第二十三話 精霊少女との団らん
『青魔石』の事をギルドに報告して三日。
リゲルの元には、ギルドの『調査員』や『護衛騎士』、そして『使用人』達が到着し、大所帯となっていた。
メアの実家、『レストール家』を解放したとはいえ地下の調査は未だ不完全。《変幻》の化物の調査、屋敷の補修など、やることは山積み。
特に『地下調査』と《変幻》の魔物に関しては多くの人員が必要で、ギルドの調査員たちは屋敷の部屋を借り寝食し、リゲル達は護衛専門の『騎士』の保護下で生活する事となった。
新しい住まいで、広々とした部屋をあてがわれ、ミュリーは喜んでいた。
「あの、リゲルさん」
ギルド調査員たちとの細々とした打ち合わせを終え、自室に入ると、ミュリーが話しかけて来る。
「時間があれば、少し本を読みませんか? 新しい物を取り寄せたんです。一緒にどうですか」
「いいね。ちょっとお茶を用意してくるよ」
これが最近のリゲルの楽しみだ。
調査員や護衛の騎士たちのやり取りの合間に、ミュリーと一緒に読書する。
彼女はベッドの上での毎日が長かったせいか、自然と読書をしている。偉人の伝記から冒険譚、英雄譚……淡い恋の物語から、ミステリー小説まで。
彼女の読書欲はなかなかに旺盛で、いつの間にかリゲルも一緒に読むようになっていた。以来、夜が更けてから寝るまでの一時間、二人での読書は何よりの楽しみとなっている。
「今日は何を読むの?」
「ホラー小説です。前にリゲルさんが人気作って言ったものです」
「え。あれを? ……確かに大人気らしいけど、かなり怖いらしいよ?」
「大丈夫です。わたし、怖いのへっちゃらですから!」
そう言ってミュリーが、可愛らしく腕に力こぶを作る真似をする。
これ大丈夫かな何か嫌な予感するけど……と思いながら読む事にしたリゲルだったが――。
「きゃあ~~~~、ど、どうしてニッキー、そこで一人で出歩くんですか!? あ、危ないです、あっ、あっ、後ろから殺人鬼が! 逃げてください!」
だの。
「あう……こ、こ、怖いです、殺人鬼がどこまでも追ってきます。あ、駄目ですジェイク、そっちは罠がっ、きゃあ~~~っ」
だの。
「ど、どうしましょう……悪人だと思っていたヘルズさんがこんなに皆のために戦うなんて。負けないでヘルズさん! 殺人鬼なんか倒し……ああ! ヘルズさ~ん!」
だの。大変賑やかな様子だった。
そして極めつけは。
「……あの。この作家さんのベッドシーン、結構長くて、濃いですね……」
緻密で臨場感溢れるシーンに、ミュリーはドキドキしたり応援したり、恥ずかしがったり……とても賑やかだった。
当然、隣で読むリゲルは読書どころではないのだが、ミュリーのリアクションに笑ったり微笑ましくなったり、じつに楽しい時間を過ごせた。
じつは何度も怖いシーンでミュリーがすがりついてきたが、そのとき胸も当たってちょっと幸せだった。
特に終盤の追劇シーンは苛烈で、ミュリーの胸と悲鳴はリゲルに様々な感情を抱かせた。
「はあ……凄く面白かったです。また読みたいですね、リゲルさん」
「そうだね。でもミュリー、大きな胸凄かったね」
「……? どういう意味ですか? ヒロインの胸の描写はなかったはず」
「あ、いや、登場人物ではなくて」
言われて小首をかしげるミュリー。
そんな、初々しいの様子は可愛いのだが、そろそろリゲルとしては我慢がきつい。
やんわりとした口調で、ミュリーに告げてみる。
「あの、そろそろ手、離してもらっていい? ずっとさっきから、握りっぱなしだよ?」
「え? ……あっ」
言われて、ミュリーは自分がリゲルの腕を握っていたことに気づいて赤面した。
そして胸も当たっている。
これまでの事を思い出して、恥ずかしそうに目を伏せる。
「あ……あ……」
「全然まったく、気づかなかったの?」
「す、すみません、わたし……迷惑でしたよね?」
「いいや? そんなことないよ。ミュリーにすがられて、僕も嬉しい。途中、とっても賑やかで楽しかったし」
「あれは忘れてください……っ」
ミュリーにしては大声だ。
散々すがったことに徐々に恥ずかしさを覚えたのだろう。次第にミュリーの頬は赤くなり、萎縮しっぱなしだった。
「リゲルさんのこと抱きまくらみたいに思って観てました」
「何で抱きまくらなのかは置いておくとして……でも嬉しいのは本当だよ? ミュリーのぬくもりも、歓声も、間近で感じられて、僕は幸せだった」
「そんな……恥ずかしいです……」
「読書とかそっちのけで僕はミュリーにメロメロさ……いやごめん、今の無し。言ってる僕が恥ずかしくなった」
