第百六話 ギルドの抵抗・暗躍の『緑魔石使い』
――そして、移民の勢いは衰えず、なおも増すばかりだった。
「こんな……っ、この都市への移動が多すぎる! 一刻も早く、制限をかけなければ……っ」
都市ヒルデリース、ギルド中央支部にて。
ギルドマスター・ブロスが、もたらされた報告に顔色を失い悲痛に呻く。
「すでに、近隣の都市エーリドやササリから、五〇〇〇人の移動を確認しています。なおも増加中……概算では明日中には、八〇〇〇人の移民を超えると……」
民衆の暴徒化――それと平行して、他都市からの移民の増加。それがブロスたちの窮地を加速させる。
「くそ、こんな時に……! 即座に各支部へ通達しろ! 衛兵にも連絡――この都市、ヒルデリースへの入都を制限せよ!」
「はっ! 了解しました!」
血相を変えて飛び出した伝令の職員。それを横目で眺めながら、ブロスは苦い顔で拳を握り締める。
「……おのれ、テロに加えて人々の、移動が……止まらない……っ! このままでは……っ」
現在、都市の至る所で他の街からの移民が押し寄せている。
すでに南門では移民で溢れ、西門が東門も増加中。
かろうじて北門だけはそれほどではないが……このままでは、確実にこのヒルデリースの処理能力を超え混沌と化すだろう。
都市への人の移住は簡単ではない。人一人あたりの衣食住をまかない、それを継続して用意出来るだけの土壌がなければ成立しないものだ。
現在、ヒルデリースは首謀者不明のテロ活動を受けている。
『緑の石』の騒動。その最中に移民を受け入れ、安全性や生活充実の確保など到底望むべくもなかった。
「――ゴルドマスター、探索者へ応援を求めてみては?」
参謀の騎士、カーデムがブロスの傍らで語りかける。
「彼らには強い力が宿っております。衛兵や騎士だけで対処出来ぬ今、彼らに応援を求めるのが得策かと――」
「それは、危険だ。彼らの力では影響が予測出来ん。探索者には荒くれ者も多い。それに、一般人を管理する権限がない」
「それは……しかし」
探索者は《迷宮》の魔物を倒せるほどの強者だ。ゆえに一般人の暴徒や移民など容易に鎮圧出来るだろう。
だが、彼らはあくまで迷宮を『探索』する者。一般人に対する権限や法令もない。
つまり責任を持てない。
カーデムは首を横に振る。
「しかしもはや猶予はあまりありません。調査部隊からは他に成果が上がらず……現在判っているのは、暴徒と移民の増加――これを解決しない限り、混乱は終わらないという事です」
「分かっている!」
ブロスは拳を強く強く握り締める。
何が目的だ? どこに焦点を当てればいい? 考えろ、考えろ!
対処療法的な手段では駄目だ、破綻は目に見えている。
かといって根本解決をしようにも《一級》はほぼ不在、人員が不測し過ぎている。
ブロスの中の様々な計算と打算、検討と予測――推察が繰り返され、思考が焼き切れかける。
やがて、一つの案が浮かんだとき。彼の皮膚に、爪が食い込み血が滴った。
「……騎士ラーマスに、連絡は取れるか?」
「はっ、可能です」
「……であれば、彼の『魔術』を使う」
「っ!」
参謀のカーデムは驚きに目を剥いた。
「……それは――よろしいのですか? 」
「構わない。彼に前線に赴かせ、まず暴徒化した民衆を黙らせろ。全てはそれからだ」
「……ですが、彼の魔術は強大です。ここで使えば民衆の反感を招きかねませんが……?」
「すでに手段を選べる状況ではない。お前には聞こえないのか? こうしている今でも、外では民衆がギルドを取り囲み、洗脳された頭で暴徒と化している。外では移民が雪崩と化している」
「それは……」
狂ってしまった、人々の凄まじい声。
そして止めようとそても止まらず、地位も立場も失った移民希望者。
それを窓越しに眺め、参謀カーデムが硬い顔つきで瞑目する。
