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第九十四話  食べ物のない少年

「お腹が空いたなぁ……」


 都市ヒルデリースに住む下級層の少年。トータは、寂しく鳴る腹を押さえながら呟いた。


「七日前に盗んだパンを食べて今日まで、もうまともな物を口にしていない……」


 運良く行商人からかっぱらった小麦のパンを最後に、『食料』と言える物をまともに口にしていない。

 次はカビたパンで、その次は路上の雑草を煮たもの、次は吟遊詩人の落とした干し肉の欠片、そして昨日はネズミを焼いて食べた。


 食事というには余りに粗末なものであり、満足出来るようなものではなかった。

 それも、ここ数日ではマシな方だ。

 三日間水だけで過ごした日もあり、あれは辛かった。


 下級層の、とりわけ『貧民街』と呼ばれる場所は、衛生面も悪く治安も悪く食べ物の奪い合いも多い。体格の大きい者に横取りされて収穫がパアになることも珍しくない。


「くそ、どうして僕はこんな所にいるんだ?」


 トータは鳴いている腹を押さえながら呻いた。


 辺境の村で育って十二年、そこから都市を目指して頑張った。

 探索者が多く集まるという『都市ギエルダ』へ着き、そこで三年間《探索者》になるための訓練を行った。

 そして『トマホーク』という、投げ斧を使う《アックスウォーリヤ》として認定されて数ヶ月、トータは《迷宮》でいくつもの活躍をした。


 十五歳という年齢の割に、トータは『投げ斧術』に秀でていた。

 同年代が《ゴブリン》や《オーク》といった最底辺の魔物に苦戦する中、彼は《ハーピー》や《ストーンリザード》など、ワンランク上の魔物を打倒出来た。


 これも一重に『投擲スキル』という技能のおかげだ。


 これによりトータは投げられるものなら命中率や威力を向上させて攻撃出来る。

 父親譲りの運動神経もあり、汎用性の高い投擲スキルは非常に強力だった。

 そのままいけば、いずれ『ランク黒銀ブラックシルバー』や『ランク黄金ゴールド』といった高位ランクも夢ではなかっただろう。


 しかし、全て二週間前の『青魔石事変』で破綻してしまった。


 『青魔石』――それは手に入れた物を『バーサーク状態』にし、『魔物の力』で暴れるという凶悪な特性の魔石だ。

 その強大な力の『青魔石使い』たちに敗北した。

 人の姿をしていながら人外の力を使いこなす彼らに、何も出来なかった。

 得意の投擲スキルも防がれ、同じパーティの仲間ともはぐれ、トータは都市の外縁部へ逃げ延びた。


 そして、圧倒的な絶望を見た。


 破壊された建物が崩れていく。焼け焦げた街路樹、骸となった人々の亡骸。悲鳴上げて逃げ惑う人、人、人――。

 そして徘徊する青魔石使いたちの狂笑が忘れられない。

 どれもが筆舌に尽くし難い光景。

 轟音と共にどこかで衝撃が巻き起こり、人や建物が原型を保てなく鳴る。

 その度にトータはびくついた。


 ――敗北したんだ、僕は。

 ――人智の及ばない、強い強敵に。


 運良く、高速で移動出来る飛竜を持った行商人と、逃げる事が出来たのは幸運だったろう。

 探索者の時に貯めた金貨をたんまり弾み、トータはようやく乗せてもらった。

 その後はよく覚えていない。


 気づけばトータは世話になった都市ギエルダを遥か離れ、西の商業都市、『ヒルデリース』へとたどり着いた。

 そしてその後は貧乏生活である。


 逃げるために探索者の時貯めた金貨は、全て使った。

 『青魔石使い』との戦いで愛用の投げ斧も失ったため、もはや路銀を稼ぐための武器もない。

 何より、戦うことに恐怖を覚えるようになってしまった。


 人でありながら人でない――『青魔石使い』の圧倒的強さ。あれは実際に戦わねば判らない。


 もはやトータは、飛べない鳥のようなものだ。

 戦えない《探索者》に何の意味があるだろう?

