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第五十七話  ただいまと、おかえり

 『青魔石事変』による破壊の後。復興に勤しむ都市ギエルダでは、多くの人々が治療にあたっていた。

 戦闘に挑んだ衛兵、ギルド騎士、そして逃げ遅れた一般人……。

 そして『青魔石』使い――楽園創造会シャンバラ』の計画の被害者となった人々も、その治療を受けていた。


 その内の一人。

 ギルド支部治療室にて。数多のベッドの立ち並ぶ中、『青魔石』使いのリットが呻いていた。


「うわ~、痛ぇ……」


 《四級》解析官、《ケルピー改》を使った戦いから数時間。

 体の各所には包帯が巻かれ、いかにも痛々しそうだ。

 それらは治療用の他、『青魔石』の後遺症を検査する魔術具でもあった。


「くっそ……まったく、無様にやられたものだぜ、この俺がよ」


 思わず毒づく。

 その傍ら、嘆息してリンゴの皮を剥いていたのは、同僚の《四級》解析官、カリンだ。


「馬鹿言わないでよ、命があるだけでも儲けものじゃない。あんた、あの時死んでてもおかしくなかったんだよ?」


 カリンの言う通りだ。

 『青魔石事変』の折、リットは《ケルピー改》を用い、リゲルとの戦闘に挑んだ。

 結果、《トリックラビット》などの波状攻撃で返り討ちに遭ったわけだが、こうして命を繋ぎ止めているのは一種の奇跡だろう。


「『気絶』させるのは、『殺す』より何倍も難しいって聞いたことがあるよ。あの時、あんたを倒した人は、本当なら一瞬であんたを殺すことも出来たはず。なのに、それをしなかったのは、あんたも『被害者』だからだよ」

「それは……」


 確かに、『青魔石』の暴走が終えたリットだから分かる。あの時、彼は極限まで『理性』を駆逐され、正常な思考を保てなかった。

 いや、理性がなかったわけではないが、全て脳内の『声』に駆逐された。


『――排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ!』


 あの時のあの声は忘れようもないし、恐ろしい。自身の全てを否定し、侵食する、恐るべき『声』だった。

 リットを止めた探索者――『リゲル』が取った行動は、リットが真の悪ではないと察していたからだろう。

 だからこそ、カリンもリットも感謝の念を抱いている。


「――結局、何だったんだ、あの『青魔石』は……?」

「わかんない。グランギルドマスターもレベッカ参謀長も、何も教えてくれないし。……ただ一つ判っているのは、あれは『危険』なものだよ。人の理性を壊して、暴走を促す。混沌の異物。まともじゃない物だよ」

「……そうだな」


 言うまでもなく、あれは、間違いなく危険な代物だ。わずかな理性さえ駆逐し、人を『破壊者』へと変えてしまう魔の石。

 かつて、これほど凶悪だった代物もないだろう。悪魔が造ったと言われても信じられる。


 だが、こうも思うのだ。あの邪悪なる『声』の奥底。あの声の主は、呪詛の他に……何か、別の感情を元に叫んでいたのではないか?

 他に、別の『声』が――かすかに、聞こえてきた気がするのだ。


『――排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ! ――――――――――『才能』在レ……』


 それは、ほんのかすかに聞こえた『声』だ。

 正気ではないリットの感じた、単なる幻聴だったかもしれない。

 けれど、あの時――リットは単なる『憎悪』だけで破壊を促されただけではない――そう、感じてしまったのだ。


「……全ては、《一級》の奴らが解析してくれる、そう願うしかねえな」

「そうだよ! まあ、とにかくあんたが生きてて良かったよ。あたしもさ、同僚が死んじゃったら寝覚めが悪いもん。無事で……ほんと良かった」

「おい……泣くなよ」


 カリンは少しクマの出来た目で笑った。


「べ、別に笑ってないし! ほら、リンゴ食う? ってか、食え! 元気になるために!」

「……そうだよな。未来が残っている俺は、食わなきゃならないんだよな」

 

