番外編 次なる戦いへのプロローグ
閃光の如き斬撃が空間を奔る。
煌めく白刃が鋭く弧を描く。
一瞬で五発のの斬撃を転移剣、バスラで行ったリゲルは、返す刀で相手の喉元に白刃を閃かせた。
その一撃を、相手は紙一重でかわし、一度後退――そのまま態勢を立て直すや、蹴り、裏拳、正拳突きと、まるで読めない変則的な反撃でリゲルを牽制、彼に距離を取らせる。
「――強い、けれどこちらがまだ! はあああ!」
白刃一閃、秒の半分にも満たぬ瞬速でバスラを振り抜くと、そのままリゲルは立て続けに斬撃をお見舞いした。
常人ならそれだけで戦闘不能になる強烈な猛撃だ。
しかし、相手はそれを『見た後』に回避、即座に体から雷を放つ咄嗟にかわしたリゲルの側頭部に回し蹴りを入れてくる。
回避、防御、危ういタイミング。バスラで弾くも受け流しきれない。
衝撃がリゲルの手を貫く。
一瞬、バスらを持つ右手の力が消失する。
手元からバスラが離れる刹那、リゲルは極速で相手に左手の『貫手』を試みた。
寸前に《腕力二倍化》、《硬度五倍化》、《速度三倍化》の付与魔術を無詠唱で敢行、音の壁を突き破り、極速の突きが相手の胸に到達する。
確かな手応え。
相手が吹き飛ぶ。背後の樹に激突する。
戦闘模擬戦、終了。勝者、リゲル。敗者、『ミュリーの加護』を受けたマルコ。
両者共に、四メートルの位置で荒い息を整える。
「……さすがですね、リゲルさん。ここまでやっても勝てないなんて」
模擬戦相手――盾使いの少年、マルコが称賛と共に笑顔を向けてくる。
「いや。魔石無しとはいえ接近戦でこうまで追い詰められたのは始めてだ。僕もまだまだ精進が足りないな」
ここまでやっておいてまだ上を目指すんですか、と呆れ半分、尊敬半分のマルコを前に、リゲルは一つ呼気を吐く。
――魔石を使えない状況での白兵戦。その模擬戦を行って『四十回目』。鍛えた体の彼もさすがに疲労を見せていた。
顔には出さないが、腕、足、それと付与魔術の使いすぎで全身が気だるい感覚で覆われている。
もうあと十回は戦えそうだが、さすがに今日はもうやめておいた方がよさそうだ。
「……僕の本職は『高位盾騎士』です。さすがに白兵戦でリゲルさんに圧倒されるわけにはいきませんよ」
マルコが苦笑しながらそう語る。
「まあそうだけど。僕は、『魔石使い』だからね。多様な戦術が取り柄だ。近距離戦もある程度こなせないと話にならない」
「……無詠唱で三つの魔術を使えるだけでも相当だと思いますけど……」
「いや、全然。――遠い帝国には、《六皇聖剣》っていう最強の戦闘集団がいてね? 彼らは『手刀の風圧』で岩を真っ二つにするらしいよ? 僕はその半分くらいは出来ないと」
「それはちょっと目標が高すぎですよ!?」
尊敬を通り越して呆れが八割になったマルコが叫ぶ。
まあ普通の反応として間違ってはいない。リゲルは苦笑した。
――それでも、『自分が』元六皇聖剣だった時はその程度は軽く出来たと言えば彼は何と言うだろう?
