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番外編  恥ずかしさと嬉しさと

 一方、その頃リゲルとミュリー。

 森の中、『レストール家』の一室で、二人気まずそうに黙りこくっている。

 それは、何も喧嘩や意見の対立によるものではない。

 大切な物をうっかり壊してしまって、負の感情が渦巻いたなどというわけでもない。

 全くの逆である。


 事の発端は、先日、『青魔石事変』が終わり、リゲルが決戦から帰ってミュリーのもとへ帰ってきた直後のことだった。



『お帰りなさい、リゲルさんっ』


『ただいま、ミュリー』


 その後、勢いのまま抱きついて、そのまま『キス』してしまった事に起因する。


『あ』

『……あ』

〈ああっ!?〉


 そのときは、当然騒ぎになった。当然ながらリゲルは仲間であるメアやテレジア、マルコたちと一緒である。

 そのため、『キス』の様子もしっかりと見ていた。

 街の復興やら何やらで一緒に帰ってきたのだから気が緩んでいた。彼らの存在をすっかり失念し、『接吻』などという恥ずかしいことをしてしまったことにリゲルは焦った。

 というか仲間の方が焦った。

 

〈わ~~~~っ! わ~~~~~~~! リゲルさんとミュリーが! キ、キ、キスを……っ!〉

『きゃーっ!? 落ち着いてメアさん! ここはお邪魔よ、退散すべきだわ、早く!』

『ちょ、痛い!? テレジア僕の足踏んでる! 落ち着いて! まず君が落ち着いて!』


 そんな様子でメアたちはパニクっていた。

 年頃の男女が玄関で唇を重ねるという衝撃の光景に、顔を赤くして、気まずげな顔をしつつも、チラチラと何秒も見て、ようやく外に出ていった。


 その間、リゲルとミュリーは至近で顔を近づけさせながら、『やってしまった……っ』と赤面していたわけである。

 その後は顔も合わせられない。

 とりあえず、そのまま玄関でずーと棒立ちしているのはいかにもアレなので、部屋に向かうことにはしたのだが――。


『きょ、今日はいい天気だね』

『そそ、そうですね……!』

『まさに蒼天と呼ぶに相応しい、快晴だね』

『そそ、そうですね……っ!』


 そんなどうでもいい会話ばかりで一時間。

 ちなみにじつはそのとき、天気は曇っていたのだが。

 キスした時の興奮と、見られた時の羞恥から、そんなこと頭から吹っ飛んでいた。

 

 幸せいっぱい、でも見られて羞恥も最大最高――という、感情の持て余しで頭が爆発しそうであった。


 