 唯一の取り柄がなくなったトータは、日々裏路地で食うや食わずの生活をするしかない。


「ねえトータ、いる?」


 ふと、明るい声がして、トータのいる路地裏に赤毛の少女が立ち寄った。

 なかなかに美人の少女だ。目鼻立ちはくっきりとし、肢体は細い。しぐさはどこか品がある。元はどこかのお嬢様だったらしい。


 彼女は一緒に都市ギエルダから逃げてきた少女、『ラナ』だ。


「……ああ、君か。いるけど、絶賛空腹中だよ……」


 薄い金髪をした少女は、弱音を吐く少年に苦笑し近づいてきた。


「もう、トータったら、弱腰ね。そんなんじゃこれから先、思いやられるわよ?」

「あはは、会話できただけマシと思ってくれ……」


 憔悴した表情のトータ。

 ラナは小さく笑い、トータの手元に何かを手渡した。

 温かい。ハム入りのパンだ。


「……え、肉付きのパン? ラナ、どうやってこれを……」

「隙を見て行商人からくすねてきたの。――ふふ、行商人って隙だらけなのね。ちょっとあたしが『しな』を作ったら、途端にデレだしたわ」


 得意げに胸を張って成果を誇るラナ。可憐な姿は今日も可愛い。

 ――ではなく、トータは呆れて固まるしかない。


「……まったく、君の生活力には脱帽だよ。僕はこの有様なのに……」

「ん、探索者としての武器や誇りを失ったのだから無理ないわ。ゆっくり、立ち直っていけばいいじゃない」

「……それは、そう……だね」


 都市ギエルダから逃げ出す際、トータは『青魔石使い』に追われていたラナを助けた。

 『バセル』という凶悪な殺人鬼との戦闘。いくつもの血の刃を武器に、トータは無数の傷を負った。


 よく命を落とさなかったと今でも思う。

 運が悪かったのは、その戦闘で愛用の『グレータートマホーク』を破壊されてしまっい、戦闘力が無くなったことだが。

 その時の戦闘がなければ、今頃ラナは死体となっていただろう。今このときの笑顔も、小鳥のさえずりのような声も。

 命の恩人のトータに対して、、ラナは優しい。


 都市ヒルデリースに着いてからもよく一緒に行動した。『食料確保』という名のスリにも何度も挑んだ。


「……一昨日の傷はまだ痛むの?」

「ああ、うん。下手に探索者からスリなんて働くものじゃないね。まだ腕から血が出てる」

「そうね……バスタードソードの一撃を受けて腕がついているだけでも幸運よ」

「はは、違いないね。はあ……まったく」


 嘆息するトータ。

 たまには豪華な物を、ということで探索者から窃盗を試みたが撃退された。

 空腹や疲労で体調が良くなかったのもある。一昨日からただでさえ厳しい路上生活がさらに苦しくなってしまい、トータとしては申し訳ない。


「でもよく今日はパン盗めたね?」

「ええ、思い切って色仕掛けしたのが功を奏したのね。……物は使いようね。あたしみたいな『外見』しか取り柄がない娘でも、生き延びられるから」

「そう、だね……」


 ラナは『子爵』というそれなりの身分の一人娘だ。

 だが貴族の娘は基本的に、路上で生活する手段はもたない。トータに命を救われたこと、なりふりかまっていられない状況、それらが必死に彼女から知恵を絞らせた。


「……あの、ごめん、ラナ。明日は僕もスリに協力するから」

「でも、無茶は駄目よ? けど……二人いれば盗みが成功する可能性が上がるから、あたしとしては助かるけど」


 自分用のパンをぱくつき、小さく微笑むラナ。

 彼女と出会えたのは一種の幸運だった。一人では路上生活もスリもやっていけないだろう。


「ごめん……僕にもっと、力があれば」


 ラナはすぐに首を横に振った。


「何を言っているの、トータ。あたしはあなたに助けられた。だから今度はあたしが協力する。簡単な話でしょ?」


 ラナの微笑は眩しい。


「それに、この都市が『階級制』というのは着いてから知ったんでしょ? 『下級層』ではまともな暮らしは期待出来ないなんて、知ってから来なかったんだから」

「……それは、そうだけど」


 都市ヒルデリースは厳格な階級制。

 貧民街である『下級層』とそれ以外を分け、差別意識や区別を強く配置することで『中級層』や『上級層』の人々の向上心を底上げする。

 『こんな場所にはいたくない』と中級層以上に思わせるための悪辣な環境だ。

 知らなかったとはいえ、この都市にラナを連れてくるのは悪手だった。


 一緒に来た行商人には捨てられた。

 だから今はラナと何としても協力する必要がある。


「――あのね、あたし、自分の身分を明かせばどうにかなると思ってるの」


 ラナはパンを行儀よく食べてから言う。


「あたしは子爵家の娘じゃない? それで、あなたはランク『シルバー』の探索者じゃない? だからそれなりのお金と身分証を見せれば、きっと『中級層』に入れてもらえると思うの」