「――了解いたしました。確かに、手段を選べる事態は過ぎていますな」
「そうだ、この騒動が終われば俺もお前も降格は免れん。であれば、せめて最後の任として最善を尽くすのみ」
「御意に。我がギルドマスター」
覚悟が決まったのか、カーデムが瞑目を行う。
ブロスが大声を張り上げる。
通信のギルド職員へ向け、外に出動中のギルド騎士へ伝令を通達する。
「ギルドマスター・ブロスが命じる! 《二級》騎士ラーマスはいるな!? 現時刻を以って、お前の『魔術』発動を許可する! 繰り返す、騎士ラーマス、貴様の魔術でもって、民衆の沈静化に従事せよ! 都市ヒルデリースに平穏を取り戻せ!」
そしてギルドの切り札が投入される。
† †
《二級》騎士ラーマスは、街中で呟きを発した。
「――私の魔術が、解禁されたのか……」
先程、指示をしている最中に入った本部から通信魔術。それに緊急の命令が下された。
『――お前の魔術を開放せよ。制限はいらん。速やかに状況を打破しろ』
出来れば使いたくはなかったが、致し方ない。
これは――当然の事態ではある。緑魔石の騒動にギルドのテロに民衆の暴徒化。今までこの命令が出なかったのが不思議なくらいだ。
――『騎士』とは、ギルドにおいて秩序の要である。
一般的な王侯貴族を守る騎士と違い、彼らは絶大な力とそれに見合う尊厳を持っている。
彼らが動くのは都市に致命的な事態が訪れたとき、あるいは探索者の命が危ぶまれた時。
ゆえに『守護者』。
そのように渾名されている。
その中でも、一際強力な魔術を行使出来るギルド騎士――それがラーマスだった。
「――もはや猶予はない。私の手に全てが掛かっている」
ラーマスは決意を込め、腰に下げた『杖剣』を手に取る。
そして一度だけ瞑目し――その刃へと祝詞を唱える。
それは、不可思議な形の杖。
否、剣でもある武具。樫の木で出来た上半分と、ミスリルで出来た下半分の剣――奇妙な外観の武器ゆえ、『杖剣』と呼ばれていた。
その不可思議な武器から、荘厳で、静かな、しかし確かな力を感じさせる奇跡の魔力が迸る。
「――[救いの神に我が幸福の道あらんことを。我は導きの使徒。終わりもたらす使徒。忘らるる古の神の徒にして、求道者なり]」
猛烈な、発光が彼を中心として起こる。
杖剣から迸る神秘の波動。亜麻色の光は周囲一体に広がり、空気のように散開し、天と地と覆う薄いカーテンとなり広がる。
《鎮静》の魔術。
騎士ラーマスは、『無力化』を得意とするギルド騎士だ。
その能力は相手の意識を昏睡状態にまで落とし、いかなる行動も不能とする。
魔術に抵抗にある者でも抵抗は難しく、ましてや一般の人間に防ぐことなど叶わない。
対制圧・鎮圧に特化した補助系騎士。
暴徒化した民衆がうめきを上げていく。
『ギルドに裁きの時を――う』
『沢山の金銀財貨を私の手に――ああっ』
『なんだ……これは……っ』
『我の、屋敷の所有をギルドより貰い受け――そんな』『あ……なに……?』『意識が……遠く……』『おのれ……おのれ……』
一人、また一人とギルドを取り囲む民衆が、倒れていく。
意識を奪わされ四肢から力を失い、倒れていく暴徒だった人々の群れ。
嵐のような罵倒も、罵声も関係ない。
ありとあらゆる騒乱は静まり返る。
それこそが《鎮静》。他者に沈黙を強制する騎士ラーマスの真髄。
この《鎮静》の魔術を受けた場合、いかなる強者も立ってはいられない。
これは人間の中枢神経に対し、活動を止めさせる魔術であり、特別な加護や守護がなう限りは昏倒から逃れられない――高位の魔術だった。
だが、それだけに代償も熾烈だ。
ラーマスの魔術は後遺症――具体的には約五ヶ月に渡って『意識混濁』に悩まされ、普通の活動は不可能とさせられる。
起きて普通の生活に戻ろうにも、魔術の後遺症が続く間は蝕まれる。
覚醒と昏睡を繰り返し、日常生活で大きな支障が出る。
