第六十話 穏やかな日常の終わり
「行きますよリゲルさん!」
銀色の盾が閃く。擦過音と共に少年が広場を駆ける。
「ああ、判ってる! ――喰らえ《ホブウルフ》! 突撃せよ《リザードロック》! 吹き散らせ《マタンゴ》!」
リゲルの手から放たれた魔石から魔物の力が解放される。
狼の牙、岩蜥蜴の圧力、毒キノコの胞子――それぞれがマルコの元へ殺到する。
「くっ、『硬化』! ――ああ駄目だ後ろにも!? う、うあああ!?」
伏兵として潜ませていた《サンドスコーピオン》の尾が、背後からマルコを襲う。
その隙にさらにリゲルは《ブラックドッグ》の魔石を解放――牙爪に加え、新たな《ホブウルフ》の魔石が、《リザードロック》が、《マタンゴ》が、一斉に力を解放されマルコ攻撃がなだれ込もうと――。
「そこまで! 勝負あり! 勝者リゲルさん! ……大丈夫? マルコ?」
審判として戦いの趨勢を見極めていた少女、テレジアが終了の合図を寄越す。直後、リゲルが魔石の効力を中断させる。
虚空へと消えその魔力ごと消失する魔物の力。
体制を崩し地面に倒れるマルコに、テレジアが心配げに駆け寄っていく。
「平気? 怪我とかない?」
「うん、僕は大丈夫だよ。直前でリゲルさんが攻撃やめてくれたから」
マルコが屈託なく笑う。
「それにしても流石ですね、リゲルさん、本気で挑んだつもりだったけど、全く歯が立たない」
リゲルも手を貸してマルコを起こしながら笑みを浮かべる。その衣服にはほとんと埃すらもない。
「はは、そう言って貰えると嬉しい。毎日特訓をしているからね。マルコも結構上達してきたよ。防御だけじゃなく、攻撃の勢いが凄い。これで、パーティのより完成度が高まったね」
先日からリゲルはよくマルコと模擬戦を繰り返している。その成果は上々で、二人とも戦闘力は大きく向上した。
前衛で盾使いのマルコ、中衛で全体の指揮を取るリゲル――二人の強化はパーティでの活躍を飛躍させるだろう。
「まだまだですよ、ぼくなんか。攻撃、防御、回復、司令塔――全ての技術をバランス良く、かつ高レベルでこなすリゲルさんには到底叶いません」
「それでも、《迷宮》では一人の力なんて知れている。僕が劣勢に立たされた時、十全に動けるとは限らない。必要なのは頼れる仲間の力だよ。一人では、《迷宮》は突き進めない」
かつて、精霊ユリューナを相手に戦った時を思い出す。
一人では、限界は低い。否、高くともいつか隙が出来る。
そうしたわずかな綻びですら、《迷宮》では命取りになる。
その事を、判っている者同士の視線のやり取り。
「さて、じゃあもう五回くらいしておく? まだ試してみたい戦術がいくつかあるんだ」
「お付き合いします。倒れるまでやりましょう!」
朗らかにリゲルが提案すると、マルコは喜んで応じた。
「ちょっとちょっと!」
見ていたテレジアが呆れて止める。
「いつまで演習を続けるつもり? もう八時よ? 朝の日課はこなしたんだから終わり終わり! 朝食の時間なんだから、ミュリーが部屋で待ってるわ。皆にご馳走を振る舞おうってね!」
「はは、そうだね」
「まだまだやり足りないけど、食事も重要だ」
リゲルとマルコは互いの顔を見合い、やがて軽く笑いあった。
やれやれ男の子って戦い好きね、とテレジアは呆れつつも、頼もしそうに、彼らを見ていたのだった。
――街を揺るがした『青魔石事変』から、すでに一ヶ月が過ぎていた。
すでに半壊した街は復興への兆しを見せ始め、各地で整理、補修の作業が進められている。
破壊されたいくつかの通りでは商店も再開され、にわかに活気を取り戻している。
ギルドは、それらの作業を全力でサポート、人材の派遣や、資材の提供なども行った。
幾多の犠牲者を出した『青魔石事変』だが、時は止まらない。生きている者には明日への前進が求められていて、目の前の事をこなす事で、彼らの悲しみや戸惑いは薄れていった。
全てが時の彼方となるのはまだ当分先の話。けれどひとまずの安息は、都市ギエルダに訪れていたのだった。
もちろん、リゲルの生活も一変している。
ミュリーとメアはもちろん、マルコとテレジアの存在ははじつに大きい。
