第百二話 奇跡の都市
「近隣の街に物資消失事件が起こっているだと!? それは本当なのか!?」
都市ヒルデリース、ギルドの中央支部回廊――ギルドマスターであるブロスが苛立たしげに叫んでいた。
「はっ、先程ギルドマスターからの宣言によると、現在現地のギルドでは対応不能。すでに事件数が多過ぎるため崩壊寸前だと――」
「あちらには《集約》のリセルドや《予言》のリンリーがいるはずだ! 何故対処しきれない!?」
困惑するブロスの言葉に、下級の騎士は動揺した声音で返す。
「多くの《一級》と同じく、遠征に赴き、対応不可とのことです。すでに大半の《二級》以上の騎士は出払っており、対応困難だと――」
「ちい、こんな時に!」
レイザやダードルがいない今、動ける《二級》はいない。
手札は尽きている。ブロスは篭手に包まれた右手でそばの壁を叩いた。
「どうなっている……この都市で現れた『緑の石』の持ち主……それと同時期に起こった物質消失……無関係ではないはず。……ラーマスには連絡は?」
「現在、別支部の幹部と任務で留守です」
「……そうか。この僅かな時間に、自体が深刻化するとはな……」
ギルドマスター・ブロスは怒りとも嘆きともつかない嘆息を吐いた。物質出現の次は、近隣の街での事件。
人手が足りない。情報も足りない。何もかもが足りない。
冷静さが削れていくのを自覚しつつ、ブロスは可能な限りの理性を振り絞った。
「……判った。補佐系の魔術が得良いな騎士を集めろ。騎士ラーマスが帰還次第、対策を練る」
「了解です」
不安と怒りの表情を浮かべていたブロスは、ふと憂いの顔を浮かべ、窓の外を見やった。
「(――これは勘だが、嫌な予感がする。どうか外れてくれ。こんな形でこの都市が危機に陥る、そんなことはあってはならない)」
切実な、秩序を司る者としての願い。
けれど、ブロスの願いは決して聞き届けられない。
この世に幸運の女神はない。あるのは運命と破壊を司る神のみで、それは人の意志など無関係に、事態を悪い方向へと導いていく。
† †
――近隣の都市、エールドの民間家にて。
「なぜだ!? なぜ私の商品が消えた!?」
防具店の店主、タスラニは不機嫌を隠そうともせずに当たり散らしていた。
上品な装飾のカウンターの縁を蹴りつける。
「もう七度目だ! いつ、こんな奇怪な現象は止まる!?」
タスラニは血走った目で店内を見渡した。壮麗な鎧が並ぶ店内で――歯抜きされたかのように鎧が消えている。
それも、七つ。全て高価で高性能な鎧ばかりだ。
これでは売買は難しく、被害総額は増えるばかり。
「どうして私の商品がこうも多く消える!? 誰の仕業だ!? 吊し上げ、舌を引きちぎってやる!」
口角泡を飛ばすタスラニ。
それに妻であるリーカが口を挟んだ。
「あなた。今もギルドの人たちが調査しているわ。落ち着いて。そのうち彼らが解決してくれるはず……」
「そのうちだと!? それは、一体いつだ!? 昨日も! 今日も! 私の店からは高級な鎧が消えている! そうだ、総額金貨数百枚は下らない!」
「それは……ひどい被害だけど……」
「一週間か? 数ヶ月か!? あるいはそれ以上続くのか!? その前には私の店は破産だ!」
「あなた……」
こみ上げる憤怒を叩きつけるように、壁に拳を殴りつけるタスラニ。
すでに、店の経営は深刻な域に達しつつある。この速度で高額鎧が消えれば残るのは破滅のみ。
彼の拳は叩きつけのあまり血が迸り、痛々しく血雫が垂れていく。
「二十年だ! 私はこの防具店を建てるのに、二十年を費やした! どれほどの苦労だったか、お前も知っているだろう!? なのに、それが今まさに壊れようとしている! ――あああ! ギルドは、一体何をしているのだ……どうにかしてくれ……」
力なく、崩れ落ちるタスラニ。
すでに怒りも、嘆きも、飽和状態だ。その場にしゃがみ込む呻く。子供のように嗚咽が漏れた。
妻のリーカが背中をさする。悔しさでで体を震わせる。
「あなた……私たちは信じるしかないわ。ギルドの人たちを。彼らは街の秩序の番人。きっと解決してくれるわ」
「だが……っ! こうしている間にもまた鎧が消えるのではないか……! どれほど消えるかと、私は不安で堪らない!」
「信じるのよ、ギルドの人たちを。そうすれば――!?」
そのとき、店の片隅にあった高級な『鎧』の一つが消え去った。
忽然と。
音も光もなく、幻のように。