それが、彼の魔術が普段は封印されている要因だ。
彼は自身の魔術の強さを抑制出来ない。周囲一体に影響を及ぼす。
そのため、今回のような緊急時でも、解禁を引き伸ばされた――いわば諸刃の剣だった。
ギルドは一般人を害なく救わねばならない。それを崩してしまう力。
同僚であるギルド騎士は、強い抵抗力のある魔道具を装備させているため問題は薄い――が、一般の人間が耐えることは絶対にない。それほどの力だった。
『うあ……ギルドに……災いあれ……』
崩れ落ちた八歳くらいと思われる子供が倒れる。
それを遠く倒れるのを建物の屋根の上から確認しながら、ラーマスは短く嘆息する。
「これで数百人は昏睡状態か……やりきれないな」
ラーマスは傷心のままにそう言葉を添える。
そう、最初からこの手を使えば民衆の無力化は容易だった。
ギルド内部にテロを起こさせる隙も作らせなかった事も可能だった。
しかし、ギルドマスターをはじめ、ラーマス自身も使用を保留していた。
だが状況は切迫していた。ラーマスが魔術を使わなければ、ギルド本部はさらなる大打撃を受けていただろう。
今、この時点で事態を終息に近づけた――それを成果とみなし、誇りを持とう。
それがラーマスの結論だった。
『無事、終えたようだな、ラーマス』
ギルドマスター・ブロスからの通信魔術が届く。
「はい。後遺症に悩まされる民衆には治療を行わないといけませんね。……担当するギルド職員には後で小言を言われますね」
『……そうだな。何にしても、全て終わった後だ。これで後はテロ行為と緑の石に集中出来る』
ギルドマスターにしても苦渋の決断だったろう。
守るべき民に後遺症を植え付ける。それは断腸の思いだったに違いない。
ラーマスは心中で深く民衆に侘び、そしてこれで事態の悪化だけは素子できたことを喜び、緊張を解いた。
『――まったく、隙を作らせるのは本当に楽だな。ギルドの人間って奴は』
その瞬間だった。
遠く発せられた場所から、強い『力』が発せられたのは。
ラーマスは――怖気と共に振り返り、背筋が凍る光景を見た。
† †
――数分前。
「ギルドは必ず鎮圧用の手札を使用する」
元悪徳領主マーベンは、『緑魔石』を手元で弄びながら語った。
「緑魔石による騒動と民衆の暴徒化。さらに支部内へのテロ活動。それを受け、ギルドが取る行動は簡単だ」
都市の外縁にあたる古い屋敷の中に人気はない。例外はマーベンと配下である盗賊、ダヤイ――および元兵士長のグレゴリーのみ。
マーベンは語りを続ける。
「ではこの場合、標的とは何か? ――決まっている。最も弱い者。そう、暴徒と化した、民衆だ」
マーベンは遠く、ギルドの方面を仰ぐ。
今はまだ、頑強な壁に守られ、暴徒化の民衆の声から守られているギルド。秩序の番人の拠点。
「暴徒化した民衆は三つの災いの中で、最も明白かつ、弱者の集まりだ。そこをギルドが狙うのは常道と言える。為政者ならまず選ぶ選択肢――だが」
傍らの盗賊、配下であるダヤイが口元を楽しそうに歪ませる。
「それゆえに読みやすい。マーベン様の思うツボですな」
「その通り。ギルドの手札は手にとるように分かる。ゆえに、俺はそれを妨害するだけで良い」
「全てがマーベンの思うがまま。まったく、貴方は恐ろしい」
「ふふ、はは」
グレゴリーが称賛を込めた声音で呟きに、マーベンは哄笑した。
† †
――《鎮静》の魔術の使用から数秒後。
「馬鹿な!? 民衆の再びの暴徒化だと!?」
騎士ラーマスはもたらされた報告に、背筋が凍る思いだった。
『――残念ながら。ラーマス、お前は《鎮静》の魔術を使い、民衆を無力化させた。――だが『敵』は、これすら見込んで策を練っていたようだ。民衆の暴徒の増殖――『新たな民衆』が驚異となってギルドを包囲し始めた』
「そんな、これほどの数を……一体どうやって……」
