第九十話 金のない男
「ああ、金がねえ金がねえ金がねえ……っ!」
中規模都市ヒルデリースにて、一人の男が悲嘆な声音で呻いていた。
陰鬱な容姿だった。お世辞にも爽やかとは言えない、粗野な風貌の中年男性。
「稼いでも稼いでも泡銭と消える! 全く、やってられねえ!」
彼――ダードは昔から用心棒として働き、その酒癖の悪さで有名だった。
妻とは数年前から離婚し、子供は共に出ていった。
後に残ったのは借金まみれの生活と、酒に溺れた毎日ばかり。
「なんで働いても楽にならねえ? まったく嫌になる」
彼のことを評する者がいるのなら、多くの者は『ロクでなし』と評するだろう。
彼は若い頃に小さな酒場で一人の女を引っ掛けた不良崩れ。
そのまま酔った勢いで裏路地へと連れ込み、女を孕ませ彼は父親となったのだが、そこまでなら下級階層にはままある話だろう。
金の男と女が過ちを犯し、なし崩し的に運命を共にする。この世にある無数の光景の一つ。
けれど、ダードは違う。
その後もろくに責任を果たさなかった。愛した女性がいるにも関わらず別の女にも手を出し、毎日家を出ては取っ替え引っ替え、様々な女性と一夜を共にした。
結婚したのに、相手の女のことなど気にもせず、仕事に出れば朝帰り。帰らない日も多い。
貧民街では噂は早く流れるため、いつの頃からかダードは「クズのダード」と、悪く噂されていた。
「けっ、なぜみんな俺の名前を最近よく言う?」
当初はそれでもどこ吹く風だったダード。
しかしそれが増えていき彼としては不満だ。
どうして自分の名前が知られているのか不思議だ。
たかが「八十二人の女」と関係を持っただけだろう? なぜ有名になる?
男なら誰だって女くらい抱くだろう、それが本能だ。
「――あーあ、あり得ねえ」
「おらあああ! 出てこいダードっ! 今日こそ金を払ってもらうぞ!」
金を取り立てる大男が叫んでいる。
屈強な借金取りたちだ。大柄の男の拳で壁が殴られ、盛大な音がダードの粗末な木造家に響いていく。
ダードは聴こえないフリをして。
「なんで俺は金がないんだろう? どこで間違えたんだろう? ――ちくしょう、金が欲しい! 金が欲しい! 金さえあれば、やり直せるのに……っ」
ダードは後悔していた。
自分がしてはならない事を重ねた事実に。
これから先、こんなやかましい借金取りに追われる生活。
じつに最悪だ。
ダンダンッ! ダンダンッ! と、徐々に、壁を叩く音が大きくなっていく。
あちらも我慢が出来なくなってきたのだろう。今日は扉を破って侵入してきてもおかしくない。
ダードは祈った。
「ああ、神様、神様! どこの神様でもいい、俺に金をくれ! 俺は間違った、金さえあれば俺はやり直す! だから!」
ダードは神に向けて祈る。
どんな神でもいい。神様の詳細なんて知らない。
でも助けてほしい。こんなのまっぴらだ。俺は、誰かの助けが必要だ――。
外で壁を叩く音が、静かになった。
「おい、面倒だ、鍵を壊せ」「へい」「まずは気絶させますか」「良かろう」
外からそんな男たちの声が聴こえてくる。
ダードはさらに祈った。外から大きなハンマーを振りかぶる音がする。
破砕される入り口の扉。盛大な衝撃音。ダードは祈り続ける、必死に、切実に。
「頼む、頼むよ、神様! 金をくれ! どうか!」
「奴はいるはずだ。捕まえろ」
ダードのいる居間まで、約五秒の位置に借金取りが来た。
そして。祈るダードが呟く姿を。借金取りの男が部屋に入ってきた、その瞬間――。
光り輝く――『緑色』の、石が現れた。
ダードのすぐ目の前だ。祈りを捧げる木テーブルの上。粗末なその位置に、まるでそぐわない煌びやかな石が輝いていた。
見た目は、まるで宝石のよう。全体から神々しいまでの輝きを放ち、その中はまるで宇宙の如く星の如く美しい。人が、「煌びやか」と評するのに相応しい美麗な石。
ダードは硬直する。
それが、あまりにも常識外れの輝きだったから。
『ソレ』は、今までダードが盗んだ、あるいは手に入れた宝石より、遥かに上質な代物だった。
「おいダード、てめえ、よくも焦らしてくれたなあ! ええ?」
借金取りの男が、用心棒の大男を五人従え、部屋に入ってくる。
「今日こそは金を支払ってもらうぜ? 出なけりゃお前の臓器を売り飛ばす。半分くらい持っていきゃあ、釣り合い採れるだろ?」
借金取りの男は、笑いながら愉快そうに告げていく。
そんな彼に構わず、ダードは思わず呟いた。
「……だな」
借金取りは怪訝なかおを浮かべた。
「……あ?」
「これで、俺は安泰、だな」
ダードは、晴れやかな顔つきで語った。
確信できた――『コレ』は、普通の石ではない。
人智を超えた、『何か』が宿っている神秘の石だ。
ロクでなしと言われたダードだからこそ判る。この『緑の石』が自分を変えてくれる。
「ああ? 何言ってやがるダード、てめえ……、!?」
瞬間、ダードの手から『金貨』がいくつも出現していた。