戦闘と給仕、元探索者候補としての実力と使用人としての能力を併せ持つ彼らは、日常の迷宮探索にもってこいの人材だ。
数日前、慣らしと能力測定も兼ねた迷宮探索では、二人ともじつに高い能力を見せていた。
高位盾騎士――強固な盾と『囮』、『防御力強化』の能力を使いこなすマルコ。
高位治療師――高い治癒術と防護魔術を操るテレジア。
特に壁役のマルコと治療のテレジアの連携は完璧で、リゲルとメアだけでは危うい防御面が、ほとんど心配なくなった。防御に秀でた二人の参入は、今後の探索活動でも有用になるだろう。
もちろん、その前に何と言っても飯。腹が減った何とやら。彼らの胃袋を支えるのは、精霊少女の役目である。
「お疲れ様です、リゲルさん、マルコさん」
ミュリーの部屋に入ると、甘く芳しい匂いがたちこめた。
テーブルのそばで華やかに笑顔を浮かべるのは美しい少女だ。
輝く銀色の長い髪に、人形のように整った可憐な容姿。
柔らかな笑みはそれだけで人を幸せにさせる。淑やかな――それでいて、どこか芯の強さも潜ませる。
精霊ミュリー。ルビー色の優しい瞳に出迎えられ、リゲル達は自然と笑顔になる。
「うわ、ミュリー今朝もご馳走だね! おもわずほっぺが落ちそう!」
テーブルの上に並べられたのは野菜スープ、燻製肉、ポテトサラダに、色とりどりのクッキー。さらにはリンゴと梨のジュースに葡萄のアップルパイ。加えてイカと鯛の刺し身にソースたっぷりのハンバーグ。
さらに付け加えると焼きおにぎりにパセリチョコビスケット、アート型ミニケーキに名称不明の真っ赤な野菜料理まで、色も種類も量も豊かだ。
「きょ、今日も朝から盛り沢山ねミュリー。……美味しそうけれど」
「うわ、主食もおかずもてんこ盛り。お腹が減ってるぼくらにはありがたいね」
テレジアがやや引き気味に、マルコが屈託なく微笑む。
今日も今日とて、ミュリーの料理は凄く美味しそう。
しかし反面、『山!』と表現したくなるほど大ボリュームなのはご愛嬌だ。
リゲルなんかはもう慣れたので「美味そうだ」とかしか思わないが、まだマルコとテレジア、特にテレジアには荷が重そうだ。
「あたし太っちゃうわよこのままじゃ! ……美味しいのがまた罪! 罪よ!」
とは密かなテレジアのぼやき。
「どれも自信作なんです、さあ、召し上がれ」
はにかみながら、それでも期待を込めて勧めるミュリー。
彼女の体調も、徐々に良くなってきている。
最近ではベッドを離れられる事も多くなり、部屋外のバルコニーからリゲルやマルコ達の鍛錬を観賞することも多かった。
病弱な彼女がゆっくりとだが元気になっていくのが、何よりのリゲルの楽しみだった。
近い内、街を散策するのも夢じゃないかもしれないか――密かに、そう思っている。
「ところでミュリー、この謎の赤い野菜は何?」
リゲルがテーブルの中で一際目立つ真紅の野菜を見て尋ねる。
見た目はロールキャベツにも似ているが真っ赤ゆえ初めての外見。
「これですか? 『ブラッドスパーダ』って言う、わたしの故郷の郷土料理です」
「へえ……」
「正しくは似た材料で作ったお料理ですけど……似た薬草が手に入ったので、作ってみました」
テレジアがやや顔を引きつらせた顔で言う。
「これ……凄く真っ赤だけど、大丈夫なの?」
ブラッドの名が付く時点でとっても不吉。
食えば灼熱の味がしそうで怖い怖い。
「あ、大丈夫ですよ。食べると『魔力』がわずかに上がって、体にとてもいいんです。故郷では王族をはじめ、たまに食されていました」
「へえ、そうなんだ。さっそく食べてみるね」
リゲルが期待を込めた顔をして口に入れた。
もぐもぐもぐ、と咀嚼していく。
「あ! でも食べると胃袋から血が出る程辛いので、気をつけ――」
「ぐあああああああっ!? 何これ!? 辛! 辛! 辛! 辛! お腹の中が、引き裂かれたみたいに辛辛辛ぁぁぁぁぁぁぁ!?」
椅子から転げ落ち、のたうち回りながらリゲルが悶えた。
「り、リゲルさーん!」
ミュリーが慌てて抱き起こし介抱する。
「お水です、さあどうぞ……」
「う!? み、水を飲んだ途端、余計に辛さが増してあああ!?」
「きゃあ! ……あ、そうか、お水加えると劇薬反応起こして、辛味が増すんです……す、すみません、久しぶりで忘れていました……」
