第百十五話 楽園からの導き手
かつてリゲルは――死を覚悟した瞬間が二度だけある。
一度目は《錬金王》アーデルに裏切られたとき。ほぼ全ての能力を封じられ、明確な死を意識したとき。
二度目は《ロードオブミミック》との激戦。メアと共闘し、九宝剣でもって倒した、青魔石の根源とも言うべき凶悪なる魔物。
――あれらは、複数の要因や幸運が重ならなければリゲルですら死んでいた。
確殺ではなかっただろうが、死の淵に落ちる程度の脅威ではあった。
それを。
それを目の前にいる男は、凌駕している。
《錬金王》よりも、『青魔石』の根源よりも――上位であると気配であると判ってしまう。
あのときより万全で。あのときより戦力を増していて。
それでもなお――『死』を意識せざるをえない、脅威の中の脅威というものに。
† †
「――わたくしは楽園創造会の幹部が一人。序列第十二位の『フルゴール』と申します」
その宣言を効いた瞬間、無言でリゲルは魔石を投擲した。
手加減出来る相手ではない隙を見逃すべき相手ではない。
「――凍てつかせろ《スノーホワイト》! 《ブリザードドレイク》!」
ランク六、氷結系の魔石の発動。猛烈な吹雪が辺りを覆う。極寒の世界へと染め上げる。
同時、レベッカが無詠唱で六つの光球を構築――眼前の幹部フルゴールへと直進させた。
猛烈な爆炎と氷風――それらが炸裂する。相反する二つの猛撃が周囲の空気ごと炙らせ、凍りつかせた後――。
「――見事です」
幹部は、無傷だった。
服の一部すら焦げてはいない。
いや、正確にはごくわずかに負傷している。
左手の小指――それだけを失ったフルゴールと名乗った美男子が、楽しげに笑っていた。
「――これは」
「軽減ですね。あるいは幻影?」
リゲルとレベッカは二手に分かれる。それぞれの動きを悠然とフルゴールが見守る。
――あれだけの攻撃で小指一本だけ吹き飛んだ耐久力? 明らかに異常だ。
牽制は必要ない。いま出来る全力をぶつける。でなければ死人が出かねない。
「リゲルさん、援護お願いします」
「了解」
レベッカが前に出て軽く杖を振るう。
周囲に十六の光刃が出現する。同時に、周囲の大気が猛毒の霧に変質。フルゴールを包み込む。
――瞬時に猛回転し音を超え鋭角的にフルゴールへ迫る光刃。大気を汚染する猛毒の霧。
直後、リゲルが無言で後退し魔石を投擲する。《ストーンゴーレム》《アクトスパイダー》、《ベノムアント》、それぞれ二十個ずつ。
しかしフルゴールは微笑しながら軽いステップを踏むと、それだけで全ての猛撃を避けてしまう。
「話を――しましょう」
フルゴールが余裕に語りかける。リゲルとレベッカがその声を無視して畳み掛ける。
本能が、叫んでいる。
『コレ』に語らせてはいけない。まともに話してはいけない。
経験、勘、気配――それら全てが彼らにまともな対応は迂闊と警戒心を膨れ上がらせていた。
波状攻撃とも言える猛攻に、しかしフルゴールは優美さを失わない。
炸裂する攻撃。
吹き付けられる波状攻撃。庭が荒れ地へと変わる。一瞬で爆発と振動と火柱が出現しては新たな猛撃で書き換えられる。
「――超音速の刃に、大質量の攻撃に、粘質の糸に、毒の攻撃ですか」
軽やかに避けつつ、フルゴールは歌うようにそう発言する。
「それぞれが違う特性の攻撃。見事な連携ですね。さすがは『英雄』と《一級》――しかし」
フルゴールが、灰色の右目を一度、閉じた。
数瞬後、『開眼』した直後――全ての攻撃が消え失せる。
全て――そう眼の前の光刃、猛毒霧、石の巨人、糸吐く蜘蛛、毒の甲殻蟻が、掻き消える。
「っ!」
「これは……」
リゲルが警戒心を引き上げ、レベッカが可笑しそうに口角を持ち上げる。
