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第百四十一話  すべてのはじまり

 ――それは、十数年前。

 まだ、リゲルやアーデルが生まれてすらいない時期。


「オルカ! オルカ! もうすぐ生まれそうよ!」


 壮麗な庭と広場と高い塔が印象的な、屋敷の中。

 雄大な景色が広がる大平原。その只中に立てられた侯爵家の屋敷で、甲高い幼子の声が響き渡っていた。

 栗色にふわっとした長めの髪の少女だ。

 目尻は鋭く上がり、瞳は折れない剣のように荒々しい。一声かけるだけで常人ならば射すくめられる、まだ幼子にして女帝を思わせる娘だった。


「まあエカテリーナお嬢様。そんな大声を出して。旦那様に聞かれたら大変ですよ」


 今年で五歳になる彼女――エカテリーナは、尊大に腰に手を当てて鼻息をつく。


「ふん、私がやってと命じればたとえお父様でも許してくれるわ! 私に逆らえるものなんてない。私はこの世の全てを支配すべき器だもの!」


 教育係の方針か、それとも帝王学の会得の過程に問題があったのか。

 齢五歳にしてエカテリーナは傲岸不遜な娘だった。

 どれほど周りが諌めても聞きはしない。いつも自分こそ一番だと決めてかかっている。

 何をするにも一番。


 実際、同年代では魔術や知識、度量をとわず、いずれも頭一つ以上は抜けている。

 すでに、才女の素質を表していたのは事実だ。

 しかし、尊大な人間が挫折することもなく成長すれば、普通は増長するものだ。


「私に相応しい妹が生まれるといいわね! この私と血を分けたのだもの、きっと素晴らしい逸材ね! 楽しみだわ!」


 エカテリーナは、広い私室の窓――父と母が住まう本館の方を見やる。

 そこでは、もう間もなく生まれるであろう『妹』について、話題が尽きないはずだ。

 映えあるリリックレード家。

 このヴォルキア皇国の中でも随一の地位を誇る父と母が生む新たな命。

 それはまさしく自分と同じ才女であるに違いない。

 エカテリーナは、そう信じてやまず、そして実際、そう期待する者は彼女以外にも存在した。




「生まれてくる娘は、どういう才能を得ているのだろうな」


 鷲鼻に後ろになで上げた鈍色の髪。歳の割に筋肉質でありながら上流貴族特有の優雅さも持ち合わせる壮年の男性。

 この地方における領主でもある男、エルダート・リリックレード侯爵は、娘の気風について苦笑をもらしていた。


「自分が有能だから妹もきっと有能に違いない。それを臆面もなく言い切る。エカテリーナはそう評しているが、さて、一体誰に似たのやら」


 伸ばしている顎髭に手をやりつつ呟く。

 傍ら、瀟洒な椅子にティーカップを掲げていた女性が――妻であるカルミアがゆったりとした口調で微笑むい。


「そう。ふふ、まるで出会った頃のあなたみたい。気性の荒さ、才能至上主義、どれを取っても昔のあなたにそっくりね」

「……それは。まあ、言うな。俺は、もうあんな聞かん坊ではない」


 エルダードとカルミアの夫婦は、仲の良い侯爵夫婦として名を知られている。

 武名を轟かすこのヴォルキア皇国――その中でも貴族では二番目に位置する侯爵家。

 通常、上流階級はどろどろとした人間関係によって『すれた』人間が出来上がるものだが、生来の魔術や剣術の優秀さで活躍してきた。

 彼らは、清廉潔白な稀有な貴族として名を馳せてもいた。

 ヴォルキア皇国、最強の剣聖、《六皇聖剣》にも、いずれ到れるのでは?

