第百十話 ランクゴールドと緑魔石の使徒
「広大な畑だな」
『紅蓮大剣』エルバートは、時速千キロを超える疾走で、瞬く間に楽園国家ヒルデリースの付近にまで近づいていた。
見る間に風景が即座に背後へと流れる高速の移動。鳥も、獣も、いかなる地上生物も追いつけない――人間兵器とも言われる彼らの身体能力。
相方である『疾霊弓』キードルも追随して同意する。近くに不審な影はないことを確認。
「ああ、ヒルデリースの農場が視えた。かなりの面積だな」
前方――ヒルデリースを覆う外壁、そのさらに外側には、見るものを圧倒させるほどの農園が広がっている。
林檎、茄子、梨、芋、葡萄……その他魔術で土壌を改良しているのだろう、多様な野菜や果物がいくつも実っていた。
規則正しい風や適温を施す魔術具を見かける。
杖の形をした保湿・保温・防腐などを司る杖だ。そこかしこに立っている光景は、まさに農業の最先端といったところ。
王国の中でも王都周辺にしか見られない光景。
その事実に、エルバートとキードルは改めてこの地の脅威に気を引き締める。
「見張りはいない。例の九万体のゴーレムも。……罠だと思うか?」
「どうだろうね。大方、こちらを敵とすらみなしていない――といったところかな? 油断せず進もう」
二人のランク黄金は減速する。罠の警戒をしつつ周囲を見渡す。
彼らは視線を幾度も動かしながら農場を進んでいった。
先発隊の斥候として先行。
集まった百四十人の探索者の先発隊のうち、威力偵察のためにヒルデリース付近にまで潜入。
可能なら敵戦力の把握をする。
それが彼らに課せられた任務だ。
音速で駆け抜けられる彼らならではの役割。
普通なら九万のゴーレム相手に無謀だが、よほどのことがない限り彼らが無傷で偵察を終えることは出来るだろう。
「……問題なし。付近に異常な反応は見受けられない」
エルバートが短く報告する。静かだ。つい先日建国宣言を行った領土とは思えないほどに。
「俺の方もだ。探知の魔術具を持ってきたけど、何の反応もない。でも」
「人の気配が、あまりになさすぎる」
生物の息吹を感じない。虫一匹、鳥獣一匹の影すらないとはどういうことか。
まるで黄泉の世界にでも迷い込んだかのような静寂な景色。
本能から彼らはここに長居する危険性を感じ取る。
「――念のため、探査の魔術具を置いていこう。俺たちが見落としてもそれで――」
そのとき、不測の事態が起こった。
「あ? おいおい噂と違うじゃん。なにこれ」
「こんな良い農園、最高だ」「お、美味そう」
エルバートとキードルが向かうその先、林檎畑の中に見知らぬ探索者の姿が見えた。
一般の探索者だ。
それも、おそらくはランク青銅――低級の探索者たちだろう。
エルバートたちは内心で舌打ちする。言動から推察するに、おそらく偶然この辺りを縄張りにしている。
今回のヒルデリースの騒動を。野次馬気分で介入しようとした考え無し。
「――君たち。ここはヒルデリース。現状は理解しているか?」
下手な戦力は足手まといであり、任務達成に繋がる。
思わずエルバートは声音を穏やかにし、彼らへと接触を図った。
「は? なに言ってんのあんた?」
「手柄を横取り? まじないわー」
六人の探索者、面倒そうな顔を浮かべてきた。
「ここは危険区域として国王が指定している。命令された者でなければ立ち入り禁止だ」
「手柄を占有しようたって、そうはいかないぜ」
「王様がたんまり報酬を用意してくれたんだろ? 知ってるぜ」
「後から来たくせに横取りするのは関心しないなぁ」
それぞれが勝手な言い分で反感を示してくる。
エルバートとキードルは目を交わし、逡巡した。
気絶させるか?
彼らのように下級の探索者が他にもいる可能性は拭えない。
仮に野次馬根性や身の丈にあっていない任務を請け負ってきたのなら命の無駄遣いだ。
迅速に無力化させ後から来る本隊に預けた方が良いか?
