第十二話 地下に広がる大迷宮
紅蓮の柱が視界を焼き尽くす。
濛々と立ち込める、熱気の嵐。
灼熱が全てを支配し、数多の生命を奪う熱地獄。
ドロドロとしたマグマの川の近場で、探索者集団たちが剣閃を翻していた。
「そっちだ、隘路に向かったぞ、狙え撃て!」
「ちいっ、ちょこまかと! くらえ、《水閃斬り》!」
「ぐあああっ、駄目だ、押し切られる、バフしろ早く、早く!」
「なんだこいつ硬いぞ、注意しろ――うお!?」
火炎に覆われた《フレイムリザード》が駆け、《ウィル・オ・ウィスプ》の火球が宙を焼き、《ヒートゴーレム》の巨腕が周囲の岩石を打ち砕く。
砕け、舞い、降りしきる岩の欠片。どれ一つとっても千二〇〇度を超える高温は致命傷を呼び、猛火と熱風飛び交う空間は、立つだけで体力を削り取る。
「くそっ、はあ……はあ……、うっ、腕が、上がらない……っ」
「魔力の残存量が危険です! このままでは回復が追いつきませんっ」
「ちいっ、一度退けぇ! トカゲと鬼火はともかく、ゴーレムは無理だ、一旦、退却だ!」
リーダーの男が叫ぶが、遅い。
轟音が。
猛火の拳が。
全身が紅蓮に燃えるゴーレムの打ち下ろしが、大地を打ち砕き、洞窟を激震させる。
ただでさえ崩れかけていた周囲の岩が崩壊する。振動は全集団メンバーの動きを阻害していく。
「うああああ!?」
「ちょ、ここでそれはまず――」
「やべえ上だ……っ!」
悲鳴や動揺が続く咆哮にかき消される。フレイムリザードの《火炎ブレス》が。摂氏千五〇〇度という猛熱を孕み、集団の前衛二人を包み込む。
「「ぐあああああっ!」」
「――ベイ! レドル! 生きてるか!?」
「なん……とかな! でも盾がもうダメだ! 耐火シールドが全壊だ!」
「げほっ、げほっ、うう……今日の報酬は山分けでなく融通してくれると助かります」
「そんだけ言ってるなら平気だな! とにかく一端退け! ゴーレムはまずい、走れ走れ走れぇ! 魔物の胃袋で溶かされたくなかったらな!」
「とっくに熱くて溶けそうだけどな!」
「やーん、服が汗で張り付いて気持ち悪ぅ」
「おいキャシーッ、こんな時にエロいこと言ってんじゃねえ!」
熱で浮かされたメンバー達が、恐怖に負けじと軽口を言い合う。その間にも魔物たちは追随してくる。
魔物たちのの体は『猛熱』の炎、触れられれば死を意味する灼熱の化身が、炎腕が、ブレスが、死の炎熱が襲ってくる。
『耐熱装備』を揃えても万全からは程遠い。
彼ら魔物らは業火の使者。万物を焼き、焦がし、灼熱で炙るモノ。
第一迷宮《紅蓮》。
第五十七階層。
探索者たちは、死と灼熱の恐怖に耐えながらも戦っていた。
† †
立ち塞がる巨大な樹があった。
むせかるような紫の鱗粉があった。
そびえる数多の木々が高々とそびえ立ち、その影のそこかしこには『動くキノコ』がある。『動く枝』、『蠢く葉』、甘く、危険な『香り』が辺りへ漂う。
「やべえぞ、この辺り、《ハイマタンゴ》と《ホブマンドラゴラ》の巣だ!」
「《トレントミミック》もいるっぽいぞ、どれが偽者でどれが本物の樹かわからねえ!」
「くそが、焼き払え! 『フレイムサークル』と『フラムボム』を使うんだ!」
「うあああ、無理っすよリーダー! 魔術師の姉妹は《ハイマタンゴ》にやられ、眠り姫状態」
「誰かキスして無理やり起こせ!」
「無理っす! 薬でもなかなか起きないの知って――おわ!?」
踏んづけた小さなキノコが、ゲラゲラ笑って胞子をばらまいた。
とっさに呼吸を止めたリーダーと治療師以外の全員だが、もう遅い。ばたばたばたと倒れていく。
「催眠の……胞子っ! くそ、これも《ハイマタンゴ》か!」
「リーダーっ、まずいぞ、横から《パラライズビー》の群れが!」
刺すと麻痺毒が広がる毒々しい色合いのハチ。
一度麻痺すれば数十分は動けない。
それらが七体、列を成して襲ってくる。