 そう目される武人でもあった。

 彼らは、まさに皇国の頂点に近い者ちだった。


「エカテリーナには悪いが、俺は生まれてくる娘には、穏やかな性格に育ってほしいと思っている。他人を慈しみ、包み込むような、聖女のような娘にな」


 妻のカルミアが優雅に微笑む。


「……そうね。長女があれほど女傑じみた性格だから。同じだとちょっと……わたくしたちはともかく、使用人たちが疲れてしまうわ」


 半分は冗談混じりに、半分は本気で、カルミア婦人は上品に微笑む。

 見合い結婚で結ばれたとはいえ、カルミアの美貌は周辺地域に噂されるほどのもの。

 見事な栗色の長髪、おっとりとした所作。

 それでいて有事の際には威風堂々たる光景は屋敷内のみならず、皇族にも焦がれている者がいるほどだ。

 そのカルミア婦人が微笑み、自然な動作で自分のお腹に手を当てると、それだけで余人は溜息をもらす。


「生まれてくる私の娘。荒々しいエカテリーナの妹になるこの子は、いったいどんな娘に育ってくれるのかしら。今から、待ち遠しい」


 その膨らんだ腹部へと愛おしげに語りかける。

 長女エカテリーナは勇敢で優秀に、と願っているが、カルミアはそれほど熱心に願ってはいない。

 優しく、誠実な人間に育ってくれれば良い。

 姉のエカテリーナと共に皇国へ貢献してくれるなら、それこそ喜んで育児にも力を入れられるというものだ。


「――あ。そういえばあなた、私の新しい娘の『名前』、もう決めてくれた?」


 穏やかなその瞳を向けられると、エルダード侯爵は少し恥ずかしげに応じる。


「うむ、いくつか候補があったが……『アルテリーナ』という名前にしようかと思っている」

「――アルテリーナ。ええ、良い名前ね」


 エルダードは少し気恥ずかしい表情のまま続けた。


「昔……お前と一緒になる前、伝説の遺跡に赴いたな。そこで祀られていた英雄――その名から頂いた」


 彼は遠くを見つめるような目つきを浮かべる。


「女性騎士でありながら聖女として活動もした才女。敵にも礼節を忘れず、常に祖国のために貢献したという、『慈愛』を意味する名前の騎士。そこから名を拝借するつもりだ」

「ええ、素敵な名前ね。アルテリーナ……『アルテリーナ』。あなたはいったい、どれくらだけ明るい未来を見せてくれるのかしら?」


 やわらかに、カルミア婦人がお腹を撫でる。

 それを愛おしげに、夫エルダード侯爵が見つめる。

 ――その頃が、リリックレード家にとって、最後の幸せと、期待。

 それがあった、日常の一幕だった。

 


†   †


 

 ―― 一ヶ月後。


「弱視? つまり、あの子は目があまり視えないの?」


 エカテリーナは、期待していた朗報に反した事実に失望していた。

 まるで、宝剣が錆びついていたと聞かされた人間のような冷たい声音。


「ああ。つい先程、ロードキア大魔道士どのから知らされた。我々の次女、アルテリーナは――生まれつき、目があまり視えないらしい」

「……」


 エカテリーナは一瞬何かを叫びかけて、沈痛そうな父と母を見てかろうじてかすれた声だけを発する。


「そうなの……それは、大変ね」

「まあ、魔術具で補助すれば、まったく駄目というわけでもない。体も悪く、一日に二時間ほどしか動けないが、それはいずれ対処していくことにしよう」

「……え、いま、なんて」


 エカテリーナは、続いたその言葉に一瞬絶句した。

 その言葉の意味を考え、困難さを理解た。

 そして、どうやら父母の表情から、それは事実とわかり、思わず問い詰めずにはいられない。


「それ、本当なの? 私の妹は、体自体も弱いの?」

「……ああ。そうだ。アルテリーナは、生まれつき体も弱い」


 同情するように、父は語る。


「おおよそ常人の五分の一から四分の一しか、身体機能を持たない。呼吸も魔術具なしには満足には行えない。……今は、大魔道士どのが授けてくださった『デルテルの輝石』で対応してもらっている」


 心なしか、憔悴した様子の、カルミア婦人が付け加える。


「それでも、生まれたばかりよりは安定したの。……びっくりしたわ。生まれても泣かなかった子供。調べてみたら、生きるのも大変な体なんて」


 ――それは、過酷な人生だ。

 エカテリーナはそう言いかけた。

 カルミアは顔に笑顔を浮かべ、心配を払拭するように付け加える。


「けれど、原因がわからなかったから不安だったのはもう終わり。大魔道士さまに診断してもらってほっとしたわ。症状と対処法がわかれば大したことではないわ。この子は――アルテリーナは、わたくしたちの手で優しく守ってあげましょう」