当代の王様の描かれた立派な金貨。
王冠と、錫杖と、外套の描かれた、勇ましい意匠のそれが五十枚――即座に手のひらに乗っていた。
「……なっ!?」
「ほらよ、貸りていた金だ」
「……え? あ、ああ……しかしお前、それは……?」
命令を下しかけていた借金取りの男。彼は興が削がれたように目を丸くする。
そして、ダードの手のひらに乗る金貨五十枚をまじまじと見て、
「……ほ、本物か? ダード、いまそれ、突然現れたように見えたが……?」
「どうした? ほら待望の金だぞ? 足りないってんならまだ出せるぜ。そら、これでどうだ?」
ダードは、自分の胸ポケットに手を突っ込むと、そこから取り出したようにいくつもの金貨を取り出した。
じゃらじゃらじゃらじゃらと。
金を日常の生業とする者なら聞き違えるはずのない、金貨の音が、眩いほどに借金取りの目前に現れる。
「ま、まさか……っ、か、金だ!」
「本当に用意しているとは!?」「ダード、お前……!?」
「おいおい何呆けてるんだよ? 待ち望んでいた金だろ? ほら受け取れよ」
何が何だか判らない借金取りに無理矢理持たせると、そのままダードは家の外に出た。
その直後、家から「金だ! 金だ! 必要分の三倍はある! ひゃははっ!」と、歓声が聴こえてきた。
ダードは即座に走った。
彼もそこまで馬鹿ではない。借金取りは悪辣な人間だ。
ダードがいつの間にか大金を用意したと知って、何もしないわけがないだろう。
「俺にもその儲け方を教えろ」と、脅してくるに決まっている。だから、即座に走った。
貧民街で暮らしたダードには道順など丸わかりだ。
走る。走る。走る。
貧民街の端から一気に大通りを駆け抜けて、中央部へと急ぐ。
「はは、ははっ! この緑の石のおかげだ! これで俺は心配ない!」
ダードは歓喜する。
この『緑色の石』さえあればやり直せる。
人生挽回だって夢ではない。
大事そうに胸ポケットに仕舞い、逸る気持ちを抑えて駆け続け、興奮した気持ちを抑えられないままダードは、貧民街を隔てる大きな門まで行き着く。
「……何者だ。許可ない者はこの先に行くことは叶わないぞ」
門番である兵士六人が、長槍を持ってダードの前に立ち塞がった。
城塞都市ヒルデリースは、厳格な『階級』を元に造られた中規模都市である。
民は『上級』『中級』『下級』と分けられ、俗称で『上流』と『中級』は【平民】、下級は【貧民】と呼称されている。
下の人間を作る事で競争心や愉悦感を与えることで都市を円滑に進める方針だが、貧民にとってはこれ以上ない差別都市でもある。
――それは、今までのダードなら、超えられない壁だった。
だが今の彼なら違う。
「……はい、門番さん。向こうに行くのに許可はどのような物が必要でして?」
「『移動』の希望者か。……中流層の人の紹介状か、商人などの通行許可証だ。ただの貧民にここを通すわけにはいかないな」
「そうですか。なら門番さん、金を積めば通らせてもらう事も可能ですか?」
「なんだと? ――まあ出来なくはないが、金貨八百枚は必要だぞ?」
門番は小馬鹿にしたように言った。
平民が一年に稼げるのが、おおよそ『金貨三百枚』前後とされている。
貧民にはどうあがいても普通は渡せない金額だろう。
だがダードは違う。――八百枚? はは、そんなもの、少なすぎる。
「そうですか、ならならこれで足りますかね?」
ダードは、財布代わりに持ってきた布袋から『金貨八百枚』を取り出した。
門番の兵士が、目の色を変えて驚愕する。
「……なっ!? 金貨だと? 馬鹿な、今一瞬で……!?」
「足りませんか? ではこれならどうでしょう? 門番さんの苦労に感謝して、上乗せしておきますね」
ダードは、さらに布袋から四百枚の金貨を取り出した。
もちろん、全て胸ポケットの『緑の石』の力で得た金貨だ。
『緑の石』はダードが必要だと思う分だけ、即座に出現させることが出来る。
「……ず、随分気前の良いことだな……」
門番の兵士の顔が、さすがに引きつっている。
「駄目でしょうか? これでも俺は用心棒なんてやっていましてね。前にでかい報酬があったんです。それで、『中流』の方にも行きたいなと」
門番たちの目が疑わしげにダードの全身を見渡した。
だが欲望が不信感に勝ったのだろう。
「……良かろう。資格ある者には機会を与える。それが都市のルールだ」
「ありがとうございます」
ダードは、出現させた金貨千二百枚を、兵士へどさりを渡した。
面倒なので布袋ごと。兵士は驚愕と歓喜の入り混じった顔で、門を潜るダードに言った。
「……お前の行く末に幸があることを祈ろう。ではな」
「はい。重ねてありがとうございます。門番さんにも良い明日が来ることを」
そして、ダードは中流街に足を踏み入れた。
「ひゃはははははっ! やった! やったぞ! 中流街へ入れた!」
あの分厚い門が! 強靭な肉体の兵士が! 金の力で簡単に突破出来た!