 そして現在。

「も、もうすぐ日付変わるね。ご苦労さま」

「そ、そうですね……リゲルさんも」


 その会話、すでに今日だけで10度はした。

 そして時刻はもう27時すぎ、とうに日付など変わっている。

 けれど、そんなことに気を割く余裕もないのが今のリゲルとミュリーだった。


「(柔らかかったな……ミュリーの唇。ほんのり甘い香りもして、暖かくて……本当に最高だった)」

「(リゲルさんの唇、とても素敵でした。あの柔らかさと抱き締める力……優しく、愛情を感じられる情熱的な……っ)」


 そんな具合で、二人とも五秒に一度はお互いのことを見て、しかし目が合ってしまい、「あ……」と小さく呟いてまた羞恥の連続。

 これ、何度やれば終わるの? というか終わるの? ――もしもこの光景を見ている者がいたら、そう突っ込みをいれたくなるほど、延々と同じやり取りをしていた。


 そろそろ夜が明けニワトリが鳴いてもいいくらいの時間帯だが、全く眠くならない。

 むしろ目が冴えてくる。一応、布団には入っているのだが、同じ部屋で同じ空気を吸っているだけで嬉しさやら恥ずかしさが倍増していく始末。


「あ、あの……リゲルさん」

「え!? あ、あ、うん、なに!?」

「『青魔石』の騒乱……無事に終えて、良かったです」

「え!? ……あ、うん。そ、そうだね。うん。無事に終えたよ」


 とりあえず『キス』の件は二人とも『棚上げ』にすることで問題を回避した。

 それでも遅すぎである。本来なら街を襲った大騒動を真っ先に話題にすべきである。


「リゲルさんが《砂楼閣》へ赴いて、決戦へ向かったと聞いて、心が穏やかではありませんでした」

「……ああ、うん。僕も、無事に倒せるか心配はしていたよ。けど、無事に帰ってこれて良かった」

「はい。……本当に、良かったです。リゲルさんが戻ってきてくれて……わたし、わたし……っ」


 騒動のおかげで忘れていたが、リゲルがこれまでで最大の『死』の可能性がある決戦へ赴いたことに変わりはない。

 何かが狂ってリゲルが重症を負えば、責任を感じるのがミュリーだった。

 精霊としての契約、そして《合成》のスキルを与えたからこその大激戦――本来、下級探索者だったリゲルにはあり得ないはずの激戦だ。


 『青魔石』の首謀者との決戦も、間接的に自分に責任がある――そう、ミュリーは思っていた。


「でも……僕は帰ってきた。無事に、君のもとへ。それだけは確かだから。安心して」

「……はい。それは、判っています」

「それと君の『祈り』もちゃんと感じたよ。『加護』も貰った。そのおかげで『首謀者』に勝てた。僕がこうしてここにいるのは、君のおかげだ」

「リゲルさん……っ」


 心配と後悔の念に駆られていたミュリーは、思わずリゲルへと抱きつく。

 一度キスまでかわしたおかげが、以前よりも強く、躊躇いなくその胸に飛び込む。

 少女にしては、ひどく強い力で、リゲルの体へ腕を回す。

 どこにも行かないでほしい、ずっとそばにいてほしい――そんな、溢れ出す想い。

 ただ純粋に、ミュリーはリゲルを、抱き締める。


「怖かったです……リゲルさんが今度こそ遠くに行ってしまうのではないかと。わたし、わたし……」

「うん。でも今はこうしてそばにいる。ここでこうして温もりを交換し合っている。だから安心していいよ」

「はい……はい……っ」


 『青魔石事変』のときは、ずっとずっと我慢していていたミュリー。

 今になって、その反動で少年への想いが強くなる。

 より激しく、彼と離れたくないという想い。

 これまでも何度も、経験したはずの感情だが、今回は別格だった。

 リゲルが負けるはずない、必ず帰ってきてくれる――そう信じてはいても、やはり不安は完全には拭いきれなかった。


「わたし、リゲルさんとこうしていられるのが嬉しいんです」

「うん。僕も」

「だから、大好きな人と、ずっと、一緒にいられる……そのことが凄く嬉しくて、幸せです」

「僕もそうだよ。だから安心して、ミュリー」



 やがて――どれほどの時間が経っただろう。  

 お互いに体の温もりを交換し合い、ひとしきり心の整理が終わだった後。感情の高ぶりが収まると、ようやく落ち着いてくる。


「すう……んん……」


 リゲルは、いつの間にかベッドの上で、眠ってしまっていた。

 激戦から激戦の連続。そして復興の支援――超常の《合成》スキルを持っているとはいっても、疲れはする。

 当たり前のように、彼の意識は眠りの中へといざなわれていった。


 問題はミュリーの方である。現金な事に、心に余裕が生まれてくると、余計なことをしたくなるのが人心というもの。

 ミュリーの視線は、自然と少年のもとへ行く。


「……リゲルさん、寝てしまいましたか?」


 静かにささやく。

 いつもはミュリーが寝ているベッドの上で、すうすうと息を立てる彼を見つめる。

 キスの一件があったせいか、隣に座ったまま、妙に意識してしまう。

 そう言えば、寝ているリゲルをじっくり見るなんて、『それほど』はなかった。

 意外に長めのまつ毛。端正な顔つき。笑うとかなり魅力的で、戦う時は勇ましい――そんな、リゲルの無防備な寝顔……。


「……は!? 何を思ってるんでしょうわたしっ、リゲルさんに見惚れるなんて……っ」


 はしたない、と嫌々と首を振るミュリー。

 けれど、ついつい引き込まれてしまう。

 意外と筋肉質で、必要な所には筋肉がついていて、逞しい。先ほど抱きしめられた時も、ドキドキしっぱしだった。

 その感触を、まざまざと思い出して懊悩するミュリー。


「り、リゲルさん? あの、結構、前髪長いんですね。唇も、綺麗な淡紅色ですし。胸板も、結構厚めで、逞しいです……」


 日頃は遠慮して『それほどは』じろじろは見ない少年の姿。

 しかし二人っきり、しかも『色々』あった後の、静寂な時間が、彼女に大胆さを付け加える。


「リゲルさん……」


 ミュリーの手が、少年の手に添えられる。

 優しく、何度も撫でられる。

 

「わ、暖かい……」


 一度触れてしまうと、もっと、もっとと欲が出てしまう。

 はじめは撫でるだけ、そして撫で回すだけ。そして胸元に手を引き寄せる。

 それでも満足できず、彼の胸に手を添える。

 ミュリーの顔が、大切な少年に引き寄せられるように、ゆっくりと彼の顔へと近づいていき――。


「あの、ミュリーさん。ちょっといいですか」

「ひゃああああっ!?」


 突然、部屋のドアが叩かれ、びくりっとミュリーは飛び上がった。

 ギルドの騎士、護衛として派遣された隊長であるラッセルだ。

 真面目な顔つきの騎士が、怪訝に首をかしげて近づいてくる。


「どうしましたか。ミュリーさん、何か不安でも?」

「いいいいいいえ!? あの、その。何でもないです……! 警備、お疲れ様です……」

「ははっ。いえ、ミュリーさんとリゲル殿のためならばどうってことは。――頼まれていた触媒、持ってきました。寝ている間に置いておこうと思ったのですが……明かりがついていたので……こちらに置いてよろしいですかな?」

