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第二十七話  精霊少女の料理、再び

「おはようございます、リゲルさん」


 ミュリーの柔らかい声に、リゲルは大きなあくびをして起き上がった。


「ん……おはようミュリー。え、あれ?」


 何故か、膝枕されていた。

 というよりベッドの上に一緒だった。

 柔らかいミュリーの太ももの感触。心地よい暖かさが頭の裏で密着し、じつに最高……いや、そんな場合ではなく。


「ミュリー……僕、昨日の夜、どうしてたんだっけ?」


 昨夜の記憶がない。というか何をして眠ったのかさっぱり覚えていない。どうして彼女と同じベッドにいるんだ?


「昨夜は素敵でしたわ……リゲルさん、わたし、忘れられない夜になりそうです」

「ぶっ!?」


 リゲルは思わず吹いた。

 まさか、まさか精霊少女とベッドの上で夜の営みをした? いやいやそんな馬鹿な……嘘だよねそれ? 嘘のはず。


「昨日の夜、とっても心躍りました。数々の説話や伝説、楽しかったです」

「……あ」


 そうだ、思い出した。リゲルは読書の事を言っているのだと判り、徐々に記憶も鮮明になっていく。


「そうかそうか。うん、そうだよね。本、面白かったよね」

「はい、怖かったですけど……また読みたいです」

「うんうん」

「リゲルさんの寝顔も、とっても素敵でしたし」

「あの、ミュリー? もしかしてずっと……見てたの?」


 ミュリーは手で自分の顔を隠した。


「そんな事、恥ずかしくて言えません……」

 