 まだ、体の節々が痛い。それはきっと『青魔石』の後遺症なのだろうし、あるいは無理を重ねた破壊への罰なのかもしれない。

 それは判らない。


 ただ判ることは、あとで下される『青魔石』使用の罰は受ける事だけだ。

 けれど、それらの不安や、痛みはさほどでもなかった。

 覆っていたシーツを押しのけ、リットは起き上がる。

 この身を生かしてくれたリゲルのためにも。ベッドの上で、上半身だけながら、活力ある手を、差し出して。


「……俺さ、もし罪を償ったらさ、今度こそ《四級》を脱却しようと思うんだ」

「っ! ――出来るよ。あんたなら。きっと。……首謀者がいるってんなら減刑もされるだろうし、全部が終わったら、また仕事しよう? 一緒にさ」

「……けっ。リンゴの皮も満足に剥けねえ女と仕事なんぞ出来るか! やるなら可愛い女の子とやるわ!」

「あー、言ったな! いいから食え! このすかぽんたん!」

「もが!?」


 口にリンゴを突っ込まれながら、リットは思う。

 ――あの時、すまなかったな。魔石使いの探索者。でもあんたのおかげで、まだ前に進める。

 一度は間違えても、また、きっと。今度こそ。

 だから今は礼だけは思っておく。すまねえ――そして、『ありがとう』、と。


 リットは、あの時の少年の戦闘――彼に言われた言葉を噛み締めながら、リンゴを食べる。未来へ。明日へ向かって――歩き出すために。



†   †



「あの、メアさん。ちょっといいですかー?」


 ギルドの幹部会議が終わった直後。

 参謀長レベッカは、廊下で浮遊するメアを見つけると、呼び止めた。


〈ん? なになに~? どうしたの?〉

「じつは、あなたの『宝剣』について、判った事がありますー」

〈えっ?〉


 驚きに目を見張る幽霊少女に、レベッカは軽快に述べていく。


「どうやら、あなたの宝剣には『封印』が施されているみたいですねー。昨日、あなたの宝剣を拝見したところ、意図的な『封印』が施されていましたー。これはおそらく、あなたの父君が行ったものかと」

〈え、お父様が……? いったい……どうして〉

「理由はいくつか考えられますー。まず、使用者がいきなりは扱いきれないということ。名剣や宝剣の中は、使用者に多大な技量を要求するものもあります。――『宝剣』は、強大な力です。いたずらに扱えば使用者のみならず、味方にまで被害が及ぶ可能性がある。ゆえに、『宝剣』が貴方に渡るにせよ、別の誰かに渡るにせよ、意図的な封印を施したのですねー」


 確かに、『九宝剣』は元々、メアの父が襲撃者アーデルに対抗するため造ったものだ。

 そしてそれを誰かに託し、敵をとってくれ――というのが父の願いだったが、実際はメアが『九宝剣』を使っている。


〈……あり得るかも。お父様ならそう考えると思う、実際、今あたしが使ってるけど、何かの『抑制』を感じるの〉

「それが内に秘められた封印の『力』のせいでしょう。そもそも力とは、制御すべきものです。知っての通り、リゲルさんも自分の『力』を皆には全ては明かしていません。私も詳しくは知りませんが、彼は『合成』以外の『何か』を持っている。それが何かは判りませんが……ま、リスクを恐れたのでしょうねー。万一、何者かが彼を狙う場合、私達に知られては、そこからつけ入る隙も作られますし。保身のための情報隠匿は、自然なので問題はないです。――話を戻しましょう」 


 レベッカは心なしか真面目な口調を取り語る。


「――貴方の『宝剣』は、現在のリゲルさん並の『力』に匹敵する――その可能性があります」

〈え!? この宝剣に……そんな『力』が……?〉


 驚愕に染まるメア。

 確かに、それは驚くべき事だ。未曾有の力とも言えるリゲルの力、それに匹敵するのだから。

 ですです、と言ってレベッカは続ける。


「何しろ迷宮の研究をなさっていた貴方の父君ですからねー。様々な術式を経て、作られた宝剣に間違いないでしょう。烈剣、天剣、冥剣、魔剣、災剣……いかにもな肩書きを持ちながら、効果が『切断』するだけなのはあり得ない。その九本の『宝剣』には、強力な『特性』が隠されているのでしょう」

〈『特性』……それって、例えば『能力5倍』スキル、とか?〉

「もっと上です。《重力》、《反射》、《未来予知》……あるいはそれ以上に強大な、『力』が眠っているかもしれません。それこそ、当ギルドにある、《一級宝具》を上回る力かも……」