「やはり限定的な無力化? それとも幻影?」
「――両者とも、ひとまずは矛を収めてください」
フルゴールは敵意はないとばかりに両腕を広げ、柔らかく声を発する。
「わたくしは話し合いに来たのです。無益な殺生はしないでいただければ――」
リゲルが無言で、飛び膝蹴りをフルゴールにくらわせる。
《ハイハーピー》の魔石で瞬時に近づき、気配すら悟らせない完璧な一撃だ。
まともにくらったフルゴールの顎が砕ける。大きくのけぞり、数メートル後方へと吹き飛ばされた。
何度も地面を転がり後方の木にぶつかり、ようやく静止する。
「レベッカさん、追撃!」
「[――我が名において命じる。渦巻く闇、黒天の龍、魍魎の腕よ穿て]」
貫通や破壊に秀でた黒い稲妻が、いくつもフルゴールへと直撃した。
レベッカが杖を振るい、さらに氷で出来た杭を二十八個、射出する。
さらにリゲルが《ヒートゴーレム》、《ヒートウルフ》、《レッドトーテム》――猛火の魔石の攻撃を間断なく降り注がせる。
フルゴールの悲鳴が聞こえた。
それは断末魔の叫びか、それとも狂気の証か。波状攻撃の余波でほぼ聞こえない。だが常人なら十度は死ぬほどの猛撃を受けている。
「痛い、痛い、痛いですね」
フルゴールは、爆風を薙ぎ払い、友好的な笑みのまま前に歩んだ。
「ほぼ無傷?」
「一応、効いてはいますけどね」
リゲルとレベッカは苦々しく呟く。
フルゴールの、左手の薬指一本。それだけが明らかな裂傷を帯びている。
しかしそれ以外にはさしたる損傷も見られない。
あれほどの猛撃を受けて、なおも軽微な傷。いかなる理由? 加護? 神秘の付与か。
リゲルたちが次の攻撃に映る直前。フルゴールはまたも右目を閉じ――すぐに『開眼』させる。
《ヒートゴーレム》が、《ヒートウルフ》が、《レッドトーテム》、レベッカの放った黒い稲妻や氷の杭が、幻であるかのように消え失せる。
「――消失の魔術、か?」
この時点で、リゲルとレベッカはいくつかの可能性を考慮していた。
フルゴールは明らかに異常。攻撃してもほぼ損傷を受けない。
いや、全く攻撃が効いていないわけではない。むしろ効いている。すでに左手の小指は吹き飛び、薬指は細かな裂傷で使い物にならなくなっている。
だが、他の部位は全くの無傷。
加えてあれほどの猛攻にもかかわらず、衣服や肌には何の損傷もない。
砕けたはずの顎は治っていた。かなりの高等な魔術。
「(限定的な攻撃の無力化? あるいは軽減? どちらにせよ)」
「(厄介な手の持ち主ですねー)」
リゲルとレベッカは、眼前の幹部が難敵と理解する。
「リゲル様。それにレベッカ参謀長」
フルゴールは優雅な笑顔を絶やさずに優しくさえずった。
「話し合いを行いませんか? でなければ千日手になります」
このままでは庭の隅のマルコやテレジア、果ては屋敷にまで影響が及んでしまう。
ランク八以上の魔石を使えばフルゴールは御せるかもしれないが、対価も大きい。住み慣れた屋敷を失うのは避けたかった。
それに――策を巡らせる必要もある。
リゲルはそう結論づけ、ハンドサインでメアに合図を送った。
先程から彼女には、『待機。指示あれば六宝剣で攻撃』とハンドサインし、伏兵として潜ませている。それを念のため継続してもらう。
リゲルは油断なくフルゴールの挙動を観察しつつ、会話を選んだ。
「……わかった。僕としたことが少し逸りすぎた。口上もなしに交戦するのは性急だったね」
「同意ですねー。殺し合いをするにしても挨拶くらいは必要だったかと」
「大変喜ばしい対応、感謝いたします。――ふふ、紳士淑女たるもの、まずは挨拶と歓談でしょう。上流の人間は優雅に行きなければなりません」