リーダーが細剣の連撃で五体斬り刻む……が、残る二体に治療師が刺されて行動不能となる。
「リーダー……、やばい、逃げて……っ」
「逃げられるものならやっている! おのれ、キノコにハチに木々どもが! ――[天壌に住まう紅蓮の双蛇よ、我に仮初めの力を与え、魔を祓いたまえ。『フラムベルオルム』]!」
灼熱に覆われた二頭の蛇型の火炎が、迫る《パラライズビー》と《ハイマタンゴ》を一蹴する。
だが、この階全域に居座る《ホブマンドラゴラ》、《ハイマタンゴ》、《トレントミミック》の群れを一掃するのに、あとだれだけ掛かるだろう。
「……くっ、魔力が足りない、やばい、やばい、やばい……ッ!」
「リーダー……上層で、さっきの集団に、助け、を……」
「しかし、それではお前達が……うううっ、……ゆ、許せ! すぐに戻る! ――[天より降り注げ、火王の使徒よ]!」
せめて時間稼ぎに『火蜥蜴』を三体召喚し、救援を求めて場を離れるリーダー。
だが、それすら《迷宮》の魔物達は許さない。
「むっ!?」
わらわらと。わらわらと。
それまで微動だにしなかった背後の木々が。立ち並ぶ樹木たちが。
一斉に幹や葉や枝を揺らし、甘い香りを放出した。
「馬鹿な……トレント、ミミック――だと!?」
それは、木々に擬態し人間を狩るもの。
最も人間が窮地に陥った時に動く、魔の狩人。
一瞬まで、本物の木々にしか見えなかった幹の一部から、紅き眼が浮かび上がる。
「GYAU、GYAUUUU、AAAAAA!」
「不覚……っ! ここも罠だったか!」
細剣を翻しリーダーが突撃する。
その刀身には、『火炎』の閃き。その口からは、大魔術の詠唱声。
彼は戦う。仲間のために。誇りのために――魔力と気力が、尽き果てるまで。
「おおおおおおおっ、おおおぉぉっ!!」
――第四迷宮《樹海》、第六十二階層――
樹木が列をなし天然の自然と状態異常の魔物が巣食う魔窟。
勇ましい探索者の声と、惑わしの化身たちが、激突する。
† †
「――隊長、やけに静か過ぎませんか」
砂、砂、砂、砂、砂。見渡す限りの『黄金の砂』が地面を埋め尽くす《迷宮》の中で、探索者の一人が疑問を口にした。
「何を怯えている。我らは深き八十階層を越える目的がある。敵がいない事態は、むしろ好都合だろう」
「そうですが……」
壁際にも『砂』が溢れ、天井にも数多の『砂』、いったいどのような原理で重力を無視しているのか。
『砂』の魔殿と呼ぶしかない迷宮の中、彼らの声は恐ろしいほど透き通る。
「七十一階層に入った途端、魔物が一体も出ないのはおかしいですよ」
「涌出と再涌出の狭間だろう? 先程もそう結論づけたはずだが」
魔物は湧出と再涌出を繰り返す。無限に『魔物』は迷宮に出現する。
だがその『合間』を行けば、踏破も難しくない。
隊長である長身の男が、傍らの美女へ振り向く。
「リーシャ。何か異常はあるか」
「特にはないわ。『短期予測』でも『中期予測』でも特に反応は見られない」
およそ二秒以内、ごく短期の『未来』を見渡せるスキルを持つ少女。そして三十分以内の『中期未来』を予測できる《予言師》、彼女の言葉に、隊長は頷く。
「諸君、リーシャの言う通りだ。このまま先に進むぞ」
「しかしリーダー、これは、あまりに不気味です……」
仲間が疑念を抱くのも当然だった。
なぜなら数ある迷宮の中でも、この第八迷宮《砂楼閣》は難関として有名なのだから。
何しろ迷宮内では、『いかなる魔術も使えない』。低ランク、高ランクを問わず、あらゆる『魔術』が使用不能。
火炎、氷、雷撃、風、土、闇、光、結界、回復、転移……その他あらゆる魔術は無効化され、働かない。
『魔術』とは、人が魔物に対抗出来る大いなる武器だ。ゆえに探索者を問わず、絶対的な不利が働く。
頼れるのは予言師の女のようなスキルか、それ自体に能力がある魔術具。あるいは魔術なしで戦える圧倒的な肉体のみ。
それら三つを兼ね備えた彼らの隊長は、それでも杞憂とばかりに歩を進める。
