義理人情
暴れ回った小さな怪獣は力が尽きるとやっと大人しくなり、暖炉の前でタオルに身をくるんで魚が焼けるのを待っていた。
そのすぐ傍ではオオシマが何かプーフに着せられるような服はないかとタンスを漁っていた。
ピンクのワンピース、黄色のキャミソール、レースの下着たち。
これを自分が着るのだと考えるとおぞましく思えてしまう。
以前は強面でガタイのいい風貌であり、常に黒のスーツ姿だった。それが今はこんな女の子らしい服をいくつも持ち、それらを着るはめになる。
考えずとも服を手にすると眉間にシワがよった。
プーフには大きすぎるが黄色のキャミソールを渡すと、プーフは無言で両手をあげるとオオシマを見つめている。
無言で『着せて』と訴えているのだろう。
「服ぐらい自分で着ろ」
「おねーちゃんきせて」
「……ハァ」
溜息を洩らしながらプーフのあげた両手から服を通す。
サイズが大きすぎるため肩紐の部分を短く結わえ、裾もあげて縛るとやっと怪獣に服を着せることができた。
着終わるとプーフはまた無言で魚が焼けるのを見ている。
「おい、ありがとうは?」
「あいがと!」
「何かしてもらったりしたら、ちゃんとありがとうって言え。わかったか?」
「はい!」
返事はするが継続するには、たびたび注意したりしなきゃならないんだろうなと1人思う。
子育てはしたことがないが、舎弟に教育を施したことならばオオシマにもある。
任侠道に入ってからはそれなりの年月が経っていた。
一般的な会社とは違い毎年新入構成員がいるわけではないが、それでも年に一人二人は新しい構成員が増えていた。
そうすれば当然先にいたオオシマは兄貴分となり、舎弟たちの世話係を任されることもある。
目上の人に対する礼儀、社会から弾かれたものだからこそカタギの連中には言葉遣いを正しくしろと教えたこともあった。
極道と言えば言葉が荒いイメージもあるだろうが、それはあくまで互いにいがみ合うとき。
そういった時を除けば常に紳士的にあれという風に教えていた。
すでに悪いイメージがあるおかげで、逆の事柄―丁寧な言葉遣いなどを使えばギャップが生まれ対面する相手に対し良いイメージが浮かびあがる。
とは言え、それはあくまで極道の話。
今、オオシマの目の前にいるのは行動からして恐らくは10歳以下の子供。
これまでの教育法が通じるとは思えない。だが、他に手段もない。
これからは手探りに教育しなければならないのだろうと、オオシマは会ったばかりの少女とのこれからを自然と考えてしまっていた。
着たくもないピンクのワンピースに袖を通す。
やはり慣れない。身体は女であるし女がワンピースを着るなどごく自然なことであるが、オオシマにとってそれは慣れたことではない。
本日二度目の着替えであるが、女物の服を着るのには抵抗がまだある。
「おねーちゃん、さかなまだ?」
「あぁ、どうだろうな」
待ちきれなくなったプーフが声をあげた。
灰に突き刺さった魚はほんのりと焼けている。火力は弱いが長い時間放置していたおかげで中まで火が通っている。
「焼けてるな……食っていいぞ」
言われて少女は待てを解かれた犬のようにがっつきだす。
それを見たオオシマは眉を潜めると、プーフの横に座って自分も魚のくし刺しに手を伸ばした。
「プー、いいか。飯を食う時はいただきますって言うんだ」
「いただきます?」
魚を食みながら首をかしげる。
オオシマは姿勢を正して手を合わせると『いただきます』と言って魚をかじり出した。
「いただきますっていうのは、これから命をいただきますっていう感謝の言葉だ。わかるか?」
「わかんない」
「この魚を育てた自然への礼、命を頂戴して自分の糧にすることへの謝、それらを思っていただきますっていうんだ」
「やっぱりわかんない」
「とにかく、いただきますって言えばいいんだよ」
「わかった。いただきます!」
すでに口に魚をもごもごさせながら、プーフも大きな声で言うとオオシマは満足そうに笑う。
一本だけオオシマが食べ、残りはすべてプーフが平らげた。
よくもまぁ小さな体にこれだけ食えるもんだと感心しながら見ていると、自分にも子供がいたらこんな感じなんだろうかと思ってしまう。
だが、もし自分の子供だったらこんな悲惨な姿には絶対にさせない。
少なくとも痣を体に残すような状態にはしないし、させない。
もし、危害を加えるような奴がいたら指全部詰めさせて、そのうえでコンクリ詰めにして海に放り込んでやると思いオオシマは一人で腕を組んで眉にシワを寄せた。
*