今はアーデルに力を奪われ、そこまでは出来ないが、そして過去にそれを成していた。
そんな益体もない考えを行いながら、リゲルは一つ息をついた。
「お疲れ様、二人とも、様になっていたわよ」
横合いから少女の声がかけられる。屋敷の使用人にしてマルコの同僚、テレジアだ。
金髪に紺碧の瞳を持つ彼女は、古い付き合いでもあるマルコに近寄りながら、
「はいマルコ。リゲルさん。――『英雄』リゲルさんと一騎打ちであそこまでやれるなんて大したものよ。――リゲルさんも、『強化人間』のマルコ相手に、あそこまで出来るのは凄い事だわ」
二人にねぎらいの意味もこめてタオルを渡しながら、テレジアが微笑する。
「まあ両方強いからあそこまで拮抗出来た、ということかな。――それにしてもマルコ、どうかな? ミュリーの『加護』は。体に何か不調はない?」
タオルを受け取りながらそう問いかけると、盾使いの少年は頷いた。
「……はい。特に問題はないみたいです。立て続けに四十回やってもらいましたけど、体にも特に異常はありません」
「そう、それは良かった」
先程までの模擬戦闘の目的は、『リゲル以外の者にもミュリーの加護が可能か』というテストだ。
リゲルと精霊少女であるミュリーと契約したが、これまではリゲル以外に『祈りの加護』をしてもらった事はなかった。
ミュリーの『祈り』は、それだけで『腕力数倍化』、『脚力数倍化』、『速度数倍化』、『思考力数倍化』など、多大な効力を与える。
来たる『楽園創造会』との戦いに向けて、一つでも頼りになる戦術が増やせるか心配だった。けれど問題なく終えたようだ。
「ミュリーは僕と契約した精霊だからね。十全に祈りが機能するか心配だった。成功して良かったよ」
「あはは。本当に凄いですね、これ、体中に力が湧いてきますよ。自分が高位な竜にでもなった気分です」
「まあ失敗したら全身が爆散する可能性もあったわけだけど、問題なく終わって良かったよ」
「あのリゲルさん。……え、リゲルさん今なんて? あの、僕、爆発四散する可能性があったんですか?」
「言ってないよ」
「嘘ですよね!? 言いましたよね!? ねえちょっと、リゲルさん、リゲルさーん!」
後ろで悲鳴を上げるマルコをよそに、リゲルは『用事があるから』とその場を後にした。
もちろん嘘だ、彼女の祈りにそんな物騒な副作用はない。
ただのリゲルのお茶目だ。
けれど後でマルコには新しい盾でも送ってあげよう。この短期間でよく鍛錬に付き合ってくれたお礼も兼ねて。
――なお、その後新しい盾をもらったマルコは、『やった、これで盾の二刀流が出来る!』と意味不明な言葉を放ち、リゲルやテレジアをドン引きさせるのだが、それはまた別の話。
「――メア、調子はどう?」
屋敷の外壁付近の林に行くと、幽霊少女のメアがふわふわと漂いながら笑顔を向けてきた。
〈あ、聞いてよリゲルさん! さっきラッセルさんと模擬戦をしたんだけどね、『必殺技』、自由に扱えるようになったよ!〉
「へえ、それは良かった」
緩やかなウェーブ状の桃色髪に、豪奢な衣装を来た令嬢。にこやかな笑みが印象的なでメアは、開口一番、そう語った。
メアに提案していたのは『武技』の会得だ。
彼女はこれまで『九宝剣』を《浮遊術》で操ることで無類の突破力を発揮していたが、攻撃が単調化しやすいという弱点があった。
これまでは『ロードオブミミック改』も『青魔石使い』も『ユリューナ』も、相手は単純な思考ゆえ対処出来たが、今後『楽園創造会』の中に知略を駆使して戦う相手がいた場合、苦戦を強いられるだろう。そのため、彼女に新たな『技』を提案したのだった。
「効力はどのくらい? 実戦では役に立ちそう?」
〈それはもう! ……護衛隊長のラッセルさんたち曰く、『――素晴らしい出来だ、これならどんな敵とも互角に渡り合える!』と、太鼓判を押してもらったよ!〉
「そう、それは良かったね」
〈……でも、『出来ればもうあれは受けたくない。あれはほんと死ぬかと思った。技のテストで死ぬ護衛騎士とか様にならない……』とぼやいていたから、要注意だね!〉
「……そう、後でラッセルさんたちには労いにワインでも送らないといけないな」
ラッセル達ギルドから派遣された護衛騎士たちは、リゲルの住むレストール家の防備の要だ。
そんな彼らにそれほどの苦労を押し付けたのだから、それくらい当然だろう。
――なお、肝心の『必殺技』の威力だが、それはもう凄まじかった。
『周囲の林一帯』が、ほとんどクレーター状になっているのを見てリゲルはそれを悟る。
何をどうやればこのようになるのか? よく判らないが、これを受けたラッセルたち護衛騎士たちは相当怖い思いをしたに違いない。
頑丈なはずのミスリスソードの欠片があちこちに四散していた。
というより、ミスリルアーマーの欠片もそこかしこに散乱していた。
全部ラッセルら護衛騎士が持っていた装備だ。
……これ、ワインというより新しい装備一式あげた方が喜ばれるんじゃないかな?