視線の先、ラーマスの見えるぎりぎりの位置でギルド中央支部が大量の民衆に囲まれているのが見える。
多過ぎる。
先程の数百人を超えている。おそらくは一〇〇〇人――いや三〇〇〇人はいるのではないか。
「馬鹿な……こんな事が可能なのですか? 組織……いや長時間による儀礼大魔術!?」
『判らない。だが分かっている事は、『敵』は我々が考えるより遥かに上回っていたという事だ……』
ラーマスはギルドマスター・ブロスの声を遠く聴いていた。
救ったはずの都市が、新たな災厄に見舞われる。不幸がなおも続いていく。
ラーマスは震えながら、怯えながら、その光景を見続けるしかなかった。
† †
――民衆が、狂っていく。
正気が失せ、蛮声となって鳴り響く。
「ギルドだ! ギルドにたくさんのお金! お宝を持ってるって! アハハ!」
「欲しいの! たくさん、たくさん、ギルドに眠る財宝、ほしいの! ひはッ!」
「私の、夢の、屋敷をこの手に! ギルドの、財産を、私に!」
「私の食料はギルドにある。ギルドには肉が、魚が、果物が、全てがある。欲しい。私は、ギルドが欲しい! ハハハッ」
民衆が、民衆が、民衆が。
まるでゾンビの如く、わらわらと群がり、ギルドを追おう壁の周囲に集結していく。
先の倍する数の一〇〇〇人を超え、三〇〇〇人に達し、なおも増え続ける。
理性も知性もなく。ただ単一の命令を受けた人形のように、涎を垂らしたまま欲望を刺激された彼らは幾重にも並び――叫んでいく。
「ギルド美味しい! 食べ、食べる?」「お金、ひゃはっ! ハッピーラッキーひひひひひ!」
† †
「フフハハハッ! 見るがいいこの景色を!」
元凶たるマーベンは大笑する。
「ギルドはじつに無能だ。目の前の問題を片付ければそれで終わり。困難を解決したらそれで終了と思っている」
鼻で笑って語り続ける。
「だが――災いが一回だけなどと誰が言った? まだだ、まだこれからだぞ、ギルド。悪夢はこれからが本番だ」
都市の外縁で潜むマーベン。彼は、遠く聴こえる民衆の暴徒化の声を耳に、洗脳を続ける。
その手にあるのは、幾多の魔道具。人を狂わせる洗脳道具。宝石、ピアス、ブレスレット……様々な形はあれど、どれも常人を狂わせる狂気の産物。
「これでギルドは手が出せない。目の前の騒ぎにかかりっきりですな」
配下のダヤイの言葉に、マーベンは笑う。
手元の『緑魔石』を手に。
人々の欲望を刺激し、金を生み出し洗脳へと繋げる。
先ほど行った手口と全く同じ。『緑魔石』で得た財を糧に、民衆を洗脳させるすべを得た外道たちは、魔道具を使い潰し、ギルドへと暴徒化の民衆を差し向ける。
† †
「なぜこんなことを!? 敵は一体何が目的なんです!?」
騎士ラーマスは、民衆の惨状に、ギルドマスター・ブロスへ叫んでいた。
『理由は不明だ。だが推測は出来る。――おそらく、暴徒化させた首謀者は、民衆を暴走させる一級魔道具を持っているのだろう。そしてそれは想像もつかない程にストックを所持している。おそらく、最初の数百人の暴徒は小手調べ――あるいは、性能の試験といった可能性が高い』
「そんな……」
一般の民衆を魔道具で狂わせ、暴徒化させる。
考えるだけで恐ろしいことを平然と行える心胸。
その精神に、狂気にラーマスは震え上がった。倫理を、心を、なんとも追わぬその所業。
ゆえに分かる。この、敵の次の行動は――。
「ギルドマスター、考えたくはないですが……」
『お前の思っている通りだ、ラーマス。暴徒化の民衆は、一度では終わらない。最初の数百人が終われば一五〇〇人が。それが終われば三〇〇〇人が。そしてそれ以上が――『首謀者』の手によって、暴徒化は加速する」
「くっ……」
ラーマスは耐え難い感情に身を震わせた。
――身を切る思いで魔術を使ったのに。後遺症に悩むだろう民衆の立場に苦痛を覚えていたのに!