〈そ、それは凄い……!〉


 驚くメアに、ウインクしてレベッカは笑う。


「ま、もっとも、今は解除の条件は不明ですけどねー。ただ《一級》の解析官に任せて貰えば、その限りではありません。メアさん、ギルドへ『宝剣』を貸していただけませんか? そうすれば封印の解除は叶うものと思われます」

〈え、でもそれは……〉

「判ってます。最愛の父君から託された『宝剣』を預けたくない心情は、理解出来ます。しかし来る決戦の折、『楽園創造会シャンバラ』に対して、強い武力は一つでも多く必要です。あなたの友人が、リゲルさんが、ミュリーさんが、ひいてはあなた自身の安全のために。ギルドに預ける事は意義ある事と思いますよー。もちろん、強制はしないですけどね」

〈う、うん……そうだね……〉


 宙に浮かびながら、迷うメアにレベッカは首をかしげる。


「何がご懸念でも?」

〈ううん。わざわざお父様は危険を感じて『封印』を施したんだよね? だとしたら、今のまま全部を解除するのは危険じゃないかな? 一本か……多くても『三本』、そこまでに留めておいた方が安全だと思うけど……〉

「――。確かに、もっともな意見ですね。では二本……いえ『三本』だけお借りしても構わないですかー?」

「……うん。いいよ。じゃあ《天剣ウラノス》と、《盗剣ヘルメス》、それに《冥剣ハーデス》をレベッカさんに預けるね」

「助かりますー。では解除が出来次第お知らせしますね」


 そう言って、レベッカは三本の『宝剣』を借り受けた。

 メアの『宝剣』が解放されるまで、そう長く時間は掛からない。

 彼女はさらなる強さを得て、戦場で活躍する事だろう。



†   †



 ――時は遡り、『青魔石事変』の当日、夜十時。

 リゲルは街中で、休息をしていた。


 街は一応の平穏を取り戻していたが、各地の避難民は未だ多い。そのため、援助に回っていたのだ。

 現在、街は立入禁止区域も多く、崩壊した建物も多い。

 比較的無事なのは西地区と、西南地区くらい。

 経済の中心が西と西南に移ったことで、街の統制庁は西区画へ臨時移転。

 都市長やギルドの指揮のもと、復興への道を歩む事となる。


 そのため、リゲルは大忙しだった。

 何しろまともに魔術を使えるのはリゲル達と、一部の騎士だけだ。

 ほとんどは疲労や負傷で休息が必要。リゲルはメア、マルコ、テレジアと共に、救護活動に奔走していた。

 各地で崩れた建物の補修や、負傷した衛兵や騎士の手当――そして一般人のケアに至るまで、休む間も惜しんでの活躍だった。


 もちろんリゲル達も疲弊の極みだ。

 けれど街の人々はそれ以上に疲弊している。

 重傷者は急ぐ必要があるため、リゲルの魔石やテレジアの回復魔術で治療した。マルコも後遺症の検査し、その後は彼らの補助で駆け回っていた。


 メアの人気は、その中で凄まじかった。

 何しろ《浮遊術》で物体の重さ関係なく瓦礫や負傷者を運べるのだ、人々を助ける姿は大変な人気者。

 その可憐さも相まって、『天使エンジェル』だの『ゴースト姫』だの『つーか俺の嫁に来て欲しい!』だの、一部から大変もてはやされ、一躍、時の人となっていた。


 一方で、マルコとテレジアに関しては、ボルコス伯爵家を離れ、正式にリゲルの仲間になった。 

『レストール家』の使用人となったのである。

 これは、彼らがボルコス伯爵家の残留を拒んだこと、そしてユリューナ捕縛に貢献したこと――加えて最大の功労者であるリゲルとメアの強い要請により、実現した。


 ボルコス伯爵家からは、『二人は私の所有物だ!』『直ちに返還せよ!』などと強い反対抗議が示されたが、結局はギルドマスター・グランやレベッカが取りなした。



 

