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第百五十三話  真実の先へ

 そして現在。

 都市ヒルデリースで、リゲルはアーデルから全ての話を聞き終えた。


 《錬金王》アーデルは、幼き頃より様々な不遇に翻弄され、その果てに理想郷を目指した。

 そのための『楽園創造会シャンバラ』。そのための『六皇聖剣』打倒。

 その過程で『青魔石』や『緑魔石』を製造、都市に放ち、実験場とした。


 全てを語り終えたアーデルに、リゲルは無言で眼の前に佇立していた。

 互いに、いかなる言葉も発しない。

 あるのはただ、アーデルの辿ってきた人生への驚愕と、その過酷な内容に対する同情だ。


 アーデルは、ぼろぼろになった自身の鎧、『骸魔装』を見下ろしながら言う。


「これが、我の成してきた全てだ。――アルリゲル。貴君には我を裁く権利がある。我は後悔していない。我は己の夢、希望のために戦った。――その果てに貴君に破れた。いかなる処罰も我は受け入れる」


 彼女の声音には敗者としての屈辱はなかった。

 ただただ己の野望を遂げようと琢磨し、そしてリゲルに阻まれたという敗北感や自棄を滲ませる気持ちだけだった。


「……随分と、すさまじい人生を送ってきたんだね」


 リゲルが感情を抑えつつ言うと、自嘲気味にアーデルは返す。


「そうだろうな。我は、自分が普通から逸脱した道を歩んできたこを自覚している」

「生まれながらに虚弱体質、姉に疎まれて売り払われ、奴隷として過ごして人体実験に。さらには脱出した先で平穏な暮らしをするも、襲撃者によって仲間は倒される」


 リゲルは溜息をついた。


「そして貴族の屋敷に拾われたけれど、悲運によってまた奴隷に逆戻り。――そして学園では挫折を経験し、挙句の果てに『楽園創造会シャンバラ』の認知とその復活に関与。どれも過酷で凄惨だ」


 アーデルは力なく頷いた。


「そう、ゆえに我は、粛清を受けねばならない」


 その声音はまるで十三回階段を登った後の死刑囚のように諦念が漂っていた。


「アルリゲル、我は――お前に負けた。敗者に勝者へ抗う資格はなく、もはやそんな力もない。恨みを晴らせ、アルリゲル。それで貴君の戦いは一つの終わりを迎える」


 リゲルは天を仰いだ。


 ――彼女は、最悪の敵だった。

 仲間だった『六皇聖剣』の皆を騙し、窮地に陥れ、リゲルの力の大半を奪った。

 そしてメアの命を奪い、その父親を倒し、その他にも多数の悲劇を生み出した。

 『青魔石』、『緑魔石』――数多の街や村、都市で被害を被った人々の数はあまりにも膨大だ。

 史上最悪の大量殺人鬼。


 そう評しても余りあるアーデルの所業だが、過去はさらに凄惨極まる。

 リゲルは迷う。

 アーデルを裁くことは簡単だ。

 だがどれほどの罰を与えればいい? これほどの罪、贖うことが出来るのは? もし出来るとしても、それを告げる資格が自分にあるのか?


「アルリゲル。何を考えている」


 ――アーデルは、大量の犯罪を犯した罪人。それは変わらない。だがこのまま、彼女をさばいた場合の、リスクを鑑みると――。


「アルリゲル、何をしている。さっさと我を」

「アーデル、君、逃げようとしているな?」


 アーデルが息を呑んだのがわかった。


「生から逃げることを選択してはいけない、アーデル。……確かに君は大罪人だ。今も、僕は君にされた仕打ちに腸が煮え繰り返そうだ。でも、君には立場がある。『盟主』としての使命、これまでの実績。いま、君が行うべきはただ僕に後始末を押し付けるのではなく、皆に示すことだ」