「……それは危険だ。君を傷物にするかもしれない」


 ラナは美人だ。十八歳の美しい少女を、番兵は上品には扱ってくれないだろう。『層』と『層』を守る番人の悪い噂は、嫌というほど聞く。

 女好きで、時に犯罪を成す悪人。

 だからラナが貴族を名乗って中流層に行くのは止めさせている。


「でも背に腹は代えられないわ。あたし一人の純血くらい……」

「それでも駄目だ。怖い思いはさせたくない。それに……無事に返してくれるかも判らない」

「……そうね」


 可憐な少女が行方不明という知らせは一ヶ月に数回は聞く。

 トータは説得の言葉を続けた。


「今はまだ、番兵が君に乱暴を働いた時、しのげるほど僕が回復していない。でもそれなりにお金が揃って、《探索者》としての強さを取り戻せば。中流層への番兵も怖くなくなる」

「そうね……そのために、少しでも体力をつけるべきね」


 今はまだ、スリの手口も度胸も素人だ。そのうちコツを掴み、生活に困らない程度に上達すれば、資金も整えられるだろう。

 そうすればトータがラナの護衛となり、堂々と身分を明かした上で『中流層』にも行ける。

 盗んだ資金で強さを整えるのは気が引けるが、今更後には退けない。トータはまず生き延びることを考えていた。


「――それなら、なおさら一緒に頑張りましょう? トータ。二人で生き抜くために」

「そうだね。僕も、出来る限りのことをしていくよ、ラナ」


 トータは小さく頷き、その手をラナは優しく握り締めてくれた。

 何より守りたい、そんな思いがトータが強く生じたひと時だった。

 


 ――三日後、ラナが『病魔』に侵された。


 原因は盗んだパン。

 その中に『病原菌』が紛れており、運悪くラナは当たってしまった。

 始めはふらつきだけだった。それが目眩や頭痛がひどくなり、やがて立って歩くことも出来ないほどに衰弱していた。

 青ざめた顔つきで路上に横たわるラナを見て、トータは焦燥を浮かべる。


「ラナ、しっかり。しっかりして……っ」

「……トータ、ごめん、ね……あたし、迂闊だったわ……」


 何日か前に食べたカビのパンの影響。カビは除去したが、それでも不十分だった。

 同じものをトータも食べたはずだが、《探索者》として鍛えた肉体が病原に打ち勝った。

 けれど『お嬢様』であるラナにそんな抵抗力はない。


 元々、彼女は貧困生活に耐えられる体ではなかった。

 三日前とは打って変わり、蒼白色のラナの表情に、トータは唇を噛みしめる。


「ラナ……っ、くそ、ラナ……っ! 待ってて、今大通りで薬を――」

「だめ。……昨日、浮浪者が一斉に検挙されたでしょ。盗人に対する警戒が続いているわ。今は動かない方がいい……」

「でも! そんなこと言ってたらラナが!」


 こうして見るうちに衰弱さを増していくラナ。どんな病気で、どんな害悪が続くのか、トータには全く判らない。

 判るのは、このままではラナが死ぬ――それだけだ。


「……何も致死性の病気とは限らないわ。放っておけば治るかも……」

「いや、これは明らかに酷い病だ。《探索者》で危機感知くらいは出来る。君は放置していたら助からない状態だ」


 ラナは薄く笑った。


「そうだとしても悪くない話だわ。代わりにトータが看病してくれる」

「笑えない冗談を言ってる場合か!」


 必死にトータは考える。薬だ、医者に見せて薬を貰えれば問題ない。

 それか、治療術師に見せて『キュアポーション』など治療用の道具や、魔術を使ってもらえれば……っ!