「――リゲルさん」


 夜も更け、十二時に差し掛かった頃。

 周辺の瓦礫撤去が終わったリゲルのもとへ、マルコとテレジアがやって来た。


「今日は本当にお疲れ様でした。そして僕たちを雇ってくれて、本当にありがとうございます」

「お互い様だよ。君たちがいなければ、僕もユリューナを捕縛出来なかった。改めてへりくだる必要なんてないよ」

「でも、嬉しいんです。僕らは、未来がないと思っていましたから。ボルコス伯爵の中で、暗く、辛く……先のない毎日ばかりが続く毎日。それを、壊してくれたのは貴方です。……本当に、感謝しているんです」

「いや、そんな……」

「いいえ、あなたはあたし達の恩人だわ。あたしたちを救ってくれた事に、すごく感謝してる。あの地獄のような日々から助けてくれて、本当にありがとう。――それが、素直な気持ち」


 それ以上言葉にならないのか、マルコもテレジアも、感極まった様子でリゲルを見つめてくる。

 激動の『青魔石事変』、《砂楼閣》戦、ユリューナとの激闘、そして救護活動……それらを経て、ようやく感情が追いついてきたのだろう。彼らの目の縁には、光るものがある。


「辛い辛いと思っていても、そう考えず耐えてきたんです」


 マルコの声は、優しい。


「それから解放してくれたリゲルさんは、一生の恩人です。僕、頑張りますよ。『レストール家』で、精一杯、全身全霊で尽くさせてもらいます!」

「あたしも。リゲルさんのために戦うわ。探索に行くっていうならパーティの回復役として行くし、屋敷の模様替えをしたいっていうならどんな知恵だって貸すわ。……まあ、愛人とかそういうのは、ちょっと勘弁してほしいけどね」


 冗談混じりにテレジアが言うと、リゲルは笑った。

 いいものだ。仲間とは。純粋に気持ちが明るくなる。


「はは……愛人は特にいらないよ、僕にはミュリーがいるからさ」

「……うわ、のろけですね」

「のろけだわ~」


 しばらく、三人でとりとめもない雑談を交わす。

 話題は探索、迷宮、好きな食べ物、ミュリーのスリーサイズと、様々だった。

 時には呆れたように、時には可笑しそうに笑う。

 マルコもテレジアも、掴み取った平穏を満喫していった。

 

 やがて、雲が晴れ、夜闇から月光が降り注いでくる。

 それはまるで彼らを労うように。祝福するかのような光だった。

 星々の宝石箱をひっくり返したような夜空の下、彼らは語り合っていった。


「なんて、綺麗な空なんだ……」


 思わず、マルコが溜息をもらすように呟いた。


「空が、こんな綺麗なものとは思わなかったです。伯爵家ではそんな余裕がなかったから……」

「ね。凄く綺麗。あの罵声も、あの体罰も、もうないんだと思うと、気持ちが楽だわ。あたしも伯爵家では、怒るか泣いてばかりだったから……」


 ボルコス伯爵に叩かれ、蔑まれ、辛い日々を送ってきた二人。

 何度も苦しみ、怒り、絶望を覚えたことだろう。

 けれど、そんな日々は過去のものだ。

 もう彼らには、明るい未来が待っている。

 マルコとテレジアの横顔は、希望に満ちたものだった。


 リゲルは――ふと、自分の中にこみ上げてくるものを感じた。

 それはミュリーや、メアを助けた時と同じもの。心の中に自然と湧き上がり、暖かく、尊く、かけがいのない気持ち。

 感謝に対する嬉しさ。

 これまでの事が思い返される。裏切られ、放浪し、ろくな収益もなかった低級探索者の日々。希望もなく、何ももなく、ただ目の前の低級魔物を倒し、当座を凌いでいた自分。

 けれど、ミュリーと出会い、強くなり、『合成』を駆使し、数多の人々を救い――その結果、『ランク黒銀ブラックシルバー』、そして『特権探索者』にまで出世した今の自分を思う。


