟に入り武器や、魔術を駆使しながら、古代の宝である金銀、魔石、その他莫大な富みを得るため日々命を賭す。

 それは、この世にある仕事の中でも特に過酷な物の一つ。命の一つや二つ、毎日失われるのは当たり前の仕事。

 四肢欠損くらいならまだ運が良い方。

 重症になり致死寸前など日常茶飯事。


 ベリッド自身、新米の時は失敗して左腕を失った時もあった。けれどその時は『治療術師』が綺麗に治してくれた。

 危険な代わり、報酬は弾む、ハイリスクハイリターンな仕事。 体力と気力と咄嗟の機転なものを言う、厳しい職場――それがこの世における、炭鉱夫の姿だ。


 けれど現領主、バルガードは炭鉱夫を人間扱いしない。


『炭鉱夫は使い捨ての人形である』という理念のもと、ひたすら炭鉱夫を使い捨てるのみだ。


 ある日、炭鉱夫が落盤に遭って亡くなった時など、「そうか。それより今日の収穫はどれ程か?」と数秒で話を打ち切り、炭鉱夫の死を過去のものと一蹴した。

 あり得ない、あり得ない、あり得ない。

 一人の命はかけがいのないものだ。

 それは失っては決して元には戻らない。

 『死』が終わりを意味するこの世界において、死んでしまえば人間はそれまでだ。

 その炭鉱夫にも家族はいた。

 まだ幼い子供と、妻が。

 それを、「そうか。で、収穫は?」の一言で済ます――現領主の腐った性根。

 許せない、許せるわけがない、とベリッドは思った。


 同時に、悲しさとやすせなさを感じた。

 それでも、同僚の一人として、その時は抗議しに行ったものだ。「俺の仲間を何だと思っている、炭鉱夫を何だと思っている!」と、声高に、怒気を織り交ぜ、巨大な現領主の屋敷の門の前で叫んだ。

 けれど、窓の中から姿を現した現領主が放った言葉は次のようなものだった。


『なんだ、やかましい。動く人形如きが俺に意見するというのか、愚か者』


 人でないものが人である私に、意見するなど言語道断、ふざけるな、ということだろう。

 その時からベリッドは『領主とは何か?』『炭鉱夫とは何か?』と判らなくなった。


 先代の領主は働けば働くほど褒めてくれた。「よくやってくれた。よく頑張ってくれた。ほら、報酬だ」と、美味い酒を渡し、命を賭けて金銀を、魔石を、宝石を、掘り当ててくれた炭鉱夫に尊敬と感謝の念を持って褒美を与えた。

 人は苦難の後には安楽が、苦労の後には褒美が待っていると信じられたので、初めて力を十全に出す事が出来た。


 士気が下がった炭鉱夫に生き残る可能性など望めない。

 以前なら対応出来た不意な出来事にも対応出来なくなった。炭鉱夫同士の会話は途絶え、鬱屈とした気分で暗い洞窟の中を掘り進める。

 明るい会話や明るい褒美がなくなった炭鉱夫に未来はない。

 たくさんの炭鉱夫がいたベリッドのそばでは、一人が死に、一人が逃げ、一人は狂ってしまい、洞窟の奥へ進みそのまま帰っては来なかった。

 それを知っても、現領主バルガードは「そうか」の一言のみ。

 いや、言葉を発せず、「しっしっ」と早く仕事に戻れ、と示すこともある。


 ――ふざけるな。

 命を、何だと思っている。

 ――ふざけるな。

 炭鉱夫を、何だと思っている。


 『領主』と『炭鉱夫』――命を賭ける者と労う者。その両者が健全な形でこそ炭鉱夫という仕事は成り立つ。危険の果てには報酬が、報酬の後には仕事が、そのサイクルあって、初めて炭鉱夫という仕事は回る。

 それを現領主は理解していない。『炭鉱夫は俺のために働くものだ』と物扱いしている。


 それでもベリッドは根気良く、諦めず現当主に面会を試みた。

 それでも、現領主の言葉は変わらない。


『人間でないものが俺に意見するな、無礼者』


 ベリッドの中で、じわりじわりと溜まっていった。『何か』が爆発しようとしていた。

 『何か』は取り返しのつかない事を呼び起こす危険な感情だ。

 その『何か』が解き放たれた時、ベリッドの日常は崩れ、これまで重ねてきたものすべてが台無しになるだろう。

 その『何か』の名前は『  』。

 決して誰かに抱いてはならないもの。



『このまま現領主のもとで働いて意味はあるのか?』



『現領主を【  】ことで全てが変わるのなら、そうすべきではないか?』


 そんな言葉が日夜ベリッドの内に渦巻いていた。


 

「あああ、なぜだ、なぜ判ってくれない!」


 ベリッドはある日、叫んだ。仲間の炭鉱夫が過労で倒れ、屍となってしまった直後の事だ。

 

「もういやだ! なぜこんな目に遭わねばならない!」


 ――現領主に使い潰されるために俺は生まれてきたのか? 