まだ、これが序章かすら判らないとは。
「――悪魔の所業です。人間のすることとは思えない……!」
『同感だ。だが私としてはこう命ずる他はない。ラーマス。再び《鎮静》の魔術を使用せよ。苦しいとは思う。悔しいとは思う。だが、一人のギルド騎士として』
「――了解、です……」
その言葉を絞り出すのにひどく苦労した。
ラーマスは、拳を強く握り締める。
ぎりぎりと、杖剣の柄が軋むほどに。
理性と感情の、狭間の中で。狂おしい程の徒労感や悲壮感が滲み出る。
「……任務了解しました。これより、第二の《鎮静》にあたります」
『すまないな、お前にばかり酷なことを』
お互い様だ、とラーマスは思った。これが終わり次第、ギルドマスター・ブロスは責任を追求されるだろう。
騒動を収め損ねた愚か者として。
だがそれは、全てが終わってからだ。今は目の前の暴走が全てであり、それ以外はもう関係ない。
ラーマスは、通信が終わるかどうかのタイミングで、杖剣を振り上げた。
「告げる――」
詠唱の開始。暴徒を鎮ませる祝詞の始まり。
「――[救いの神に我が幸福の道あらんことを! 我は導きの使徒。終わりもたらす使徒。忘らるる古の神の徒にして、求道者なり!]」
淡い光が彼の中止より放たれる。人を昏睡させる亜麻色の光が溢れ出る。
放射状に発生した光は抵抗力のない人々を、次々と昏睡に陥らせる。
長い長い後遺症――それをもたらす絶大な力の魔力を発する。
だが。
だが。
だが。
それでも災厄は終わらない。この都市を蝕む悪意は、終わりには至らない。
都市ヒルデリースを覆う災厄は半ばへと差し掛かったばかり。
† †
「――ハハハハ! 無駄だよギルド。そんなことでは俺の計画は破綻しない」
マーベンは都市外縁部でせせら笑っていた。
「それは想定していた。その程度で俺の計画は破綻しない」
† †
数分後。
『西地区で新たな民衆の暴徒化を確認しました!』
『西南第五地区でも新たな民衆の暴走が!』
『ちきしょう! 東南の八地区でも暴徒化の兆候――こんな、どうなっているんだ!?』
ギルドにもたらされる凶報が止まらない。もはやギルド地下会議場は混乱の坩堝。
ギルドマスター・ブロスが直接命令するも効果は薄い。都市各地で混乱が発生し騒動は広がる。
「……っ、ギルド支部だけではなく、都市の至るところで暴徒化だと? ――前兆もなくどうやって……!?」
† †
騎士ラーマスは気力を振り絞った。
自分に出来る全て。民衆を救う全て。これしかないと。自分にしか出来ないと。そう――固く信じながら。
「私は……! それでも私は……っ! これしか貢献出来ることがない!」
けなげに魔術を使い続ける。どこまで続くか判らずとも、《鎮静》を行使し続ける。それが彼の役割だ。ギルドの職務だ。決意であるからして。
暴徒化する民衆を、確認次第に昏睡に陥らせる――それがラーマスに出来る唯一の抵抗。
だが。
それは押し寄せる大津波に盾で防御を行うようなもの。
海に角砂糖を投げ入れても事態は変わることがないように、巨大きすぎるものに抵抗したところで何も変えることは叶わない。
騎士ラーマスは、優秀な人材だ。並の事態なら単独で解決に導けただろう。
だが、条理から逸脱したモノ――『緑魔石』には――この世に改革を起こすモノには、到底及ばない。
海に投げつけられた角砂糖のように、大海に多い潰される。
† †
「ハハハハハハハハハハハハハハッ! ハハハハハハハハハハッ!」
マーベンは狂笑する。己の計画の順調さに。何もかもが順当過ぎ、進む事態の楽しさに。
「これだから人生は楽しい! 俺の自由に変わっていく! もはやヒルデリースは俺の手のひらの上だ! この『緑の石』は最高だ! ――さあ、もっと進め! 理想に進め! 都市ヒルデリースよ、完全に俺のものをなり、狂い咲くがいい!」
マーベンは笑う。これが楽しくなくて何を笑う? 最高のショーではないか。
ギルドの切迫した状況を嘲笑う。自分の行動が実を結んでいくのが楽しい。マーベンは己の所業がギルドを崩壊させていくのが楽しすぎて、身を仰け反らせ、笑い続けていた。
† †
「――なるほど。そういう使い方も出来るわけか」
そして。
『緑魔石』を所有する者はマーベンだけではない。
『緑魔石』は、欲望を持った者、全ての人間へと現れている。
「金を使って洗脳の力を持つ魔道具で混乱ね。へえ、面白い使い方考える奴もいるものだな」