生まれのせいで、潜ることも考えられなかった、『中流街』への門。それがいとも簡単に!
歓喜と、高揚と、誇らしさが、ダードの中を駆け巡っていた。
「……と、このままだと流石にまずいな」
ダードは、大通りの店のガラスを見て、自分の姿に苦笑する。
こんな、いかにも「貧民街出身です」というボロの服を着ていたら注目の的だろう。
それに多額の金貨を渡した貧民街の噂が、広まる可能性もある。
ダードはすぐに行動を起こした。
まず、身なりを整えるため、金貨四十枚を『緑の石』によって出現させる。
手のひらに目が眩むほどの金貨が生まれる。
そして、整髪店へ行き、髭を剃り、髪を整えてもらい、最低限の見栄えが良くなるよう服も服飾店に向かい、中流物に着替えた。
念の為、『整形』するべく魔術の『整形専門店』へも足を運ぶ。
「はいいらっしゃい! 今日はどのような顔をお望みで?」
魔術による『整形専門店』。
――要は、《変身》系の魔術を応用し、体の部分を造り変える店のことだ。
値段は高額だが、自分の容姿をある程度変える事が出来る。
主に俳優志望や亡命希望の人間などが使う。
裏路地にある店に入る際、ダードは金貨五百枚を出現させ、新しく買った布袋の中に入れておいた。
それを店の主人に見せる。煌びやかな金貨の輝きが沢山。
それを見て、主人は喜んでダードを整形すると約束した。
元の、目つきが悪くすさんだ目から理知的な目元。さらに猫背の中肉中背から精悍そうな体躯の、偉丈夫へと変えてくれた。
店の主人は、三時間かけてダードを生まれ変わらせた。
「……お待たせ致しました。これがお客様の新た姿となります。ご満足していただけましたか?」
「十分すぎる。俺にはもったいないくらいだ、値段は足りたか?」
店員が大喜びだ。
「それはもう! お客様には、特別に化粧も施しておきました!」
「結構だ。いい仕事をしてくれた、礼を言おう」
「ふふ、ありがとうございます! またのお越しを!」
笑顔で腕を振る店主に手を振り返し、ダードは歩く。
同じような流れで、さらに整形を五度、繰り返した。
万一、貧民街の人間が大金によって『中流街』に入ってきたと噂されたら面倒だ。
だから整形のことを嗅ぎつけて、身元を確かめられるのを防ぐため、ダードは整形を何度も繰り返したのだ。
容姿はダンディに、次に少年に、中性的な容姿に、いくつもの整形を経て、最終的には『精悍な偉丈夫』の姿に変貌した。
これで変装は完璧。
費やした金貨は合計で二千五百枚だが、問題ない。
「最高だ! 無限に金が出てくる。……あとは」
胸ポケットから、ダードは『緑の石』を取り出し、呟いていく。
「適当に金貨五百枚を出現させよう。そしてそれを元手に『探索者』でも始めようか。なに、俺にはいくらでも金がある。魔物を狩って大儲けだ」
レベルを上げれば誰も逆らえない程強くなり、いずれこの街の権力者に君臨出来る。
あるいは、裏社会を牛耳るか。
出来ない事はないだろう。何せ、この世は『金』で出来ているのだから。
権力も、地位も、女も。
暴力すら『金』で支配出来る。
『金』こそが、人類の生んだ最高の力。万能にして至高の力。
ダードは、笑いをこらえきれなかった。
失敗と後悔ばかりの毎日は終わり。これからは金貨に溢れる生活が待っている。
心配する事は何もない。何故から俺の手には、この『緑の石』があるのだから。
――もし、仮に、ダードの事を見つめる高位の魔術使いがいたなら、驚愕していただろう。
なぜならその『緑の石』は規格外の――この都市の支配を傾かせるほどの、『力』が有されていたから。
【名称:『緑魔石』(タイプ・ゴールド) 由来:金を生み出す超高位魔物の因子から作られた。
効力①:無限に金銀・財宝を生み出せる 効力②:■■■■】
――それこそ、次なる災いを呼び起こす、『火種』の一つだった。
『金』。これ以上ないくらいにわかりやすい力ですね。本作は序盤からリゲルを通じて、資金力の強い者が強くなる様を描写してきました。
けれどダードはまた違ったやり方で力を得ていきます。重要なのは彼は『善人』ではないこと。
リゲルみたいに義理や感情で人を助けたりする性格ではない事です。
悪人がろくでもない力を持ったらどうなるか、それも第4部において描かれるテーマの一つになります。
お読み頂き、ありがとうございました。
次回の更新は5月1日、午後8時の予定になります。





