第四十一話 バーサーク・アヴェンジャー
「ちくしょう……痛ぇ」
第八衛兵隊副隊長べオールは呻いていた。
殺人鬼バセルとの戦いで、脚を負傷してしまった衛兵の一人である。
現在、彼の右脚は大量の血液が流れて、見るも無残な有様となっている。
ただの負傷ではない。その脚は膝下からなくなっており、切断面の肉と骨が見えていた。おびただしい量の血が池を作る程の重症だった。
「痛い、痛い、痛い……っ、くそ、バセルめ……っ」
呪詛のように、怒りと恨みを込めてべオールは呟く。
あの悪名高き殺人鬼バセルとの戦いは、まさに悪夢だった。
脱獄との知らせを受け捕縛に向かったところ、血色の変幻自在の刃を受け、部下は全滅。
自分も片脚を失い、あえなく敗北ときた。
鍛えに鍛えたはずの脚が、なくなった不快感と、あっけなく敗北した屈辱感。それが、べオールの中で憤激となって膨れ上がる。
「もう少しで、出世だったのに……バセルのせいで……ちくしょうっ」
べオールにとっての無念は、これで昇進の道が絶たれた事だ。
衛兵という職は、それなりの高給取りとして名を馳せている。苦労に見合う分、報酬も高く、特に区画の長たる隊長は、破格の高給となっていた。
だが、もうそれも終わり。
右脚を失った事で、衛兵としてはもう失格だろう。
《再生》の魔術という高位の魔術なら治療は可能だが、ヒーラーはどこも人手不足で来られない。
骨折くらいまでの負傷なら治療可能だが、四肢切断、それも一時間を超えてしまった場合は、再生させる事は極めて難しい。
仮に、出来たとしても、以前のような『疾風のべオール』と言われるまでの実力はとても出せそうにない。
想像してしまう。かつて、『疾風のべオール』として健脚を活かした戦士である自分が、みすぼらしく杖をついて歩く姿を。
疾風どころか、そよ風にも劣るか弱い自分。
同僚に馬鹿にされないだろうか?
再就職先が見つかるだろうか?
そしてなりより、過去の自分とのギャップに悩まされるのではないか――刻一刻と流れる右脚の血の量が、痛みと屈辱、不安を呼び、べオールは徐々に不安で一杯になった。
――その時だ。
彼の目の前に、青い石が現れたのは。
「何だ、これは……?」
べオールは訝しんだ。今、まさに自分の目の間に突如として現れた石。
宝石のように輝かしく、美しい――けれど、どこか怪しげな煌めきをも宿す、不思議な『石』だった。
手の届く所にあったため、思わずべオールはそれを手に取った。
その瞬間、彼の頭の中を禍々しい『声』が響き渡った。
――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ!
――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ!
「うう……っ!?」
べオールは数瞬だけ、その声に抗った。
仮にも一部隊の副隊長だ。相応に鍛えた精神力の賜物だった。だが邪悪なるその『声』は、彼の心を揺さぶり、不安や怒り、動揺から巧みに深層へと入り込み、彼の凶暴性を増幅させる。
「うう……憎い……バセルの奴が……憎い……っ!」
笑いながら俺の脚を斬った事。部下を無残な肉塊へ変えた事。見下した事――全てに憎悪を増幅させる。
奴を倒させなば俺の気が済まない。このままでは妻や子供になんと言えばいいのか?
殺人鬼に敗れて脚を失い、哀れな立場に落ちたのだと、彼女らにそう言うのか?
否! 断じて否だ! そんなことは許せない! いや、許してはならないのだ!
――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ!
――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ!
脳裏の声に従い、べオールは叫ぶ。
「おおおおおお、おおおおおおおおおっ!」
力を! 俺にバセルを倒す力をくれ! なんでもいい! 俺は奴を倒せるならば、神にも、悪魔にも、邪神にだって手を差し伸べよう!
――もはや、べオールに、正常な思考はなかった。
ゆえに、『青魔石』は正しくその望みを叶えるため、さらなる力を彼に授ける。
「うおおっ!?」
次の瞬間――青い石が、強く妖しく光った。
それは、小さな太陽の如き燐光。やがてべオールの右脚に集まるように、光が集合。密集した光は、荒々しく光りながら、とある形を形成していく。
それは――『脚』だ。
太く、頑強で、けれど洗練された筋肉を内包した――移動のための要。
黒く、禍々しく、いたるところに赤い文様が入ってはいたが、それは紛れもなく彼の『脚』だった。
「なんだこれは……?」
べオールは瞠目した。
この感覚、この脈動、凄まじいものを感じる。
元の失った脚など比ではない。
それよりも数段上の、圧倒的な『力』を感じる。
――ドクン、ドクン、ドクン、と。
新たに現れた黒い脚に己の血が循環している。失われた右脚のみならず、左脚すら黒い脚に変貌していたではないか。
べオールは狂喜した。バセルに敗れて、感じていた屈辱感や不安はもはやない。あるのはただ、言い知れぬ興奮と、戦意。この脚で『奴』を倒せるという暗い希望だけだ。
「ははっ! はははははっ! 俺は運がいい! これでバセル――貴様を倒せるぞ!」
バガンッ、という凄まじい音と共に地面が砕けた。
べオールが一歩踏み出すだけで地面に亀裂が入り、石がはじけ飛び、空を飛ぶような感覚と共に、疾走出来た。
景色が流れるように、背後へ消えていく。
速い、速い、速い。
体がまるで羽のよう!
先程まで這いつくばり、痛みと共に歩伏しなければならなかった時とは雲泥の差だ。
いや、かつて疾風と異名をとった頃より速くなっている。
もはや誰にも追いつけぬのではないか?
俺は風だ、風そのものだ!
べオールは興奮し笑い続ける。途中、何人かの衛兵を失踪の余波で弾き飛ばしたが、気づきもしなかった。
――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ!
――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ! ――破壊セヨ!
べオールの頭で、濁流のごとく黒い感情が溢れてくる。
その手には、青い石が、禍々しく、邪悪に、光り輝いていた。
【『ダースユニコーン改』 『効果:超速』 『ランク:マイナス五』】