 違う。否、断じて違う。俺は俺自身が幸せになるために生まれてきたんだ。


「ううう……ぐうう……」


 その時、まだベリッドの中では『良心』の欠片が必死に悲鳴を上げていた。

 

 ――そうだ、俺には娘がいる。

 ――八歳の娘と、十二歳の娘。

 大事な妻から託された、大事な娘たちがいるじゃないか。


 妻は、若い頃に事故で亡くなった。けれど可愛い娘たちがいるから頑張れた。

 毎日毎日、炭鉱に向かう自分を笑顔で送ってくれる可愛い二人の宝――それがあるから耐えられた。


 けれど、運命は、あまりに彼に容赦なく――。



「帰ったぞー、アイナ、エリーサ」


 血の臭いがする。


「ああ、まったく、今日も疲れたよ。監督官のレン中が、遠慮なくムチを叩くからさ」


 死の臭いがする。


「どうしようもない現領主とその部下だけと、まあ給料が貰えるだけマシか」


 とある日。日の暮れた貸家。

 帰宅した家の中で、生ある者の気配がしない。


「おーい、戻ったぞー、アイナ、エリーサ。お父さんの帰宅だ。ただいま、の一言くらい、欲しいもの……だ……な……」


 そして、ベリッドは絶望した。

 血が。

 血が。

 血が。

 大量の、赤と赤と赤と赤と赤と漂う死の気配だけが。


 ――娘の体が。

 骨と皮ばかりになり、痩せ細ってしまった二つの影が。

 ――大事な娘の体が。

 血溜まりに沈み、仰向けに倒れ、糸の切れた人形のように倒れている。


「あ、アイナ……? エリーサ……?」


 自らの目が映した光景が信じられず、ベリッドは震える声音で娘たちに近づいた。

 そして、血溜まりの中、血臭と死の気配が漂う中で、娘たち二人を抱き上げた。

 ――顔の真ん中に刃物が突き立てられ、絶命していた。それは、八歳の娘の姿だ。

 ――四肢を紐で縛られ、血だらけの状態で首を折られている。それは、十二歳の娘の姿だ。



「そんな……」


 ベリッドは震えた。


「なぜ……? なぜ神は、こうも俺を見捨てるんだ……?」


 震えながら、呟きながら、ベリッドは二つの遺体を抱き締め、涙を流した。

 絶望という名の感情に満たされた涙が、瞳から溢れ、止まらない。


「あ……あ……、あ……ああ……っ」


 娘たちが、死んだ。

 八歳の娘は何者かに刺殺され、十二歳の娘は拘束され首をねじ折られた。


 ――誰がこんなむごい事を?

 ――知れたこと。俺にこんな仕打ちをする輩を俺は知っている。

 それは――。

 

