第百二十九話 逆転の緑魔石使い
「トータが、負けた……?」
震えながらロッソが目の前の光景に驚愕する。
すでにかの少年の体は力なく倒れており、戦闘など望むべくもない。一気に形勢逆転――その事実にロッソの瞳が動揺に揺れる。
〈いまっ!〉
そこを見逃すメアではない。
一瞬で解き放たれた宝剣クロノスは、ロッソの肩へ直撃し、剣の腹とはいえ絶大な衝撃を与えロッソを吹き飛ばす。
――時間が、止まる。
ロッソにとって、必敗のときが迫る。
リゲルが追い打ちに魔石六個をばら撒いた。メアも残る宝剣を射出する素振りを見せる。
奇妙に、鈍速化した世界の中で。
ロッソは己の敗北を予期する。
――もうダメだ。
これ以上は何をしても無理。攻撃。防御。回避。あらゆる動作が間に合わない。
リゲルの放った魔石――《ハイゴブリン》によって大きな影が迫る。
組み伏せようと飛びかかる。
ロッソは、自分の敗北を幻視して――。
リゲルが背中から攻撃され、吹き飛ばされる光景を目にした。
「(これは)」
――何が起きた?
リゲルは自分の身に起きた現象を即座に自己診断していた。
――背中。衝撃。骨にひびが入っている。
即座に《ヒールスライム》の魔石を使う。癒やす。――しかし疑問が沸き起こる。
どこから攻撃? 誰が攻撃? 刹那の間にリゲルはその分析し、答えを得る。
「――そこか!」
衝撃に吹き飛ばされつつも魔石を投擲。《ボムラット》と呼ばれる起爆性の魔物の力が周囲を爆炎に染め上げる。
爆炎の中から、人影が出てきた。
それも複数だ。素人ではない。明らかに戦闘訓練を受けた人間の身のこなしの怪人。灰色のローブの何者か。
〈リゲルさん! 危ない!〉
この時点でようやく、メアや、マルコ、テレジア、ミーナたち仲間がリゲルの負傷に気づく。
完全に死角からの攻撃だった。
リゲルは跳躍し追い打ちの斬撃を回避し、仲間と自分も守れるよう《アイアンゴーレム》八個の魔石を投擲する。
それとほぼ同時。
「――誰だ?」
現れた人影は全部で七――いや八人か。いずれも手練れ。リゲルですら気づけなかった難敵だ。
戦闘中という極限の集中の中で、リゲルの不意をつく。そんな芸当、これまで出来たものはほぼ皆無だ。
「……」
新たに現れた灰色のローブの八人は、無言だった。
奇襲しておいて自分の正体を明かす間抜けはいない。
けれどリゲルは誰何の呼びかけによって、相手の力量なのか見極めようとした。
無視、無反応ならば強敵、応じるならばやや弱者、それ以外なら中堅以下の探索者並み――。
「――っ、マルコ、後ろ!」
答えは、全部外れだ。八人はリゲルではなく、仲間の――盾使いのマルコを狙って突撃した。
一人が正面、三人が側面、残る四人が頭上から。
――速い。リゲルは悟った。自分たちパーティの中ではマルコが一番動きが遅い。
テレジアは回復の生命線。なら、その護衛も兼ねているマルコを狙うのは定石だ。
しかし、一度リゲルを襲い、あえてその後にマルコに標的を変更する手腕。
怖気を感じさせる。戦い慣れている。それも、『対人戦』に。
そこまでを一秒の十分の一以下の刹那で分析したリゲルは、ほぼ反射的に《リフレクトガーディアン》の魔石を放った。
甲高い金属音と、砕ける硝子のような破砕音が一瞬後に訪れる。
「く、鋭いな」
「マルコ、上よっ!」
死神の鎌のような瞬速の蹴りがマルコの延髄目掛けて放たれ、テレジアの声にすんでのところでマルコはのけぞてかわす。
跳躍し、距離を取る。その間にテレジアは魔術を使用。
「ディバインウォール!」
高位の防御魔術。強固な半透明の障壁。
ゴーレムの豪腕ですら数十発は耐えきる高等魔術。
ほぼ同時、リゲルは《スモークマタンゴ》、《ポイズントーテム》といった、煙と毒を組み合わせた魔石を発動させていた。
仲間たちに集合を意味する口笛を吹く。
リゲル、メア、マルコ、テレジア、ミーナの五人が一塊になる。
対峙するように、八人の奇襲者が――ロッソ、気絶しているトータ、拘束されたダールドスを運びつつ、後退する。
敵側の十一人と、リゲル五人
「――仕切り直しだなぁ、リゲルさんよ」
敵側の代表として、ダールドスが笑った。
拘束されていたはずのダールドスが、バキンッという音と共に縛めを解かれていく。
八人の奇襲者――灰色のローブに身を包んだ者たちの一人が、《チェインスネーク》などを破壊したのだ。
先ほど倒したトータも、回復の魔術をかけられたのか目を覚ましている。
ロッソはすでに緑魔石を手にしている。いつでも『住』の力を発動出来る状態にある。