煙のように。
その光景を直視したタスラニは、おぞましい物を見るかのように震え始める。
「おおお……っ、また、まただ、消えた……っ! おお神よ! なぜです、私にこんな試練を――この奇怪な現象を、与えるのです!? ああどうか止めていただきたい……っ」
タスラニの懇願は虚しく響く。
だが消失は止まらない。その後も彼の店では、『鎧』が消え去り、彼の財産とも言うべきものが次々と消失していった。
† †
「おかしいなぁ、やっぱりなくなってる」
――都市エールドの中流民の酒場にて。
そこでは看板娘のアミーが不思議そうな顔をしていた。
「店長ぉー、やっぱり食料庫から食べ物消えてます。今日でもう三回目です。これ、絶対何かの魔術か呪いですよね?」
その問いに慌てて飛び込んできたのは、肥えた体に大量の汗をにじませた店主、ガガーリンだ。
「またか!? な、なぜ俺の店ばかり!? よりによって高い食材だけが! これでは俺の店は終わってしまう! ああ、どうすれば……っ」
先日から、謎の食料消失が止まらない。衛兵やギルドの職員に相談したが成果は無しだ。
店主がイノシシのように壁に激突し困惑をあらわにした。店の床が軋み、灯りのランプが揺れる。
看板娘のアミーが不安そうに、店主のもとへかがみ込む。
「店長。知り合いの探索者さんに依頼を出しておきました。『希少種』とかの可能性があるから、それを倒せば……」
「それが原因の可能性がどれほどある!? 時間は? 私の店はすでに破綻寸前だ! 酒場だ、酒場は食料や酒がなければ成立しない! だがこれを見ろ!」
食料庫では高級な肉や野菜などが半数近く消えていた。
どれもが高級品。仕入れ値だけで一般家庭の数ヶ月分の給料に匹敵するものである。
考えるだけでも恐ろしいほどの損失。
「ただでさえ、青魔石事変とやらで客足は遠のいている! このまま悪評が広まれば、解決する前に私の酒場は……っ!」
「店長……どうか気を確かに……」
その窮状は、アミーにも解る。
どれほど励まそうと意味はない。
こうしている間にも、奇怪な消失現象は続き、今度はさらなる高級肉、エール、パン生地などが消え失せるだろう。
そうなれば、もはや数日の経営も怪しい。この酒場はまさに風前の灯火となっている。
「無くなった食料を総額すると、見るのも怖くなるほど膨大な被害だ……私は帳簿を見るのが怖い……もう嫌だ……助けてくれ……」
「店長……」
アミーの言葉は、店主の鳴き声によってかき消されていった。
† †
近隣の都市ササリにて。
「――カラリス。私の金庫は無事だろうか? 今日こそ奇怪な消失現象から、逃げる事は出来たのだろうな?」
公爵家の当主、リータソンの問いかけに、メイド少女であるカラリスが応える。
「いいえ、旦那さま。残念ながら今日も、旦那ざまの金庫からはダイヤやルビーなどが消失してしまいました」
「……。またか。どうすれば……」
リータソンは嘆息し目頭を揉む。
最近、頻発する財宝消失事件。
これを処理しようにも原因は不明。潤沢であったリータソン公爵と言えと危険な域にあるのは否めない。
このままでは被害総額は目をそむけたがる程の規模になるだろう。
「すでに八日。私の金庫から金銀財宝が消えている。はじめは賊の仕業かと思ったが、毎日消失し、そして手口もまさに奇怪。目の前で宝が消えるだと……? これほど恐ろしさと虚しさを感じたことはない」
それは悪徳領主マーベンの件と同じだった。
いつの間にか――いや、本人の前ですら物が消失する。いかなる対策も無意味。天災に匹敵する無慈悲な現象。
執務室に置いている、大きな椅子に腰掛け、リータソンは諦念を漏らす。
「私は、これまで善政をしてきたはずだ。それなのにこの仕打ちとは、神はあまりに残酷ではないか」
「心中、お察し致します……。知人のギルド騎士に、防衛として出向いてもらいましたが、効果はなし。《結界》や《城塞》、その他の魔術でも、金庫を守ることは叶いませんでした」
リータソンは性も根も尽き果てたように呟きを漏らす。
「そもそもこれは何なのだ? 呪いか何かの類か? 遠隔の魔術? 判らない……」
「旦那さま、これはもはや、別荘に宝を移すほかないのでは? それか、魔術を用いて幻術を作って偽物を用意するなど。高位術者が犯人だとしたら、このままでは危険です」