「リゲルさん……ふふ、もう」
嬉しそうな瞳でミュリーが見つめてくる。リゲルも気恥ずかしい気持ちになりながらも微笑む。
しばらくして自然と頬が緩み、二人して笑い合ったのだった。
† †
屋敷に住まうようになったため寝床も立派となる。
粗末なベッドではなく、羽毛などを使った豪勢な代物だ。
当然ながら、夜も深ければ眠気も強まり、柔らかいベッドは眠気を助長する。
「……ううん……」
「あ、リゲルさん、寝てしまいましたか? リゲルさん。リゲルさん」
あの後、しばらく本談義を交わしていたリゲル達だが、眠気に負け、リゲルはうっかり船を漕いでいた。こっくりこっくりと、ゆっくり漕いでいた彼の頭が、ぼふり、とベッドに落ちる。
「ううん……すう……」
「リゲルさん、疲れているんですね……わたしのベッドで寝てしまって……ふふ」
ミュリーは嬉しそうにそう呟いた。
『レストール家』の屋敷を買ってから、しばらくリゲルとミュリーは別々の部屋で寝ていた。
が、それは寂しかった。精霊であり、長く封印されていた彼女は、男女同じ部屋で寝る事に抵抗も薄く、彼と同じ部屋で寝る事に安らぎを得ていた。
もちろん、そんなことを言えばリゲルを困惑させてしまう。だから黙っていたが。
やはり彼と同じ部屋でくつろげることはミュリーにとって嬉しかった。
「リゲルさん、リゲルさん……起きないと凄いことしてしまいますよ」
康拉家かに寝息を立てるリゲルに向け、くすくす笑って語りかけるミュリー。
「リゲルさ~ん。……早く起きないと、悪戯してしまいます」
それでも彼は起きない。日頃の疲れと緊張から解放され、完全に夢の中である。
「すう……ぐう……」
「本当のほんとうに、悪戯しちゃうんですから」
「ぐう……すう……ん……」
「リゲルさん……」
ミュリーの柔らかな唇が、リゲルの頬に軽く触れた。
ミュリーは少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに微笑む。
「リゲルさん、リゲルさん……」
彼女にとって、彼は英雄たる存在だった。
自分の封印を解いてくれ、契約を受諾し、あまつさえ精霊王ユルゼーラ捜索のために尽力してくれる人。
それに、命がけで自分を守ってくれた人でもある。
だからこれは好意というものは自然は湧き出る。彼といると楽しい、彼といると嬉しい……彼がいない時、胸にぽっかりと穴が空いたようになる。
ゆえに、これは感謝と親愛を込めた当然の行為だった。
「ん……」
ミュリーは、それからリゲルの睫毛、額、また頬など、何度も彼の一部分に唇を触れさせていく。
彼女の中に、恥ずかしさと、嬉しさがたちまち広がっていく。多幸感に浸りながら、ミュリーは英雄たる少年の頭を、優しく撫でる。
「あなたに出会って、わたしは幸せになれました」
穏やかに、優しく語りかける。
「何だか、夢のようです。……わたしは、ずっと暗闇にいました。ユルゼーラ様とはぐれ、狭い空間に押し込められ、ずっと、ずっと……悠久の時の中を過ごしていました。でも……」
寝息を奏でるリゲルの頬を、柔らかく撫でる。目を細め、強まる胸の鼓動に心地よさを感じながら、ミュリーは語り続ける。
「リゲルさんが、わたしの闇を祓ってくれました。あなたにたくさんの物を頂きました。どれほどお礼をしても、足りません。わたしは、あなたへの感謝でいっぱいです」
戦いと苦難の中で力をつけ、着々と迷宮の覇者に近づく彼を、優しく撫でる。
「だから、リゲルさんに多くの物を返すためにも、もっと色んな事をしていきたいです。一緒にお料理したり、一緒にお掃除したり、一緒に……で、デートしたり。リゲルさんの笑顔が、声が、たくさん見たいです。もっと聞きたいです。わたしは、もっとリゲルさんとの幸せが欲しい」
少女の手がリゲルの手に重ねられる。それを嬉しそうに握りながら、彼女は静かにささやく。
「リゲルさんは、わたしにとって騎士様です。それならわたしは、あなたを癒やす存在になりたい。もっと、あなたとの幸せな時間を築きたい。それが――わたしの願いです」
いつか、このぬくもりが今より近くに感じられるように。今はまだ、ほんの一時しか近くにいられないけれど。
体が瘉え、外に出て、一緒にリゲルと歩める日が来たならば。
ミュリーは――彼の隣で、優しく支えてあげたい。
それがきっと、最高の恩返しに繋がるから。
「リゲルさん……」
その日が来ることを、切望し、けれど今はできない事をもどかしく思いながら。
ミュリーは少年の寝顔を、いつまでも、いつまでも、眺めていた。





