第二十八話 青い魔石に魅入られて
――それは、『青魔石』が発見される数日前。
「おやおやリットくぅ~ん、みすぼらしい顔して、どうしたのぉ?」
ギルド職員、四級解析官リットは、ギルドからの帰宅途中、同僚の解析官、モセルから嘲笑を受けた。
「……何だよ、嫌味な顔をして」
「今日も今日とてみすぼらしい顔だよねぇ、四年も勤めているのに未だ《四級》、そんなみっともない肩書きで、耐えられる君に尊敬してしまうよ」
「大きなお世話だ、好きで留まってるわけじゃねえ」
「好きで留まっているわけじゃない? ふーん、へーえ、そうなんだ。余計に哀れだねぇ」
大きなお世話だと、リットは思った。
確かに《四級》に甘んじているのは事実だが、それをお前なんぞに言われたくない。
目の前の同僚――モセルは昔からこうだった。何かにつけ人を馬鹿にし、あまつさえ激怒すると上司に悪く報告する。
『リットが暴力を振るおうとしました。これは許して良いのでしょうか?』
吐気がするほどムカつく輩だ。
だが耐えるしかない。モセルは間延びした嫌味ったらしい口調のまま、
「ふふ、まあ二年で《二級》に上がれた僕にひがむことなく、毎日せっせと雑用にする君は立派だけどね。それでも哀れだなぁと思わなくもないよ」
「そうかい。喧嘩売ってんのか、そうなんだな?」
「やだねぇ、怖いよ。そんなだからいつまでも《四級》なんだよ」
ギルド職員にあるまじき、下卑た笑いのモセル。リットは思わず拳で殴り掛かりたくなった。
けれど、仮に殴りかかっても不利なのはリットだろう。
相手は《二級》で、いわゆる格上にあたるためとても敵わない。
それは武力という意味ではなく、『権力』という意味でだ。
人を小馬鹿にしてばかりのモセルだが、ギルド支部内ではそれなりの人脈を築き上げている。多少のいざこざは揉み消せる。
嘲弄、蔑み、その他、火のない所に煙を立てる事も出来てしまうのだ。
《二級》と《四級》、ギルド解析官というものは外から見れば似たようなものだが、内部からするとだいぶ違う。
何しろ《四級》は『見習いに毛が生えた』ものと言われるが、《二級》は『一人前、その中でも上位』と言われるのだ。この差は大きい。
だから、リットとしては苛立つ相手でも、甘んじてモセルの言葉を受けるしかなかった。
「さて、僕はもう帰ろうかなぁ。これから娼館にでも行って、可愛い娘とよろしくやっちゃおう」
「そうかよ。精々散財することだな」
「ふふ、ひがんでるの? 女の子とヤるほどお金も時間もない《四級》は哀れだなぁ」
「勝手に娼館でも豚箱でも行ってろボケが」
「吠える犬ほどみっともないものはないねぇ。あははは!」
「くそっ!」
捨て台詞も虚しく響く。
リットは薄笑いを浮かべるモセルの姿を尻目に、肩を怒らせたまま、ギルドから逃げるように飛び出していったのだった。
† †
「くそくそくそ、モセルめっっ!」
ギルドから出て路地裏に来るなり、リットは罵詈雑言を吐きまくる。
「何が《二級》だ、何が娼館だ、偉そうに誇ってんじゃねえぞ!」
後輩のくせに、大物ぶりを見せてむかつく。
せせら笑う顔が憎らしくてむかつく。
あのひょろ長い体も、人を小馬鹿にした笑みも、全て胸糞悪い。
自分の肩書きを盾にしていばりまくるクズめ! 塵が! 滅ぶがいい!
けれど内心でどれだけ罵倒を叫ぼうと、虚しさがリットの内を這い回る。
力が欲しい、権力が欲しい、地位が欲しい!
せめて同位に並び、奴を見返したい!
けれど――どれだけ望みを叫ぼうと、何が足りない。
四年経っても、リットは《四級》止まり。見習いに毛が生えたまま。
自分なりに尽力しても報われない、上に上がりたいのに、地位をかざしたいのに。でも出来ない。
むかむかする。イライラする。路上で叫びたい。
脳裏には、後輩だが格上のモセルの笑い顔。リットは、路上のクズ箱を蹴飛ばすにはいられない。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」
力が欲しい。力が欲しい!
何故、俺がこんな惨めな目に!?
何でもいい、誰か、俺に力をっ! やつを見返せる力を――俺に寄越せ!
――そうして、日々を鬱屈に支配されていた時だった。
『青魔石』が、彼の眼の前に現れたのは。
『――なあ、これ、いま突然現れたよな?』
『だ、だよね……あたしにもそう見えたけど』
それは、まさしく運命を感じさせる、奇跡だった。
これを用い、力を存分に振るえと。無様と笑った者を、見返してやれと。
何者かが、そう自分に祝福をしているのだと思った。
同僚の《四級》カリンは、ギルドマスターに渡せと言ったがとんでもない、これを手放すなどそれは愚かな事だ。
力が欲しい時に、力を備えた物が現れた。これは俺の物だ、誰のでもない、俺だけの物だ!
