第四十三話 身だしなみは少女に
〈ミュリーって結構オシャレはする方?〉
『青魔石』の事件の一日前。
滋養剤の騒動を経てベッドで静養していたリゲルとミュリーへ、雑談混じりにメアが聞いてみた。
「オシャレ……ですか? あまり、したことはないです」
〈そうなの? 勿体ない〉
「精霊の間ではそもそもオシャレ、という意識自体がほとんどなくて……」
聞けば精霊の間ではあまりオシャレという概念があまりないらしい。
森と共に行き、湖など自然などの中で暮らす彼女らには、自らを着飾る発想自体が薄いのだ。
もちろん、威厳などを保つため族長クラスなら別だが――自らを装飾品や髪型で着飾る人間の文化は、人里に来てミュリーが驚いた事の一つだった。
〈へえ、そうなんだ。びっくりしたでしょ?〉
「はい。皆さん立派な腕輪やリボンなど付けて。特に若い女性はオシャレだと思います」
〈髪型も凄くバリエーションあるし〉
「あ、それは思いました。皆さん凄く華やかなですよね。男の人も」
探索者は特に身だしなみに気を使っている者も多い。それは生死を賭ける迷宮探索において、オシャレは娯楽の一つだからだ。
もちろん見栄えが良い方がパーティに誘われやすいという実益もある。
〈男でも長く髪を伸ばしたり染めたりしている人は多いよね〉
「そういえばリゲルさん、髪が伸びましたけど、それも意図的ですか?」
「あ、これ? これはまあ、自然とだね」
休養中でベッドに寝るリゲルは、言われて初めて気づいた。
そういえばミュリーと出会ってから二ヶ月経つが、一度も切っていない。
元は耳が見えるくらいの長さだったが、いつの間にか耳は完全に隠れて、ここ数日は首の後ろで無造作に束ねるのが常だった。
考えて見れば当たり前で、ここ最近も激動に次ぐ激動の毎日でそれどころではなかった。
「リゲルさんの髪、尻尾みたいでちょっと可愛いです」
「いや、尻尾と言うにはちょっと短すぎるけど……」
リゲルの頬が思わず緩む。だとしたら嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分だ。
いつもそばで見てくれている彼女にに、愛しさがこみ上げる。
〈髪と言えばさ、ミュリーは髪束ねたりしないの?〉
「え……わたし、ですか?」
〈うん。だってそんなに綺麗な髪なのに〉
メアの言葉に、ミュリーが小首をかしげる。
そう言えば、ミュリーが髪型を変えている姿は一度も見たことがない。
見事な銀色の長い髪は、芸術品のように美しく、華々しい。
けれどそれは常におろしたままだ。
もちろん、風呂に入っている時はまとめているのだろうが……それはそれでちょっと見てみたいが、残念ながら覗く趣味のないリゲルには、ストレート以外の髪型はお目にかかった事がなかった。
「……やっぱり、気になりますか?」
おずおずとミュリーがリゲルへ問いかける。
「それはまあ……探索者の女性なんかは、結構髪型バリエーションに飛んでいるから」
「そうなんですか?」
「うん。一般に、探索者って命がけの仕事だからね。ふとした瞬間に、他の探索者の姿を眺めるのが気晴らしの一つなんだ。特に、女性の探索者の髪型は一種の娯楽だね」
ボブカット、ウェーブ、サイドアップ、ツインテールにお団子状まで。
様々な女探索者の髪型は、探索の中ではオアシスのようなもの。
「そうですか、気晴らしで髪型を……」
「うん。女性探索者の綺麗な髪を見るとさ、和むんだよね。ポニーテールとか、ツインテールとか、お団子状とか……珍しいのでは螺旋状でもの凄い人とかもいたなぁ……。危険な迷宮探索だけど、そういう小さな幸せがあるから、心を癒やせる」
実際、緊張に次ぐ緊張では身が持たない。生と死を彷徨う探索者は、肉体以上に精神面のケアも重要。
そこで、綺麗な装飾具や香水の香り、艶めくような髪を見る事が、異性、同性を問わず、心のオアシスとなっている。