「……」


 胸の中で抱かれる妹の姿。

 エカテリーナはまたも何か言いかけて、ぐっとい言葉を飲み込んだ。

 小さく、「今はだめ」「今はだめ」と、自分に言い聞かせるように。

 うつむきながら、かすかな声で呟きをもらす。


「……ええ、わかったわ。アルテリーナの大体のことは理解した。残念だけど、一緒に《六皇聖剣》を目指すのは無理ね」

「はは、エカテリーナ、お前はそこまで目指していたのか? これは驚いたな」


 父であるエルダードは可笑しそうに笑った。

 母カルミアもつられて微笑をこぼす。

 それは、傍目には優しい風景に見えた。

 生まれつき弱い次女と、それを暖かに守ろうと決意する父と母。その両親を尊敬する長女。

 傍から見れば、そのように思える風景ではあった。


「……じゃあ、私、自分の部屋に戻るわ。オルカと約束があるの」


 しかし。それは。



†   †


 

「――自分一人では、何一つ出来ない、欠陥品。それが私の妹だと言うの?」


 エカテリーナは、自室へ戻るなり自らの妹をそう評した。

 父と母が優しく言ってたが、あんなものはまやかしだ。

 自分たちへの慰め。傷の舐め合い。

 リリックレード家は、ヴォルキア皇国に相応しい、強く勇猛な人間でなければならない。

 エカテリーナなそう志しているように。

 父と母が、際立った武人であるように。

 それなのに、妹は弱い体? 常人の半分にも劣る肉体だと?

 それは――恥の塊ではないか?


「リリックレード家は皇国の懐刀。それなのに……あんな……あんな……」


 エカテリーナは失望していた。

 優秀な自分と血を分けた妹なら、優秀で当たり前。むしろどれくらい競い合えるか。それを楽しみにしていたのに。

 競う合うどころか、他人に補佐してもらわなければ、常人並みの生活しか出来ない。

 そんなもの、恥そのものではないか。


「……今すぐ、対処をしなければならない。そうでなければ私は――」


 侍女である壮年の女性、オルカが困ったようにそんな彼女の横顔を見つめていた。

 


 

 それから五年の歳月が過ぎた。


「あなたは役立たずよ、アルテリーナ」


 エカテリーナは容赦ない罵倒を、己の妹に対して放った。

 およそ肉親に向けて放つべきではない、厳しい声音だった。


「何をするにも他人の助けが必要。生きるのに魔術具が必要。どれほど育っても常人以下の娘。――聞いたわ、あなた、成長しても子供っぽい見た目のままらしいわね」


 エカテリーナの目の前には、まだ小さな妹が恐々とした様子で縮こまっている。

 家族の誰とも似ていない灰色の髪。幼く、壊れそうな白い柔肌。

 いつも何かにおびえている目。どこか薄っすらとした、怯えの瞳。


 弱者だ。

 一人では何も成せない未熟児。

 エカテリーナにとって、眼前の妹は何より忌避すべきが娘に映っていた。


「なんとか言いなさいよ、アルテリーナ」

「……ごめ、な……さい……」


 それは蚊の鳴くような声だった。


「あ? 聞こえないわよ!」

「ごめ……なさ……」


 両親が不在なのをいいことに、エカテリーナは不満をあらわに嘆息をもらしてばかり

 これほど連日、似たようなことを吐いても、妹から返ってくるのは弱々しい返事ばかりだ。

 怯えた瞳、庇護されなければ生きていけない弱い体。

 何を取ってもエカテリーナの足元にも及ばない。

 弱者の極みに、イライラする。


「大魔道士さま曰く、成長速度も常人とは違うらしいわね。外見は特に顕著。十八歳になっても、十二歳くらいの見た目にしかならないとか? 虚弱症候群だっけ? 他にも、何か聞き慣れない言葉を聞いたけれど、ようするにあなた、欠陥品よね」