とはいえ――。
さすがにすぐさまこれをどうこうしようという気はリットにもない。
これでもリットは、ギルド職員。就職した際、一定の教養や倫理は教わったのだ。
曲がりなりにもギルド解析官としてのプライドもある。
得体の知れない、何故現れたかも判らない魔石もどきを何の調査もなく使う事などあり得ない。
――本来ならば。
だが運命とは皮肉なもの。その日、彼の心情を覆したのは、彼にとって一番毛嫌いする相手だった。
† †
「あれー? リットくんじゃないですか~」
『青魔石』を得て一時間後。
街角を歩いていたところ、同僚の《二級》解析官と鉢合わせした。
「……お前か」
「つまらない反応だね。奇遇にも会ったというのに、リットくんもお帰りですかぁ?」
「うっせえ、失せろ」
「失せろとはまたそっけないねぇ。またみすぼらしい顔しちゃって。あははー、だからいつまでも《四級》なんですよぉ」
最悪だった。よりによって一番会いたくない奴と出会うなど。
しかも彼――モセルは若い女を連れていた。
細い肩を抱きながら、いかにも魅惑的な胸を鷲掴みにして。
女の方も嬉しそうに、しなだれかかって色気を振りまいている。
反吐が出そうな光景である。どす黒い何かが、リットの中で暴れ始めていく。
「ま、今日はリットくんと長話してる暇ないからねぇ。僕は今から、この娘とよろしくやっちゃいますからぁ。リットくんは精々、壁のポスターの美人をオカズに、しけこむと良いですよ?」
何かが。
そのとき。
リットの頭で弾け飛んだ。
それは、常人ならいつでも備えているもの。
人が、人として成り立たせるもの。
いかなる時でも、備えるべきもの。
それは。その名は、『理性』と言う――。
「なあ、モセル」
「ん~? 何です?」
「因果応報って言葉、知ってるか?」
は? という間に毛な顔をしたモセルが、次の瞬間消え去った。
リットが懐から出した《ケルピー改》の魔石の力が、モセルを吹き飛ばしたのだ。
轟音と、凄まじい衝撃波。遅れて、周囲の地面に亀裂が入り、盛大な数の破片を撒き散らす。
「きゃああああっ!?」
悲鳴が起こった。逃げ惑う人たちが幾人もいた。周りのいくつかの建物の資材が衝撃で倒れ、轟音が響き渡る。
粉塵が舞い上がり、高々と登っていく。歪みに歪んだ、リットの邪悪な笑い。
「ハハハハハハッ! ざまあ見ろ!」
――これだ、これだ!
これこそが俺の求めていた力だ!
歓喜のままに、リットは吠え猛る。
――モセルなど虫にも等しい、この圧倒的な全能感!
破壊を呼び込む衝動!
モセルは、遥か彼方の建物に突っ込んでいた。無事かどうかなど、確かめる必要もない。
彼を失い、ベッドで愛玩されるはずだった女が、へたりと地面に倒れ込む。
「あ、あ、あ……」
「フハハハハハ! 恐怖しろ! 思い知れ!」
青ざめた女の顔を見ると、リットの胸の内が胸の内がすーっと晴れていく。
リットは、自分が空にでも登っている気分だった。
何だ、あっけない。《二級》なんて、こんなものなのか!
こんな事なら、始めから力を得ておけば良かった。ギルド職員ではなく、探索者にでもなって、強大な力を使う!
いいや、そんな仮定など、もはやどうでもいい。自分は手に入れたのだ。『力』を! 圧倒的な力を! 《ケルピー改》という、偉大なる力を!
「はははははは! これさえあれば――」
青き魔石から、妖しくほの明るい光が立ち上がっている。
リットの頭の中に、もはや理性はほとんど残っていなかった。
あるのは、多幸感と達成感。
邪魔者を排除したという大きな歓喜。
そこに――善悪を判別する心などない。
リットはもはや、理性のない獣に等しかった。
なぜなら『青魔石』には、二級解析官までなら、知る事もできない特性があったから。
『暴走』――。
持ち主の理性を廃し、本能のままに行動させる状態異常。それが『青魔石』にはあった。
「何をしているっ!」
武器を持った兵士達が、息せき切って走って来た。
街の治安を守る『衛兵』達だ。槍を構え、路上で棒立ちするリットを整然と取り囲む。
「――衛兵どもか? クク」
リットの胸の内に、どす黒い炎のような感情が湧き上がっていた。
――排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ!
――排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ、排除シロ!
それは、大海に現れた大津波のように。
わずかに残っていたリットの理性を、残らず消し尽くす。
「両手を頭の後ろにつけ伏せろ! さもなくば――」
「くははっ! 何をするって?」
リットの青魔石から、《ケルピー改》の力が再び放たれた。
破壊力を持った衝撃波。
それらが衛兵達を吹き飛ばし、悲鳴を上げさせる。
「うあああああ!?」
「はははははははははっ! 我、力を得たり!」
リットが歓喜に震え咆哮する。
それは、暴力の化身の誕生。
破壊のための産声。
長きに渡る街の災厄の――『火種』の一つとなった。