「良いか。これはチャンスでもある。長年閉じられてきた、この《砂楼閣》八十一階層の扉――それが開いたとなれば、調査しないわけにもいくまい?」
「ですが、先遣隊は全滅だったんでしょう? 帰ったのは使い魔のケットシーだけだって……」
怯える部下の言葉に隊長が力強く言う。
「だからこそ行く価値がある。《迷宮》の新たなる道、そこを探求するのが探索者の誉れというものだ」
「でも、マズイですって! 等級五十以上の隊が全滅ですよ!? 何か『いる』のは間違いです、ここは……俺達の予想を超える何かがいます!」
一般的に、等級の安全マージンは階層数の二倍まで。
つまり等級十なら階層二十まで。等級三十なら階層六十まで。
装備や編成にもよるが、おおよそそれを超えた場合、生還は難しい。
「理論上、百階層までは潜れる集団が全滅なんですよ!? ここはもっと慎重に――」
「お前の第六感より、リーシャの『予測』の方が正確だ。あまり気を張り詰めず、先へ――」
その言葉の途中だった。
深き砂の先、それまで何も感じられなかったその奥に、何か濃密な気配がある。
「隊長! 敵です!」
仲間の声に、予言者の美女が軽く驚く。
「……嘘。私の予言が、外れた?」
「――違う。《隠蔽》のスキルだ。厄介だな」
隊長が呻く。その可能性を廃していたわけではない。だが集団内の半数に、《看破》の魔術具を装備させていたにも関わらず、見逃していたのだ。
その事に戦慄する。
間違いなく、相手は強敵だ。
それも、相当に熟達の。
パーティ全員の顔に、緊張と警戒が走り抜ける。
「総員、戦闘配置。対隠蔽スキルへの陣を――なに?」
言いかけた直後、隊長の視界の中で、思いもかけない光景があった。
――金髪に青い瞳、煌びやかな鎧はいかにも上質で、剣も、盾も一級品。
顔に見覚えはあっても、ここにいるはずのない、いてはならないはずの人物が、いた。
「先遣隊の、モルバス、隊長……?」
「嘘だろ、一人だけ生きて――」
「ありえん! 彼は死んだと報告がきたんだぞ!? 生きているはずがない、生きて――くッ!?」
瞬間、隊長が警戒を促すより先、モルバス(?)が旋風のように斬り込んで来た。
その一撃で集団の二人が吹き飛ばされ、一人は昏倒。
残るメンバーが反射的に火炎、雷撃、疾風、斬撃、瀑布のごとき波状攻撃を仕掛けるが、全てかわされる。
「馬鹿な、馬鹿な……!?」
「おい、マジでモルバスさんなのか!?」
「やめてくださいっ、モルバスさん、こっちは味方ですっ!」
聞く耳持たず、烈風のように走り鮮烈な剣撃が周囲の砂を吹き飛ばすモルバスらしき者。
「なぜあなたが我々を――うああっ!」
だが、おかしい。彼が味方を襲うなどあり得ない。
いや、あり得ないと言えばそもそも、彼の装備がまったく無傷なことこそ異常だ。
『悪魔の領域』と恐れられる第八十一階層、そこで全滅したはずの彼が、新品のような装備で、埃一つない肌で、しかもいきなり襲いかかってくる光景は、まさに悪夢だった。
スキル、戦技、陣形、あらゆる戦術を試し、隊長たちは凌ぐが――。
さらなる異変が、彼らを襲う。
「え?」
「あ、う、うそ!?」
「なんだ、それは――」
陽炎だ。
つい先程まで戦っていたモルバスの姿が、突如歪んでしまったのだ。
空間ごと歪み、霞んだ光景が元に戻ると――
そこにいたのは、凛とした容姿の、うら若い『女武闘家』の姿だった。
「おいおい嘘だろ……!?」
「先遣隊の紅一点――サラミヤさんじゃないか!?」
「いったい、どういう……っ」
集団は戦慄する。
それは先遣隊で、唯一の華。礼儀に正しく自分に厳しく、探索者の中でも名高い、女武闘家だった。
鋼をも穿つ拳、美しい蹴り技――全てが同じ。動揺の隙が隊長たちの陣形を打ち崩す。連携が乱れた。残像引き連れてサラミヤ(?)が飛び込み、戦技『百烈王打』、『稲妻落とし』、『斬月輪』を次々ぶち込み、隊員が吹き飛んでいく。