リゲルも連戦をそれで乗り切ったことは一度や二度ではない。
「……」
「それでね、迷宮の中の女性って……ミュリー?」
ふと、ミュリーに語りを続けようとしたが、黙り込んでしまった事に訝しむ。彼女は、少し考え込るようにしていた。
そんな彼女は、やがて。
「ポニーテール……見たいですか?」
「え?」
「あ……いえ、何でもありません」
言って、ミュリーは恥ずかしそうにして、顔をうつむかせてしまう。
「……」
ふと、気になったのでリゲルはじっとミュリーの顔を見てみた。
「あう……」
そのまま、じっと見続ける。
ずうっと、見続ける。
さらに、見続ける。
「……ぁぅ」
やがて、ミュリーの頬がかあっと紅くなった。
でも、それでもリゲルは見つめ続ける。
「あ、あの、あんまり見ないでくださいリゲルさん……」
「いや、ポニーテールにしたミュリーを想像していたら、心の中で悶えてしまって」
「悶え……!?」
「あ、いやごめん。でもちょっと見てみたいなって思った。だってミュリーは綺麗だし、ポニーテールとかしたら僕の中でもう一段何かが駆け上がるような気がして」
「き、綺麗……」
似たような事は何度か言ったはずだが、それでも恥ずかしそうにうつむくミュリー。
いつまでも初心な彼女が可愛くなって、リゲルは愛しくなる。
「ちょっと、いや、かなり見てみたいかも」
〈そうそう、あたしも!〉
メアも口を挟む。
「で、でも……そんな、期待通りにはいかないと思いますよ……?」
〈そうかな? でもあたしもたまには見てみたいよ、ミュリーの違う髪型。きっと可憐だろうなぁ〉
「僕もそう。変わった君の姿、見てみたい」
言外に「見せて見せて」と二人で催促する。
「あ、うう……」
ますます、ミュリーが恥ずかしそうにうつむく。
期待には答えたいが、なかなかふんぎりがつかないのだろう。
それも判っていて、リゲルとメアは黙って見つめ続ける。
……我ながらちょっと意地悪かな? と二人が思いかけたところで。
「で、では……一回だけ、髪型変えてみますね」
〈やった!〉
「ありがとう!」
二人の歓声。
ますます、ミュリーの顔が赤くなる。
首などほのかに桃色に染まり、ちょっとした色気が出る始末だ。
けれど、リゲル達は目をそらさない。病床の身では娯楽など皆無に等しいのだ。ミュリーのいつもと違った一面が見られるなら、拝み倒してでも見るべし!
「あの……何か、束ねるものありませんか?」
〈あるよ、この紐でいいかな?〉
メアが《浮遊術》でベッド脇の家具を漁り、麻紐をミュリーに渡した。
「それじゃあ……えっと、後ろ向いていてくれますか?」
「(じー)」
〈(じー)〉
「あ、あの……? リゲルさん……? メアさん……?」
『(じとー)』
「あの、後ろ、向いて……」
もちろん、聞こえているが目をそらしたくないのでリゲル達ははじっと見ていた。
「あう……今日のリゲルさん達、ちょっと意地悪です……」
「ごめんミュリー。今の僕は理性より感情が勝っているみたいだ」
〈あたしもそう。ポニーテール! ポニーテール♪〉
「そんなぁ」
部屋の中、「ミュリー、早く!」「ミュリー、早く!」と囃し立てる声が渦を巻く。
しばらく戸惑っていたが、やがてミュリーは諦めてリゲル達の前で髪を結ぶことにした。
彼女の白い手が、長い髪に伸ばされる。
普段はそのまま下ろされている銀髪。それが柔らかく両手で持ち上げられ、ふわりと浮き、隠された鎖骨があらわになった。
恥ずかしさのせいかほんのり赤い。
ミュリーが気まずげに目をそらす。
リゲル達は彼女に釘付け状態になる。
別にいやらしい事などしていないはずなのに、健全なお願いなのに、裸でも見ているように心臓がバックンバックン鳴っていくのがわかる。
「ま、まとめます……」
〈いけ、行くんだミュリー!〉
ミュリーの手が銀髪を束ね始めた。
ますます、彼女の見えない部分があらわになる。
うなじ、耳、首の後ろ!