「ごめ……なさい……」


 うつきむきがちの妹は、いつもそのようにして謝ることしかしない。

 自分は弱い、みじめです、わからいじめないでください。

 ――そんな、弱い者特有の、情けない仕草に、エカテリーナは段々と苛立ちを募らせる。


「……お嬢様。そろそろ旦那様たちがお帰りになる頃です。ここは……」


 侍女のオルカが、見かねた様子で口を挟んでくる。

 エカテリーナはそれも気に入らない。

 まるで自分がアルテリーナをいじめているみたいではないか。

 違う。そうではないのだ。自分は虚弱な妹を叩き直してやりたい。

 強く、勇猛な人間に改革してやりたい。

 それなのに、父も母も、侍女も、他の使用人も、皆が『アルテリーナお嬢様は虚弱だから、我々で守らないと』と、過剰な保護心を見せる。

 それが、エカテリーナには気に入らない。


 そもそもリリックレード家は、映えある皇国の懐刀なのだ。

 こんな、弱いだけの者に手間をかける必要があるのか?

 エカテリーナには他にも大きな不満がある。

 それは父も母も、妹のアルテリーナにばかり時間を割いていることだ。自分にはあまり構ってくれない。

エカテリーナは今年で十歳になり、魔術も向上したというのに。二言目には『アルテリーナは元気にしているか?』などと言う毎日。

 うんざりだ。

 本来、父や母から注がれる愛情の時間。それが妹のアルテリーナに奪われている。

 それが――エカテリーナには何より不服だった。

 



 ――そして後日。月が雲に隠れ、地表が闇夜に包まれた、ある深夜。


「では、作戦は伝えた通りに。あなたたちは私が教えた通りに、地下通路を使いなさい」


 エカテリーナは、暗い屋敷外の森の中、集まった十名の傭兵相手にそう告げる。

 傭兵の頭目である三白眼の男が、一歩前に出て問いを発した。


「作戦は理解出来ました。……しかし、良いんですかい? 妹ですぜ? 本当に、俺らが誘拐して、遠くに売り飛ばすなんて。ご両親は悲しむんじゃないですかい?」


 目や顔つきは間違いなく裏側の人間だが、声音だけはどこか戸惑ったような傭兵の頭目。

 その困惑顔に、エカテリーナは失笑を向ける。


「構わないわ。だって必要ないもの。あんな弱い妹。――知ってる? あの子、もう五歳なのに、外でも走れず、食事は侍女の助けが必要なの。それに弱視だから魔術具でかろうじて読書が出来ているくらい」


 そして冷たく吐き捨てた。


「そんな妹、リリックレード家にはいらないわ」


 傭兵たちは、あまりのその言い草に戸惑い、顔を互いに見合わせる。


「……まあ、俺たちは傭兵です」

「金さえはずんでもらえば、仕事はしますがね」

「ただ、さすがにあんな小さな子供を、誘拐するのは気が引けますなぁ……」


 エカテリーナは可笑しそうに口端を上げた。

 傭兵の頭目は、わずかに眉根を寄せた後、長い溜息を吐いて頷く。


「……了解しやした。俺たちはあなたの妹ぎみを誘拐して、奴隷商人に売り渡せばいいんですね? それで良いですな」


 エカテリーナは迷いなく頷いた。


「ええ、頼むわ。……あなたたちの身柄は保証してあげる。誰にも足がつかないよう、工作も。『金で解決出来ないことはない』――私は、この世に生まれてそれをよく知っている」

「……お嬢さん、あんた、将来が末恐ろしいな」


 傭兵たちは、エカテリーナを、まるで悪魔か何かでも見るような目つきで眺めた。

 しかし一端、意識を切り返すと、行動は早かった。

 彼らは頭目の命令のもと、秩序だった動きで闇の森の中を駆けた。


 

 ――そして、翌日。侍女アルテリーナが誘拐されたという騒ぎが、リリックレード家を揺るがした。

 だがエカテリーナは素知らぬ顔で、「たいへん! 急いで探さないと! オルカ、私と一緒に、森の中を探しましょう!」

  

 そう、全てを知りつつ、見当違いの場所をそれらしく探すのみだった。



お読みいただき、ありがとうございます。


次回の更新は明日、11月27日、20時になります。

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