涙を襲う影
叫んでリリアは駆けだしていた。
オオシマが制止の言葉をかけるも、それさえ振り切ってリリアは町の中へと走り出した。
――プーばっかり。私なんてどうでもいいんだ。
走りながら涙が零れる。
人混みをかき分けて、ただ遠くにいきたくて、皆から離れたくてリリア走った。
――どうしてこうなっちゃうんだろう。
流れる涙を拭いながらリリアは小さな羽を揺らしながら宛もなく走り続ける。
小さな意地悪、小さなやきもちが大きくなってそれをプーフにぶつけてしまった。
心に刺さる言葉を直接言われたプーフは泣いていた。そりゃそうだろう、こんなに悪口をいったことなどは今までない。
――ママもプーフもシロも、私なんてどうでもいいんだ。
被害妄想的な思考が頭に渦巻いた。誰もそんなことなど思ってもいないだろうに、リリアは勝手にそんなことを想像してしまう。
いつも世話を焼かすプーフ、いつも甘えているシロ、二人にオオシマを取られた気がしてリリアは独りぼっちになった気がした。
本当はプーフをそこまで責める気もなかった。だが一度口に出せばどんどん溢れて止まらなくなった。
もっと自分に目を向けてほしい、もっと甘えたい一心がヤキモチになって口から吐き出された。
――ママだってもっと私に構ってくれていいのに。どうしていっつも二人ばっかり。
息を切らすと足はゆるやかに速度を落とした。
伝う涙をそのままにとぼとぼと歩く。見慣れない町の景色は涙で滲んでいる。
両手で涙を拭いながら何処へともなく歩いた。
本当は戻って謝るべきだ。そう思ってもまだ胸の中には小悪魔が住み着いて、とても足を戻そうとはしない。
――どうしよう。
宛もない。走り出したはいいもののリリアはどうしたらいいのか迷っていた。
すぐに帰ることはできない。だからといって子供一人ではどこへも行ける気がしない。
いつも出掛けるときはオオシマやプーフが一緒にいた。
それ以前は奴隷屋で自由などなく、一人で出歩いたのなどこれが初めてであった。
一人で出歩いた記念日は最悪の思い出となりそうだ。
――ママ怒ってるかな。
いきなり駆けだしたリリアをオオシマは止めようとしたがそれを振り切ってしまった。
言うことを聞かなかったせいでオオシマは怒ってはいないかと不安になる。
プーフを泣かせてしまったし、言うことも聞かない悪い子。
自分は悪い子なんだと思うと悲しくてまた涙が出た。
繁華街の離れまで歩きつくとリリアは川辺にあったベンチに腰かけた。
しばらく誰もきていないだろうベンチは薄汚れていて苔が生えている。
汚らしい姿に自分が重なった。きっと今の自分もこんな風に薄汚れていると思えた。
ベンチに座って目の前を流れる川を見つめる。
透明色の透き通った水が右から左へと流れていく。日の光を反射していて、中には小魚の群れが悠々と泳ぎまわっている。
それを見てリリアはまた嫌なことを思い出してしまった。
いつかオオシマとプーフと一緒に家の前で魚捕りをした。その時プーフは慣れた手つきで魚を捕っているのにリリアは魚がぬるぬるしていてうまく掴めなかった。
手慣れたプーフは小さい魚を見極めて逃がし、大きいのは捕まえてバケツにいくつも放り込んでいた。
オオシマはプーフを褒めていた。魚捕りが上達しているとオオシマはプーフの頭を撫でていた。
なのに、自分といったら魚一匹すら上手く捕れなかった。
――何をしてもダメなんだな、私。
悪い過去ばかり思い出してしまう。
手の甲とスカートに涙がいくつも落ちる。
何をしてもダメ、褒めてもらえない、構ってもらえない。
――独りぼっち。
嗚咽をあげて泣いた。
もっと褒めてほしい、もっと構ってほしい。今だって涙を流す姿を慰めて抱きしめてほしい。
だけど傍には誰もいない。
涙を流すリリアに大きな影が重なった。
影が重なってリリアはもしかしたらオオシマが探しにきてくれたのではないかと顔をあげた。
しかし、そこにあったのはオオシマの姿ではない。
一匹の巨大な鳥がリリアの目の前に立ちはだかると低い唸り声をあげながら巨大な羽を広げた。
*
リリアが駆けだしてオオシマは手を伸ばした。
だが、リリアは言うことを聞かずに人混みをかき分けて逃げるように走っていく。
「リリー……」
隣では悔しそうに嗚咽を耐えるプーフがスカートを握ったまま動かずにいる。
リリアがプーフにこんな風に当たるなんて初めてだった。
プーフにとって初めての衝撃は痛すぎる刃だっただろう。泣き虫と言われて必死に泣き声をあげないようにしているが、それでも涙は絶えず流れる。
「プーなきむしじゃないもん……」
「プーフ……」
堪えるプーフの体をシロが抱きしめた。
「ママ、リリーどうしちゃったんだろう」
プーフの体を抱きしめながらシロがオオシマを見上げる。
去っていってしまった景色を見ながらオオシマはどうしてそうなってしまったのか考えてみる。
「あいつも……甘えたいんじゃねぇかな」
「甘えたい?」
「リリーはプーフよりも大きいからいっつもお姉ちゃんとして振る舞ってた。でも、それは我慢するってことにもなる。その我慢が限界にきたんじゃねぇかな」
思えばリリアはいつも控えめに行動していたような気がする。
プーフやシロが感情任せに甘えているのに、リリアはそれをみて自分も甘えたいのに我慢していた。
自分はお姉ちゃんだからと一歩引いていたような気がする。
きっとその我慢ができなくなってあんなことを言ってしまったのではないかと思える。
「とりあえずリリアを探そう。あのヤロウ足はえーじゃねぇか」
「もう姿が見えないね」
真っすぐに伸びる道を見てもそこにはリリアの姿はない。
「ったくリリーのヤロウ。一丁前に俺から逃げられるとでも思ってんのか。見つけたら思いっきり抱きしめて頬ずりしまくってやる」
腕まくりをしてオオシマは荒い鼻息をならした。
母親として元ヤクザとして一度目を付けた相手を逃すことなど絶対にしない。
「ほれ、プーもリリー探しにいくぞ!」
「……うん」
零れる涙を拭うとオオシマのスカートを握った。
言葉にはしないがプーフもリリアのことを心配していた。悪口を言われて責められても、それでもリリアはプーフにとって大切なお姉ちゃんだ。
その愛するお姉ちゃんがあんなに悪態をついて皆の前から姿を消そうとするなんてあったことではない。
「プー、リリーのことおこらせちゃったの」
「別にオメェが悪いわけでもねぇ。かといってリリーが悪いわけでもねぇ。悪いのは俺だ」
歩き出しながらオオシマはリリアに我慢させてしまっていたことを悔いた。
確かにプーフとシロが以前にもまして甘えん坊になっているのは分かっていたし、リリアが我慢しているのも分かっていた。
なのに、自分はそんなリリアを気遣うことなくいた。
お姉ちゃんだからと思う部分はあったが、リリアもまだ子供。ならばちゃんと親が面倒を見なければならない。
歩き出した矢先に空に幾つもの巨大な影が舞った。
「逃げろ! バハムートの群れだ!」
誰かが叫び声をあげた。
声につられて空を見上げれば青い翼をもった巨大な鳥が群れとなって町に舞い降りようとしている。
「なんだ、あの鳥は」
逃げ惑う人々がオオシマたちを通り過ぎていく。
オオシマの目の前に一匹のバハムートが降り立つとその巨大な羽を広げて咆哮をあげた。