それはこの都市において、初めて『緑魔石』を手にした男。
マーベンと同じく、『金』の力を司る緑魔石を持つ者。
ダード。
――始まりの緑魔石使い。彼は手元で緑魔石を弄びながら、歪に笑いを浮かべる。
「くく、使い方を見る限り、あっちも『金』を生み出す能力だな。なら俺も同じことが出来るな。『緑の石』には確認した限り、四種類がある。他が手を出す前に俺もあやかろうかね」
酒場の主としてここ数日、大儲けを果たし、幾多の財宝、武具を手に入れたダード。
彼は何でも出来た。
金は偉大な力――かつて人でなしと言われた自分が、強大な力と立場を得られる。
「そうだ。この機会にギルドを潰そう。内部に爆発系の魔道具でも、数十もあれば崩壊するだろ。後は都市を騒がせている奴が勝手に何とかしてくれる」
想像する。自らが手を下し崩壊したギルドの後を。
あるいは、反対にギルドに貸しを作り、厚遇させる光景を。
何をするにも自分の采配次第。今の自分の力なら、ギルドへ貸しを作る事も容易。
「ああ、最高だ、最高だ。混乱を加速させるか、救世主となるか。――まったく、財があると色々な楽しみ方が出来て飽きないな」
怪しく輝くばかり緑魔石を弄びながら、ダードは呟く。
この世はなんと面白いことだろう。
それもこの緑魔石のおかげ。無限に金を生み出すこの神秘の石のおかげだ。
都市を守るも壊すも自分次第。
ダードは、割れゆくヒルデリースの町並みを眺めながら、小さく微笑んでいた。
† †
「マリナさん、この騒ぎ、どうしましょう――私、怖いです」
都市ヒルデリースの踊り娘一座にて。
今や一座でトップの座を不動のものにした最上の踊り娘マリナ。
しばらくは順調に活動していたが、都市の暴徒騒ぎを受け、後輩の踊り娘が語りかけられていた。
「困ったわね。こうも都市で暴徒が頻発したのでは、お客さんも遠のくわ」
マリナは優雅にため息を吐いた。
緑魔石・タイプクローズを得てからというもの、彼女は最高の踊り娘として都市で名を馳せていた。
だがここ数日、緑魔石と思われる騒動が絶えず陰りが見られる。
民衆の暴徒。ギルドへのテロ。物質の異常出現。どれもマリナとしては面白くない事態だ。
「そうだ、それならこうしましょう。私たちで、素晴らしい踊りを披露するのよ」
「お、踊りを、ですか……?」
マリナは優美に頷く。この世の女神であるかのように。
「今まではあたしたちは、劇場ばかりで踊っていたけど、臨時の踊りのショーを路上で開催するの。そうすれば、不安に苛まれる人々も救えるわ」
それはある意味で傲慢な発言。
だが彼女に異を唱える者はいない。
マリナは天上の舞姫。神すら羨む美貌の踊り娘。その前では都市の混乱すら背景に過ぎない。
「すごい、さすがマリナ!」
「あなたと同僚で本当に良かった!」
「やっぱり、貴方は救世主よ!」「マリナ!」「マリナ!」
彼女の言葉に、周囲の踊り娘たちが賛同し、称賛する。
その声が、期待が、エンターテイナーとしてマリナのプライドを充足させる。
「そうよ、マリナがいれば何にも怖いことなんてないわ!」「さあ踊りましょう、混乱する都市の皆を助けるの!」
「マリナ!」「マリナ!」「マリナ!」「マリナ!」「マリナァァァ!」
超常の踊りを知ってしまった人間は心酔する。
それがどれほど危険で異常かも判らずに。狂った事態かに気づかず。静かに、ゆっくりと支配されていく。
† †
――『緑魔石』を持つ者は、独自の行動を開始した。
混沌を撒き散らす者。それを打ち破ろうとする者。
善意と悪意。人間の愚かしさと尊さ。それらが錯綜し交錯する。
――だが、彼らは知らない。
『緑魔石』は絶大なる力。条理を超えた埒外の力だ。
それを使えばどのような事でも影響は拡大する。
それが善意であれ、悪意であれ、超常たる『緑魔石』を使う限り、統制者の管理を超えて、被害は拡大する。
金を無限に生み出すマーベン。
無限の衣装を生むマリナ。
彼らを含め、現時点で『緑魔石』の所有者たちは、二十六人。
すなわち、ダード、マリナ、トータ、ロッソ、グーダル、マーベン、ダヤイ、タスラニ、ガガーリン、リータソン、ガルン、デンザ――彼らを中心に、事態は変わる、変えられていく。
都市ヒルデリースは――『緑魔石』と言う名の災厄に、ゆっくりと、だが確実に侵食されていった。
お読み頂き、ありがとうございました。
次回の更新は2月5日、午後8時の予定になります。





