第四十二話 狂える衛兵と殺人鬼
「ははははははっ! 俺は運がいい! これでバセル――貴様を倒せるぞ!」
殺人鬼バセルへの復讐に燃える『衛兵』、べオールの叫びが、戦場に木霊した。
「――ぬ?」
殺人鬼バセルを《暗海》の魔術にて封印していた騎士ガインは、突如怖気を感じ、その場から高く跳んだ。
「な!?」
――それは、まるで宙を塗り潰すかのような黒い光だった。
一瞬後、たった今まで彼がいた箇所に、影が降り立つ。
衝撃で地面が爆ぜる。近くにいた仲間の騎士達数名が衝撃で吹き飛び、手や足を周囲の建物に引っ掛けて止まった。
「何事だ?」
隊長以下――ガインを中心とする騎士達らが、一斉に新手を注視する。
それは、奇妙な『脚』を持った男だった。
黒く禍々しい赤い線の脚。
まとう妖気は魔物そのもの。
男の目はどこか狂気を帯び、怒りとも、憎しみともつかない激しい感情が、見て取れる。
男――べオールは、獣の如き唸りで騎士達を睥睨する。
「ウウウガ、うううガ……っ!」
「なんだこいつは……!?」
隊長である騎士が、訝しげに呟く。
「新手の魔石使いか? ――リオン、ゼル、アリサ、応戦せよ。包囲陣《速風》にて対応――速やかに奴を、」
隊長の声は、間に合わない。
極速で目にも留まらぬ速さでべオールは飛び込み、騎士の一人へと肉薄。その腹を蹴り飛ばしたのだ。
悲鳴も上げられず騎士が彼方の建物へ激突する。
一斉に目を見張る仲間の騎士達が反撃に転じようとするが、それより速くべオールは飛び蹴り、回し蹴り、後ろ飛び回し蹴りを炸裂させる。
「ぐあっ!?」
一瞬で、強固な白銀鎧ですら衝撃を殺しきれず、三人の騎士が吹き飛んだ。
武器屋の建物へ衝突し沈黙する。何だ? 一体何が起きた?
困惑の騎士達が硬直する。
「くそっ」
騎士の一人が、仲間の仇討ちとばかりに《岩刃》の魔術を発動、十五もの刃を放った。
けれどべオールには当たらない。彼は落ちる木の葉でも見るかのように見極め、騎士へ肉薄――膝蹴り、薄ろ飛び回り蹴りで昏倒させる。
遅れて他の騎士が、いくつも魔術を放った。
けれども結果は同じだ。《炎環》、《流水》、《風針》――巧みに包囲しつつ放った連携技は、かすりもせずかわされていく。
「な、何だこいつは!?」
「速すぎるっ! 一端距離を取っ――うあっ」
撃ったと思った時には男は視界の外にいる。かと思えば肉薄して蹴り技が来る。
下段蹴り、中段蹴り、飛び蹴り、数々の蹴撃に騎士が次々と意識を失って倒れる。
気づけば騎士の半数が沈黙していた。
この間約一・五秒。
騎士達が接敵して、僅かそれだけの交戦でこの被害。
「……なかなかの速さだな」
隊長の騎士が、《浮遊》魔術で俯瞰しながら呟く。
「高速タイプの魔物の力か? 報告にあった四人の魔石使いとは違うようだが? ――エリナ、ブオネル、拘束しろ」
命じられた女騎士や太った騎士が、手のひらから紫色の靄を出す。
けれど、べオールにとっては止まって見える。
《ダースユニコーン改》による特性は《超速》――『その場にいる誰よりも速く動くこと』。
この特性により、べオールは相手が例え音速だろうが雷速だろうが、その『一段上』――常に上の速度で動ける。
超速に伴うエネルギーと防御性の獲得。
それによって、無類の格闘能力を会得。
騎士二人が魔術を放つが、まるで当たらない。子供が馬と競争するようなものだ。騎士たちの剣撃、魔術、包囲、全て赤子の手を捻るようにべオールはかわしてみせる。