 トータは初歩的な回復魔術しか使えない。それでは無理なのだ。

 金はない。スリをやろうにも、今は都市が警戒中。

 詰んでいる状況としか言えない。


「うう……ラナ……っつ、ラナ……っ」

「ごめん……もうしばらく経てば元気になるから、そんな顔、しないで……トータ……」


 トータは唇を強く噛み締める。

 どうすれば……どうすれば彼女を助けられる?

 彼女がいなければトータは失意のもと衰弱し、二週間生き残ることも難しかっただろう。

 失意と絶望の淵に叩き落されたトータを、救ってくれたのはラナだ。

 

 だが、このままでは彼女を失ってしまうだろう。

 それに耐えられるか?

 ――嫌だ、嫌だ、嫌だ! 何があっても、彼女だけは助けたい。

 トータは呻いた。苦渋と焦燥が、彼を蝕んでいた――その時。


 

 ――トータの目の前に、煌びやかな『緑の石』が現れた。


 

「なんだ……? これは……」


 まるで宝石のエメラルドのような美麗な石だった。陽光を受けると煌びやかに輝き、王宮の一室にあっても見劣りしないほど。

 けれど自然界にあるものでは決してない。明らかに人工の痕跡がある。

 トータは即座にそれを手に取り、確かめた。

 簡易的のスキル、『鑑定眼』を使用。その石がどういった物がどうか調べる。



【名称:■■■  効力:使用者の■■を叶えること(生活関連・限定) 

 使用回数:無制限】

 


「……これは……」


 高度な魔力を元にした、一級品クラスの魔道具だ。

 しかし名称が判らない。効力も一部が不明ということを見ると、トータが所持する鑑定眼の遥か上が必要。


 だがその効力はおそらくかなりのもの。こうして手に取るだけで『魔力』の純度が、その強さが凄まじいと判る。


「……トータ……? それは……?」


 突如現れた経緯も不明。その効力も判らない石を前に、ラナが問いかける。


「判らない。突然現れた。何なんだ……?」


 不気味もいい石に戸惑う。効力も出現理由も何一つ分からない。

 トータは一瞬、質屋にでも持っていって、換金してしまおうかと思った。


 しかし、寸前で思い留まる。《探索者》としての勘が告げている。これは売ってはならない。絶対に売ってはならない。なぜなら――。


「……え? トータ、その足元にあるの……なに?」


 ラナが怪訝そうな声を出した。

 目を瞬かせ、トータは自分の足元を見る。


 そこには――。


 クリスタルのように壮麗で、透明な質感をもつ『ポーション』の瓶が出現していた。


「これは――『キュアポーション』?」


 病に侵された者を治す道具。

 解毒、解麻痺、解呪、様々な用途に使われる、利便性の高いポーションだ。

 高価なものなら金貨数枚という代物が、何の予兆もなく現れていた。


「キュアポーション、そんな馬鹿な!? ……待って、今確認を……っ」


 トータは再び『簡易鑑定眼』を使用。足元のポーションの正体を探る。


 

【ハイキュアポーション

 レベル5までの猛毒、麻痺、呪いなどの効力を打ち消す。

 体力を三割ほど回復させる効力あり】


 

「すごい……本物だ……それも、高価な代物……」


 トータは愕然とその光景に硬直する。

 ――馬鹿な、中級探索者でも、手に入れるのは楽ではない代物だぞ!?

 ――それがなぜ!? どうやって!?


