第十九話 精霊少女と幽霊少女の出会い
「お帰りなさい、リゲルさん」
衛兵の駐在所の一室に行くと、笑顔でミュリーが出迎えてくれた。
「ただいま、ミュリー。何か変わりはない?」
「はい、大丈夫です……え、あ!?」
リゲルの服装を見るなりミュリーは驚き、大きく目を開ける。
「ひ、ひどい格好じゃないですか!? こんな……」
それはそうだろう、リゲルは《変幻》との戦いのままの格好である。
服は所々破けているし、顔は擦り傷、切り傷、火傷など見るからに酷い。探索用の軽鎧はあちこち砕けているし、所々血も滲んでいる。
ギルドの人間ならこの格好は日常茶飯事だったのだろうが、ミュリーから見れば『大怪我』に見えても不思議はない。
「血がいっぱいです……服もこんなに破れて……」
彼女はベッドから飛ぶように駆け寄るや、リゲルにしがみつき体、腕、肩、あちこちをタオルで優しく吹いていった。その青い瞳が、心配そうに揺れている。
「待って、ミュリー、くすぐったいから」
「強い魔力の汚染を感じます。聖水で洗わないと体に毒です」
言うやミュリーは部屋の棚の特別な小瓶を手に取ると、タオルに染み込ませリゲルの体のあちこちを吹いていった。
魔物は強大な者となると、それだけで周囲の人間に悪影響を及ぼす。時には衰弱させる事も。
あまりに等級に開きがある場合、死に至る場合もある。
「ミュリー、大丈夫だから」
「だって、こんな……少なくとも等級八十近い魔物の魔力ですよ!? リゲルさんに悪影響がないか心配です」
「ああ、うん……」
大人しく、リゲルはミュリーにされるがままとなる。背中や腕はいいのだが、さすがに下半身まで吹こうとしたところで笑って自分でやることにする。
「いったい、何があったのですか……?」
一通り終わってからミュリーは心配そうに尋ねてきた。
「ああ、うん。ちょっと迷宮で戦ってきたんだ」
「……強敵だったんですね。こんな、ひどい怪我を」
そう言えばミュリーには家を買うと伝えたままだった。
口ぶりからすると、戦ったこと事態は知っていたのかもしれないが――精霊は契約者の様子を朧気に判ると聞いた――けれど、それでも心配かけすぎだと猛省する。
これから住む場所の下見に行ったのに、帰ったらボロボロで血だらけで汚染まみれ――ミュリーでなくとも心配そうにするのは当然だった。
「話せば長くなるけれど」
これまでの経緯を説明すると、途中、ミュリーの顔が青くなったり白くなったり、震えていたりになった。見る間に変わっていく様子を見ながら、リゲルは己の失敗を恥じた。
「あの……ごめん。というかびっくりしたよね? 連絡くらい入れるべきだった」
「ぐす……っ」
「え、ちょ、ミュリー、泣いてるの!?」
ぽろぽろと目尻から雫を落とす精霊少女を前に、リゲルは狼狽する。
「だって……リゲルさん、いきなりそんな格好で……とてもひどい傷で……酷い目に遭っていたというのに……わたし、祈ることしか出来なくて……っ」
ミュリーは両手で顔を覆って嗚咽し始めた。
「待ってくれミュリー。君が気に病むことはない。これは僕のミスだ。連絡を怠り、ろくな準備もなく、地下に潜って……僕を怒ることすれ、君が泣く必要はない」
「それでも! わたしは悔しいのです。肝心なときにリゲルさんのそばにいられなかった。それが……何より悲しい。契約した精霊なのに。何も出来ず、祈ることしか……」
「ミュリー……」
彼女の祈りで、『加護』は確かに受けた。
だが、そういう問題ではなないだろう。
彼女の気持ちはリゲルも判る。以前、知り合いの探索者の姿を「最近見かけないな」と思ったら、《迷宮》で死んでいたと聞き、いたたまれない気持ちを抱いたことはある。
しかもそれが駆け出しの頃世話になった人で、「困った事があれば言えよ」と言ってくれた人だった。なおさら心に傷は残ったものだ。
もちろん、似たような事は《探索者》であれば少なからず経験する。
だからそのうち慣れ、『日常の一つ』と思えるようになるのが普通だ。
だが、ミュリーの場合、それと似た感情を何倍にも増幅した寂寥感を抱いたのだろう。
迂闊と言えば迂闊。
リゲルは自分の行動を恥じた。
「ごめん、ミュリー。君をないがしろにして。済まなかった」
「いえ、わたしが悪いのです。何もできずリゲル様にご迷惑ばかり」
「いやいや僕が悪いんだ。いつも君に心配ばかりかけてる」
「そんな、リゲル様は悪くありません。わたしができる事などなにも……」
ミュリーは続ける。
「今日なんて、スープを食べるとき、豆や人参でリゲルさんの顔を描いて応援したり」
「そんな。それなら僕も《迷宮》で携帯食を食べるとき、目の前にミュリーがいる様子を想像して、食べてるよ」
「でも! それでもわたしの方がリゲルさんに何もできてないです」
「いや、僕の方が」
「いえ、わたしが」
いつ終わるともなく延々と言い合っていると、そのうち二人とも笑ってしまった。
まるで鏡のように自責する自分たちを滑稽に笑う。
「何だかおかしいですね、わたしたち」