細い手が徐々に銀髪を束ねていく。そしておっかなびっくり、ミュリーは渡された麻の紐をくくりつけようとしたのだが、
「あ……」
緊張のあまり、紐を落としてしまう。
「大丈夫、焦らないで」
〈そうそう!〉
内心で髪かきあげるミュリーにどきどきしつつもリゲル達は優しげに語りかける。
「あ……」
再度、ミュリーは紐を落としてしまう。
めちゃめちゃ恥ずかしそうなミュリー。
……ひょっとして、このまま凝視し続ければ天国を堪能し続けられるのではないか?
という馬鹿な思考を押しとどめ、近すぎず遠すぎず、ミュリーを見つめ続けるリゲルとメア。
やがて――
「で、出来ました」
「完璧だ……」
〈エクセレーント!〉
思わず震えた声が飛び出るリゲルとメア。
冗談ではなく、誇張ではなく、天使だ。――天使がそこにいた。
細く白い体に映える銀色の長い髪。まるで冬の空を凝縮したような神秘さ。まさに可愛さの化身たるポニーテール天使がそこにいる。
もはや、天使では生ぬるいだろう。女神でも足りない。女神の中の女神――それを超えた女神王が目の前に君臨していた。
……自分でも何を思っているのか判らないが、それがリゲルとメアの偽りない感想だ。
「あうう……は、恥ずかしいです」
リゲルも思わず凝視する自分たちが凄く恥ずかしい。
しかし、しかし! このミュリーの可憐さは奇跡だ! 最高だ! 地上の宝だと断言できる!
僕らのミュリーは世界一だ、などと叫びたい衝動を懸命に我慢し、リゲル達は叫ぶ。
「最高だよミュリー! まさかこれほどとは思わなかった! ふふ、僕もう死んでもいいかも」
〈あたしも! もう心臓止まって幽霊になってもいい! ……もう幽霊だけど!〉
「ゆうれ……!? しんぞう……!? お、大げさですよリゲルさん、メアさん、髪を結んだくらいで」
〈何を言っているのミュリー!〉
「そうだ! 鏡を見てごらん。その辺の美少女なんて霞む可憐な少女がいるよ」
「はう……」
ベタ褒めでもはやリンゴより紅くなったミュリー。それが嬉しくて、可愛くて、ついリゲル達は頬が緩む。
「念写出来るかな? たしか迷宮の記録用の魔術具があったはずだ。……ミュリーのこの姿、是非収めないと世界への冒涜だよ。歴史の損失だよ。そうだ、いっそ美術館に寄贈しよう! いやもうミュリーの記念館を建てて、そこに飾――」
「リゲルさん、リゲルさん、落ち着いてください」
〈……それだ!〉
「それだじゃないですよメアさんっ、リゲルさんを止めてください……っ」
もはや暴走気味のリゲル達だった。
慌ててミュリーがリゲルの肩を抑えつけた。
その拍子に、髪の毛の先端がリゲルの鼻先をかすめる。
「……っ! ミュリーのポニーテールが……僕の鼻にっ」
「え……きゃあっ」
思わずリゲルはミュリーを抱きしめた。
至近距離でミュリーの香りが広がる。幸せが広がっていく。
病床で心が弱っていたせいか、いつもよりミュリーが愛しく感じられる。
「あの、その、リゲルさん、あの、離してくださ……」
「あ、ごめんごめん。つい興奮して」
申し訳なさそうに言うも、名残惜しそうに手放すリゲル。
しばし、お互い息を整えてみることにする。
そんな様子を、メアが羨ましそうに見ていた。
〈むう、ずるーい!〉
「はう……そ、そんなに良かったですか……?」
「それはもう。今も体が震えて止まらない程だよ」
ミュリーは恥ずかしそうにしつつも、嬉しそうにはにかんでいた。
そして、それからしばらく堪能した後。
「さて、じゃあ次はツインテールといこうか」