「示す。……何を?」


 リゲルは周囲の光景に指を指した。


「この都市すべての人々に、謝罪を。そして楽園創造会シャンバラの『盟主』として、敗北を宣言することだ。最低限、それが出来なければ、僕は君を裁かない」

「……」


 楽園創造会シャンバラは苛烈な組織だ。目的のためには手段は選ばない。

 ゆえに、盟主であるアーデル自らが敗北宣言を行うことが必須。

 このままリゲルが彼女を討ち取れば、それで楽園創造会シャンバラは荒れ狂い、支配者を失った怒りのまま、破壊工作をする可能性が高いだろう。

 そんなことは断じて許せない。リゲルは、その程度の考えに至る程度の冷静さは持ち合わせている。


「……我に、生き恥を晒せと?」


 アーデルが呻くように言った。


「そうだ。――そもそもアーデル。それは卑怯な選択だ。……負けたから敗北を受け入れる? そんなものは当たり前だ。どんな形であれ、君は大量の悲劇を生み出した。君の境遇には同情はしよう。でも死んで楽になると思うな。君が蒔いた種は、自分で解決するべきだ。僕は楽園創造会シャンバラの後始末にまで付き合う義理はない。逃げるな、アーデル。せめて君が利用してきた彼らには、義理を通せ。それが君の成すべきことだろう!」

「…………」


 アーデルは小さく震えていた。戦闘のときも、その後も、ある意味で達観していた彼女が、まるで子供のように震え上がっていた。


「……こ、怖い……我は、怖いのだ……」


 そう、怯えるように呟く。


「我は……わたしは、もう嫌だ……これまで散々、嫌な目に遭ってきた。――血の繋がった姉に捨てられ、奴隷にされ、命も危うい毎日を過ごした……」


 その声には嗚咽がときどき混じっていった。


「大切な仲間も失った。その果てに手に入れた、八百年前の大組織と野望。……それを、わたしの手で終わらせろというのか? 辛いのも何もかも飲み込んで、終幕を降ろせと、そう言うのか?」

「そうだ」


 リゲルは努めて冷たく応じる。


「甘ったれたことを言うな。君が死ねば配下たちは暴走をする。僕はそれを防ぐ義理はない。アーデル、君が終わらせるんだ。僕ではなく、『君が始めた物語』だろ。君が自分で始末をつけ、終わりにするんだ」

「……うう、うああ……」


 散々、苦労してきた。挫折してきた。諦めようと思ったことは数知れず、大事なものを多く失った。

 それでも、まだ許されない。

 負けて楽になるなんて許されない。犯した罪は贖わなければならない。リゲルはそう言っている。


「怖いのだ……アルリゲル……」


 アーデルは涙ながらに訴えた。


「い、嫌だ……すまない、アルリゲル、それだけは容赦してくれ。わ、わたしは……もう嫌なんだ、何かに抗いつつ行動をするのが。――本当は、どこかで思っていた。引き返すべきだと。あの日、学園で、楽園創造会シャンバラを知ったときから。学園長のもとで大人しく過ごし、平穏な日々を送ればいい話だった」


 首を振って、大きく感情をあらわにする。


「でも……でも……ちらついてくる。脳裏に。セクトの、メルファの、ロットの、ミラキアの泣き顔が。嘆きの声が。許してはならないと、理不尽に抗えと。そう訴えてくる」


 アーデルは、ぼろぼろの兜を上げてまっすぐにリゲルを見た。


「ならば進むしかないではないか! 我は、進まなければならなかった。セクトたちの無念を晴らすために。……楽園を、誰もが死なず――恋人や、家族と永遠に過ごせる世界を目指したかった。それが、理想だった」

「それは幻想だ。アーデル」


 リゲルは厳然として告げる。アーデルは、震える声音のまま声を荒げるしかなかった。


「……すまない。セクト。すまない。メルファ。ロット。ミラキア。……わたしが、不甲斐ないばかりに。わたしの……理想……みんな。うああ……」


 彼女は、錯乱していた。過去に押し潰されていた。恨みや使命感から来た大望への活力。

 けれどリゲルに敗北したことで、この後に伸し掛かる敗者としての重みに、耐えられない。


「アルリゲル、慈悲を……わたしは、もう疲れた……なぜわたしがこのような目にばかり遭わねばならない? わたしは、幸せに暮らしたかった。姉と、父と、母と。あるいは……セクトたち。エデンの里のみんなと、帰りたい……。エデンの里に。セクト……みんな……どうして、わたしだけが生き残ってしまったの? ……あぁ……」