長年の友人であるかのように微笑むフルゴール。
奇襲しておいて優雅とは皮肉もいいところだ。
面の皮が厚い。リゲルは対応策をいくつか模索しつつ、応対を続けた。
「要件を伺おうか。――楽園創造会の幹部、フルゴールと言ったっけ? ――君が、あの黒装束たちの主かな?」
「その通りである。彼らはわたくしの配下。十八ある特務部隊――そのうちの一つです。主に暗殺や偵察などを生業としています」
偵察と暗殺部隊。あれで。幹部であるフルゴールは、おそらくそれ以上だろう。まだ余力はあると見た。
「どうしてあんな回りくどいことを?」
「それについてはまず謝罪を」
フルゴールはその場で深く頭を下げた。
金糸のような髪が優雅に踊る。
「わたくしは、リゲル様やレベッカ参謀長には礼節をもって相対すべき、という意見を持っておりました。ですが、配下はそれを受け入れず、奇襲を断行。このような被害をもたらし、申し訳ありません」
リゲルは片眉を上げた。
その言葉に偽りはないように思えたが――。
「その言葉を信じろと?」
「はい。……我らはとある計画を実行中でした。ゆえに気が立っていたのでしょう。まずそのお詫びからさせて頂きたい」
真偽の判定のため、リゲルは即座に《ジャッジメントビースト》の魔石を使った。
これは嘘を暴き虚言者には天罰を与えるという獣の魔石である。
それを《マッドカメリオン》――透明化を行う魔石を併用し、不可視状態にして使用。
結果――判定は、『真』。嘘ではないらしい。
「……なるほど。謝罪と釈明のために赴いたというのは本当みたいだ」
「理解していただけて何より」
納得してもらったのが嬉しいのか、笑顔を深めるフルゴール。
「ついでに聞いておこう。僕の結界をどうやって破ったのかな? あれは相当な手段でなければ破れないはずだけど」
「じつはわたくし、『対象に弱点を付与する』、という魔術を持っていまして。それで『結界には脆い箇所がある』状態に改変させたのですね。正確には、それを部下に『貸し与え』、彼らが勝手に使用したということになりますが」
弱点の付与。そして魔術の貸与。
リゲルとレベッカは内心で舌打ちした。
相当な効力の力だ。その能力の危険性、応用性、計り知れない。
軽く想定しただけでも十以上は有用性が浮かぶ。
リゲルたちは警戒心をさらに一段階引き上げる。
自分の能力をあっさりと言ったということは、それだけの自信がある。もしくは露呈していても何の問題もないということ。
「――自分の配下も制御出来ないのは、幹部として失格だと思うけれど?」
「耳の痛い言葉にございます」
「君は、わざわざ僕たちのもとまで来て謝罪して、後はどうする気?」
「お願いをしに参りました」
「お願い」
オウム返しにリゲルが言うと、フルゴールは変わらぬ笑顔で言葉を続ける。
「――ヒルデリースのことは、見逃してもらえませんか? 我々を見逃してもらえれば、今後あなたがたには干渉いたしません」
あり得ないお願いに、リゲルとレベッカは束の間、失笑した。
「君は――馬鹿なのか?」
「おっしゃる通りにございます。この懇願、素直に聞いていただけるとは思っておりません」
慇懃にフルゴールは頷きを返す。
「ですから、楽園創造会の構成員百三十名、無償で差し上げます」
「……」
あり得ない戯言だ。
たとえそれが真実でも虚偽でも正気とは思えない。
「……大事の前にどうでもいい下っ端は切り捨てるということ?」
「とんでもない! 我が構成員たちは全てが一流の戦士、魔術師! 受け取れば必ずや迷宮探索に役立ちましょう!」
熱狂な宗教家というものは、異端の考えでも臆面なく言葉を連ねる。
フルゴールのそれはまたにそれと類似。頓狂な戯言を真顔で善行であるかのように語る。