と密かに思うリゲルだった。
――なお、これも後で護衛騎士団に『ミスリルシリーズ一式改造版』を送ってあげたところ、リゲルは涙ながらに感謝された。
『よかった、これでメア殿の練習相手で泣かされる事も減ります!』
と感激の嵐。
雇用相手とはいえ、メアのを相手に練習を続ける彼らを、プロ意識の高さを褒めればいいのか、仕事中毒だから気をつけてね? と注意すべきか……リゲルは迷うことになるのだが、それもまた別の話。
「あ、メア。それとレベッカさんに渡した三本の『宝剣』はどう?」
〈えっと、そっちはまだ解析が掛かるみたい。……お父様、思ったてたより強い『封印』を施していたみたいで。今、ギルドの人たちが解析を続けてくれてるけど、まだ終わってないみたい〉
「なるほど……」
メアの武器であり、亡くなった父の形見でもある『九宝剣』は、彼女の大事な戦力だ。
現在九本のうち、《天剣ウラノス》、《盗剣ヘルメス》、《冥剣ハーデス》は、ギルドの参謀長、レベッカに預けている。
だが、まだ肝心の『封印』の解析は終わっていないらしい。
メアの父はどうやら相当強力な効力を『九宝剣』に宿したらしく、一級ギルド解析官でも難航しているとのこと。
『ただ浮遊術で飛ばすだけでも強烈』な九宝剣が、その効力の全てを発揮されたらどれほど強力な武具と化すのか――それはリゲルにも判らない。
けれど話を聞く限り、おそらくは『聖剣』に比肩する効力が期待されるだろう。
メアと父を殺した張本人であり、アルケミストの頂点である《錬金王》、アーデルを倒すための『九宝剣』――その効果は期待大だろう。
こちらも、メアの新たな『必殺技』と合わせて、今後の戦いに役立ってくれるはずだ。
〈あ、リゲルさん。試しにリゲルさんにも『必殺技』の試し打ちしてみたいんだけど、いい?〉
「大丈夫だよ、僕で良いのなら」
〈良かった! ありがとう! じゃあいくね、『轟魔惨殺列王竜覇』の威力、見せてあげる〉
「ちょっと待って。僕、さっきマルコと模擬戦いっぱいしたばかりだから、またの機会でいいかな」
〈ええー。 まあうん、それでもいいよ! じゃあ準備が出来たら言ってね!〉
「うん……準備が出来たらね」
悪気はないのだろうが、その物騒な技名、もうちょっとどうにかならないのか、とリゲルは思った。
察するに、使用された側はとても怖い思いをする技なのだろうが、それにしても『必殺技』とは言え相手を殺す気満々である。
メアはお嬢様だからその辺りのセンスは独特なものもあるのかもしれない。
というより、ラッセルたち護衛騎士、よく生き残ったな。
あとでやっぱり最高の労いをしておかないとな、と思うリゲルだった。
「――お疲れ様です、リゲルさん」
屋敷の人々に一通り会って、最後に立ち寄ったのが精霊少女、ミュリーの部屋だ。
扉をくぐった途端、銀髪にルビーのような瞳の、美しい少女に出迎えられる。
今日の彼女の手には手編みのマフラーが握られ、これまで『精霊宝具』の作成に尽力していたのが判る。
「今日はあちこちで成果を見回ってきたよ。皆、それぞれの立場で、それぞれの戦力向上に努めてたよ」
「本当に、お疲れ様です。あ、紅茶入れますね。先程ギルドの方が来て、良い品を頂いたんです」
嬉しそうにそうミュリーが語る。
「そう、それは良かった。――あ、それとマルコへの『祈りの加護』、ありがとう。彼も喜んでいたよ」
「それは良かったです。リゲルさん以外に試した事がなかったので、きちんとお祈りが届かなければ、破裂四散する可能性もあったわけですけど、良かったです」
「うんそうだね。……え、待って? ミュリー、今とんでもない事言った? ねえちょっと待って!? ミュリー、紅茶の準備はいいからその話をもっと詳しく!」
笑顔で紅茶を入れてきたミュリーに向かって、とても笑顔にはなれないリゲルが必死に説明を求めた。
とりあえず、彼女の祈りは、ミュリーが親しみを感じている相手には十全に働くらしい。
……親しみを感じていない相手に『お祈り』したらどうなるのかは、怖くてリゲルは聞けなかった。
ある意味でこの屋敷の最強はミュリーなのかもしれない。
それはさておき。