 後悔だった。

 それまで恨みや怒りや悲しみで動いていた彼女の、反動が襲いかかっていた。

 目を背けてきた問題。倫理への冒涜。他者に陥れられたのに、自分がその側に立った矛盾。


 楽園を創造すると謳っておきながら、起こしたのは無数の悲劇。

 耐えられるものではない。

 悲劇を乗り越えた彼女でも、あるいは、乗り越えてきたからこそ、間違えた道の重さを――罪の重さを、自覚して震え上がっている。

 けれどリゲルは言わなければならない。現実を。甘えが許されない罪の重さを。


「……アーデル。何度でも言うけど、君の境遇には同情する。家族や運に見放され、自分を鼓舞して生きてきた君には、敬意すべき点もある。でも駄目なんだ。君は償うをすべきだ。『死』をもって逃げることは許されない。それだけで許されると思うな。そんな領域は、君はとっくに超えてしまった」


 言葉を選びつつ、リゲルは続ける。


「大罪には大きな償いを。死以上の過酷な道のりが、君には待っている」

「うう……うああ……」


 アーデルは泣いた。兜の中で。溢れた涙が。砕けた兜の一部から、透明な雫が流れ落ちては地面に滴り、小さな水たまりを作っていった。

 



 ―― 一時間後。

 土混じりの風が漂ってくる。家屋の倒れる音。人々の怒声。罵声。それぞれが戦場の後の空気に混じって滑り込んでくる。

 放心していたアーデルに、リゲルは声をかけた。

 あれから一時間が経過し、リゲルがふと、声をかける。


「アーデル、話をしてもいいかい?」

「……多少は。貴君の【合成】による鎮静剤が効いている。平気だ」


 リゲルはアーデルに、《キュアペガサス》の魔石を使っていた。

 これは膨大な心の傷を、一時的だが癒せる高位ランクの魔石だ。それで多少なりとも平静さを取り戻せば、会話くらいはこなせる。


「アーデル。君にはいくつかやってもらうことがある」

「……ああ」

「一つ、楽園創造会シャンバラの盟主としての敗北宣言。――配下、及び世界中の人々に、完全な敗北と活動の中止を宣言することだ」


 アーデルは力なく頷きを返した。


「……妥当な処置だ。他には?」

「罪の償いだ。先程、ギルド参謀長のレベッカさんと相談した。君には、ギルドの監視を受けながら、復興事業に携わってもらう。これまで行った、大罪の精算。各地に赴き、罵声や罵倒を受けながらね」

「……それも必要なことだろう。だが我を生かす? それで良いのか?」


 リゲルは首を横に大きく振った。


「勘違いはしないでくれ。残念ながら君の犯した罪は大きすぎ、影響がありすぎる。死刑ですら君の罪を裁くには軽すぎる。よって『生き地獄』を味わわせることになった」

「生き地獄」


 アーデルは、小さく笑ったようだった。


「……そうだな。それが我には相応しい。似合いの処置だ」


 リゲルはアーデルの鎧を見つめつつ言った。


「その『骸魔装』には新たな機能が付け加えられるようになる。『ギルドや僕への服従』の呪いだ。これより先、君はいかなる理由があっても、僕やギルド、一般人を害することは出来ない」

「それで、生きたまま、死ぬほどの罵声を浴び続けろと」

「そうだ。……中には、君の死刑を望む者もいるだろう。けれどそれは出来ない。君にはやってもらわなければならないことがある。その錬金王の技術や知識。全て開示もさせてもらう」


 アーデルは頷いた。


「妥当だ。……あとの処罰は?」

「《迷宮》への深層への探索もしてもらう。地下に広がる大迷宮。十一ある迷宮を探索する強者。それは一人でも多く必要だ。残念ながら、地下には未だ多くの道が眠っていて、『六皇聖剣』だった強者を眠らせておくわけにはいかない。錬金王としての力は、迷宮探索のためにも費やしてもらう」