エルバートたちが、そう考え、一撃で彼らを昏倒させようと、踏み出しかけたときだった。
――六人の探索者たちの前に、『緑魔石』が出現していた。
「……な!?」
驚愕にエルバートが硬直する。情報通りの光沢、大きさ、魔力の量。膨大な力の凝縮。
間違いない、報告にあった緑魔石の外見に告示している。
だがあまりに急な出現に対処が遅れた。
エルバートたちが行動を起こすより早く――。
「あ? なにこれすっげえ綺麗!」
「わあー、やっべ、宝石みたい!」「名のある宝物だよ!」「やべえ、美しい!」
「よせ! それに触るな! すぐに離れ――」
エルバートは最大級の警戒心でもって静止させかけた。
だが、遅かった。
――エルバートとキードルが、あと0・2秒早ければ。
六人の探索者の中に、一人でも冷静なものがいれば。
事態はそれ以上悪くはならなかったのに。
彼らは――知らなかった。
それが『緑魔石』と名付けられたものだということに。
彼らは――知らなかった。
緑魔石は、触れていなくとも、『強い願望』があれば発動することがあるという事実に。
「お?」
緑魔石が――激烈に発光する。
それはまさに暴風が起こったかのようであり、まさに質量をともなった魔力の風が辺りへ荒れ狂う。猛烈な質量を伴う竜巻。
エルバートが咄嗟に大剣を抜刀する。その暴風ごと切断。奥の探索者一人から緑魔石を蹴り飛ばして遠ざけるが――。
不運なことに――緑魔石は『六個』出現していた。
「な!?」
低級の探索者一人一人に現れた緑魔石。エルバートは即座に破壊を試みた。
だが大剣は甲高い音を奏で弾かれるばかりだった。
――さすがのランク黄金であるエルバートたちも動揺した。
どこを無防備な六人の探索者たちが緑魔石に触れようとする。
「お、お? おおおお?」
それでも。
エルバートたちは即応した。
六人の探索者から次々に緑魔石を剥奪――思いっきり蹴り飛ばし、一時的だが遠ざけることに成功する。
だが、位置的に最も遠かった一人。
その最後の彼の緑魔石だけは、間に合わなかった。
音速で疾走しては、彼らに衝撃波をぶつけて死なせてしまうかもしれない――皮肉にも解除された彼らの戦闘力が、エルバートたちの思考を一瞬鈍らせる。
「お、お……おおおおおおおおおおおお!」
エルバートたちの背筋に、悪寒が走る。
最後の探索者の足元で、緑魔石は爆発的に発光する。
エルバートが大剣を構えた直後。異変が起こった。――地面が。地面が。地面が。地面が。地面が。
広大な農園の下から、まるで城のような白亜の『尖塔』がいくつも生えてくる。
森林のように。剣山のように。白く眩い光沢をもった尖塔はエルバートを、キードルを、六人の探索者のうち五人の足場を崩し、爆散させ、辺りに甚大な破壊をもたらしていく。
「ははははははははは! なんだ! これは! すげええええ!」
最後の一人の探索者が喜悦に叫ぶ。
いつの間にかその手に緑魔石が握られている。圧倒的な魔力が濁流のように溢れる。目眩がするほどの大量の魔力の暴風。
主と認めた相手に応じ、膨大な力を授け、そして顕現させるその光景は。
「は、ハハ! 頭の中で! 俺の思った通りのことが起きてる! 城! 城だ! 城が、すげえ! あっははははははハハ!」
――『緑魔石』。
それは彼の願いを叶える悪魔の魔石。
住居が欲しいという願いを叶え、低級の探索者では到底得られない財宝を叶える。王侯貴族のみが着る衣装を生み出す――願望実現具である。
その力は膨大。尖塔が、尖塔が、尖塔が、無限に生えて景色を塗り替える。農園が消える。破裂していく。
林檎や梨の鮮やかな景色は、一瞬で白亜の尖塔に置き換わり、人工の――絶大な権力を象徴するかのような尖塔で溢れ返る。
もしも鳥や蝶などが空から眼下を見渡したら、怖気を覚えただろう。
周囲数キロ単位で尖塔が樹海のごとく生まれている――その光景、異常と言わずして何が異常か。
「エルバート! これは、無理だ!」
疾霊弓のキードルが叫ぶ。矢でいくつか尖塔を破壊する。破片が雨のように散る。膨大な攻撃だ。魔物なら数十体は死んでいる。
だが――。
「射線が取れない! それに他の五つの魔石も!」
蹴り飛ばしたはずの五つの緑魔石が、いつの間にか元の五人の足元に『転移』している。
「持ち主の所へ自動で戻す厄介な機能だ!」
それは報告にはなかった。