「話にならない。そもそも君たちは四つの国家を吸収したヒルデリースの黒幕的存在だろう? 看過すると思うの?」
「ギルドにとっても重罪に値する活動です。身内に犠牲も出ています。極刑ですね」
「重ねておっしゃる通りにございます」
フルゴールは再び華麗な詫びの礼を行った。
「それについては、わたくしが釈明出来るものでもありません。ですがどうか! ヒルデリースへの干渉を中止していただきたい」
「拒否する。大陸に大きな混乱が起き、犠牲も多く出た。首謀者にやめろと言われて素直に聞くわけがない」
フルゴールは悲しそうな顔を浮かべ、抗弁した。
「ごもっともです! ですが、ですが! どうかご采配を!」
「くどい」
「我々が人造魔石を使った計画は悲願なのです! 長年の想いが成就する寸前! ですのでどうか! ヒルデリースを見逃してもらえないでしょうか?」
リゲルが転移短剣バスラをフルゴールの鼻っ面に投げつけた。猛烈な斬撃を受け彼が吹き飛ぶ。
背後の樹木に激突し、起き上がったとき――彼は右手の中指にわずかな裂傷を受けているだけだった。
「怪しげな魔術を使う人間の言うことを信用するわけにはいかない」
「それ以上戯言をほざくのなら排除しますよー」
「ああ! ああ! どうかご再考! 私たちは悲願の目前! 人材でも宝でも差し上げます! ですからどうか――」
リゲルが、ランク八、《タイラントワーム》の魔石を使用した。
日光を遮るほどの巨影。万物を飲み込むのではないかといった巨大な魔物の影が、フルゴールを見下ろす。
「最後通告だ。――ヒルデリースの暴走を、止めろ」
フルゴールの表情がますます悲しげな顔つきになっていく。
「ああ……ああ、やはり、こうなりましたか。――だから配下には行くなと、命じておいたのに……」
フルゴールの瞳から友好的なものが消えていく。その光に陰が宿っている。
嘆き、悲しみ、悲哀の声音を交えながら、ぶつぶつと独り言と語る。
「人を殺すのは私にとって悪徳だ。悪徳は避けねばならない。なぜなら私は加減が出来ない人間。戦えばいかなる人間も肉塊へ変ずる。その光景が悲しい。私は悲しい。肉塊は美しくない。人間は綺麗なまま生き、そして死ぬべき」
呪詛めいた独り言はその速度が早くなる。徐々に、余人が聞こえるものではなくなっていく。
「私の力は禁忌に根ざすもの。使いたくない。使わず終わらせたい。ああでも! 神は私に試練をお与えになる。――――の神々はいつも残酷だ」
「……念のため、聞いておこう。フルゴール。――ヒルデリースへの、干渉を、中止しろ」
「出来ません」
それが本当の、最後の警告だった。
リゲルが《タイラントワーム》をけしかける。レベッカが三十一の光刃を出現させ、突貫させる。
「ああ……そうですか。そうですか。こうなっては――もう仕方ありませんね」
フルゴールの、気配が一変する。
優雅な貴公子然とした空気から。殺意ある簒奪者のものへ。
――光が、闇に塗り替わるように。
優雅さは変わらず、ただ黒い感情のみが、辺りへ充満する。
「――楽園創造会の幹部が一人。序列第十二位、フルゴール。全力で阻止させて頂きます」
笑顔で――彼は断言した。
もはや有効的な時間は終わり。あとはどちらかが死ぬまで終わることはない。死神の如き禍々しい殺気が放たれる。
《タイラントワーム》がフルゴールへ激突する。フルゴールがそれを殴りつける。リゲルとレベッカ――そして伏兵として隠れているメアたちの、激戦が始まった。
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次の更新は9月24日、20時頃になります。