「……。確かに、それはいかなる罰より恐ろしいな」


 地獄の火炎で体を焼き払われる。

 絶対零度の冷気の中で探索する。

 加えて幻惑、毒、水流の中での探索。死者が蘇り襲ってくるという《迷宮》――世界の地下には、死など可愛く思えるほどの猛威が無数に広がっている。


 その中で、死ぬまで働き続けること。

 それも深層。名うての探索者すら音を上げる地獄の如き死地に。

 アーデルの待つ道の先には、死とすれすれの毎日しか待っていない。


「それが報いというなら、受けよう」

「レベッカさんを含めた協議の結論はこれだ。僕もこれで良いと思う。だから、君はこれから僕やギルドの、『奴隷』になってくれ」

「……わかった」


 アーデルは思わず天に向かって仰いだ。崩れかけの兜を鳴らし、わずかに涙の残滓を覗かせながら。

 小さく、深く息を吸った。


「了承した。我は三人目のご主人様を頂くことになったわけだ。奴隷ばかりの人生だな。笑えてくる」

「同情するよ。――君の詳しい処遇について、ギルド本部ともう少し話を煮詰める必要がある。それまではこの都市の復興を行ってもらう。いいね?」

「ああ。わかった」


 アーデルは仰いでいた天から目を話し、何かから決別するようにリゲルの目を見た。

 そしてリゲルが頷く。


「それでアーデル。君に一つやってもらうことがある。――『メア』たち、石化された人々を元に戻すことは出来るの?」


 決戦において、聖剣デウス・エクス・マキナを用いた光の猛攻。


 直撃したものは小石となり、地面に転がった。

 今も、メアやテレジア、マルコ、マリナ、クルトを始めとするギルド騎士も含め、何人もが小石化のままとなっている。

 アーデルは、心苦しそうに呟いた。


「……すまない、それは出来ない」

「理由を説明してくれ」


 アーデルは、メアだった小石を見つめつつ告げた。


「……聖剣デウス・エクス・マキナは、万物の性質を塗り替える最強の聖剣だ。だが無尽蔵に使えるわけではない。先程の戦いで、我は相当の魔力を注ぎ込んだ。本来ならあれは、一発使うだけでも、激しい消耗を伴うのだ」


 言って、自分の漆黒の甲冑を見下ろす。


「この『骸魔装』で無理やりそれを成していたからこそ、あれだけの圧倒が出来た」

「――つまり、小石に変えるのと、戻すのでは、同じだけの労力が必要だと? 気力・魔力・骸魔装の機能が不可欠だと?」

「その通りだ」


 アーデルは頷きを返した。

 当たり前のことだが、これらの問いかけにおいて、リゲルは『真偽判定』の魔石を使用していた。

 かつて桃のミュリーにも使ったのと同等のもの。いや、それ以上の精度の大量の魔石だ。それらを、予め発動させておいた。


 その結果、アーデルは嘘を言っているわけではない。

 嘘を言うメリットは、すでにない。


「君の回復を待つのが必要か。他に何か、あの聖剣に関することは?」


 アーデルは硬い声音で呟いた。


「使用回数の限度がある」

「具体的には? 使うと同じ相手に対して、しばらくは使えない、とか?」


 アーデルは、冷えた声音で真実を口にする。



「聖剣デウス・エクス・マキナは、一回使うごとに、使用者の『寿命』を一年減らす」


 

 リゲルは絶句した。

 一瞬声を上げかけて、語るべき言葉を失いった。目を見張ったまま、数秒の間、硬直する。

 ――真偽判定は、『真』と出ていた。今の話、嘘ではない。


「まさか……」

「アルリゲル。今だから言うが、聖剣デウス・エクス・マキナは、全能に近いが決して絶対的ではない。あれはあくまで、使う者の命を糧に奇跡を起こしてくれるものだ。貴君との決戦において、我はあの聖剣を――十回以上は使った。貴君の『魔人化』により、相殺されてしまったから、実際はその分を加えると、『二十年分』は、減ったとみていいだろう」

