町
「ママぁ―!」
「ママじゃねぇっつってんだろうが!」
いつものように川で網を使って魚を捕るオオシマのもとに、プーフが笑顔を向けながら網を持って家から駆けだしている。
月日は流れ、およそ一か月ほどの時間が流れていた。
いつしかオオシマのことをママと呼ぶようになったプーフ。
オオシマと共に過ごし、最初に見た姿とはまるで別人と変わった姿がそこにある。
痣だらけだった体はすっかり白い肌色に戻り、痩せていた身体には徐々にではあるが、ふくよかさが増してきている。
毎日風呂に入ることで臭いはなくなり、髪の質や肌質も格段に健康的になっている。
すこし伸びてきたセミロングのストレートな金髪は肩にかかって、日の光を浴びると輝きながら風に踊っている。
「ママー! プーもおさかなとる!」
「だから、ママって呼ぶんじゃねぇ! オオシマっつってんだろ!」
「オーシママ!」
「ガキのくせにうまいこと言ってんじゃねぇ!」
オオシマの怒鳴り声にもすっかり慣れたプーフは笑いながら川の中へ入ると、網を振り回しながらオオシマに抱きつく。
月日はプーフの警戒感を取り去り、事あるごとにオオシマに抱きついて甘えるだだっこへと姿を変えさせている。
さらには女性へと変わったオオシマのことをママ呼ばわりする。
とてもママというような振る舞いはできないし、そもそも元が男であったことがぬぐえないオオシマである。
プーフがママと呼ぶたびに怒鳴り声をあげて否定した。
それでもプーフはオオシマのことをママと呼び、止めようとはしなかった。
「ママー!」
「うるせぇ!」
腰を落として川底に網を入れるオオシマの脚に抱きついてママと呼ぶ。
恐らくはママと呼べる存在ができたことが嬉しいのだろうとオオシマは思う。
しかし、どこかに本当の母がいるかもしれない以上、それを受け入れることはできない。
一時の継母にはなれるかもしれないが、本当の母になることは無理だ。
手にしていたのはタモ網ではなくサデ網であった。
使い方は同じであるが、タモ網よりも大きな網はその分魚を捕りやすい。
「俺が下で網押さえてっからプーは上から石どかせ」
「わかった!」
豪快に飛沫をあげながらプーフは網を構えるオオシマより上流に行くと、小さな手と足を使って川底を荒らしながらオオシマのいる下流へと下る。
「とれた?」
大きなサデ網を救い上げると20センチはあろうハゼのような魚が数匹、他にも小魚やエビが大量に入っている。
大量の魚が捕れたことにプーフは目を輝かせると慣れた手つきでエビや小魚を掴みあげ、川辺に置いたバケツの中へと放り込んでいく。
「これ逃がす?」
「あぁ、それは小さいからなリリースだな」
最初は捕れたものは全て食用にしていたが、プーフも魚捕りを完全に覚えるようになるとオオシマは捕って良い魚と逃がすべき魚を教えていた。
大型の魚やある程度育ったであろう魚は捕ってもいい。
逆に小型の魚や卵を孕んでいるであろう腹の大きな魚は逃がす決まりにしている。
捕りすぎては次の時期にまた同じ量が捕れるとは限らないし、捕りすぎては川の生態系を崩す恐れもある。
たった二人で魚捕りをしても自然への影響は少ないだろうが、それでもオオシマは前世でもそうしていたようにこの異世界でも同じようにして魚捕りを行っていた。
オオシマの言いつけを守るプーフは、網の中から小さいのを川へと放り選別を終えると再び大きいものだけをつかみ取ってバケツへと放る。
「よし、もっかいだ」
プーフはキャミソールが濡れるのも構わずに豪快に飛沫をあげながら川底を荒らしていく。
掬いあげた網の中には魚とカニ、エビ以外に見慣れないものが入っていた。
泥にまみれた紙切れである。
網の中から取り上げると汚れを払って紙を見る。
見たこともないような字が綴られているが、何故かオオシマにはそれが読めた。
女神が与えたのだろうか、日本語でも英語でもない文字の書かれた紙切れをオオシマは簡単に読み解くことができる。
「……骨董市開催、か。なんだこりゃ」
紙は町で骨董市が開催されるチラシであった。
日付や時間帯も書いており、どのようなブースが出店されるのかも地図になって記されている。
「こっとういちってなぁに?」
「骨董市ってのは、年代物の家具だとか小道具を売る出店の集まりだ。川を辿れば町があるのか?」
「おみせがあるの?」
「そういうことだ」
「プー行きたい! おみせみたい!」
町があることなど知りもしなかった。
オオシマは町に行けば何かしらの情報や足りないものの調達ができるのではないかと思案した。
それに文明の発展していない町だ。もしかしたらここで捕った魚や何かを売って金を稼げるかもしれない。
行って損はないだろう。
「そうだな……行ってみてもいいかもしれねぇな」
「ママいこ! プーいきたい!」
「試しに行ってみるか。プーその服は汚れてっからてきとーに着替えてきな」
「はい!」
飛沫をあげながら川からあがるとプーは一目散に家へと駆けだす。オオシマも網とバケツを手に家へと足を運んだ。
バケツの中の魚たちはシンクにぶちこんで放置し、自身も汚された服から新しいものへと着替える。
一月経ったが、いまだに女性服には慣れない。
30年少しオオシマは男として生きてきたのだ。スカートを履いたときの足元の解放感に違和感はなくなりつつあったが、それでも女性ものの服を着るという行為にどこか羞恥心を抱いていた。
プーフはさっさと服を脱いで脱衣所の籠に放りなげるとオオシマの服を裾上げした服に着替えた。
以前は裸足だった足元も川で拾った毛皮でつくった不器用な靴を履いて外出の準備を整える。
着替え終わった二人は川沿いを上流へと向かった。
森を抜けると野原が広がり白い花や紫色の小さな花が咲いて広がっている。
花畑に二人の金髪の美少女と幼子。絵になるような風景ではあるが、オオシマは容赦なく花を踏みつぶして歩く。
「ママ、おはな」
歩きながらプーフは一凛の花を掴み取ると、自分の耳の上に飾ってほほ笑んでいる。
にんまりと笑う顔は咲いた花と同じように可愛らしく尊さを感じる。
「似合うじゃねぇか」
「えへへ。ママもおはな」
小さな手にはもう一凛の花がある。それをオオシマに差し出すと自分と同じようにつけろと期待した瞳で見ている。
「ママもおはなつけよ」
顔が引きつった。
こちとらヤクザだ。どこの任侠が顔に花など飾るものか。言葉には出さないが胸のうちにそうぼやく。
とりあえず花は受け取ったが飾らずにポケットにしまう。
プーフは自分と同じようにしないオオシマに唇を震わせて不機嫌そうな顔をしたが、そういったこともすでに日常茶飯事になっていた。
オオシマが不愛想なのはプーフにも分かっているし、変わることはないと知っていた。
なので、それ以上は求めずに諦めると共に上流へと歩いた。
しばらくすると、遠くのほうに煙があがっているのが見える。
白い煙でだった。恐らくはその煙の元に町があるのだろう。その証拠となるように野原を抜けた先には石畳で舗装された道が見えた。
「こんな場所に町あったんだな」
「ママ、まち! こっとういちやってる!?」
「どうだろうな。今日が何日かわからねぇからな」
「むー……」
「だけど、町があるんだ。骨董市がやってなくても何かしらの店あんだろ」
プーフがオオシマのスカートを掴んだ。
同じ金髪であるがゆえに傍から見れば親子に映るだろうか。オオシマは人目に映る自分たちの姿を想像した。