紅茶の時間だ。
最近リゲルは、人仕事終えた後はミュリーの部屋でくつろぎ、ゆっくり彼女と歓談するのが日常だった。
趣味の話、料理の話、迷宮の話……話のネタには困らない。リゲルは《探索者》で、ミュリーは療養の身だ。お互い、日々の行える事が違うため、自然と交わす話題も互いに新鮮なものになる。
ミュリーの料理の腕は日に日に上がった。
元々、彼女の料理の腕は確かなものだったが、最近は『食べるだけで三日は働けるクッキー』、『飲むと筋力十倍のスープ』、『匂いを嗅ぐだけで眠気が吹き飛ぶステーキ』など、より効力が高まる物が考案されている。
……反動で翌日やばいことになる物も多かったが、そこはリゲルは彼女を愛する者として、我慢、もとい色々受け入れながら食べていた。
もちろん、そんな創作料理の他に、無難で美味しい料理もあったが。
たまに彼女は量を作り過ぎたり、味以外でヘマ……ではなく、ポンコツ……ではなく、少し失敗する事があるのが玉に瑕だが、そういうところも含め、リゲルは彼女を愛おしく思っている。
たまに食えない料理が出てくる時もあるが愛情があれば何とかなる。
それはさておき、リゲルはミュリーの入れた紅茶をゆっくりと飲んでいた。
「ああ……生き返る。さすが、ミュリーの紅茶は格別だね」
「そんな、わたしの腕なんてまだまだです。精霊族の中には、飲んだだけで昇天してしまうような凄い紅茶を入れる方もいました」
「それ、天に召されるって意味ではないよね? 超美味しいっていう意味だよね?」
たまに精霊族はとんでもないものを生み出すからあんまり笑えない。
リゲルの『合成』スキルも、もう一人の精霊ユリューナも、『青魔石』の創造などその力で猛威を振るった。
お祈りも、元はミュリーの力だ。
厳密には『合成』スキルは彼女との契約で行えるリゲルとミュリー二人のものだから純粋な彼女だけの力ではないが、彼女が要なのは間違いない。
「まあそれはともかく。ミュリーの紅茶は他のどんな紅茶とよりも美味しくて、好きだよ」
「ふふ……嬉しいです」
「あれだよね、やっぱり料理もそうだけど、『好きな相手から愛情を込めて作ってもらった』何かって、凄く美味しく感じられるよね」
「はわわわ……っ! はず、恥ずかしいです……っ!」
「ごめん今の無し」
言っている途中でリゲルも恥ずかしくなった。
急に無言になりお互い二人きりなのを強く意識する。
「(そう言えば今、ミュリーと同じ部屋にいるの、僕だけなんだよなぁ)」
リゲルはわずかに赤くなった頬をごまかすように顔を掻き、
「(そう言えばリゲルさんと今、同じ空気を吸っているのはわたしだけなんですよね)」
ミュリーはすごく赤くなった頬をごまかすため、本を取り出し顔を隠した。
メアが見たら『二人とも可愛い!』と言うところだ。
ミュリーが本の端っこから目を向けチラチラと見てきた。
「なに? ミュリー?」
「あ、いいえ……っ!」
ばばば、とすばやく本の陰に顔を隠すミュリー。
しばらくすると。
チラチラチラ、と本の隅っこから目を向けてくるミュリー。
「どうしたの? 僕の顔、何か変?」
「あ、いえ! いいえ、いつも通り素敵な顔……じゃなかった、格好いい顔……じゃなかった……はうう、ああぁ、うう……っ」
また本に顔を隠し、『あうあう』言っていくミュリー。
いつぞやの『初キス』以来、時折彼女はこういう状態になる。
そうなるとリゲルもあんまり冷静でいられない。
本で顔が隠れているので、『ミュリーの衣装、きれいだな』とか、『ミュリーの体の線、きれいだな』とか、『ミュリーって、いい足首の形しているよな』とか、段々やばい方向へ思考が傾いていく。
「あのさ、ミュリー」
「あの、リゲルさんっ」
二人ほぼ同時に呼び合った。
「「……あっ……」」と二人して気まずい顔になり、それぞれ明後日の方向を向く。
そして数秒後、
「あのさ、ミュリー」
「あの、リゲルさん……っ」
と同じような事を繰り返す。
いつまで経っても話は進まない。
「ミュ、ミュリーからどうぞ」
「そ、そうですか? あの……手編みのマフラー、作っているんですけど……」
「う、うん」