「……、それは」


 リゲルは唇を噛んだ。

 仮にアーデルが八十年生きるとして、現在の彼女は十八歳。残り六十二年の寿命があるとして。

 そこから二十年を引いたことで、彼女の寿命は――約四十年。

 アーデルが補足を加える。


「忘れてもらっては困るが、アルリゲル。『六皇聖剣』だった時代でも、我は何度か、あの聖剣を使っている。それも加味するべきだ」

「……そう、だったね」


 凶悪極まる巨竜や巨人が相手だったとき。切り札としてアーデルはデウス・エクス・マキナを使用していたことがある。


「少なくとも我は、十回はその時代においても使っている。だから合計で、およそ三十年、寿命は縮んでいるだろう」


 となれば、元々、アーデルの寿命は短かったことになる。

 あと二十五年くらいしか、生きられない計算。ぞっと、リゲルの背筋が凍る。


「……僕たちとの決戦は、それほどの覚悟がいる戦いだったというわけだ」

「然り」


 アーデルは小さく首を傾けた。


「そしてアルリゲル。我は、『虚弱体質』だ。普通の人間は、およそ八十年は生きるだろうが、我はそこまで生きられない」

「……それは」

「ゆえに通常の七割、いや半分といったところか? 我の寿命はそれを元に考えるべきだ」


 リゲルは即座に計算をする。

 四十年しか生きられないアーデルが、『六皇聖剣』時代に十数回。今回の決戦で約二十回。つまり、それは――。


「アーデル。君は、あと三、四年しか生きられないのか?」

「……そうだ」


 リゲルは、思わず立ち上がり、震えた。

 感情の揺らぎを紛らわすべく、手近の瓦礫に手をつける。片手で、顔を覆った。


「なんて、ことだ……」

「さらに言えばアルリゲル。我はこの甲冑――『骸魔装』を作る際に、『禁呪』を用いている。寿命を対価にする術式だ。正確な日数は分からないが、減った命は一年や二年ではあるまい。よって、我に残された寿命は――」


 リゲルは、目をつぶり、小さく息を吸った後に呟いた。


「一年か、もしかすると、今日中にも、尽きる……?」

「そうだ」


 アーデルは、故郷を失い、家族を失い、全てを失った子供ような声を出した。


「わかるか? アルリゲル。我は文字通り、『命がけで』貴君に挑んだわけだ。――我の命が尽きるのは、今日かもしれないし、明日かもしれない。あるいは、一週間か。一ヶ月か。――長くても一年といったところだろう。ゆえに我は、貴君の提示した命令を、断る意味も意思もない」


 リゲルは悟った。アーデルは初めから、死を覚悟して臨んだ。その上で負けた。

 だから、もはや裏切りも戦闘も意味がない。


「だから、僕に裁いてくれと? どのみち、もう長くは、ないから……」

「その通りだ。貴君には多大なる迷惑をかけた。貴君になら、命を預けてもいいと思った。――我は、奪い過ぎた。誰かの幸せを。幸福の世界を創ると言っておきながら、この所業、当然の報いだと思っている」

「でも。それでは君は」


 何のための人生だったのか。

 リゲルは記憶を辿った。それはあまりにも報われない。

 確かにアーデルは大罪人だ。それは覆しようがない。だが半生は奴隷と絶望の日々だった。その果てが何も成せないまま潰える?


 真偽判定の結果が、脳裏に浮かび上がった。

 『真』――アーデルが偽りを言っている可能性はない。


 いやそれ以前に、『魔人化』した影響だろう。いまのリゲルは、命や魔力に対して強い感応力を持っていた。

 そばにいるだけで、アーデルの魔力がわかる。

 気力、体力、そして命の揺らぎすら感じ取れる。超常的な感覚は、眼の前にいる黒い甲冑の彼女を、死する寸前と評していた。


「そんなの……」

「動揺しているのか、アルリゲル」


 アーデルは、わずかに感情を高ぶらせた。


「すまないな、そういうつもりはなかった。我としては、そういう反応は想定していなかった。だから我も、いま、どんな感情で言えばいいのか、わからない――」


 ふと。

 アーデルは、とあることに気づいて、身を固めた。

 そして、恐る恐る、ためらうように、リゲルの方を向いてくる。


「―― 一つ、頼みたいことがあるのだが、アルリゲル」

「何だ、アーデル」

「我はどうしようもない愚か者だ。人に傷つけられておきながら、同じ、いやそれ以上の罪を重ねてきた。――だがそれでも、心から願うものはある」

「それは……なんだ?」

「子供が欲しい」


 アーデルは静かに、それでいて何かの決意を帯びた声音で告げていった。


「我は、生まれたときから何も成せなかった。姉に捨てられ、仲間は救えず後悔ばかり。何も、何も成せないまま終わるのは嫌だ。だから証が……我が生きた、証明が欲しい。間違いだらけな人生でも、最後になるまで、愚かな道のりを歩んできた我でも、『普通の』誰もが望む、幸せの欠片くらいはほしい。だから――」