「え?」
〈その後はツーサイドアップなんかもいいよね! あ、三つ編みも良さそう。お団子状とか螺旋状もいけるよね! サイドテールやオールバックやアップテールや、リゲルさんと同じ、首の後ろで束ねるのもいいね!〉
「同感だ、激しくメアに同感だ!」
リゲルと、メアのの顔が、爛々と輝いていく。
対してミュリーの顔は、そのまま笑顔のまま固まっていく。
「あ、あの、リゲルさん……? メアさん……?」
笑顔のまま凍りついて、問いかける。
「今ので終わり、なんてことは……」
「あるわけないよ。続投だよ」
〈最高の次は至高のオシャレの続きだよ! さあミュリー、もっとあたし達にあなたの可能性を見せて!」
「きゃ~~~~!?」
その後、リゲル達はたっぷりとミュリーのオシャレを堪能した。
所用で別の部屋にいた護衛騎士が来てみると、恥ずかしさに真っ赤になったミュリーがいた。
† †
「……今回は本当にありがとう、二人とも。僕を励ますために、色々してくれて」
ひとしきり恥ずかしさも過ぎ、しばらく後。
リゲルは感謝の言葉と共に少女たちへ笑顔を見せた。
「あ……」
〈むう〉
「倒れた僕を元気づけるために色々してくれたんだよね? 恥ずかしいこともさせて、ごめんね」
さすがに普段、ここまで彼女らが骨を折ってくれるとはリゲルは思わない。
特にミュリーは、恥ずかしさが勝るだろう。
ただの看護の他、滋養剤の作成や、髪型のチェンジまで、力を尽くしてくれるとは思っていない。
――途中から、メアはただ楽しんでいたようにも見えるが。
リゲルも半分以上は楽しんでしまったが。
「急に倒れてごめん、たくさん心配かけて済まなかった」
ミュリーも、メアも、自分が倒れた事でどれほど心配していただろう。
その事を考えると心苦しいし、お詫びしたいという気持ちになる。
けれど、そんな野暮な事はこの際置いておこうと思う。それよりも今、彼女たちの真摯な思いを受け止めることが大切だから。
だから、早く良くなること。そしてもっと彼女たちを幸せに、楽しく過ごせる事をリゲルは思うのだ。
「僕は――」
リゲルは、変わった。
《六皇聖剣》の座から落とされて、絶望のままにさまよい歩いた日々はなく。
うだつの上がらない下級探索者として、灰色の毎日を送る自分もすでにない。
眼の前には、美しい精霊の少女と、可憐なる幽霊の令嬢。
ただ、素敵で、素晴らしい彼女達と過ごせる日々に幸せを感じる。
人間は贅沢なもので、一度幸せを感じれば「もっともっと」と思うものだ。
これからもずっと、彼女たちと一緒にいたいと。
彼女たちの笑顔を見ていたいと。
心から、リゲルはそう想う。
そして同時に、今度は自分も恩返しをしていきたい――そう、彼は想っていた。
「ミュリーやメアと出会えて、毎日が楽しいよ。君たちの日々は、まるで宝物のようだ。だから僕は君たちのために日々を使う。快復したら、いっぱい恩返ししていくから。待ってて」
そんなリゲルの宣言に対して。
メアは、はにかみながら、嬉しそうに、
〈あはは、大げさだよ。それよりも、早く元気になってほしいよ〉
泣きそうな顔をして、ミュリーは――。
「はい。わたしも、もっとリゲルさんと幸せになりたいです」
はにかみながら、そう言った。
『祈り』と『精霊』の力を駆使し、加護を与えてくれるミュリー。
『九宝剣』と《浮遊術》を使いこなし、サポートしてくれるメア。
可憐な二人の少女たちの囲まれ、早く恩返しを果たそう――リゲルは心から、そう思っていた。