「わたしの『祈り』をこめて、『腕力四倍化』、『脚力五倍化』、『体力六倍化』、『思考力七倍化』、『防御力八倍化』などの効力がつくマフラーを作っているんですけど、少し難航していて……」
「ちょっと待って。ミュリーはいったいどんなマフラー作っているの!? 僕、お守り程度でいいから、少し効力ある物くれれば良いって言ったよね!?」
「そ、それはそうですけど」
精霊が魔力を込めて、もしくは祈りをこめながら作った物は『精霊具』、あるいは『精霊宝具』と呼ばれ、高い効力を発揮することもある。
ただミュリーのそれはあまりにも効力が強すぎ、どれだけ祈りをこめればそんなものが出来るのか、どれほどの思いが詰まっているのか、ただのマフラーにしては少しやりすぎだった。
「わたし……まだまだ未熟。これではまだまだま『少し』のうちに入らないですよね」
「違う! そうじゃない、もう十分だって言ってるんだ」
「もう少し、『上』の段階にいかないと、『少し』、とは言えないですよね」
「だから定義! 少しの定義が高すぎる! マフラー巻くだけで防御力八倍化とかいったいどんなマフラーなの!?」
ミュリーはもじもじしながらかぼそく言った。
「で、でも……リゲルさんには無事でいてほしいから……」
「あ……」
「だから、わたしがいない時でも代わりに守ってあげられる、マフラーを作ってあげたくて……」
「ミュリー……」
彼女は、数千年の時を越え、かつての仲間んとはぐれて、目覚めた。心細いと思った事はあるだろうし、さみしいと感じた事は何度もあったはずだ。
そこで、契約者でもあり、キスもすませた相手のリゲルを大切に思うのは、当然のことだ。
リゲルは、過剰なマフラーだと言ってしまった自分を少し恥じた。
「ごめんね……でも普段から脚力数倍とか、外した場合と付けた場合のギャップが凄くなるから、程々に、という意味で言ったんだ」
「あ、そうですよね……脚力五倍化とか、やりすぎですよね……」
恥ずかしそうに、顔を伏せながら語るミュリー。
「わたし、リゲルさんにはいつも無事に帰ってきてほしいですから……では防御力だけ効力があるマフラーに直しておきますね」
「ああ……うん。それなら。ごめんね、ミュリー」
銀髪の精霊少女は、朗らかに笑って言った。
「いいえ。でも貴方のためなら何でもしてあげたいんです。それが……封印を解いてくれたお礼ですし、大切な人を、守るためでもありますから……」
「ミュリー」
そう言うとミュリーは恥ずかしそうに、けれど確かな意志を込めた瞳で見つめてきた。
――なお、その後ミュリーは無事に手編みマフラーを作り上げるのだが、その効力が『巻いているだけで防御力十八倍』という、一流の装備品も真っ青な超絶マフラーという一品になる事をリゲルはこの時点では知らない。
「でも、急にどうして戦いの準備を始めたんですか?」
ひとしきり歓談が終わった後、ミュリーはリゲルに尋ねた。
「うん? 今日の見回りのこと?」
「いえ、ここ数日のリゲルさんの『次の戦闘』への向けての事です。――マルコさんへのお祈りのテスト、メアさんの必殺技の考案……それに、テレジアさんには新しい杖をあげて、護衛騎士の方々には連携の特訓も課しましたよね? リゲルさん自身も、無詠唱で付与魔術を扱えるように猛特訓しましたし……ここ数日、リゲルさんは何か、『怖い者と戦う準備』をしているみたいで、その……」
「少し焦っているように見える?」
「そ、それは……はい。少しだけ」
ミュリーは迷いの表情を見せながらも素直に頷いた。
「そうか、そう見えるんだ」
リゲルは、思わず窓の外の月を眺めた。
雲ひとつない晴天の夜空には、光り輝く三日月が、地上を優しく見守っている。
「――予感が、するんだ」
ぽつりと、リゲルはそう言って切り出した。
「え、予感、ですか?」
「そう。……これまで大きな戦いの前には、大抵感じていた事だ。《六皇聖剣》だった時もそう。《探索者》になった時もそう。――この前の、『青魔石事変』の前も、妙に胸騒ぎがしてならなかった。――虫の知らせってやつかな」
満天の星空にか早く、美しい三日月を見つめながらリゲルは語る。