 何にしても、天の助けだ。これを使わない手はない。


「と、ともかく本物なら問題ない、これでラナを治療する!」

「トータ……大丈夫なの……?」

「問題ない、まずは僕が毒味するから」


 トータは五分の一だけ飲んで数分待った。《探索者》なので耐毒などがあるが、集中していれば危険物かどうかくらいは感覚で判る。


「問題ない。飲んでみて、ラナ」


 ラナは信じて頷いた。すぐに『ハイキュアポーション』を手に取り、喉に流し込んでいく。

 病人ゆえ起き上がるのも難しいが、体を支え、ゆっくりとトータは飲ませる。


 すると――。


「……あたし、体が……っ」


 ラナの声音が治っていく。顔色がもとの雪のような眩しさに近づき、肌も心なしか色づいている。弾む声。蘇る髪の艶。

 治療だけでなく、体力や体の不調も回復するポーション。


「……ラナ。良かった……ラナっ!」


 トータは涙が溢れ出てきた。思わず声が震える。


「やったわ、トータ! あたし、治ったのよ!」


 ラナがトータの首元に飛びついてきた。

 勢い余って、トータは支えきれず地面に押し倒されてしまう。

 硬い感触と、柔らかい感触。上に乗ったまま、ラナは感激の表情で笑っていた。


「完全にあなたのおかげよ、トータ!」

「ま、待って……落ち着いてくれ……。これのおかげだ」


 トータは赤面しつつも、今使ったハイキュアポーションを手に取った。


「このポーションのおかげでラナは治ったけど、なぜ現れたんだろう?」

「きっと幸運の女神さまのおかげよ! ……ありがとうございます、女神フリエリーナさま……」


 ラナが故郷に伝わる女神へのお祈りを始めた。


「……いや、神なんてそんな都合の良いものじゃないはず。……だとするとこれか? これが原因なのか?」


 トータは先程現れた、『緑の魔石』を手に取る。


 緑色の石というのはエメラルドに視えるが、全く違う。こんな魔力を帯びたものは見たことも聞いたこともない。

 唯一、近い者を挙げるなら『魔石』が浮かぶが――全ての魔石は『紅い』はず、こんな『緑色』をしているはずもない。


「……一つ思い至ることがあるんだ。ラナ、何かお祈りをしてくれないか?」

「お祈り? そうね……じゃあトータの健康を」


 しかし、数秒待っても何も起こらなかった。


「いや、そうじゃなくて……そうだな、食べ物とか?」

「判った。……美味しいスープとかしら」


 特に何も起こらない。

 しかし、もしや――と思い、トータは脳内で『温かいスープ』を思い浮かべた。


 

 瞬間、地面に木製の食器と、温かい湯気の野菜スープが現れた。


 

「……これはっ!」

「……え? ど、どういうことなの、これ……?」


 ラナが目を白黒させている。

 反対に、トータは叫び出したいくらいの衝動に駆られていた。

 願うだけで目的のものが出現してくれた。ということは、つまり。


「……念の為、もう一度試してみるか。……出てこい、『豚の焼き肉』、『牛乳のチーズ』」


 一瞬後、トータの願った通り、肉汁たっぷりの豚肉と、牛乳で出来たチーズが彼の手の上に現れた。

 今まさに作られたばかりの、肉汁の香り、濃厚なチーズの匂いが辺りに漂う。

 ラナが驚愕の顔を浮かべた。


「すごい! トータ、あなた何をしたの?」

「……何も。強いていうなら、これに『願った』だけだ」


 トータは感激に身を震わせながら確信する。

 これは――この『緑の石』は――間違いない、奇跡の産物だ。


 試しに、トータはその後、『金』や『衣服』、『家』などを適当に思い浮かべた。

 現れたのは『飲食物』のみ。ポーションの他、肉類や魚、スープを含めた『飲食物』ばかりだった。


「どうやら、これは『食べ物』を生み出す石みたいだね」

「すごいわ! よくわからないけど、幸運よ。トータ、これで飢えをしのげるわ!」


 ラナは歓喜に打ち震え抱きついてくる。

 それに照れを少しばかり覚えながら、トータは喜びに震えていた。


 ――決定だ、これは飲食出来るものを生み出す。無尽蔵に、自分の欲したものを出す。

 例えば、病魔に侵されれば、それを治すポーションが。

 あるいは、空腹を覚えれば肉やスープが。

 食器や容器も含めて、目の前に現れる。



 「(これは、貧困を打破出来る切り札となるものだ。これがあれば現状を変えられる。最高の奇跡)」


 『青魔石事変』以来、神の何もないと思っていたトータだったが、この時ばかりは違う。

 神はいるのかもしれない。

 それも、自分たちに飢えをしのげる奇跡の石を授ける、慈悲深い神が。


「はは、これで俺たちは助かる! やったよ、ラナ。僕たちはこれで生き延びられる」


 トータは思った。『飲食物』を無限に、そして上質な物が出せるというのなら、いくらでも活路は開けるだろう。

 売却、飲食、取引材料……選択肢は無数に広がっている。

 歓喜に抱きつくラナの感触に心地よさを抱きながら――トータは自分たちの幸福を確信していた。

 

 そしてそれが、災厄の種になるとも知らずに。 

 

 

お読み頂き、ありがとうございました。

次回の更新は6月26日、午後8時の予定になります。

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