 いや、その仕草で何をしていたのか丸わかりなのだが。

 可愛いのでまあいいかとリゲルは思い直し、笑ってみせる。


「ま、いいか、別にやましいことじゃないしね」

「……考えてみれば、寝顔を見るだけに留めておくべきでしたね……うう、恥ずかしいです」

「君はいったい僕に何をしていたの!?」


 非常に気になる。けれどそれから尋ねてもミュリーは頬を染めはにかんで教えてくれない。

 やむなくリゲルは諦めた。忘れよう、うん、考えても仕方ない。

 気分を入れ替えたリゲルは朝食を取ることにした。


「あ、リゲルさん聞いて下さい。今日の朝は、バタークッキー作ってみたんです」

「へえ、美味しそうだね」

「故郷で見た香草や、調味料に似た物が手に入ったので、試しに作ってみました。……気に入るといいですけど」

「ミュリーの作ったものなら大歓迎さ。うわ、美味しそう」


 香ばしい香りの漂う、狐色のクッキーを見て喜ぶ。

 『レストール家』の屋敷を購入してから大きな楽しみと言えば、ミュリーの作る料理だ。


 元から凄腕の料理人並の実力を誇る彼女ではあるが(量の異常さは最近鳴りを潜めている)――彼女は本で勉強するうち、ますますその腕に磨きが掛かってきた。

 中でも、故郷の『精霊の国』にあった再現された『料理』は素晴らしく、昔の精霊はこんなものを食べていたのかと感激するばかり。

 もちろん、料理の『恩恵』による各種強化も凄まじい。

 『腕力倍化』や『速力三倍化』など、持続時間も増えている。


 精霊とは自然と共に生き、自然の力を隅々まで理解している種族だ。

 素材の旨味を引き出し、昇華させる事において右に出る者はいない。


「はい、どうぞ、たくさん食べてくださいね」


 どんっ、という大きな音と共に、大量に皿に乗ったクッキーがテーブルの上に乗せられる。まるで山のように大量だ。一人分というか五人いてもなお余りそう。


「あの、ミュリー? またいっぱい、作ったの?」

「す、すみませんっ、お料理しているうちに段々楽しくなって……それでこんなに」

「いや、いいんだけど……」


 恥ずかしそうにして萎縮するミュリーにあわててリゲルは手を振る。

 最近はミュリーも判ってきたので少なめになってきたのだが、それでも時々こういうこともある。

 もちろんそれは『リゲルに食べてほしい』という純粋さからなのだが、リゲルとしては微笑ましいやら何やら。


「ま、別にすぐ悪くなるものでもないし、大丈夫だよね」

「は、はい、一ヶ月くらいは持つと思います」

「それは地味に凄いね……」


 人間のクッキーでは保存料が未熟なので、精々一週間くらいしかもたないのに凄い。

 いったい精霊の調理法とはいかなるものなのか、今度時間を作って聞いてみたい。


「それはさておき、覚めないうちに食べよう。――頂きます」

「はい、召し上がれ」


 優しげな瞳でそう言ってくれるミュリーの前でバタークッキーなるものを食べる。

 歯ごたえもよくチーズ独特の旨味やクッキーならではの噛みごたえがじつに心地よい。


 ミュリーの朝食はバタークッキーを中心に惣菜や大根の漬物、そして栄養の豊富なニンジンスープもあるのだが、漬物も惣菜もスープも、全て心が浮き立つ程の美味だった。


「すごい! いくらでも食べたいよミュリー!」

「喜んでいただけて嬉しいです」


 美食も数日食べれば飽きるなどという言われることがあるが、ミュリーの作る料理はじつに素晴らしい。

 一見素朴な見た目だが味良し、香り良し、食べ易さ良し、加えて栄養豊富と、文句のつけようがない。

 口の中で広がる幸福感、ほのかにただよう芳しい香り、今朝もリゲルは楽しく朝食を負える事が出来た。


「ごちそうさまでした。今朝もミュリーのご飯は最高だったよ」

「お粗末様です。ふふ、また明日は新しい料理に挑戦してみますね」


 リゲルは微笑する。


「期待してる。でも困ったな、このままだと僕、店とかで料理食べられなくなりそう」

「もう……リゲルさん、それは少し言い過ぎです」


 本当なのだが。

 最近は料理を店で食べても、『物足りないな……』とよく感じる。


 ともあれ悪い気はしない。

 ミュリーは恥ずかしそうだが嬉しそうにもしているし、ますます料理の腕に磨きが掛かるだろう。

 微笑ましい気持ちになりながら、リゲルは布巾で口を拭い、出かける準備をした。


「じゃあ今日は探索に行ってくるね。何かあれば護衛の人に伝えて」

「はい。お気をつけて言ってくださいね、リゲルさん」


 美しい精霊の少女に見送られて、リゲルはギルドへ向かった。

 


†   †


 

 ところが、その日は少し問題があった。


「うーん、困ったな」


 夜。

 午後八時を過ぎたレストール家にて。

 《迷宮》の探索から戻ったリゲルは、難しい顔で唸っていると、ミュリーが話しかけてくる。


「お帰りなさい……リゲルさん、どうしたんですか?」

「あ、ミュリー、それがね……」


 リゲルは迷宮探索の事を言って聞かせた。


「今日さ、ちょっとした問題があったんだ。迷宮で《コボルト》の大群に出くわしてさ、退治したのはいいけど、すぐ増援が来て……食事する暇もなく戦い通しだったんだ。それで、ちょっとした時間に急いで栄養補給しようとしたんだけど……携帯食が硬かったんだよね」

 

 《迷宮》である意味最も困るのが『食事』だ。

 探索中、最も隙ができるのが食事時。ゆえに呑気にのんびり食べるわけにもいかない。

 大抵は仲間が見張りを立てるか、《結界》系の魔術を張り食べるのが普通。


 けれど、『携帯』食は一般的に硬い、不味い、見た目悪いの三重苦だ。

 黒か灰色の小ブロック状の物か、同じ色のスティック状の物を食べる。

 だが、これが不味い。凄く不味い。まるで硬いゴムのような味である。

 材料は野菜や麦などを混合させたものだが、消化を早める効能剤などを加えているため、見た目も硬さも最悪。迷宮に潜る探索者にとっては、「携帯食こそ迷宮最大の敵だ」などと言う者さえいる。


「結局、半分も食べられないうちにまたコボルトの大群だよ。いやー、今日はろくな食事も出来ず戦い三昧で疲れた」

「それは……大変だったんですね」


 ミュリーは倒れ込むようにベッドに座り込んだリゲルの手を、優しく握りしめる。


「少しでもわたしの力で癒せるといいんですけど」

「こうして触れてくれるだけで疲れが消えるよ」


 ともあれ、問題は無視できない。 

 リゲルも、以前は不味い不味いと思いながらも不便を感じる事はなかった。

 けれど、今日はさすがにこたえた。

 硬い上にろくな味でもない携帯食。戦闘の疲労もろくに回復できないため、明らかに改善の余地ありだ。


 他に『携帯食』としては乾パンや干し肉なども代表的だが、そちらもやや難あり。

 深く潜るには軽く、携帯性に優れたものが望ましいが、スティックの携帯性には劣る。

 だからといってそちらを選べば味と食べ易さが……少しでも活力をつけ魔物を倒す力が要る探索者にとって、悩みの種だった。


「まあ、僕なんかマシな方だけどね。今日組んだ集団パーティの中には、携帯食全部、魔物に引き裂かれた人もいたし」

「それは……大変です」

「三口くらい食べられた僕と比べたら、そっちのが悲惨だよ。明日からは乾パンか干し肉にしようかな。そっちの方が食べやすいからね」

「……」

「ん? ミュリー? どうしたの?」

「あ、いえ、ちょっと考えることがあって……」


 ミュリーが珍しく無言で考えていた事にリゲルは訝しむ。

 けれど、探索の疲れもあった。

 ひとまず話はそれで終わりにし、リゲルはミュリーの作った夕食にありつくのだった。

 