「空に雲一つなく、煌々とした月を見られるのは良いことだ。でも、明日も同じであるかは判らない」
「――昔、《探索者》で『ランクプラチナ』の称号を得た、剣聖アグリエスの言葉ですね」
「うん。どれほど空が平和に見えても、自分が幸せに思えても、それは一瞬で崩れる事がある。――実際、その言葉を残した剣聖も、翌年に災難に見舞われて手傷を負った。どれほど平穏な時も、終わるのは一瞬だ」
「――リゲルさんは、『楽園創造会』が近々攻めてくる、と思っているのですか?」
リゲルは静かに首を振った。
「それは判らない。そんな単純な事じゃないかもしれないし。――ただ経験上、僕がこう思った後には、大抵何か起こる。今の平穏は――ここ何週間かの平和は、『嵐の前の静けさ』だと、そう思えてならないんだ」
「護衛隊長のラッセルさんによると、あれから『楽園創造会』には何の動きもありません。――ギルドのレベッカさんも、ギルドマスターのグランさんも、特に異変の予兆はないとか」
「僕の思い過ごしならそれでいいよ。……でも何か、嫌な予感がするんだ。このままではいけない。今のままだと、僕は後悔することになる。――前に、僕は仲間だった《錬金王》、アーデルに裏切られた。だから過剰な身の構えかもしれない。――それでも」
リゲルは、月明かりに照らされながら、美しく彩られる精霊の少女へと向き直る。
「今の僕は、『大切な人』と、『守りたい場所』が出来た。――もう一度、何かを失うなんて沢山だ。だから、出来ることは何でもしていきたいと思う」
「……わたしも同じです。もう独りは、自分だけなのは、いやですから……」
数千年もの間封じられ、仲間とはぐれたミュリー。
信じていた仲間に裏切られ、一度はどん底まで落とされたリゲル。
失った悲しみを知る彼らだからこそ、今ある平和は、大切で、かけがいのないものだと知っている。
「……予感がある。だから備える。我ながら臆病だと思うけれど、ごめん、しばらく、付き合ってもらえないかな」
「もちろんです。この場所は、今の時間が、わたしは大切に思っています。だからリゲルさんの言うように、わたしも『嵐』が来た時に備えます」
月明かりに照らされたミュリーはまるで神話の女神のようで。
けれどどこか儚い、夢のような危うさも感じさせる。
一度苦難を味わった者は強くなる。
けれど、一度幸せを掴んだ者はそれを失いたくないと思う。
それは時に臆病や焦り、弱さを呼び起こす要因となる。
けれどこれは違うのだと、いつか必ず来る『その時』への備えだと、リゲルは思っていた。
「……まあ気を張り詰めすぎていてもいけないから。過剰だと思ったら止めて。僕の取り越し苦労なら一番だから」
「はい。リゲルさんの隣にいる者として、それは当然です。だから――」
ゆっくりと、ミュリーは近づいてくる。
手編みのマフラーを傍らに置いて。顔を隠していた本もどかして。
互いの顔がよく見える、至近と言われる距離まで顔を近づけながら。
「わたしは自分に出来ることをします。――絶対に、あなたを、失いたくありません」
「ありがとう……ミュリー」
戦いが終われば、いつかそれは終わりを告げる。
けれど、平穏もまた、いつか終わりを告げるものだ。
この世は戦いと、平穏と、二つの循環で出来ている。
平穏と呼ばれる期間を過ごした彼らに待ち受けるのは、新たな戦い。
――世界の闇より蘇った混沌の集団は沈黙していた。
だがその沈黙を破り、間もなく、彼らは牙を向ける。
その矛先は世界、あるいはそこに住む人々に。
災厄と混乱を巻き起こし、一つの街を半壊にまで追いやった『楽園創造会』は、再び動き出す。
リゲルの予感の、その通り、いや、それ以上の、混沌を率いて。
――新たな戦いは、幕を開ける。
お読み頂き、ありがとうございます。
さて、今回のエピソードをもちまして、番外編は一端終わりとなります。
そして、次回からは新たな話の開幕、『第3部』に物語は突入致します。
リゲルやミュリーたちが『青魔石事変』を終えてどうなっていくのか、世界はどう変わっていくのか、楽しんで頂ければ嬉しいです。
次回の更新は2週間後、1月4日の午後8時くらいを予定しております。