「ああああ、辛~~~~~~~~い! たす、助けて誰か!」
「り、リゲルさーん!」
朝っぱらから命がけの食事だった。かたわらではマルコとテレジアが、
「……あの、テレジア。これ食べる……?」
「じょ、冗談言わないでよ! あのリゲルさんの様子見たでしょ……?」
無理、とても食えない。
狂乱に慄きながらマルコとテレジアはびびるしかない。
結局、食した事もあって、リゲルの魔力はわずかながらに向上した。マルコとテレジアは、恐怖に顔を引きつらせやんわりと断ったが――残ったブラッドスパーダはリゲルが頑張って食べた。
ミュリーの作った物は出来る限り食べてあげたい――そう決意して食したのだが、冥府の川が何度も見えたとか、見えなかったとか。
「げ――――ほ、げほげほっ! あ……段々辛味が快感になってきたよ? たまにはいいものだよね、辛い料理も! ハハ! ハハハ! ハハ……う!?」
「リゲルさん、リゲルさんしっかりして! え、えっと、テレジアさん回復を!」
「……食事で回復魔術使うの初めてよ」
「僕だって……使われるの、初めてだよ……」
ミュリーの料理は、『たまに』凄く完食しがたい物もある。
しかし愛は盲目、胃袋も同様。愛を持って食すれば大抵のものは食えるのだと、リゲルは頑張った。
やがて完食したリゲルを見て、ミュリーはますます惚れ込み――マルコとテレジアは心底尊敬した。
〈リゲルさんリゲルさん! いる!?〉
そんな時だ。皆が食事を無事に終え、太陽も頂点に近づていく頃。
壁をすり抜け、幽霊少女のメアが戻ってきた。
「いるよ。どうしたのメア? そんな慌てて」
〈ギルドの人が! 『ユリューナ』を連れてここへやって来るって!〉
「っ!」
ついに来たか、という思いがリゲルに去来する。
あの後、『青魔石事変』の折、『楽園創造会』の尖兵として活動していた精霊の少女、ユリューナ。
リゲル達の激闘の末、ギルドにて事情聴取の身となったが、一段落終えたのだろう。
いよいよ、もう一人の精霊少女との対面を果たす時が来たようだ。
「リゲルさん……」
「ミュリー、心配はいらないよ。僕がいるから」
ミュリーが心配そうにリゲルを見上げる。
彼女には、すでにユリューナの事は話している。
第八迷宮《砂楼閣》での激闘、『楽園創造会』のこと、そして数少ない精霊の生き残り……。
複雑にして、万感の想いがミュリーにはある。
「来るのはいつ? グランギルドマスターが来るのかな」
〈それとレベッカ参謀長だって。あたしに言伝を頼んだギルド騎士によれば、近いうちに予定を明けて欲しいって〉
ミュリーが精霊であると言う事はまだギルドには通達していない。
だが戦闘の当事者たるリゲルと、そのパートナーであるミュリーに合わすのは当然の事。加えて、屋敷の令嬢であるメアの存在もある。
詳しい事情を話す事は必要だろう。
「……わかった。今日の夜に話そう。ギルドにはそう伝えてくれるかな」
「うん、わかった!」
「それと――」
リゲルはミュリーの方を見た。
「――君が精霊であることをグランさんとレベッカさんに話そうと思う。……いいかな?」
ミュリーは――。
目を閉じ、つかの間、様々な思いを馳せた。
自分が精霊であることを明かすメリット、デメリット。伝える覚悟。
「……そう、ですね。伝えるべきだと思います。わたしも、このままでは、いけないと思いますから」
現代では『精霊』の存在はひどく希少だ。
一説では絶滅とも噂された古代種。遥か過去の存在。
その、生き残りにして未だ多くの失われた過去を背負うミュリーにとって、その言葉は如何ほどのものだったろう。
これまで精霊は自分だけで。
でも新たな精霊が見つかって、けれど彼女は敵で――。
だから、せめて良い方向に転がってほしい。
そんな想いが、きっとあるはず。
だからリゲルは、彼女を励ますために、ミュリーの肩へ、そっと手を添えた。
その手を柔らかに少女は握り返し――そして。
「もう何も知らないのは嫌ですから。立ち向かいます、わたしも。過去と。自分以外の精霊が、今どうなっているのかを――」
そう言う少女は、いつになく、決意に満ちていた。
お読み頂き、ありがとうございます。