「それはすでに試した。じつは、金庫の半分は、メイド長であるアマンダに頼んで模造品と交換してある。だがこうして本物の宝のみが消失しているということは、お前たち使用人の仕業でもないということだ」
「……」
それは、言外に、カラリス達メイド達も財宝消失の犯人かもしれないと言うことだ。
だがそんな事は脇に置き、メイドのカラリスは主のことを案じる。
「旦那さま……もはやギルドの宝物庫に保管を頼むしかありません。このままですと旦那さまの金庫は空となり果ててしまいます」
「判っている……だがどうにも出来ん。――聞けば、ギルドすら対処不能の事件に追われているとか……私の全財産は誰にも守れぬ……もはや獣の毛が抜かれるかの如く、我が身は終わっていく……」
「旦那さま……」
メイドのカラリスは主の手を握る。
それが何の意味も成さないことを知りつつも。不安を少しでも払拭出来ることを信じ、願い続けるしか彼女に出来る事はなかった。
† †
都市ササリの貧民街にて――。
「家が消失した……もう俺は駄目だ……」
借りていた家屋が消えた事を確認した探索者の少年ガルンは、打ちひしがれた様子で項垂れた。
「いくら稼いでも稼いでも、すぐまた家屋が消えていく。何だこれ? どうなってんだ一体!」
相棒の少女、フーリナが慰める。
「ひどいよねほんと。誰がこんなことしてるんだろう? ガルンは沢山頑張ってるのに。どうしてこんな事をする奴がいるの!?」
同じ家屋で寝泊まりしていたフーリナが憤る。
貧乏探索者同士、身を寄せ合って日銭を稼いできた。その果に、ようやく借りた家屋。
けれど、それが消えた。そして何度もそれが繰り返された。ガルンが弱り果てるのも無理はない。最近ではフーリナが慰めることも多くなった。
「ガルン! こうなったらギルドに直訴しよう! 謎の消失事件を解決してってさ! 頼み込んで終わらせるのんだよ!」
少年は首を横に振る。
「だから……もう、そんな依頼金もないんだって……。この家でみんな金使い果たしてしまった。今から稼ぐにしても、何日後になるか……」
「そんな……」
失意が二人の間にはびこる。
それでも、フーリナは健気に励ましの言葉を添える。
「でもさ、あたしが頑張るから! ねえガルン、もう少し頑張ろ? ね?」
「くそ……ごめんな……フーリナ。俺が不甲斐ないばかりに」
これまで必至で彼女と戦ってきた。だが何も出来ない。
そのことに、悔しさと虚しさと、情けなさが混じり、ガルンは項垂れる。
「でも、頑張れば報われる! 今までもそうだった。ガルン、ふんばろう、あたしも手伝うから!」
フーリナは、気丈にも首を振って、微笑みかける。
大丈夫だと。まだ出来ることはあるのだと。
しかし、ガルンは力なく項垂れ、消失した自分たちの家屋の跡を見るばかりしか出来なかった。
† †
それは、悲劇の光景。理不尽に悩まされる人々。
無慈悲な現象に苛まれ、心身を病む彼ら。自らの力では抗えない、圧倒的な非情なる災い。
それは、神が仕組んだ事でも、彼らの過失でもない。
常人にはそれは跳ね除ける手段はなく、巻き込まれるのみ。
ゆえに、消えた金は戻らず、鎧を、食料を、住む場所を失っていく。
――だが、事態はそれで終わらない。『緑魔石』にまつわる惨劇は、それで終わらない。
なぜなら、それこそが青魔石を上回る――厄災をもたらす魔石なのだから。
† †
「――ねえ、聞いたんだけどさ」
ひとしきり嘆きの言葉を吐いた後。
ふと、探索者の少女フーリナが、思い至った事があった。
「あのさ、先輩の探索者が言うにはさ……都市ヒルデリース、だっけ? その都市に行けば、不思議な『石』が現れるんだって」
「不思議な石? なんだそれは」
項垂れていたガルンが力なく応じる。
「凄いことって……一体何だ? 何が起こる?」
「さあ……そこまでは。ただ判っているのは……すっごい石だってこと。例えば貧乏だったギャンブラーが金を得たり、売れない踊り娘が綺麗な衣装もらえたり、盗難に遭っていた商人が城を得て、再興したりしたんだって」
「眉唾な話だ。そんなもの、信じてるのか?」
ガルンは鼻で笑う。話が旨すぎる。
おとぎ話にもならないようなホラ話。単なるデタラメだ。
「そうだね、嘘かもしれない。でも、何か出回ってるらしいよ。その『石』。先輩の探索者とか、上位探索者も言ってるし。――都市ヒルデリース、そこに行けば――綺麗な『緑色の石』が出て、幸せになれるって」
ガルンは首を横に振った。
無理だ、あり得るはずがない。