舌打ちしそれを即座に弓で打ち払うキードル。だが、足元から生える尖塔を避けての狙撃では限界がある。
尖塔を蹴りで破壊しつつ、合間に五人の緑魔石を弾いているキードルは達人級だが、それすら現状維持が精一杯。
「あはははははははは! アハハハははハハハ!」
周囲がむせ返るほどの魔力の嵐に包まれる。尖塔の出現が止まらない。
エルバートが大剣を刺突の状態に構えるがもう駄目だ、あれはここで止めなければならない。殺す覚悟を以って挑む。
「よせ! 無理エルバート!」
「だが! やるしかない――、戦技『列牙闘――、く、おおおおお!?」
「エル――」
突如、エルバートの真下から新たな尖塔が生える。
金属音と共に構えていた大剣が弾かれ、衝撃で腕がしびれる。咄嗟に予備の短剣を投げる。尖塔の探索者のすぐ近くに着弾。
する寸前――新たな尖塔に阻まれ、尖塔を破砕するに留まってしまう。新たな尖塔が三、六、七、八、九……十を超えて出現する。もはや尖塔の探索者は姿も見えなくなる。気配を探ろうにも尖塔の出現が邪魔で果たせない。
「くそっ!」
それでも。
ここで事態を悪化させることだけは許せない。
自分たちはランク黄金。多くの期待をこの背に託された。
一つの不測の事態でご破産など不名誉。ゆえにかすかな気配を頼りに突貫の姿勢を見せるエルバート。
一秒が、何倍にも加速する。刹那が刹那でなくなり、何秒にも思える世界。
瞬歩で距離を即座に埋める。空間を超越する。
そして――尖塔を迂回し暴走する探索者の正面にまで接近して。
「――そこまででさぁ。邪魔はさせませんぜぇ?」
背後より、『盗賊』ダヤイが現れ、『視覚外からの攻撃で確殺させる』魔剣――謀殺剣エグリラッハを突き出した。
「……っ!」
一瞬だった。形状や魔力から一瞬でエルバートは呪いの類と推察。迷わず自分の左腕を前面に出し、盾とする。
直後、エルバートの左腕が『壊死』し、腐り果てた。
「な!?」
その的確な判断だった。驚き、一瞬だけ硬直したダヤイの体を、エルバートは全力で蹴り飛ばす。
「ぐあああああ!?」
激烈な轟音。直下の地面が振動する。ダヤイがうめき声を上げる。直後、尖塔が次々と出現する。追い打ちは不可能。エルバートが壊死した左腕を舌打ちして歯噛みする。「キードル!」と絶叫。
「駄目だ、撤退だ! 刺客は他にもいる!」
見れば、視界の端にいくつもの影。
緑魔石の所有者。
即断したキードルが秒間で三十発の矢を放つ。豪速で、魔力で練られたそれは周辺の尖塔を破砕し、即席の目くらましを形成する。
濛々と立ち込める巨大な土煙。視界が死ぬ。キードルとエルバートが跳躍する。気配は一瞬で消えていった。
† †
「ちっ、やるねえ……」
エルバートとキードルが撤退したのを確認した後、ダヤイが苦笑気味に毒づく。
「初見で俺の魔剣を見破りますかい。――さすがはランク黄金だ」
エルバートらの判断は正しかった。
謀殺剣エグリラッハは、『姿を視られていない場合、相手を絶命させられる』魔剣だが、明確な弱点がある。
それは、相手の姿を全部見ていないと発動しないことだ。
エルバートはその特性を即座に見破るや、片腕を犠牲にして撤退。離脱を選んだ。
一瞬の間の認識と判断。まさに一流の技量だ。
「まあランク黄金を足止め出来ただけでも良しとしますか」
あのまま緑魔石を対処されていたら面倒なことになっていた。
最悪の結果よりは断然良い。
爆煙と尖塔の破片で辺りの視界が最悪になる中、暗殺を失敗したダヤイが薄笑いを浮かべる。
「……時間はまだありまさぁ。新たな緑魔石使いが誕生した。これで俺たちの国はもう少しだけ強くなりましたね、マーベンの旦那」
ダヤイは、任務をしくじったことに多少の屈辱は抱きながらも、ほくそ笑んだ。
† †
「確かに、ランク黄金の探索者は厄介だ。だが一人や二人では我らを止めることは出来ぬ」
楽園国家ヒルデリースの王城の中。何人もの召使いの女を侍らせながら彼はワインをあおる。
「――次はアレグラーム王国の軍が攻めてくるか? さてどうする? デルドス王。このままではお前の国は滅ぶぞ?」
戦線は開かれた後はアレグラーム王国がどう出てくるか、楽しみで仕方ないと――楽園国家の元首はせせら笑っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の更新は5月21日、20時の予定になります。