†   †



「リゲルさん、おはようございます」


 翌朝。

 いつもの柔らかく優しい声に迎えられ、リゲルはミュリーの部屋に入ると、怪訝な表情を浮かべた。


「おはよう。……あれ? ミュリー、今日は部屋が暖かいね?」

「あ、はい。ちょっとシチュークッキーを作ってみました」

「シチュークッキー?」


 聞いたことは食べ物だ。名称からするとどんなものかは解るのだが。


「はい、昨日の話を聞いてちょっと作ってみました。完成したシチューにいくつかの凝固剤やクッキーの材料を混ぜ、持ち運び出来るようにしたものです。……リゲルさんが外でお腹が空いた時にも楽に食べられるよう、用意したんですよ」

「え、それは凄い……」


 軽く言ったが、ミュリーの言うクッキーは革新的だ。

 大抵、『携帯食』というのは昨日の話の通り硬く、不味く、そして見た目も悪い。

 昔から干し肉や乾パンが準候補ではあったが、クッキーという発想は意外となかった。


「ちょっとそれ、食べてみてもいい?」

「はい、どうぞ。お口に合えばいいのですが」


 ミュリーに限ってそんなことはない。リゲルは沸き立つ期待感と共にテーブルの沢山のクッキーの一つを手に取って、食べた。

 瞬間――口の中で幸せが広がった。


「っ! こ、これっ、凄く美味しいよ!」


 シチューの牛乳や野菜の味、そしてスープの旨味がふわっと口内に広がる。

 硬さも申し分ない。

 口に入れる前はやや固めかと思いきや、歯で噛み砕こうとした瞬間、すぐに割れた。口内にまるで出来たてのシチューを食しているかのような幸福感。しかもミュリーの料理のため、味も一級品。思わず涙が出そうなほど、感激の味だった。


「本当に美味しいよ! まるで一級の料理みたいだ!」

「そ、そんな、褒めすぎです、リゲルさん」

「いやいや! お世辞じゃなく! え、これ革新的じゃない? こんなの迷宮で食べていいの? 僕なんか悪い気がしてきたよ」

「お、大げさですよ、それはさすがに……」


 そうは言うが、ミュリーもまんざらではないらしく、しきりに褒めちぎるリゲルに嬉しそう。胸の前に手を合わせ、もじもじとする。

 そんな彼女の前でリゲルはなおもクッキーを食べる食べる。あっという間に十個を平らげてしまった。


「……やばいな、これだと迷宮用のものがなくなる。少し食べ過ぎた」

「あの……じつは今回も、少し作りすぎてしまって……」

「え、本当?」


 ミュリーはおずおずと別の皿を差し出した。上にはまた大量のシチュークッキーが。

 どれも香ばしいほどの匂いを漂わせ、リゲルの食欲を刺激してやまない。


「はは、ミュリー、君ってば最高だよ!」

「え、きゃあっ」


 思わず力強く抱き締めてしまった。ミュリーの胸がリゲルに当たる当たる。いけないこれは、と身を離しつつもリゲルは興奮を抑えきれない。


「ありがとう、ミュリー。何よりの食事だよ。うわ、今日はちょっと楽しみ。迷宮でミュリーの料理が食べられるなんて……う……」


 冗談ではなくちょっと涙が出てきた。それほど、迷宮の食事は難題だったのだ。


「り、リゲルさん……」

「誓おうミュリー。今日はいつもの二倍、いや三倍くらいは魔物狩ってくるよ。魔石も大量に仕入れる」

「む、無理はしないでくださいね?」

「無理? いやいや全然無理じゃないよ、これならいつもの数倍は動ける。むしろそれでも足りないくらいさ。ミュリー、本当に、本当にありがとう。君は――僕の料理の女神だ」

「り、リゲルさん……」


 恥ずかしい褒めちぎりにもミュリーは可憐に戸惑う。

 リゲルは感激して今度は優しく彼女を抱き締めた。ミュリーは幸せそうに、嬉しそうに、口元をほころばせる。


「……リゲルさんが困らないにはどうすればいいかと思って作ったクッキーです。そこまで言ってくれるのは、本当に、嬉しい」

「ミュリー……」


 リゲルは、思わず彼女をもっと強く抱きしめたいと思った。

 病み上がりの彼女にそこまでは出来ないため、無言でほんの少し強く力を込める。

 その心情が分かっているのか、彼女も身を委ねたまま、その行為に委ねた。


「……これだけあるんだ。今日組む集団パーティの人達にも少し分けてみようかな」

「え、他の方も食すのですか? ……それは少し、恥ずかしいです」


 ミュリーは頬を赤らめ、その言葉に戸惑う。

 リゲルは微笑ましげに、笑っていた。


 だが、これは本当に画期的な携帯食だ。

 迷宮探索に潤いが増える。

 今日の探索が、今から楽しみだ。

 今までは、ただひたすら魔物を狩り、魔石と素材を回収する作業。

 けれどその中に、確かな彩りが加えられたのだ。


 ミュリー。

 その存在は、リゲルの中で、ますますかけがいのない少女になっていった。



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