「あ、はい。どうぞ」


 ミュリーが『祈り』に使うための触媒である。

 アルソーレ草という、この辺りの木々の生えている草だ。魔力が豊富なため、祈りに最適だった。それを採取してきてくれたのだろう。


「こんな夜更けまで、ありがとうございます。助かります」

「なに、それほどのでも。これでも騎士ですからな」


 ミュリーは、精一杯の笑顔を返した。内心ではリゲルの顔にキスしようとしたのを気取られぬよう必死だったが。


「こんな遅くまですみません。明日は少し休んでも大丈夫ですから」

「いえいえ、とんでもない。あなた方のためならこの程度、何でもありませんよ」


 気さくに、ラッセルは笑う。じつをいうと空気読んでない登場なのだが、そんな不満は微塵も出さず礼を言うミュリー。


「本当にありがとうございます、この恩はいずれ……」

「気にしないでください。リゲル殿は戻ってきてくれてなりよりですから」

「……はい。わたしも、一安心しました。平和が一番です」

「(リゲルさんも果報者だな、こんな優しい少女と一緒になれるなんて。羨ましい)」

「……え?」

「いえ何でも。我々も、明日からの仕事に備え、眠らせてもらいます」

「わたしの方こそ、色々とありがとうございました」


 最後に気さくにラッセルが笑って、部屋を出ていった。

 しばらく、運ばれた触媒と、隣で眠るリゲルの寝顔だけとなる。


「……リゲルさんの寝るベッド」


 また心が沸き立つ。

 ミュリーは恐る恐る、彼の眠るベッドに触れてみた。

 それなりに値の張るベッドである。南国にいる鳥の羽や獣の皮を利用したそれは寝心地抜群。

 『レストール家』に元々あったものを補修したものなので、なかなか豪華。

 本来、下級や中堅探索者には、十年掛かっても手に入れられない上物だ。

 けれどそんな事は問題ではない。

 ここはいま、リゲルのベッドなのだ。この少年がここ数時間使用し、就寝時に色々な思いを馳せたであろうベッドなのだ。


「……」


 つん。

 ミュリーは恐る恐る、リゲルの顔に触れてみた。


 つんつん。

 ミュリーはためらいがちにもう一度つついてみた。


 つんつん。つんつんつん。

 リゲルは何度も何度もリゲルの頬に触れてみた。


「~~~っ、リゲルさんの顔に触っちゃいました……っ」


 キスしておいて何を今さらである。


 その場で悶えて恥ずかしそうに首を振るミュリー。

 いけない、こんな事をしては駄目です! と頬が真っ赤にするが止められない。

 頬、眉、あご、次々と彼の顔を触れていくミュリー。

 もうこれではこれから寝るには緊張しすぎ、愛情が溢れ過ぎていた。

 もはや違うベッドで(リゲルがミュリーのベッドを使っているので、ミュリーはリゲルのベッドを使うべきだが)眠ることなんでできない。

 高揚は高まるばかり。


「……失礼しますね」


 そっと、ミュリーはリゲルの布団に入ってみる。


 温かい。

 そして、リゲルの香りがする。優しくて、逞しくて、いつでも一生懸命な彼の、残り香。

 そんなはずはないのに、また彼に抱きしめられている気がして、思わずミュリーはさらに赤面してしまう。


「あう……し、心臓が張り裂けそうです……っ」


 このまま朝まで持つべきどうか? それともなんとかして眠ってみる? それとも――もっと触ってみようか。

 高鳴る鼓動のまま、ミュリーは何とか布団に包まっていく。

 リゲルの寝息が聴こえ、心地よい。

 何度かミュリーは、深呼吸をしてみる。ふー、ふー、ふー、と、努めて穏やかに繰り返す。

 そして、目を閉じる。


「リゲルさん……」


 明日起きたら、何と言おう。おはよう? 昨日はごめんなさい? それとも、またキスは、心臓が止まりそうなので無しよして――。


「(ううん、違う)」


 言うべき言葉は決まっている。これから、ずっと決まっている。

 だからミュリーは、迷わず眠りの世界に誘われることにする。

 帰るべき場所に帰ってきた少年、もう彼は、ずっと自分のそばにいるはずだから。

 今度こそ、ミュリーは、安心して、リゲルの手に自分の手を重ね、小さく呟くのだった。


「ずっとこれからも一緒ですよ、リゲルさん」



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