 つい先日のことだ。

 現領主の屋敷に抗議しに赴いたとき。現領主は、言っていた。


『これ以上俺に楯突くならば、お前の大事な者に危害を加えるぞ』、と。


 ――そんな、馬鹿な。

 ――あり得ない、こんなこと。


 そう思っていた。

 ――あの人でなしの現領主にも、人の心はあるだろう。

 人の命が失われる痛みを、知らぬはずなうだろうと。

 一欠片の『希望』が、ベリッドを繋ぎ止めていた。

 けれど。それは――。


「アイナ……エリーサ……」


 事切れた――否、『殺された』二人の亡骸を抱え、ベリッドは嗚咽する。


「なぜだ……なぜこんな事に……」


 死ななくても良い生命だった。

 愛すべき娘たちだった。

 ほんの数時間前、家を出るとき、


『いってらっしゃい、おとーさん』


『今日は早く帰ってきてね』


 そう言って、送り出してくれた、大切な娘たちだった。

 それが――今は――殺されて、人ではない物に、落とされて。


「ああ……あああ……っ!」


 冷たく、だらりと下がった娘達の手足を見つめ、ベリッドは思う。


 ――最初から、人の心など持ち合わせていなかった。

 ――奴ははじめからただの人でなし。

 ――判っていた事じゃないか。何を期待していたんだ、俺は。ずっと。ずっと。

 人の痛みを知らぬ者が、人を傷つける事に何の躊躇いもあるはずないじゃないか。


「ああ……あああ、あああああああ!」


 ベリッドはとうとう『何か』の感情を爆発させた。

 娘を大切そうに降ろし、近くのテーブルを、酒瓶を、棚を叩き割り、蹴り壊し、獣の如き叫びで壊し、壊し、破壊する。


「あああああああ! ああああああああッ!」


 ベリッドの理性が、粉々に砕け散った瞬間だった。

 そして彼の抱いてはならない感情――『  』。

 すなわち、『殺意』という獰猛なそれは彼の人である心を駆逐する。

 


 ――そして目の前に、蒼く輝く一つの魔石が現れた。


 

 ドクン、とベリッドの心臓が高く鳴る。


 ――噂には聞いていた。

 ――この世には、人の『悪意』『殺意』『絶望』に反応し、現れる、『魔の石』があると。

 ――それは人を人ならざる者へと変貌させ、怪物と化してしまうと。


 莫大な力を得る代わりに人として大事なものを失ってしまう――そんな、危険なものだと聞き及んではいた。


 けれど。


「ふ……はは。はは。……あはは、あはははは!」


 希望なき者にいまさら『人として大事なもの』などあるだろうか?

 いや、そんなものはなかった。ベリッドはすでに心の最後の拠り所を失った。


 だから彼が殺意や敵意、悪意に身を委ねるのに、抵抗などなかった。


「はは、ははははっ! 噂は本当だった! 悪名高き、『青魔石』! それが! 今! 俺のもとに!」


 直感した――この後にこれを手に取れば、もう後には戻れないだろうと。


 人の心持つ哀れな父親ではなく、破滅をもたらす化け物へと変貌するだろう。

 そしてその果てに幸福はない。復讐は復讐以上の価値などない。失った命は、どう足掻いてももう、取り戻せないから――。

 だけど。それでも。

 ベリッドには、もうそれしかなかった。『この状況を招いた元凶』に、復讐をする以外に、選択肢などなかった。


「ははは! これで、俺は――っ!」


 ベリッドは、目の前の蒼き石へと手を伸ばした。

 そしてその指先が、石へと触れた瞬間――。


 ――破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 

 ――破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 

 ――破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 


 これまでの苦悩を全て打ち消す――莫大な殺意という希望の塊が、ベリッドの脳内を満たし尽くした。


「ああああああ! ああ! アアああアッ!」


 その瞬間、ベリッドは獣となった。

 人ではなく、衝動のままに、本能のままに、力を使う存在へと成り果てた。

 だが後悔はない。己に降り掛かった不幸という名の絶望――それが少しでも晴れるのら、もはや人であるか、否かであるかは些細なことだ。


 ――破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 

 ――破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 破壊セヨ! 


 かつてベリッドだった男は、理性も躊躇いも駆逐され、まさに暴虐の獣へと変貌していく。

 ――もはやそこには優しい父親としての姿も、炭鉱夫の誇りを持った男の姿も、希望を抱く献身な人間の姿も、一欠片もありはしなかった。


「オレは! 復讐する! 貴様を殺し、貴様の財を壊し、全てを燃やし尽くして粉砕し尽くしてやる! アアああアアッ!」


 そしてベリッドは駆けた。

 現領主のもとへと。

 仮に咎人が現領主でなくとも。単なる不幸な事件であっても。ベリッドは現領主を害する事を躊躇わない。

 人の心を壊した者には誅罰が必要だ。この世に神はいない、ならば神に代わってその罪を裁くのは一体誰か?

 ――簡単な問いかけだ。それは自分自身――ベリッド自身に他ならないと、彼は確信していた。

 

【《ジェノサイドワイバーン改》 『効果:飛翔・獄炎』 『ランク:マイナス八』】

 

 もしも彼を観察していた魔術使いがいれば、驚愕していただろう。


 それこそが彼の手に渡った『青魔石』の効力。

 人をして人以上の力を宿させる、虐殺飛竜の名の魔石だった。



お読み頂き、ありがとうございます。

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