正確な時間はわからないが、日は落ちて外は暗くなっていた。
森の中にある小さな家には蝋燭の灯りが家の中を照らしていた。時折はいる隙間風に火が揺れると二人の影も揺れている。
プーフに帰る様子はない。
魚を食べたあとはシンクに蠢くエビとカニをひたすら観察したり、オオシマの背中の龍をもう一度見たいとせがんだりと思いついたことを思うままにやって遊んでいる。
――帰りたくないんだろうな。
オオシマは仮定ではあるが、プーフが悲惨な状況にあるとみている。
ならば、当然帰る場所は安心できる場所ではない。恐らくは帰ればまた体に痣を増やす結果になる。
そう考えるとオオシマはムカついて仕方がなかった。
コップに一杯だけ注いでいたワインを飲み込むと、目の前でしゃがんでカニと遊ぶ幼子に目をやる。
いつの間にかシンクからカニを取り出して床の上に置くと、横歩きする姿をニヤニヤしながら追いかけている。
仕草も行動も子供。そう、まだ一人では生きていけない子供なのだ。
もし、元の場所に戻ったらどうなるのだろう。
前世の状況にそって考えれば、こういった子供は売り飛ばされるか、海外の売春宿で働かさせるか、もしくは物乞いをさせてその金を没収するのが常であった。
オオシマ自身がそういったことをしたことはないが、仲間内での会合などではたまに耳にし、心を痛めていた。
下手に対立しないためにも仲間内でのそういったことには口を出さなかった。
しかし、今は任侠から外れている。それどころか元の世界から外れている。
自分の意志次第でどうにでもなる。
ならば簡単なことであった。この小さな少女の気が済むまでここに居させればいい。それだけだ。
隙間風が徐々に冷たくなっているのを感じた。
時計がないため時間はわからないが、そろそろ子どもは眠る時間だろう。
「おい、プー」
「なぁに」
「そろそろ寝る時間だ。子供は寝ろ」
「……もうねるの?」
「そうだ。ガキは寝ないと育たねぇんだよ」
寝ろと言われたプーフは何故か寂しそうな顔をすると、カニを放置したまま立ち上がって玄関へと向かい扉に手をかけた。
「おいおい、どこ行くんだよ」
「おねーちゃんねろっていったから」
「寝ろって言ってなんで外に出るんだよ?」
「プーフいっつもおそとでねてた。おうちにいるとじゃまだからって」
子供から言われた言葉にオオシマは恐怖した。
寝ろと言われれば普通はベッドか布団で寝るもの。そういった常識がプーフには通用しない。
寂しそうな顔をしたのも納得がいく。
恐らくこの子はまともな環境で寝たことがない。ベッドなど使ったこともないのではないかと思えるほどに。
外で常に寝ていたがためにあんなに髪がボサボサの汚れだらけだったのだろうか。
子供から出るとは思えない言葉にオオシマは怒りと同時に悲しさがこみ上げてくる。
「バカヤロウ! 外で寝るやつがあるか! テメェはベッドで寝るんだよ!」
思わず零れそうになった涙にオオシマは目頭を押さえた。
「プーフ、じゃまじゃない……?」
「いいからさっさとベッドで寝ろ!」
プーフも目に涙を溜めていた。
走ってオオシマの胸の中に飛び込むとボロボロと涙を流してワンピースを濡らしている。
「……プーフにかえれってどうしていわないの?」
――普通は帰れっていうよな。そうだよな。
目の前の少女は薄汚れていて痣だらけで常識がない。
きっと今までも誰かのもとに行ったことはあっても、追い出されていたのだろうと予想できた。
追い出すことも嫌がることもせず、ただ受け入れたオオシマはプーフにとって理解のできない存在だった。
故に、帰れと言われないことが疑問になり、大きく膨らんだ疑問を怒鳴るオオシマに涙ながらに打ち明けたのだ。
オオシマは涙で声が出なかった。
あまりに悲惨な人生を送る少女を想うと涙が堪えられない。
「プーフばっちくない? プーフのことたたかない? プーフくさくない?」
――うるせぇ、それ以上俺の心を揺らすんじゃねぇ。
「プーフ、ずっとここにいたい。おうちかえりたくない」
それ以上は嗚咽で声にならなかった。
小さな子供が吐き出した本音にオオシマは溢れる涙を止められずにいた。
言葉も出そうにない。男なのに情けないと思いながらオオシマは言葉の代わりにプーフを思い切り抱きしめた。
「帰りたくねぇならここにいろ。もうこれ以上俺に恥ずかしいことを言わせるんじゃねぇクソガキ……」
ヤクザである以上、必要以上の言葉を口に出すことは拒まれた。
だが、プーフは子供ながらにオオシマの言葉を理解すると抱きしめる力を強くして大粒の涙を溢れさせた。