 満たされなかった過去と、満たされた今。

 これからリゲルは、さらなる覇道を突き進むことになるだろう。

 ミュリーと共に。メアと共に。マルコや、テレジアと共に。

 その未来が、道のりが、たまらなく待ち遠しい。


 もちろん、懸念がないと言えば嘘になる。《錬金王》アーデルは凶悪だ。

 そして『楽園創造会シャンバラ』の暗躍も気になる。なにより『精霊王』ユルゼーラの事を調べ、ミュリーの記憶を取り戻すという約束。


 この身はたかが人、ほんの少し前までは無力な探索者に過ぎなかった。

 けれど、それでも、未来に不安はない。独りではないから。彼らがいるから。以前なら挫折するような事態でも、きっと彼らとなら乗り越える。

 ――僕は、強くなった。

 ――未来へ向かう希望の眩しさを知った。

 ――感謝されるのが、こんなに心地良いことを知った。

 そして、それはずっと、続いていくだろう。いや、続けさせる。大切な人に囲まれて、誰かに感謝されて、敬われて、そうして紡いでいく。


 ありがとう、ありがとうと、リゲルは何度彼らに言ったとしても、伝えきれなかった。


「マルコ、テレジア」


 リゲルは、万感の想いを込めて彼らの肩に触れる。


「僕も、前はうだつの上がらない探索者だったから嬉しい。そう言ってもらえて。感謝されて。それだけで嬉しい。これから、改めてよろしくね」

「はい! 共に行きましょう。昨日より今日、今日より明日、明日よりその先の未来は明るいですよ。怖いものなどありません。リゲルさんとなら、どこまでも行けます」

「あたしも。まだ迫りくる敵は確かにいるけど……きっとリゲルさんと共にいれば、乗り越えられる。そう、信じてる」


 限りない信頼を乗せて、マルコとテレジアが語る。

 それほど、彼らの苦境は絶望的だった。彼らにとって、リゲルは英雄なのだ。

 ありがとうと、もう一度彼らは気持ちを伝えていった。



†   †



「そう言えば、そろそろ夜も遅くなりますね」

 

 やがて。月夜も深い雲に隠れだした頃。

 マルコがふと、思い出したように言った。


 リゲルがはっとする。


「あ! いけない、もうとっくに日付代わってるよ。……どうしよう、ミュリー、もう寝ちゃったかな」

「きっと、待ちくたびれて、拗ねちゃってるかも。ふふ、リゲルさん、うっかり者ね」

「いや、彼女なら待ってくれてるよ。たぶん、きっと、おそらく」

「声、震えてませんか?」


 マルコとテレジアが少しだけ茶化す。


「でも、真面目な話、そろそろ戻った方がいいですね。たくさん心配かけちゃったですし。きっと寝ないで待っていますよ?」

「そうよ。リゲルさん、帰りましょう? そして、真っ先に伝えてあげなくちゃ。大切な人から、一番大事なことは聞きたいだろうし」

「……そうだね、急ごう。正直、今日は疲れた。早く彼女のもとへ戻りたい」


 そしてただいまと。

 温かい笑顔で、優しい笑みで、そう迎えられたい。


「帰ろう、僕の……いや、『僕』たちの屋敷へ」


 リゲル達は、途中でメアとも合流すると、『レストール家』の屋敷へ急いだ。

 彼女も上機嫌に語ってみせる。


〈早く家に帰ろうよ、ミュリーの笑顔が見たいもの〉


 月明かりの下、鬱蒼と茂った木々をリゲルたちは駆け走る。

 やがて大きな扉が見え、息を整えた。


 ――もう寝ているかな?


 そう思った瞬間、リゲルは不思議な感覚を抱いた。

 こんな、誰かの待っている場所に行くなど、以前は考えられなかったことだ。

 時には辛く、厳しいと感じられる事もあったけど。どれも嫌な事では無くなった。

 なぜなら、どれほど疲れて帰ってきたとしても――。

 必ず出迎えてくれるかのじょがいたから。

 安らぎを与えてくる彼女ひとがいるから。


「ごめん、ミュリー。今帰ったよ!」


 コンコン、と、リゲルは屋敷の扉を叩く。


 途端に、屋敷の中から、嬉しそうな足取りが聞こえてくる。


 軽快で、確かな、淑やかな彼女の足取り。


 リゲルが、ゆっくりと扉を開ける。


 瞬間――


 銀色で、美しい髪をした可憐な少女が、笑顔で出迎えた。

 

「お帰りなさい、リゲルさんっ」


 小鳥が鳴くような声で、出迎える精霊の少女に対し。


 万感の想いを込めて――笑顔を浮かべたリゲルは――。

 

「ただいま、ミュリー」

 

 その瞬間、ミュリーが涙をにじませ、勢い良く抱きついてきたのだった。


 そしてそのとき重ねられた唇の感触を、リゲルは忘れない。



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