「アーデル」

「我にとって、貴君は嫉妬の対象だった。力強い体を持ち、自力で皇国の最強の剣聖に至った実力。力を失い、なお【合成使い】として大成した気骨と執念」


 その視線はまさに執念だった。


「それらは、我が掴めなかったものだった。だが同時に、『憧れ』も抱いていた。今更だが……正と負、双方の感情を抱いていた。だから……」

「アーデル」

「虫の良い話だと解っている。だが時間がない。我には未来がないのだ。――証が欲しい。我が、こんな我でも、人並みの――当たり前の、幸せの一端でも欲するのは、間違っているだろうか? 我は、奴隷と絶望にまみれたまま、終わるべきだと。――嫌だ。あそんなのは嫌だ。だからアルリゲル。わたしに……」

「アーデル。わかっているはずだ」


 彼女は、びくっと体を震わせた。

 大きくうろたえて、子供ように、小さな嗚咽を漏らし始める。


「その気持ちはわかる。君の時間がないことも。……でも『それ』だけは出来ない。僕と君の関係は何だ? 『簒奪者』と『勝利者』。そうだろう? 君には、資格がない。僕も君に証を与える義務はない」

「……」


 それに、とリゲルは付け加えた。


「それにだ。君の体が持たないだろう? 仮に、『証』を宿したとしても、君の体はいつ果ててもおかしくない。そんな状態で、一年近くも持つのか? 無理だろう?」

「……錬金術には、ホムンクルスという、人工授精などを元にした――」

「同じだよ。生まれた『命』に責任を持てるのか? その子は、可哀想だと思わないのか? 残酷なことだけど……アーデル、それだけは、出来ないんだ」

「……。……」


 アーデルは、しばらくの間、放心していた。

 長い長い、沈黙と葛藤だった。

 いつまでも続くと思ったそれは――しかし。

 おもむろにアーデルが兜を外すと、近くに放り投げつけたことで終わった。


 美しい、亜麻色の髪が広がる。細く白いうなじ。柔らかそうな首。白磁の肌。

 幾多の戦場を、死地を、渡り歩いてきて、なお、その姿には、人の心を動かすものがあった。


「……アーデル。『骸魔装』をつけるんだ。君の能力を底上げするものじゃないのか、それは」


 篭手も外し、素手で顔を覆ってすすり泣き始める彼女に、リゲルはそっと声をかけたが。


「……っ、もう何年も、素顔と、素手で……泣いたことがない。……自分の体温すら、わたしは感じることが出来なかった……。いまだけは……いま、だけは、ただの『アルテリーナ』として泣きたい……」


 リゲルは何も告げられなかった。

 素顔で泣くにも体に負担が掛かる。ゆえに常時、錬金術製の甲冑を着る生活。

 許すことは出来なくとも、その境遇の一端は、理解することは出来た。

 リゲルは、すすり泣くアーデルを、ただ見つめた。いつまでも、いつまでも。彼女の罪悪感や後悔が、洗い流されるまで、じっと、瓦礫に腰掛けながら。



 

 十分以上は経っただろうか。


「――貴君には、迷惑をかけてしまった」


 涙を吹いたアルテリーナ――否、錬金王アーデルは、改めて漆黒の兜を被り直し、篭手を装着し終えた後、告げた。


「わたしは証を残せない。……そう、そうだな。忘れていた。我は人並み以下ということを忘れていた」

「……」

「ゆえに、無理を言うのはもうやめにしよう。先程告げられた、四つの使命。我はそれに従事する」

「……助かるよ」


 リゲルは慰めの声をかけようかと、何度も迷った。しかしそのどれもが空虚になりそうで、相槌を打つことだけに専念せざるを得なかった。


「アルリゲル」

「……なんだい?」

「我は、自分でも思った以上に未来に執着していた。ゆえに、もう新しい命が欲しいなどとは言わない。だから――『今ある命』について言及したい」

「……というと?」

楽園創造会シャンバラの処遇だ」


 アーデルは都市のあちこちに潜伏しているであろう彼らを思い浮かべながら言った。


「我が、降伏や敗北宣言を行った場合、彼らは指針を失うことになる」

「うん」

「『楽園』という、彼らが夢見た未来は訪れない。その未来を憂いている。それは変わらない」


 言葉尻に、不安そうなものが交じる。

 彼女自身、自分の選択に迷っている。


「我はもう長くない。だが彼らは別だ。彼らも我と似たような生まれ、環境の中で育ってきた。――世界に認められず、あるいは弾かれて、理不尽な人生を歩んできた人々。そんな彼らに、希望を残してやりたい。それだけが、我の心残りだ」