「そうだね。あのさ、だったらどちらも悪いってことにしよう。僕もミュリーもミスをした。だから互いに罰を与える。それで終わりにするんだ」
「……はい」
言うや、リゲルはミュリーの額にデコピンをした。
不意打ちに近かったためミュリーは涙目だったが、罰なので許してもらうとしよう。
そしてミュリーは反撃にそんなリゲルに向かって――。
「あの、リゲルさん、目を瞑ってもらえますか?」
「……お手柔らかに頼むよ」
目を潰れなどと怖いことを言う。視覚を閉ざすと闇の中に置き去りにした子供のような気分になる。どうか頭突きとか来ませんように。リゲルは身構える。
しばらくして。少女から「よし」と小さな声が聞こえたと思うと――。
不意に。
頬に柔らかなものを押し付けられて、リゲルは唖然と目を見開いた。
「え、ミュリー、いま何を……?」
「ば、罰です……っ」
めちゃくちゃ恥ずかしそうに顔を紅くしながら、ミュリーは言い訳した。
「リゲルさんが困ることが罰ですから。これでリゲルさんも、反省してください」
「いや、ミュリーの方がどう見ても困ってるけど」
主に恥ずかしさで。
目をそむけてリンゴのように真っ赤になって、ミュリーは手で顔を隠している。
微笑ましい気持ちになりながらも、しばらく頬を洗うのはやめよう、そう思うリゲルだった。
〈は~い、初めまして! 出現するタイミングがなかなか無くて、待ちぼうけ食らってたゴーストのメアで~す〉
「ごめんメア。放置しておいて何だけど、その挨拶はやめて」
しばらくミュリーとこそばゆい空気になっていたところ、たまらずメアが現れた。
しかし、彼女のご気分は雨模様、一見笑顔なのだが、目が笑っていない。
表情は緩く、明るい表情なのだが、底知れぬ圧力を感じる。
美少女の笑顔は多彩なんだなーとリゲルは逃避するしかない。
「それで、あー、えっと。ミュリー。この娘はメア。僕の仲間で、幽霊少女だよ」
わけの分からない紹介をされて、ミュリーは硬直している。
「え? え?」
そんな驚く顔まで可憐で可愛いなとリゲルが思っていると。
〈ふんふんふ~ん、わあ、リゲル様とっても綺麗な『お嫁さん』がいるんだね~。仲間として、すごく鼻が高いな!〉
「え!? あの、わ、わたしはその、リゲル様のお嫁さんでは……っ」
ミュリーがまた顔を紅くして、恥ずかしそうに手をあわあわさせる。
〈え? 違うの? だって何か身も心も通じ合ってる感じだけど。さっき体も吹いてたし〉
「えあう!? あの、その、あれは非常事態で……っ」
体を吹いてくれたときは罪悪感が勝ったが、思い返してみるとリゲルは結構恥ずかしい光景を思い出した。甘いミュリーの香りなど。
「ふ、普段からあのような事をしているわけでは……っ」
〈そうなんだ。お嫁さんじゃないなら……ん~、あ! もしかして婚約者とか、そういう?〉
「ち、違いますっ、わたしは精霊です。それで……えっと」
〈うん。精霊の恋人なんだよね。だから仲良く、毎晩一緒にベッドで寝てるんでしょ?〉
「~~~~~~~~~っ!? いえ、そんなことは一度も……っ」
ミュリーはもうサラマンダーの炎より真っ赤な顔になっていた。
メアは不思議そうにベッドの方を見る。
大きなベッド、しかも一つだけなのに何が違うの? と言いたげだった。
「メア、誤解を招いておいて何だけど、ミュリーは僕の契約精霊。それ以上でもそれ以下でもない……と言い切れるわけでもないけど」
「リゲルさん……っ、そ、そこははっきり言ってください……っ」
ミュリーが真っ赤の顔のまま言う。
「おっと脱線。まあ、仲良くはしているけど、メアの思う『そういうの』ではないよ」
〈そうなんだ、ちょっと残念~〉
そう言いつつも、少しメアは楽しそうだ。
あるいは、心配し過ぎたミュリーを安心させるために、一芝居打ったのかもしれない。
――やがて数分後。
ひとしきり自己紹介も終わり、一段落ついたリゲルたちは、森の屋敷に引っ越すことを決めた。
そもそも活動拠点として購入した屋敷だ。ミュリーの静養に選んだそれを手放す理由はない。
引き続き、メアの父の研究施設の調査も行うこととなった。
《錬金王》アーデルの襲撃の件も、もちろん伝えた。
こちらは早急に解決出来るものではない。彼の真意はどうあれ、ギルドの調査を待つ必要があるだろう。
仮に、《変幻》の魔物がアーデルの刺客であり、彼が襲撃を目論んだとしても、ギルドの調査員が護衛も交えてやって来る。
そうなればもしアーデル本人が襲撃してきても、真相が一気に解明するのため、ある意味望む所でもある。
そのためにはまず、体勢を整える必要があるが。
「ひとまず、これで拠点は確保だ。――アーデル、君が何を企んでいたのか知らない。けれど、僕は前に進む。新しい場所で、大切な人たちと共に」
静かなる声音で、密かにリゲルはそう呟く。
あの日以来――ずっとどこかで畏れていたのかもしれない。
しかし今は違う。もしも『今』を脅かす存在が来るのなら、その時こそ、万全の状態で迎え撃とう。
銀髪の美しい精霊少女と、ゴースト少女に囲まれながら。
リゲルはそう――思っていた。