「ぐああっ!?」
「きゃあっ」「速すぎる!?」
探索者たちは打たれる拳と痛みで理解する。
――これは、『偽者』だ。
何らかの理由で。先遣隊の集団がその『姿』を、『能力』を奪われ、襲ってきたのだ。
新品同様の『装備』、埃一つない『肌』、血の一滴も付いていない『姿』――間違いない、本物の彼らは全滅し、魔物どもがそれを利用している。
幻術か、擬態か、それは判らない。けれどそう遠くはない。それが証拠に、サラミヤ(?)は味方であるこちらに次々と、攻めかかってくる。
先遣隊であった大型戦斧の『巨漢』、細剣二刀流の『青年』、大盗賊の『少年』へ次々と変貌し、武技を、戦技を駆使し襲ってくる。
そして――。
「うそ、でしょ……?」
「そんなの、ありかよ!」
驚愕のままに隊長と部下たちは戦く。
リーシャ――今まさに戦っている彼らの仲間の『予言師』へ、襲撃者は変じたのだ。
「まさか――『戦った相手へ変身する』……いや《模倣》する魔物だと!?」
「だとしたらまずい! 『短期予測』と『中期予測』を使われる!」
「リーシャ、本物であるお前が対抗しろ! ――くっ!?」
本物のリーシャは愕然として動けない。
『予測』の魔術には強い精神集中が必要、動揺に動揺が重なった現状には対応しきれない。
偽リーシャの『予測』により、隊長や部下、彼らの剣撃も戦技は全てかわされ、反撃に何人かの隊員が深手を負い倒れていく。
「馬鹿な……本物と、寸分の違いもなく模倣する魔物だと……!?」
《マンドラゴラ》などの幻惑系か、それとも《ミミック》などの模倣系か。
それらすら解らない。
分析する暇すら与えられず、打ち倒されていく探索者たち。
† †
《迷宮》――
地上より遥か下に広がるその魔窟には、悪鬼羅刹、悪夢の権化と呼ぶに相応しい、無数の魔物が存在する。
十一ある魔窟。その特性。すなわち――。
第一迷宮《紅蓮》――紅蓮と燃え盛る魔物に囲まれた、猛熱の迷宮。
第二迷宮《氷河》――全てが凍てつき、肺すらも凍らせる氷結の洞窟。
第三迷宮《惑乱》――淫魔、胞子植物、幻覚悪魔など、人を惑わす魔物どもの巣窟。
第四迷宮《樹海》――『擬装』、『状態異常』、『隠蔽』に長けた植物が蔓延る怪迷宮。
第五迷宮《岩窟》――多種多様、様々多様な魔物への対抗が必須の岩迷宮。
第六迷宮《水殿》――全てが『水』で覆われた迷宮。そこに潜む魔物は人を死の淵へ誘い込む。
第七迷宮《流転》――空間を司る往路。いま居る位置と、未知なる位置が入れ替わる可変の迷宮。
第八迷宮《砂楼閣》――魔術が使えぬ迷宮。無限の『砂』に囲まれ、物質の魔物たちがさまよう。
第九迷宮《冥府》――スケルトン、グール、リッチ、死してなお襲いかかる亡者どもの巣窟。
第十迷宮《回帰》――時間を司る通路。過去が未来に。未来は過去に。当たり前の時間の流れが消失した魔空間。
第十一迷宮《天獄》――正体不明。入ればいかなる強者も二度と戻って来れぬ、最凶の迷宮。
全てが、多用な特性と広大な《洞窟》。その中に、無限の魔物がいる。
その種類、じつに数百種類。未だ全貌も明かされず、未知にして危険極まる魔物達が迷宮に跋扈する。
広大な地下に広がる迷宮は世界中、全ての『地中』深くにあり、いくつもの『入り口』を持つ。その数は数え切れない。
そして――そのうちの一つ、エンドリシア王国の都市、ギエルダの地下にて。
第八迷宮《砂楼閣》の奥――その中で、一体の魔物が、咆哮を上げていた。
「GYAUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!」
その魔物の能力は《変幻》。
視た者を模倣し、その姿や特性を『模倣』する能力の持ち主。
予言師を含む、上位パーティを壊滅させた凶悪種が、さらなる獲物を求め疾走する。
その先は――上層。
リゲルやメアのいる、屋敷の地下施設だった。