「……どうすればいい?」


 アーデルは、まっすぐにリゲルの瞳を見つめて言ってきた


 

「――アルリゲル。我に変わる、新しい『盟主』となって、シャンバラを率いてくれないか?」



「……なっ」


 思わず身を乗り出しかけたリゲル。それに、アーデルはすっと手をかざす。


「もちろん目的は変えさせる。『理想の楽園』、という夢物語ではなく――普通の、人々の助けになるように改めさせる」

「……無理だ。彼らは過酷な過去を送ってきたんだろう? 君のような、過酷な人生を。――そんな彼らに、自分たちの矜持を曲げさせる? ましてや、敵対していた僕が盟主になる? そんなこと無理――」



「心配はいらない。聖剣デウス・エクス・マキナで、彼らの心に干渉する。それだけのこと」


 

「――っ!」


 リゲルは、今度こそ生きが止まるような思いを抱いた。

 思わず、彼女の腕を掴む。


「アーデル、でもそれは……っ」

「わかっている。あと一度、あの聖剣を使えば我がどうなるかだ。――だからこれは賭けになる」


 それは全てを悟ったような声音だった。


「敗北宣言をして、シャンバラが降伏をした後の話になる。そのときに我は使う。聖剣デウス・エクス・マキナを。彼らの心に、楽園を諦めさせること。普通の人々に、幸福の架け橋となるよう呼びかけること。それが――八百年前の封印を解いてしまった、我の、責任の形だ」

「君は……」


 愚かだけど不器用で。一途で。それでいて、どうしようもないくらいやり方だった。

 リゲルは思う。

 ずっと昔、何かの形で彼女と違う形で会えあのなら。そうすれば、こんな結末は起こらなかったはずなのに。


「――ままならないね。何かの条件が違えば、君と歩む道もあったのかもしれないのに」

「だが、それこそ『もしも』の話だ。現実は理不尽で、残酷で、度し難い。だが我の命一つで済むのなら――」


 捧げてもいい。

 残る自分の、全てをかけて。

 そう、アーデルは言っていた。穏やかに。兜の奥で、涙ならがに、必死にこらえて。



†   †


 ―― 一週間後。

 都市ヒルデリースの臨時管理会が発足した。

 都市の復興、人々の援助。壊れた建物の修復、その他、雑事含め全ての事柄を司ることになる。

 

 その中でリゲルは、『ルエリアス勲章』という、この地方で最高の栄誉を叙勲した。

 これにより『特権探索者』としての地位はさらに高まり、『第一級・特権探索者』――つまり特権探索者の中でも、上位の地位に至った。

 また一般人には明かされていないが、リゲルはアーデルと交渉。

 いくつかの条件をもとに、アーデルの命が尽きるまでの協力関係を結ぶと合意した。


 そしてリゲルは――シャンバラの新たな『盟主』となる。

 当初、聖剣デウス・エクス・マキナを用いてシャンバラの幹部・全構成員の心に干渉しようとしたアーデルだが、幹部の複数が、直訴した。


『あなたの命を捨てるまでもない』

『そうです、聖剣デウス・エクス・マキナは使わないでください』

『無理をしないで。お願いです』


 ――そう主張し、楽園の道を自ら放棄した。


 アーデル存命のまま、残る命を惜しんだ。

 そして、リゲルの配下として収まることを確約した。

 当然、それには魔術や魔石を用いて、何重もの契約・服従の力を行使して実現することになる。実質的な隷属だ。


 けれどシャンバラの構成員の中には、異議を唱えるものもいたが、アーデル自ら、説得に励んだ。


 離脱者は一割だけ。その消息を追うことは必要だが、シャンバラの脅威は実質、激減したといっていい。

 リゲルは、アーデルに代わる指導者となる。

 シャンバラの新なる『盟主』として、君臨することとなった。

 その構成員――補佐員を含めると、28764名。

 実働部隊、百人余り。幹部――14名。各地に潜在的な信者もいると相当な数に登る。


 それらを率い、リゲルは迷宮攻略を、そして数々の偉業を成していくこととなる。



お読みいただき、ありがとうございます。

次回の更新は、9月2日の予定になります。

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