またたく間に騎士二人が蹴られ、昏倒する。
「ほう? それならば――」
ギルド騎士の隊長が、空中から鈍色の棒をいくつも出現させた。
《氷雨》と呼ばれる魔術の基点の棒――それから数百本の氷柱が、べオールへ雨あられと降りしきる。
しかし地上を舐め尽くすかのような攻撃も、べオールは建物の中、瓦礫の影、倒れた看板などを盾に、全て凌いでしまう。
直後、跳躍――隊長の背後に跳び、流星の如き跳び回り蹴りを放つ。
「があっ!?」
かろうじて白銀剣の腹で防いが、衝撃で動けない。
かかと落とし、背面飛び膝蹴り――岩をも砕く鮮烈なべオールの一撃が隊長を地に沈ませた。
これで、あとは一人。
バセルを隔離していた騎士ガインだけ。
「に、逃げろ、ガイン……っ!」
隊長の必死の叫びは、間に合わない。
せめてもの抵抗に、ガインが《暗海》で、べオールを隔離しようとするが――その詠唱の最初の一言が発せられる前に、べオールは跳躍。顎に膝蹴りを入れ昏倒させる。
ガインが無念を表すように白目のまま地面に伏せる。
パキンッ。
まるでガラスに大きなひびが入ったかのように、バセルを隔離していた空間一帯に、亀裂が入った。
「まずい、ガイン、隔離を継続させろ! 魔術が綻びかけ――」
パキンッ、パキンッ、パキンッ、パキンッ、パリンッ!
叫びも虚しく、何百枚ものガラスが弾けたような大音響が響く。
空間の亀裂から闇が吹き出し、それは空気に触れるとたちまち消えてしまう。
その奥、隔離された空間の中から、最悪の殺人鬼が、高笑いとともに舞い戻る。
「ははははははははははははははっ! 俺っ! 復活せりぃぃぃぃぃ!」
醜悪な笑みを浮かべ、歓喜に打ち震え、バセルが咆哮する。
周囲の瓦礫や地面を、『血色の刃』で切り裂きながら、熱く吐息を漏らす。
「やっと愛しい戦場に戻れたぜー。ああ辛かった、このまま俺衰弱しちまうかと思――」
しかし、復活した彼を襲ったのは、べオールの飛び膝蹴りだ。
「ぐえっ!?」
極速で近づいたべオールに、さしものバセルも吹き飛ぶ。
瓦礫に頭から突っ込む。盛大な轟音が響き渡った。
「ぐあ……」
起き上がる。……が、こめかみから血は吹き出て肉が削げ、左目付近を負傷していた。
彼にとって、戦闘で明確な、初めての傷。
「あ?」
呆けた様子で、バセルが自分の左こめかみを拭った。
血。
紛れもない負傷だ。
知らず、殺人鬼の体が怒りで震える。
「俺の顔に……傷をつけたな?」
憎悪、殺意、復讐心。
あらゆる負の感情がバセルを覆い尽くしていく。
「上等だ、俺の血を流した百倍の血を、流させてやるよぉ!」
「――バセル。バセル。バセル! この時を待っていた! 貴様に敗れ、復讐を果たす時をな!」
バセルの『血色の刃』が槍衾のように展開され、周囲に、禍々しい領域を創り出す。
べオールの《超速》の走りが、瓦礫を蹴り飛ばし、突貫する。
――この時、青魔石の使い手二人が、激突した。
しかし、被害はこの場だけに留まらない。
同じような光景は街の至る所でも行われ、破壊と、爆発を引き起こしていく。
『あの青魔石つかいにやられた! 復讐を!』
『俺が何をしたって言うんだ! 許せない!』
『報復だわ! 同じ痛みをあの人に味わせてあげる!』
破壊が憎悪を拡大させ。
『青魔石』の使いの暴走は、連鎖的に他の人々を復讐鬼へと駆り立て。
そしてその人々の手に、『青魔石』は現れ、広がっていく。