――たった数秒の応酬でダールドス、トータという、強大な緑魔石使いの復帰が果たされてしまった。
リゲルは思わず嘆息したい衝動にかられる。
「――伏兵か。してやられたね」
ダールドスがケタケタとおかしそうに笑った。
「その通りだ。万一、俺やロッソ、トータの複数が負けても挽回出来るようにしていた。『傭兵』を金で雇っていたんだよ。――いやあ、念には念を入れた方が良かったなぁ」
ロッソとトータが形勢逆転を確信してお礼を言う。
「まさかリゲルたちが、あそこまで強者だったとは。想定外だった」
「僕も、助かりました。油断はしていませんでしたが、強敵ですね」
ダールドス、ロッソ、トータという三人の緑魔石使いが徒党を組んだ。
同時に態勢も整ったという状況は、リゲルたちには不利な状況。
傭兵だという八人の灰色のローブたちも、かなりの手練れ。
一方でリゲルたちは猛者とはいえ、五人。
数の上で劣り、さらにはまだ伏兵もいる可能性を考慮すると、劣勢と言わざるを得なかった。
「ふ、くく、はははははっ!」
ダールドスが心の底からおかしそうに笑いをこぼす。
「どうだ! リゲル! 一度は倒しておきながら、盤面をひっくり返される気分は! 屈辱、憤激、様々な感情がお前を支配しているだろう!?」
「――まあね」
リゲルは淡々と返した。
ダールドスは強気で笑いをたたえたまま、前に出る。
「お前は脅威だ。同じ魔石使いでも年季が違う。――だが金の使い方に関しては俺の方が上手だったようだな。――戦闘には長けていても、駆け引きで俺に劣る。若造が、あんまり年配を舐めるものじゃねえ」
ダールドスは醜悪に笑っていく。周囲では、トータが暴走させていた民衆までもが再び暴走の気配があった。
どう見てもリゲルたちの勝機は薄く思える光景だ。
「リゲル。一度だけ言ってやろう」
ダールドスは、勝利を確信した笑みで宣言する。
「――降伏しろ。お前ほどの逸材だ。倒してしまうのは惜しい。俺に服従を誓い、下僕になるというのなら、命だけは助けてやってもいいぞ?」
メアが、マルコが、テレジアやミーナたちが一斉にリゲルの方を振り返る。
その瞳には、憤激や困惑といったものがありありと刻まれている。
リゲルは、そんな仲間の視線を一度に受けた後。
「――うん。わかった。降伏しよう」
あっさりとその提案を受けた。
「え!?」
メアたち仲間が驚愕して目を見張った。
ダールドスたちも、一瞬喜びかけ、不審そうにリゲルを見やる。
「……自分で誘っておいて何だが、何を考えている?」
「別に、何も? ……いや、正確には仲間の安全をどうやって確保してもらおうか検討している。僕は主力だから、おそらくダールドスの配下にさせられるんだろう。でも仲間の身柄だけは健全でありさせたい。その頼み方を、思案している」
ダールドスは思わず、一歩その場から下がった。
「……きな臭え……何を考えてやがる」
「だから仲間の安全だよ。降伏するんだから。身内の安全くらい、思案するだろう?」
「……嘘だな」
ダールドスがさらに一歩、下がりながら警戒した。
「お前が降伏だと? こんな簡単に? それこそあり得ねえ。何を企んでいる?」
リゲルは笑顔で一歩前に進んだ。
「だから降伏だよ。負けました、あなたには敵いません。だから仲間の安全だけはどうか。そう、僕は言っているのだけど」
「――ロッソ! トータ!」
ダールドスは警戒心もあらわに叫びを上げた。
『金』の緑魔石、『住』の緑魔石、『食』の緑魔石、それぞれを手に固く握り締める。
「――罠だ! 都市ギエルダを救った英雄が、こんな形で降伏するはずがない! 俺たちを油断させ、逆転の手を打つ布石――!」
「逆転の手を打つ? 何を言っているんだ?」
リゲルは、警戒心が最大限に膨れ上がったダールドスたちを前に、微笑する。
「逆転の手なら、もう打ち終えたよ」
「な、に……?」
その瞬間。頭上から声が聞こえた。
「――ああ、長かった。やっと私の出番? さあ、参りましょうか」
直後。
崩れかけた巨大な尖塔の先端に。可憐かつ美しい『踊り娘』が、柔らかな笑みのままそう宣言しているのを全員が見た。
「――馬鹿な……『衣』の緑魔石の所有者。踊り娘の、マリナ……だと?」
ダールドスの目が、驚愕に大きく見開かれた。
そう、それこそは、リゲルが呼んだいただ一人の援軍。
『天上の歌姫』と言われる踊り娘。
密かに――リゲルが接触を図っていた相手だった。
お読み頂き、ありがとうございます。
キリが悪いので次の更新は明日。
6月25日、20時頃になります。