そんな美味い話。馬鹿でも嘘と分かる。
そうだ、財宝が、衣装が、住居が貰えるなんてあり得ない。
だが――励まそうとするフーリナと、その噂の規模と、何より、『もしも』の可能性に――ガルンは否定することなど出来なかった。
「……嘘だとは思うが、それ……確かに広まっているのか?」
「うん。実際に、向かってる人もいるって」
ガルンは無言で思案する。
「危険はないのか?」
「判らない。確かな証拠はないって言われてるから」
「なら、盗賊とかが作ったホラ話の可能性もあるだろう?」
「それは、そうだけど……でもここじゃ確かめようがないよ。――行ってみない? 試しに、さ」
ガルンは様々な可能性を考えた。
だが行き着く答えは一つしかなかった。
財産が消え去り、未来が途絶えかけ、すがり付けるものがあるならば、それに頼るしかない。
「……判った、行ってみよう。その、ヒルデリースって都市に」
「うん! きっとなんとかなるって! あたし達なら何とかなるよ!」
その根拠のない言葉に、けれどガルンは確かに励まされた。
「俺は、こんなところで終わるつもりはない。お前といつか語った、ランク白銀の探索者になるためにも」
「そうだよ! このままじゃ破滅を待つだけ。出来ることは試してみよう!」
貧乏な探索者二人は、希望を胸にかの都市を目指す。
都市ヒルデリース。奇跡を叶えてくれる都市を。最後の望みと想い、それらを託す事を決意して――。
† †
リータソン公爵の屋敷にて。
「――あくまで噂の範疇ですが」
と前置きをし、メイドの少女のカラリスはリータソンへと言葉を重ねた。
「ここより南西の都市――ヒルデリースでは、不思議な話が出回っております。なんでも、危機に瀕した者が願望を強く抱くと、『緑の石』が現れて救済されると」
「救済? 笑い話にもならん戯れ言だ」
リータソンは一蹴し、笑った。
そんな与太話はいくらでもある。奇跡、神秘、神の御業……そういったものをリータソンは信じていない。
「確かに、与太話かもしれません。ですが以前――ここを訪れた踊り娘のマリナ様を、覚えていらっしゃいますか?」
「あの娘か。……確か、踊りは一流だが、衣装に恵まれない少女だったな」
その少女のことは覚えている。記憶の中では、踊りは一級だったが、一座の掟で半端な衣装で踊っていた少女だった。
それゆえ、中途半端な踊りだったと覚えている。
「そのマリナ様が大成しています。かの都市で活躍し、今では超一流の踊り娘して、名を馳せていると」
「なんだと? 本当か?」
リータソンは眉を動かし、顔だけをメイドに向けた。
「……その情報、どれほどの確度が?」
「確かなものかと。メイド長のアマンダが話しておりました。彼女には以前、踊り娘として活動していたツテがあります。その筋から得た情報に、偽りはないと」
「……そうか」
リータソンは瞑目し、思考を巡らせた。しばし、何者も口を挟まない静謐な時間が過ぎていく。
「それは、どこの都市だと?」
「南西にある都市――ヒルデリースです」
リータソンは瞑目した。
そして天井を仰ぎ、ゆっくりと思考をまとめるかのうように椅子の縁を指で叩く。
迷い、惑い、運命のサイコロを委ねても良いかどうか。思案を重ねる。
「――民衆は、時に愚かな空言を吐く。だが、火のないところに煙は立たない。そのマリナという踊り娘、もう少し調べてみろ」
「はい」
「その結果、確度の高い情報とわかれば、ヒルデリースとやらに向かう事を検討しよう」
「――はい、かしこまりました」
これで起死回生となるか?
メイド少女のカラリスは、内心でそう思う。
できれば叶ってほしい。
リータソンは誠実な公爵だ。誠実な人間は報われなければならない。
理不尽な怪奇現象で破滅して良い人ではない。
カラリスは、願わくばその噂が真実であり、彼が助かる結果に繋がる事を願いながら、祈った。
† †
――各地で、同様の事が起きていた。
彼らはそれぞれの想いを胸に都市ヒルデリースを目指す。
失われた物を求めて。あるいは、それ以上のものを求めて。
――その都市に行けば、願いの叶う『石』が現れる。
――強く思えば、何でも貰える『石』が現れる。
――そこは楽園の都市。不運を経験した者たちの頼るべき場所。
――その名は『ヒルデリース』。
奇跡の生まれる都市。
お読み頂き、ありがとうございました。
次回の更新は10月23日、午後8時の予定になります。





